041 王都の市場
盗賊退治の翌日。
朝食の後、三人で霜花亭のロビーに集まった。
エルナが麦酒のジョッキを持っていた。
「今日、何する」
「依頼ない」
「ない?」
「昨日の報酬、五枚ずつ手元にある。しばらくは余裕」
「じゃあ、休み?」
「休み」
ユミルが目を、少しだけ、輝かせた。
「……市場、行きたい、です」
「お、即答」
「はい、即答」
エルナが笑った。
「よし、市場、案内する」
※
霜花亭を出た。
大通りを南へ。
王都の中央市場は、中心部より少し南にあった。
歩いて二十分。
近づくにつれて、音が変わった。
呼び売りの声。
木箱を積む音。
馬の嘶き。
子どもの笑い声。
※
市場の入り口に着いた。
「おお……」
リントが思わず声を上げた。
**広かった**。
ラウンドローズの市場の十倍以上の広さ。
通りが縦横に走っていた。
屋台が無数に並んでいた。
食べ物、衣服、工芸品、薬、本、道具、動物、武器、宝石。
何でもあった。
人が溢れていた。
「……すごい、です」
ユミルが小さく呟いた。
「でしょ?」
「はい」
「どこから行く?」
「……どこでもいいです」
「そう?」
「……全部、見たい、です」
「全部は無理だよ」
「……はい、無理、です」
「順番、決めよう」
エルナが地図を頭の中から引っ張り出した。
「食べ物、衣服、雑貨、薬、本、の順でどう?」
「……はい」
「リント君は?」
「姉さんに任せる」
「了解」
※
最初の通りは食べ物。
焼き菓子、焼き肉、揚げ物、スープ、果物、パン、飲み物。
ユミルが視線を止められなかった。
右を見て、左を見て、また右を見た。
「y、何食べたい」
「……全部」
「全部、無理」
「……はい、無理」
「一つ、選べ」
ユミルが少し考えた。
それから小さな屋台を指さした。
**焼き栗**。
殻付きの栗を、鉄板で焼いていた。
甘い香りが周りに漂っていた。
「これ?」
「……はい」
「食べたことあるのか」
「……ないです」
「じゃあ、食う」
リントが三人分買った。
紙袋で受け取った。
熱かった。
※
広場のベンチに座って食べた。
ユミルが栗を一つ剥いた。
殻が少し固かった。
中の実を一口食べた。
「……」
「どうだ」
「……」
二口。
三口目。
少しだけ微笑んだ。
「美味しい、です」
「また三口目かよ」
「はい、三口目」
「毎回、規則正しいな」
「規則、正しい、です」
エルナが横で笑った。
「ユミルちゃん、三口目で微笑むの、本気でクセだね」
「……はい、クセ、です」
「治す気ある?」
「……ないです」
「即答」
「はい、即答」
「……あんた、本当」
エルナは笑いながら、自分も栗を剥いた。
※
食べ終わって、次の通りへ。
衣服の通りだった。
シャツ、ズボン、ローブ、コート、靴、帽子。
色鮮やかな生地が屋台に並んでいた。
ユミルが一つの屋台の前で立ち止まった。
女物のローブが並んでいた。
白、青、緑、紫、赤。
様々な色。
ユミルはじっと、紺色のローブを見ていた。
「気に入ったのか」
「……見ているだけ、です」
「欲しいのか」
「……遠慮、してます」
「正直になれ」
「……欲しい、かも、しれません」
「買え」
「……高い、です」
「いくら」
リントが値札を見た。
銀貨、三枚。
「買える」
「……でも」
「買え」
「……はい」
ユミルは少し頬を赤くした。
店主がにこりと笑った。
「お嬢さん、その色、似合うよ」
「……そう、ですか」
「白い髪に紺、映える」
「……ありがとう、ございます」
※
ユミルが新しいローブを抱えて、満足そうに歩いていた。
エルナが横で笑った。
「ユミルちゃん、嬉しそう」
「……嬉しい、です」
「初めての、自分のもの?」
「……はい、初めて」
「今まで、どうしてたの」
「……森で、自分で、作った、ローブ、着ていました」
「自分で」
「はい、自分で」
「手作り?」
「はい」
「あんた、手、器用?」
「……普通、です」
「普通じゃないだろ」
「……普通、です」
リントは横で笑った。
ユミルの「普通」は、大体、普通じゃない。
※
次は雑貨の通りだった。
木彫りの動物、陶器、ガラス玉、手鏡、髪飾り、ペン、革の小物。
ユミルは、また、足を止めた。
小さな木彫りの猫の前で。
「可愛い」
「猫、好きか」
「……見たこと、ありません」
「え」
「森に、猫、いませんでした」
「本物、見たことないのか」
「ないです」
「王都、猫、いっぱいいるぞ」
「……見たい、です」
エルナが横で笑った。
「王都の裏通り、野良猫、多いよ」
「後で、見に行きましょうか」
「行こう」
「はい」
ユミルは木彫りの猫を手に取った。
指で撫でた。
買うかな、とリントは思った。
でもユミルは棚に戻した。
「本物、見てから、考えます」
「そうか」
「はい」
合理的な判断だった。
でも、少しだけ、名残惜しそうな顔をしていた。
※
その時、リントの視界の端に**何か**が引っかかった。
誰かがこちらを見ていた。
振り向いた。
通りの向こう側、薬屋の前。
若い男が立っていた。
**金髪**。細身。
年はリントと同じくらいか、少し上。
ローブを着ていた。
でも冒険者のローブじゃなかった。
**魔法師の**ローブだった。
その男の視線は**ユミル**に向いていた。
じっと見ていた。
驚いているような、観察しているような、不思議な表情。
リントの背筋が一瞬、冷えた。
※
リントはユミルの前に半歩、進んだ。
無意識に、守るような位置。
その動きを、金髪の男が見た。
男の目がリントに移った。
一瞬、目が合った。
男の視線が**穏やか**になった。
敵意はなかった。
ただ**興味**があった。
男は小さく会釈した。
それから薬屋の中に入っていった。
消えた。
※
「姉さん」
リントが小声で言った。
「ん」
「今の、男」
「見た」
「誰、あれ」
「……分かんない」
「見たこと、ない?」
「ないね」
「ユミル、見てた」
「……気づいてた」
「警戒、しなくていいのか」
「……分かんない。でも、敵意なかった」
「……」
ユミルが横から小さく言った。
「リン様」
「ん」
「……あの方、私の、魔法の気配、見えていました」
「え」
「私の、体の、魔力、視えている、みたい、でした」
「そんな奴、いるのか」
「……いる、みたいです」
エルナが少し眉を寄せた。
「普通の魔法使いじゃないね」
「……宮廷魔法師、かも、しれません」
ユミルが言った。
「あのローブ、宮廷魔法師の、基本装束、です」
「知ってるのか」
「書物で、見ました」
「……あんた、本当に、何でも知ってる」
リントは天を仰いだ。
でも内心で、少し緊張していた。
**宮廷魔法師**。
関わり合いになりたくない気がした。
でもユミルの正体を、見抜けるかもしれない相手。
**放っておけない**。
※
三人、市場の見物を続けた。
でもさっきほど気楽には歩けなかった。
リントは何度か振り返った。
金髪の男は、もう見えなかった。
でもどこかで**見られている**気がした。
ユミルがリントの袖をそっと引いた。
「リン様」
「ん」
「……大丈夫、です」
「何が」
「あの方、悪い人では、なさそう、です」
「分かるのか」
「……気配、から」
「気配」
「はい」
「……信じるよ、お前を」
「はい」
ユミルは少しだけ頬を赤くした。
それからまた市場の屋台に視線を戻した。
目はさっきより、少しだけ慎重になっていた。
※
夕方、霜花亭に戻った。
ユミルは新しい紺色のローブを大事そうに、部屋に持っていった。
食堂でエルナと、三人、夕食。
「今日、いい日だった」
「良かった」
「市場、楽しかった?」
「……楽しかった、です」
「また、行こう」
「はい」
エルナが少しだけ声を潜めた。
「さっきの金髪の男、気になる」
「俺も」
「気をつけよう」
「うん」
「また会う気がする」
「……会う気がします」
ユミルが頷いた。
※
夜、リントは部屋の窓から王都の夜を見ていた。
**金髪の男**。
ユミルを見ていた。
普通じゃない。
でも敵意はなかった。
**何者なんだろう**。
リントは窓を閉めた。
ベッドに横になった。
目を閉じた。
明日、また、何かが動くかもしれない。
そんな予感があった。
※
――第四十章、了。




