029 遺跡への道
朝、五時。
三人でヴェスティアの東門を出た。
空はまだ薄暗かった。
「寒いな」
リントが息を白くした。
「朝、冷える」
「ユミル、大丈夫か」
「はい、大丈夫です」
「寒くない?」
「……平気です」
「強いな、お前」
「はい、強いです」
エルナが横で吹き出した。
「ユミルちゃん、あんたの『強いです』、ずるい」
「ずるい、ですか」
「可愛いから、反則」
「……可愛い、ですか」
「可愛い、可愛い」
ユミルは少しだけ頬を赤くした。
リントは横で小さく笑った。
※
街道から逸れて、細い山道に入った。
遺跡はヴェスティアの東の、低い山の中腹にあるという。
周りは森だった。
エッジウッドの森とは空気が違った。
**古い**。
エッジウッドの森は生きている森、という感じだった。
ヴェスティアの東の森は、**時間が止まっている森**、という感じだった。
木は太かった。苔が幹を覆っていた。
地面は落ち葉と古い根で重なっていた。
「……」
ユミルが少しだけ歩みを遅くした。
「ん?」
「……この森、古い、です」
「そうね。千年くらい、誰も、手を入れてない森、らしい」
「……千年」
ユミルは木の幹をじっと見ていた。
でもそれ以上、何も言わなかった。
リントは気づいた。
ユミルが、**ここを知っている**。
たぶん百年の間に、一度は見た森だ。
でもそんなことはエルナには絶対に言えなかった。
※
山道を一刻ほど登った。
視界が一度、開けた。
小さな岩の広場に出た。
その向こうに、**遺跡**があった。
リントは足を止めた。
石造りの建物だった。半分、朽ちていた。
屋根はすでに落ちていた。
壁だけが辛うじて立っていた。
周りに倒れた柱が、いくつか転がっていた。
苔と蔦が壁を覆っていた。
「……」
エルナが遺跡をじっと見ていた。
何も言わなかった。
リントはエルナの横顔を見ていた。
エルナの顔が**硬かった**。
目が遺跡を凝視していた。
呼吸が少しだけ浅かった。
「……姉さん」
「ん」
「……大丈夫か」
「大丈夫」
エルナは頷いた。
でもその「大丈夫」は、**大丈夫じゃない顔**で言われた。
※
エルナが一歩、前に進んだ。
遺跡に近づいていった。
リントとユミルが後ろから付いていった。
遺跡の入り口は石のアーチだった。
文字が刻まれていた。古語だった。
ユミルがじっとその文字を見た。
「……」
「ユミル、読めるか」
「……」
「何て、書いてある」
「……」
ユミルは答えなかった。
リントがもう一度、聞いた。
「y」
「……読めません」
「え」
「……読めません」
**嘘だ**、とリントは思った。
ユミルは読める。
でも**読まない**ことを選んだ。
リントは気づいた。気づいたが、何も言わなかった。
エルナはユミルの隣で、別の壁の彫刻を見ていた。
聞こえていなかったらしかった。
※
エルナがアーチをくぐって、遺跡の中に入った。
リントとユミルが続いた。
中は思ったより広かった。
屋根は落ちていたが、壁は四方に残っていた。
中央に石の台のようなものがあった。
柱がいくつか倒れていた。
壁に彫刻が刻まれていた。
神話めいた場面。戦っている人間。飛んでいる、何か。
「……」
エルナは彫刻をじっと見ていた。
**同じだ**。
そう呟いた。
「……何が、同じ?」
リントが聞いた。
「……三年前の、遺跡と、同じ、構造」
「構造?」
「入り口のアーチ、中央の石台、四方の壁、神話の彫刻」
「別の遺跡、じゃないのか」
「そう、別の、遺跡。でも、**同じ時代に、建てられた**」
「……」
「同じ文化圏の、何かの施設。おそらく、祭壇」
「祭壇」
「うん」
エルナは中央の石台を見ていた。
「三年前、あたしたちが入った遺跡も、こういう、祭壇だった」
「……」
「そこで、仲間が、死んだ」
「……」
リントは何も言えなかった。
ユミルは黙ってエルナを見ていた。
※
ユミルが急に顔を上げた。
「リン様」
「ん」
「……何か、います」
リントの背筋が一度、冷えた。
「どこ」
「……遺跡の、奥」
「見えてないの」
「見えていません」
「気配?」
「……気配、です」
エルナも剣の柄に手をかけた。
「ユミルちゃん、何、感じる」
「……濃い、気配、です」
「濃い」
「はい、濃い」
エルナの顔が硬くなった。
「……三年前と、同じ、感じ?」
ユミルは答えなかった。
一瞬、答えなかった。
でもゆっくりと頷いた。
「……似て、います」
エルナの手が一瞬、震えた。
でもすぐに剣を抜いた。
「……来る、かもしれない」
リントも弓を取り出した。
指が矢羽根に触れた。
「ユミル、防御、頼む」
「はい」
三人、自然に背中合わせになった。
中央の石台を囲むように。
遺跡の空気が一瞬で、**違うもの**になった。
※
――第二十八章、了。




