050 猫大好き
四日後の昼。
王都の中央広場。
依頼の合間で三人で散歩していた。
リント、ユミル、エルナ。
シオンは塔、ミラは酒場、それぞれの仕事。
天気は良かった。
「ふぅ」
エルナが伸びをした。
「平和だね」
「平和だな」
「ユミルちゃん、今日も猫探してる?」
「……はい」
「正直すぎ」
エルナが笑った。
ユミルは視線をあちこちに流していた。
時々、頬が上がっていた。
無意識の微笑みが増えていた。
※
「リン様」
「ん」
「……一匹」
「猫?」
「はい。屋根、上」
リントが見上げた。
灰色の猫が屋根の上で寝ていた。
「ほんとだ」
「……二匹目、あの路地」
「うん」
「三匹目、店の前」
「お前、見つけるの早いな」
「……訓練、済み、です」
「いつの間に」
「……四日、で」
エルナが横で笑った。
「ユミルちゃん、猫レーダー」
「猫、レーダー」
「猫だけ感知する装置」
「……なるほど」
ユミルはそれを真面目に頷いていた。
※
広場をゆっくり歩いた。
ユミルがまた足を止めた。
「四匹目」
「どこ」
「噴水の、横」
「ほんとだ」
「五匹目、向こうの店の屋根」
「速いな」
「六匹目」
「……」
「七匹目」
そこでユミルの言葉が止まった。
リントが振り向いた。
ユミルの頬から無意識の笑みが消えていた。
代わりに目が少しだけ細くなっていた。
「ユミル?」
「……」
「どうした」
「……」
「七匹目、何かおかしいか」
ユミルが小さく頷いた。
「……七匹、います」
「うん」
「……でも」
「でも?」
「**獣人、紛れて、います**」
「は?」
エルナがリントの隣で立ち止まった。
「ユミルちゃん、今、なんて」
「**獣人、紛れて、います**」
「猫の中に?」
「はい」
「猫獣人?」
「はい」
「……どこ」
「……噴水の横、二匹目の隣」
※
リントは視線をそっと噴水に向けた。
灰色の毛玉が二つ並んでいた。
普通の野良猫に見えた。
でもよく見ると——一方は**少し大きかった**。
少しだけ。
普通の猫より、ほんの少し、輪郭が人寄り。
「……」
リントは視線を外した。
気づかれないように。
「ユミル」
「はい」
「あれ、猫獣人だな」
「はい」
「化けてる?」
「……いえ、**獣人は獣化、できる**、種類、います」
「なるほど」
「猫獣人、特に、得意」
「で、なんで広場で寝てる」
「……それは、分かりません」
エルナが低く息を吐いた。
「観察してる、かもね」
「観察?」
「広場、人通り多い。何か見張ってる」
「誰を」
「……分からない」
エルナの目が少しだけ鋭くなっていた。
冒険者の目だった。
※
「ユミル」
「はい」
「他にもいるか」
ユミルが視線をゆっくり流した。
「……」
しばらく黙った。
「……三体、います」
「三体?」
「広場の中に、三体」
「全部、猫の姿で?」
「はい」
「位置」
「噴水の横。露店の屋根の上。それからこちらを見ている、もう一体、店の影」
「囲まれてる?」
「いえ、**監視の配置**」
エルナが舌打ちをした。
「ユミルちゃん、確実?」
「……確実、です」
「気配で分かる?」
「……気配、というより、**呼吸の、間隔、です**」
「呼吸」
「猫、呼吸、速い、です」
「うん」
「獣人、ちょっと、遅い」
「……あんた、よくそんなとこ見てるね」
「……四日、観察、しました」
エルナが肩をすくめた。
「猫好き、極まってるな」
※
「リント君、エルナ姐さん、聞こえる」
ユミルが声を落とした。
「うん」
「私、確保、提案、します」
「えっ、捕まえる気?」
「はい」
「正体、確認、必要、です」
「……だな」
リントが頷いた。
「ただし、騒がない」
「うん」
「広場、人多い」
「はい、目立たず」
エルナが剣の柄に手を置いた。
抜かない。
抜かないが、いつでも抜ける。
「ユミルちゃん、どうやる」
「私、誘導、します」
「誘導?」
「歩き方を、変えます。逃げないように」
「あんたの歩き方で?」
「はい」
「……分かんないけど、信じる」
エルナが笑った。
普段の軽い笑い。
でも目だけが鋭かった。
※
ユミルが歩き出した。
ゆっくり。
普通の散歩のように。
でも進路が、噴水を遠回りに囲っていた。
リントとエルナは横に並んで歩いた。
何気なく。
「楽しそうだね、ユミルちゃん」
「……はい、楽しい、です」
「猫見てるの?」
「……はい、猫」
声を普通に保っていた。
会話は聞かれている前提。
噴水の横の二匹目が**じっと**見ていた。
ユミルの**動き**を目で追っていた。
——獣人、確定。
リントは内心で頷いた。
普通の猫は人をこんな風に追わない。
※
ユミルが進路をもう一周変えた。
噴水を囲うように。
二匹目の退路を塞ぐ動き。
二匹目が立ち上がった。
逃げる気配。
その瞬間、エルナが**動いた**。
剣を抜かずに、地面を蹴った。
二匹目に肉薄した。
——だが、二匹目も、**動いた**。
灰色の体が、空中で、膨らんだ。
毛が引っ込み、体が伸び、人型に戻っていく。
手に**ナイフ**。
袖口に隠していた刃。
エルナに振り抜いた。
「——!」
エルナが身を捻った。
ナイフが空を切った。
エルナが剣の柄で男の手首を打った。
ナイフが石畳に落ちた。
乾いた音。
エルナが男の腕をねじり上げた。
押さえ込んだ。
「**捕まえた**」
獣化解除された男が、地面に組み伏せられた。
若い男だった。
二十歳くらい。
褐色の肌。
頭から灰色の猫の耳。
腰から尻尾。
衣服は簡素な麻。
「**離せ**!」
ヴァナールの訛りだった。
エルナが男の腕を後ろにねじり上げた。
「お前、何を見張ってた」
「……」
「黙ってると面倒なことになる」
「……」
男は舌打ちをした。
そのまま答えなかった。
※
ユミルが声を上げた。
「リン様、エルナ姐さん」
「ん」
「他、二体、逃げました」
「逃げ足、速いな」
「猫の身軽さ、人の知能」
「……追えないか」
「……今からは、無理、です」
エルナが男を揺すった。
「お前、仲間に何を伝える?」
「……知らんね」
「強情だな」
「……俺は、ただの観察役だ」
「観察。誰を」
「……」
男は首を振った。
それ以上、口を割らなかった。
エルナがリントを見た。
「ギルドに突き出す?」
「うん」
「事件性、低そうだけど」
「ジルさんに相談」
「だね」
エルナが男の腕を手早く縛った。
慣れた手つき。
冒険者の仕事。
その時、男の袖がめくれた。
リントがそれを見た。
「……」
男の腕。
肩の近く。
**黒い入れ墨**があった。
三つの牙が円を描く紋様。
「……これ、何だ」
リントが呟いた。
ユミルが覗き込んだ。
「……分かりません」
エルナも見た。
「あたしも、知らない。こっちの国の、紋じゃない」
男が視線を逸らした。
その瞬間——**男の手が、震えた**。
細かい震え。
額に汗。
「……お前、大丈夫か」
リントが訊いた。
男は答えなかった。
ただ歯を食いしばっていた。
「ユミル」
「……禁断、症状、かも、しれません」
「禁断?」
「……何か、切れて、います」
エルナが、眉を、寄せた。
「ジルに、診せよう」
「うん」
※
広場の隅、塀の影。
エルナが男を座らせた。
「ユミル、見張り、頼む」
「はい」
「リント、ジル呼んでくる」
「うん」
リントが走った。
ギルドまで徒歩五分。
ジルなら、すぐ動いてくれる。
ユミルは男の前で座っていた。
距離は二歩。
両手は空。
でも男はユミルから目を離せなかった。
——警戒、強い。
リントは走りながらそれを感じた。
ユミルの**姿勢**が**警戒値**を上げていた。
合理の鬼が**観察モード**に入っていた。
普段のぼんやりしたユミルじゃなかった。
※
ジルが来た。
部下を二人連れて。
「報告、聞いた」
「ジルさん、頼む」
「猫獣人の観察役」
「うん」
「ヴァナールから来た商隊の紛れ込み、最近報告、増えてる」
「そうなのか」
「目的、まだ不明。でも王都の中で何かを見張ってる」
「……」
「お前ら、よく見つけたな」
エルナがユミルを指した。
「この子の猫レーダー」
「猫?」
「……長い話、です」
「……あとで聞く」
ジルが苦笑いした。
部下が男を立たせた。
その時、ジルが男の腕の入れ墨に目を留めた。
「……」
ジルの表情が変わった。
「お前ら、これ、見たな」
「うん」
「何の紋様か、知ってるか」
「……知らない」
ジルが低い声で言った。
「**過激派の、反王族組織の、入れ墨**だ」
「過激派?」
「ヴァナール国内で、王族に、敵対してる組織」
「……」
「暗殺、誘拐、強盗。**貴族を狙う**」
エルナが一歩前に出た。
「……うちの国の、貴族も?」
「最近、増えてる」
「……」
「うちの仲間、貴族家、何人もいる、だろ」
リントとエルナが顔を見合わせた。
エルナ、スカディ家。
シオン、ヒュペリオン家。
ミラ、ファールバウティ家、没落だが。
みんな貴族。
「……気をつけろ」
ジルが男を見下ろした。
「それと、こいつの震え」
「禁断症状?」
「**にゅーる**、だ」
「にゅーる?」
「猫獣人を、中毒にする、ヴァナール固有の、薬物」
「中毒?」
「過激派は、**にゅーるを密造して、資金源にしてる**」
「……」
「同時に、構成員の、支配ツールでもある」
エルナが眉を寄せた。
「組織から、抜けられない」
「そうだ。供給、切られると、こうなる」
ジルが震える男を見た。
「中毒、治療法、まだ、確立してない」
「……」
「こいつも、抜けたくても、抜けられない」
重い空気が広場の隅に流れた。
リンは男を見た。
敵だけど**被害者**でもあった。
ユミルが静かに呟いた。
「……抜け出せない、です、ね」
ジルが頷いた。
「だから、やっかいだ」
部下が、男を、連行していった。
「お前ら、今日はもう戻れ」
「いいの?」
「事情聴取、こっちでやる」
「結果、教えて」
「分かったら」
ジルが頷いた。
リントとエルナとユミルは見送った。
※
「ふぅ」
エルナが息を吐いた。
「平和な休日が台無し」
「悪い」
「あんたのせいじゃないよ」
「ユミルが見つけたから、まあ」
「ユミルちゃん、やるじゃん」
「……たまたま、です」
「たまたまじゃないだろ」
「……猫、好き、すぎて、見つけ、ました」
「猫好きが諜報能力になるとは」
「……はい」
ユミルが頷いた。
エルナが笑った。
「あんた、**最強の猫好き**だね」
「……最強?」
「猫だけ感知して、獣人まで見つけた」
「……」
「ユミルちゃん、誇っていい」
「……誇り?」
「うん」
ユミルが少し考えた。
それから頷いた。
「……はい、誇ります」
「うん」
「私、**最強の猫好き**、です」
「いいね」
エルナがユミルの肩を軽く叩いた。
ユミルが頬を赤くした。
※
霜花亭への帰り道。
夕暮れの石畳。
ユミルがぽつりと言った。
「リン様」
「ん」
「……今日、猫、見て、楽しかった、です」
「うん」
「……でも、最後、少し、緊張、しました」
「だろうな」
「……次は、もっと、楽しく、見たい、です」
「うん」
「……純粋に、見たい」
「次の休み、また行こうな」
「……はい」
ユミルが頷いた。
頬はまだほんの少し赤かった。
リントは横でそれを見ていた。
——ユミル、また根っこを確認できた。
そう思った。
※
霜花亭に着いた。
エルナが扉を開けた。
女将が奥から顔を出した。
「お帰り! ジルから伝言、来てるよ」
「もう?」
「お疲れ様、だってさ」
「……仕事、早いな」
「あの男、名前と、所属だけは、吐いたらしい」
「だけ?」
「にゅーる、切れかけで、相当きつそうで」
「……」
「名前、ハザル。二十四歳」
「ヴァナールの、反王族組織、下っ端だって」
「潜入歴は?」
「王都に入って、三ヶ月」
エルナが腕を組んだ。
「三ヶ月も」
「その間、見張ってたのは、複数の、貴族家らしい」
「……どこの?」
「ジル、まだ、全部は話せないって」
「……」
「でも、**気をつけろ**、ってさ」
リンが息を吐いた。
「シオンとミラに、伝えとかないとな」
「うん、明日」
「ユミル」
「……はい」
「お前も、一緒に、行こう」
「はい」
エルナが伸びをした。
「しかし、まあ、厄介なのに、当たったね」
「偶然、だろ」
「偶然、ユミルちゃんが、猫好きで」
「偶然、ですね」
ユミルが頷いた。
でも声は、少しだけ低かった。
「……」
「ユミルちゃん?」
「……いえ」
「何か、思うことある?」
「……まだ、二体、います」
「逃げた、やつ」
「はい」
「……そうだね」
エルナが真顔に戻った。
「ジルも、警戒してる」
「……はい」
「ユミルちゃんも、気をつけて」
「……私が、ですか」
「みんな、気をつけろって、話」
「……はい」
※
夕食。
普段の食堂のいつもの席。
ユミルが一口。
二口。
三口目で微笑んだ。
「美味しい、です」
エルナが笑った。
「あんた、本当、猫の話と三口目で、表情、出るね」
「……表情、です、か」
「うん、出やすい」
「……気を、つけます」
「気をつけなくていいよ」
「……?」
「出てる方が、可愛いから」
「……」
ユミルが頬を赤くした。
リントは横で麦酒を口に運んだ。
普通の夜の終わり方だった。
※
夜、ユミルは机の上の木彫りの猫を見ていた。
昨日と同じ位置。
月明かりに照らされていた。
「……平和」
呟いた。
「平和、です」
もう一度、呟いた。
でも、目は、窓の外を見ていた。
街灯が遠くで瞬いていた。
——逃げた、二体。
——まだ、王都に、いる。
——エルナ姐さん、シオン様、ミラ様。
——みんな、貴族の、家。
ユミルは指を組んだ。
合理の鬼が、**警戒を、続けていた**。
百年、平和を選ぶ理由を抱えてきた。
今夜は、その理由とは別の理由で、平和を守りたかった。
——猫を見て、笑える、この平和。
——仲間が、笑える、この平和。
ユミルは目を閉じた。
月光が窓辺を撫でた。
机の上の木彫りの猫が、静かに座っていた。
※
――第四十九章、了。




