033 街道、王都へ
朝日が眩しい。
雪はもうなかった。
地面にも焚き火の跡にも、昨夜の雪は残っていなかった。
でもリントの毛布の上には、小さな水滴が一つ残っていた。
溶けた雪だった。
※
三人、朝食を食べて野営地を畳んだ。
保存食とパン。ハーブティー。
ユミルが一口、二口、三口目で微笑んだ。
「美味しい、です」
エルナがそれを見て笑った。
「あんた、本当、三口目」
「はい、三口目」
「何回見ても、可愛いね」
「……ありがとう、ございます」
ユミルが少し頬を赤くした。
リントは荷を括りながら、二人のやりとりを聞いていた。
※
街道に戻った。
カルデアまで、あと二日。
歩き始めた。
陽が木々の向こうに差し始めていた。
三人、並んで歩いた。
エルナが真ん中。リントが右。ユミルが左。
いつもの並び。
※
しばらく誰も喋らなかった。
足音と、遠くの鳥の声だけが街道に響いていた。
やがてエルナが口を開いた。
「……ねえ、あんたたち」
「ん?」
「はい」
「……ありがとう」
リントとユミルがエルナを見た。
「何に?」
「……全部」
エルナは前を見たまま、歩きながら話していた。
「遺跡、一緒に行ってくれた」
「うん」
「あたし、一人だったら、行けなかった」
「……そうか」
「行っても、たぶん、また、逃げてた」
「……」
「今回は、逃げなかった」
エルナの横顔に朝の光が差していた。
「ユミルちゃんが、防御、張ってくれた」
「はい」
「リント君が、矢、撃ってくれた」
「うん」
「あたし、斬れた」
「……斬れたな」
「三年前から、ずっと、斬れなかったものを、斬れた」
「うん」
「ありがとう」
エルナはもう一度、言った。
リントは頷いた。ユミルも頷いた。
誰もそれ以上、何も言わなかった。
ただ歩いた。
※
少し歩いて、エルナがまた口を開いた。
「……あと、雪」
「雪」
「ユミルちゃんの、雪」
「……はい」
「あれ、綺麗だった」
「……ありがとう、ございます」
「あたし、人生で、あんな綺麗なもの、初めて見た」
「……そう、ですか」
「うん、初めて」
エルナは少し笑った。
「紫ランク、長いけど、あんな魔法、見たことない」
「……初めて、作りました」
「初めて、で、あれ?」
「はい、初めて」
「……あんた、やっぱり、別格だね」
「別格、ではない、です」
「別格だよ」
ユミルはそれ以上、答えなかった。
※
リントがふと聞いた。
「姉さん」
「ん」
「姉さん、何か、今日、変わったな」
「分かる?」
「分かる」
「……かも、しれないね」
エルナは少し目を細めた。
「……あたし、変わったかな」
「変わったと思う」
「何が、変わった?」
「……軽く、なった」
「軽く」
「うん、なんか、肩が」
エルナは自分の肩を軽く触った。
「……本当だ、軽い」
「昨日まで、重そうだった」
「そっか」
エルナは前を見て笑った。
「……三年分、降ろせたのかな」
「降ろせたんじゃないか」
「……だったらいいな」
※
街道はゆるく曲がりながら、東に伸びていた。
昼前、三人は倒木に腰を下ろして小休止を取った。
エルナがジャーキーを噛みながら言った。
「ねえ、あたしの家の話、聞く?」
リントが一瞬、止まった。
「……聞く」
「あたし、スカディ家、って言ったよね」
「うん」
「貴族の、家」
「貴族?」
「小さな、貴族。末端の、末端」
「そうなんだ」
「うん、そう」
「父は、騎士団長、だった」
「……」
「兄が、今、騎士団長、やってる。二番目の兄が、副団長」
「姉妹は?」
「あたし、三女」
「上に、二人の姉?」
「そう、姉二人、兄二人、あたしが、一番下」
「家族、多いな」
「多い」
エルナは空を見上げた。
「……あたし、本当は、兄みたいに、騎士団、入る予定、だった」
「入ったんだろ?」
「入った」
「でも、辞めた?」
「辞めた」
「……なんで?」
エルナは少し黙った。
それからゆっくりと言った。
「……色々、あってね」
「色々」
「色々」
エルナは笑った。
「今日は、そこまでで、勘弁して」
「……了解」
リントはそれ以上、聞かなかった。
ユミルも聞かなかった。
でもエルナが**初めて、家の話をした**ことを、二人とも分かっていた。
※
午後、歩き続けた。
エルナがちらちらと、横の二人を見ていた。
何か言いたそうだった。でも言わなかった。
しばらくしてから、リントが聞いた。
「y」
「はい」
「スカディ家、って、王都のどこ、だっけ」
ユミルが一拍、考えた。
「……王都、北東、貴族街、第三区、二番地、です」
「……答え、持ってるのかよ」
「はい、持っています」
「何で」
「王都の、地図、全体、記憶しています」
「……全体?」
「はい、全体」
エルナが横で吹き出した。
「あんた、王都、来たことないのに?」
「ないです」
「なのに、地図、覚えてるの?」
「はい」
「……どこで、覚えた?」
「エッジウッドの、父の書類、の、中に、王都の、地図、ありました」
「……一回、見ただけ?」
「はい、一回」
「……あんた、やっぱ、怖いよ」
「……申し訳ないです」
「謝るとこじゃ、ない」
エルナが笑った。
笑いながら、少し首を振った。
「あたしの、実家の場所まで、知ってるんだ」
「……はい」
「親には、会わせないからね」
「……なぜ、ですか」
「あんたが、地図、全部、記憶してる、って、知ったら、父、気絶する」
「……気絶?」
「うん、気絶」
「……気をつけます」
リントは横で笑った。
※
夕方、また野営地を取った。
焚き火を起こして、夕食を食べた。
今日のスープもエルナが作った。
ユミルが三口目で微笑んだ。
「美味しい、です」
「だろ」
「はい」
三人、焚き火の前に座っていた。
星が少しずつ出始めていた。
※
「姉さん」
「ん」
「今日、いろいろ、話してくれた」
「うん」
「ありがとな」
「……あたしが、言う方、なのにね」
「姉さんが、言ったから、俺も、言う」
「……何を?」
「俺も、姉さんと、一緒に、旅してて、嬉しい」
エルナが少しだけリントを見た。
「……あんた、そんな、真面目に、言う?」
「たまには、な」
「……」
エルナは目を伏せた。
少しの間、焚き火を見ていた。
それから小さく言った。
「……あたしも、嬉しいよ」
「うん」
「一人で、旅、続けてたから」
「うん」
「二人と、出会えて、良かった」
「うん」
ユミルが横で頷いた。
「……私も、嬉しい、です」
「ユミルちゃん、即答」
「はい、即答」
エルナが笑った。
「あんた、本当、即答だね」
「はい、即答、です」
「可愛い」
「……ありがとう、ございます」
※
夜が更けて、三人、毛布に入った。
今夜は雪は降らなかった。
普通の、秋の、夜。
星だけが透明な空に並んでいた。
リントは目を閉じる前に、エルナの毛布の方を見た。
エルナは仰向けで空を見ていた。
何か静かなものを見ているような顔だった。
三年分、降ろしたのかもしれない、とリントは思った。
全部じゃないかもしれない。
でも少しは降ろせた。
それで十分だった。
※
明日、カルデアに着く。
三人の最後の町。その先に王都がある。
リントは目を閉じた。
焚き火の弾ける音が遠くなっていった。
※
――第三十二章、了。




