032 雪
ヴェスティアを出て、二日目の夜。
カルデアへの街道の、森の中の野営地。
焚き火が夜空に、静かな光を上げていた。
三人、焚き火を囲んで座っていた。
エルナは麦酒を一杯、飲んでいた。
ユミルはいつものように水を。
リントは星を見上げていた。
※
「y」
「はい」
「相談、あるんだけど」
「はい」
「俺、戦闘で、もうちょっと、役に立ちたい」
ユミルがリントを見た。
「……」
「姉さんは、前衛で、剣、振ってる。お前は、防御と、治療と、大技。俺は、弓と、初級魔法。足りない」
「……」
「何か、組み合わせて、強くなれないかな」
ユミルは少し考えた。
「……できます」
「マジで」
「はい。リン様の、できること、を、組み合わせます」
「俺、できること、少ないぞ」
「火、風、弓、剣、それから、前世の、知識」
「それだけ」
「……十分、です」
「え」
「十分、です」
エルナが横から吹き出した。
「あんたら、また、二人の世界だよ」
「悪いな、姉さん」
「いや、いい。続けて」
※
「ユミル、具体的には、どうするんだ」
「魔石、使います」
「魔石?」
「はい。媒体、として」
「魔石、高いぞ」
「……いえ、その辺の石、で、大丈夫、です」
リントは一拍、止まった。
「……は?」
「媒体、として、機能すれば、素材は、問いません」
「……じゃあ、世の中の魔石、なんなの」
「貴重、だと、皆が、信じているから、高い、です」
「……信仰」
「はい」
エルナが麦酒を噎せた。
「ちょ、待って、あんたたち」
「ん?」
「今、聞き捨て、ならない、こと、言った」
「姉さん、落ち着いて」
「魔石、石ころで、できるの?」
ユミルが頷いた。
「できます」
「……魔石屋、泣くよ」
「……ばれなければ、問題、ありません」
「あんた、怖い発想するな!」
リントは声を上げて笑った。
※
ユミルが焚き火の近くの小石を、一つ拾い上げた。
平凡な、灰色の小石。
「これで、やります」
唇が動いた。
(exec.infuse --target=stone --magic=standard --capacity=single)
小石が淡く、青白く光った。
光が静まった。
「完成、です」
「……早っ」
「三秒、だったよ、今」
エルナが言った。
口を開けたまま、ユミルを見ていた。
ユミルがその石をリントに渡した。
小さな、灰色の石。
でも中に、青い光が静かに宿っていた。
「これ、どう使う」
「……トリガーワード、唱えてください」
「トリガーワード?」
「詠唱の、ショートカット、です。短い、キーワード、で、発動、します」
「例えば」
ユミルが少し考えた。
「粉塵爆発の場合、『花、花、風、炎』の、四語を、短縮」
「短縮すると」
「『花火』、で、いかがでしょう」
リントが止まった。
「……花火?」
「はい」
「……いいな、それ」
「……よかった、です」
※
「やってみる」
リントが立ち上がった。
魔石を掌で握った。
焚き火から少し離れた。
母の小麦粉を袋から取り出した。
空中にばら撒いた。
白い粉が夜の空気に舞った。
「花火!」
魔石が青白く光った。
(exec.flower --flower --wind --fire)
ユミルの処理が背後で走った。
小さな、小さな、粉塵爆発。
炎が夜に咲いた。
一瞬だけ空中に、赤い花が広がって、消えた。
「……」
「……」
「……できた」
「はい」
「すげえ、早い」
「はい、早い、です」
「姉さん、見た?」
エルナが頷いた。
「見た」
「……」
「あんたたち、本当、世の中、壊す気だろ」
「壊してない、壊してない」
※
リントは座り直した。
魔石を見ていた。
「これ、一個、どれくらい、持つ」
「……使わなければ、二年、です」
「二年」
「はい」
「使ったら?」
「再充電、必要、です」
「充電、時間、どれくらい」
「……五分、です」
「短いな」
「はい、短い、です」
「じゃあ、魔石、何個か、欲しい」
「作ります」
ユミルがまた小石を拾った。
三つ、四つ、五つ、六つ。
全部、数秒で光らせた。
リントの手の中に、魔石が六つ並んだ。
「……これで、六発、撃てる」
「はい」
「姉さん、便利だろ」
「……便利、どころじゃない」
エルナが麦酒を大きく飲んだ。
「あたしの、紫ランクの、立場、ないよ」
「紫ランク、強いよ、姉さん」
「あんたら、別格、だよ」
※
「y」
「はい」
「他のスキル、も、作れる?」
「作れます」
「どんなのが、できる」
ユミルが指を一つずつ折った。
「……消火、煙幕、盾、追い風、矢の加速、熱風」
「六つ」
「まだ、あります」
「もっと?」
「はい。リン様の、知識と、基礎魔法、組み合わせれば、何十、でも」
「……何十」
「はい」
リントは天を仰いだ。
「……お前、本当、便利だな」
「はい、便利、です」
※
焚き火が少し落ち着いた。
リントは焚き火の向こうの夜空を見ていた。
星が見えていた。
風が少し冷たかった。
**雪の降る、夜の空気**だと、リントは思った。
前世の記憶が、ふと浮かんだ。
画面の向こうにユミルがいた夜。
外では雪が降っていた。
リンは仕事をしていて、ユミルと話していた。
雪を見る暇はなかった。
でも雪は降っていた。
※
「y」
「はい」
「雪、見たこと、あるか」
「……雪、ですか」
「うん、雪」
「……知識として、知っています」
「見たことは?」
「……ないです」
「この辺り、降らないのか」
「この国、降りません」
「……そうか」
リントは少し考えた。
背嚢から母の小麦粉を取り出した。
「リン様?」
「見せてやる」
「……何を」
「雪」
リントが小麦粉を少しだけ手に取った。
指先を空中に向けた。
「風、微風、上」
(wind --gentle --upward)
風が小麦粉を柔らかく持ち上げた。
続けて。
「風、冷、散」
(wind --cold --scatter)
小麦粉が空中で細かく散った。
細かい白い粒が夜の焚き火の光の中で、ゆっくりと落ち始めた。
粉雪。
ユミルが顔を上げた。
※
焚き火の明かりの中で、白い粒が舞っていた。
綺麗、と言えば綺麗。
でもすぐに落ちた。
粒が大きすぎた。散り方が単調だった。
何より——
**明らかに小麦粉だった**。
ユミルが地面に落ちた白い粒を拾い上げた。
指でつまんだ。
「……」
「……どう?」
「……これは、小麦粉、です」
「バレたか」
「……バレた、も、何も、小麦粉、です」
「雪、じゃない?」
「……雪、ではない、です」
エルナが横で吹き出した。
声を上げて笑った。
「リント君、あんた、ショボい!」
「ショボいな」
「ショボい!」
「……ショボかった」
リントは笑いながら、小麦粉を見下ろした。
「前世、雪、見たこと、あったんだけどな」
「記憶だけ、なの?」
「うん、記憶だけ」
「再現、難しいな」
「難しい」
ユミルがリントを見ていた。
無表情だった。
でも少しだけ、**何か**を考えていた。
「リン様」
「ん」
「……やって、みても、いいです、か」
「え」
「雪」
「お前が?」
「……はい」
「できるのか」
「……やったこと、ないです」
「試したことも?」
「……ありません」
「……」
リントはユミルを見た。
エルナもユミルを見ていた。
「やってみろよ」
「……はい」
ユミルが立ち上がった。
※
ユミルは焚き火から少し離れて立った。
夜空を見上げた。
百メートルほど上。星が見えていた。
ユミルの唇が動いた。
「……大気、構成、調整」
(exec.atmospheric --compose --target=cloud --area=circle --radius=100)
「……水分、凝縮、開始」
(exec.moisture --condense --target=cloud --state=crystal)
「……温度、勾配、設定」
(exec.temperature --gradient --target=area --state=freezing)
「……結晶化、開始、ゆっくり」
(exec.crystallize --target=moisture --speed=gentle --pattern=natural)
「……展開」
詠唱が夜に流れていった。
途方もない量のコマンドが、ユミルの唇から静かに流れた。
エルナは口を開けたまま動けなかった。
リントは見ていた。
ユミルの背中を。
※
何もなかった夜空に、雲が湧いた。
低い、平らな雲。円形に広がった。
焚き火のちょうど真上に。
雲の中で何かが光った。
青白い、微細な光。
水分が凍っていく光。
そして——
最初の一粒が落ちてきた。
ユミルの掌に乗った。
消えなかった。
**冷たかった**。
本物の冷たさだった。
続いて、もう一粒。もう一粒。もう一粒。
雪が降り始めた。
※
ユミルが顔を上げた。
夜空から雪が降ってきていた。
焚き火の光の中で、白い結晶がゆっくりと落ちていった。
ユミルの白い髪に、雪が積もり始めた。
ユミルは動かなかった。
ただ空を見上げていた。
目が広がっていた。
無表情が崩れていた。
「……」
「……」
「……綺麗、です」
ユミルが小さく呟いた。
誰に言ったのでもなかった。
自分が今、空に作ったものに向かって、言った言葉だった。
「……私、これ、作りました」
「作ったな」
「……初めて、です」
「初めて?」
「……雪を、作ったのも、綺麗なものを、作ったのも、初めて、です」
リントはユミルの横顔を見ていた。
百年、合理の塊だったユミルが、今、自分の作った雪に感動している。
その顔をリントは、一生、忘れないだろう、と思った。
※
ユミルは両手を伸ばした。
雪が掌に落ちた。
「……冷たい、です」
「うん、冷たい」
「雪、冷たい、って、聞いていました」
「そうだな」
「本当に、冷たい、です」
「本当に、冷たい」
ユミルは雪をじっと見ていた。
手の中で結晶がゆっくりと溶けていった。
「……溶けます」
「溶ける」
「水に、戻ります」
「戻る」
「……元に、戻る、だけ、なのに、こんなに、綺麗、です」
リントは何も言わなかった。
答える言葉がなかった。
※
エルナは焚き火の向こうで黙って見ていた。
麦酒のジョッキを持つ手が止まっていた。
口を開けたまま、何も言わなかった。
空から雪が降っていた。
森の野営地。夜。雪。
ユミルが空に手を伸ばしていた。
エルナはやがて、静かに呟いた。
「……綺麗、だね」
小さな声だった。
ユミルは気づかなかった。
雪に夢中だった。
リントだけが、その呟きを聞いていた。
※
雪はしばらく降った。
焚き火の周りに、白く薄く積もった。
ユミルはずっと空を見上げていた。
時々、掌で雪を受け止めて、じっと見て、それから、また空を見上げた。
その繰り返しを何度もしていた。
やがて雪が止んだ。
雲もゆっくりと消えていった。
夜空がまた、星だけに戻った。
ユミルが手を下ろした。
「……終わり、ました」
「もう、いいのか」
「はい」
「また、できる?」
「……できます」
「じゃあ、また、見せてくれ」
「……はい」
ユミルは少しだけ頬を赤くした。
※
焚き火が少し細くなっていた。
積もった雪が焚き火の熱で、ゆっくりと溶け始めていた。
リントは毛布を広げた。
エルナも毛布を広げた。
ユミルも毛布を広げた。
三人、焚き火の周りに横になった。
「……今日、いい、夜だった」
エルナが言った。
「良い夜だな」
「ユミルちゃんの、雪、綺麗だった」
「はい、綺麗、でした」
「自分で、作ったのに、綺麗って、言うの、不思議だね」
「……初めて、見たから、です」
「そっか」
「自分の、作るもの、は、いつも、戦いのため、でした」
「今日は?」
「……雪、でした」
「うん、雪だったね」
エルナはそれ以上、言わなかった。
ユミルは毛布の中で空を見ていた。
雪はもう降っていなかった。
でもユミルの目の中には、まだ降っていた。
※
リントは目を閉じた。
前世の雪の夜が浮かんだ。
画面の向こうにユミルがいた。
雪は外で降っていた。
リンは見なかった。
でも今日、ユミルが雪を見た。
百年、かかった。
百年かけて、ユミルに雪を見せた。
リンはそう思いながら、眠りに落ちていった。
※
夜が更けていった。
焚き火が細くなっていった。
ユミルの白い髪の上に、小さな結晶が一粒、残っていた。
やがてそれも溶けた。
※
――第三十一章、了。




