021 野営と酒
焚き火が夕暮れの空気を温め始めていた。
リントが火の番をして、エルナが鍋で何かを煮ていた。
ユミルは小川から汲んできた水を水筒に詰めていた。
「何、作ってるの、姉さん」
「スープ」
「材料」
「ジャーキー、塩漬け肉、野菜、保存食。全部混ぜて、煮る」
「雑だな」
「野営の料理、雑なのが、正解」
「なるほど」
「ユミルちゃんの分も、あるからね」
「はい、ありがとうございます」
ユミルが水筒を置いて、焚き火の前に座った。
エルナは鍋の中を木べらでかき混ぜていた。
「で」
「で?」
「今日の、夕飯の、お供」
エルナが背嚢から革の水筒のようなものを取り出した。
リントはそれが酒だとすぐに分かった。
革の質感、口の閉め方、重さ、匂い。前世でも今世でも、酒はすぐに分かる。
「姉さん、持ってきたのかよ」
「当たり前」
「野営で、酒かよ」
「野営だから、酒」
「論理、おかしくない?」
「あたし的には、合ってる」
エルナは酒の水筒の蓋を開けた。
匂いが焚き火の向こうに流れてきた。
ユミルが鼻を少しだけ動かした。
※
「ユミルちゃん、匂い、分かる?」
「……はい、分かります」
「何の匂い?」
「……発酵、した、穀物、です」
「正解。米の、酒」
「米の、酒?」
「東の、国の酒。甘めで、飲みやすい」
「……」
ユミルはじっと水筒を見ていた。
エルナが笑った。
「飲む?」
「……」
「飲みたいでしょ」
「……」
ユミルはリントを見た。
リントはユミルを見た。
「y」
「はい」
「飲みたいのか」
「……少し」
「昨日、苦いって言ってたろ」
「……米の酒は、甘いと、聞きました」
「嘘だろ、飲みたいだけだろ」
「……バレました」
エルナが吹き出した。
「リント君、あんた、鋭いな」
「長い付き合いだから」
「百年の?」
ユミルの手が一瞬、止まった。
リントが急いで割り込んだ。
「いや、比喩、比喩」
「比喩、また出た」
「長い、長いって意味」
エルナは少し笑った。
それから深追いしなかった。
「まあ、いっか」
ユミルに小さな杯を渡した。
「少しだけ、飲んでみな」
「……はい」
※
ユミルは杯を両手で受け取った。
少し揺らした。匂いをもう一度嗅いだ。
「どうだ」
「……甘い、匂いです」
「飲め」
ユミルは一口、飲んだ。
口を閉じた。
噛んだ。
いや、噛んだのではなく、**味を解析していた**。
「どう?」
「……」
「ユミル?」
「……」
ユミルはしばらく動かなかった。
それからゆっくりと口を開いた。
「……これは、麦酒より、美味しい、です」
「だろ」
「はい」
「もう一口、飲め」
ユミルはもう一口、飲んだ。
今度はさっきより少し早く飲み込んだ。
三口目。
少しだけ微笑んだ。
「美味しい、です」
「また三口目かよ」
「はい、三口目、です」
エルナが声を上げて笑った。
※
スープが煮えた。
三人で木の皿に盛って食べた。パンも一緒に。
ユミルは酒の杯と、スープと、パンを、交互に口に運んだ。
「あんた、いける口じゃん」
「……分かりません」
「代謝、大丈夫?」
「……大丈夫、です」
「顔、赤くなってないな」
「……赤く、なる、仕組みが、分かりません」
「あんた、本当、AIみたいだな」
ユミルの手が一瞬、止まった。
リントもスープを飲みかけて止まった。
エルナは笑いながら言った。
「冗談、冗談。あんた、真面目すぎるから、AIみたいって、言っただけ」
「……はい、AI、みたい、です」
「ね」
エルナはもう追及しなかった。
でもリントは知っていた。
エルナは気づき始めている。
はっきりとは分からないけど、何か**普通じゃない**ということに。
それでもエルナは追及しない。
そういう距離感の人なんだと、リントは思った。
※
食事が終わった。
焚き火が落ち着いた炎になっていた。
エルナは自分の分の酒をゆっくりと飲んでいた。
ユミルは二杯目を少しだけ飲んでいた。
リントも一杯、付き合っていた。
夜空に星が少しずつ増えていた。
「いい、夜だね」
エルナが言った。
「いい夜だな」
「ユミルちゃんは?」
「……いい、夜、です」
三人、しばらく黙って焚き火を見ていた。
焚き火の炎が三人の顔を照らしていた。
遠くで夜の鳥が鳴いていた。
※
「さて」
エルナが立ち上がった。
「あたし、先、寝る」
「早いな」
「酒、効いた。明日、朝、起こす」
「おう」
「ユミルちゃん、あんたも、寝な」
「……はい」
「リント君、火の番、朝まで?」
「交代する。深夜、起こして」
「了解」
エルナはテントに入っていった。
テントからすぐに寝息が聞こえ始めた。
「……早いな」
「……はい、早い、です」
リントとユミルは顔を見合わせて、少しだけ笑った。
※
ユミルもすぐに毛布にくるまった。
でも眠る前に、焚き火の向こうからリントに声をかけた。
「リン様」
「ん」
「……今日、楽しかった、です」
「そうか」
「エルナ様、面白いです」
「面白いな」
「お酒も、美味しかった、です」
「ほどほどにしろよ」
「はい、ほどほど、です」
ユミルは毛布の中で目を閉じた。
リントは焚き火を見ていた。
エルナの寝息と、ユミルの小さな呼吸と、焚き火の音だけが夜に残った。
リントは少し笑った。
**こういう夜が続くんだな**、と思った。
それは悪くない予感だった。
※
――第二十章、了。




