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215 南西への道


 翌朝、ミルラペトラを出発した。


 南西の方角。ラクダ二頭、ロバ五頭、人六人と一匹一羽。レイラが先頭を歩いた。


 最初の二日は街道だった。少し荒れていたが、行き先がはっきりしていた。三日目から街道がなくなった。砂漠の中をひたすら南西に進む。岩の塊と、砂と、たまに低い灌木があった。


 空気が、行きとは違った。


 北東より乾いていた。風が強かった。陽射しが鋭かった。砂漠というより、不毛地、という言葉が浮かんだ。


「……人が、住めない場所が増えてきます」とユミルが言った。「フィン・ヌールが、もう長くないのかもしれません」


「街自体がか」


「……街の周りの土地が痩せているということです。砂漠化が、進んでいます。アル・ザフラより、進行が深い」


 レイラが「フィン・ヌールは、十年前は緑の街だったと聞いている」と言った。「今は、緑がほとんど残っていない」


---


 四日目の昼、空が白くなった。


 ファーファが鼻を上げた。耳がぴんと立った。


「……主、空気、変ニャ」


「どう変だ」


「……砂、来るニャ。たくさん」


 レイラが空を見た。風が止まっていた。砂がほんの少しだけ、地面から舞い始めていた。


「……砂嵐だ」とレイラが言った。「半刻もかからない」


 全員がラクダとロバを岩陰に集めた。荷を固定し、布で目と口を覆った。リンが弓を背中に回した。


 空の南西から、何かが来ていた。


 砂の壁だった。


 地平線から、灰色の壁が立ち上がって、こちらに迫ってくる。風がうねり、空が暗くなった。リンには、砂漠というより、海の津波のように見えた。


 でも、色が少し違った。


 灰色の中に、微かに赤が混じっていた。砂漠の砂の色ではなかった。


「ユミル」


「……はい」


「対応できるか」


「……できます。ファイアウォール、砂嵐対応で展開します」


 ユミルが両手を広げた。光の壁が、ラクダとロバと全員を覆うように、半球形に展開された。


 砂の壁が来た瞬間に、半球が音を立てた。


 砂粒が次々と弾かれた。光が一瞬揺れたが、保たれた。


 ただ——揺れ方が、いつもより大きかった。


 時々、ユミルの眉根が寄った。集中を維持しているのが、外からも分かった。


---


 半球の外で、砂粒が光の壁にぶつかるたびに、小さな火花が散っていた。


 ただの砂が当たる音ではなかった。微かな魔力反応の音だった。


 ファーファがそれを見ていた。


「……ピカピカするニャ」


「……はい」とユミルが短く答えた。集中していて、それ以上は喋らなかった。


 半刻ほどで、砂嵐が遠ざかった。


 光の壁が解除された。砂漠が静かになっていた。砂の上に新しい風紋が刻まれていた。さっきまで歩いてきた跡は、全部消えていた。


 ユミルが少し息を吐いた。


「……いつもより、消耗しました」


「砂嵐だからか」


「……いえ。砂が、普通ではなかったからです」


---


 ユミルが地面に屈んだ。砂を一握り、掌に取った。


 じっと見ていた。


 砂の中に、赤黒い粒が混じっていた。普通の砂粒より少し小さく、少し重そうだった。光に当てると、微かに光った。


 ユミルが指でつまんで、ティルフィングの鞘に近づけた。鞘が、わずかに引き寄せた。


「……砂鉄です」


 もう一つ、別の粒をつまんだ。今度は黒に近い赤だった。指の上で軽く転がして、目を細めた。


「……それから、魔石です。粉になっています」


「魔石が、砂に」


「……はい。微量ですが、混ざっています。砂鉄もです。だから磁気が乱れていました。ファイアウォールが揺れたのは、それが原因です」


 ロックが屈んでリンの隣に座った。


「砂嵐がただの砂嵐じゃなかったのか」


「……砂嵐自体は、自然です。ただ、運んでいる物が、自然ではないものを含んでいます」


 ユミルが少し間を置いた。


「……問題は、これがどこから来ているか、です」


---


 風の方向を確かめた。


 南西から吹いていた。フィン・ヌールの方向だった。


「……あの街の方から、来ています」とユミルが言った。


「街が魔石を撒いてるのか」


「……いえ。遺跡だと思います」


 ユミルが顔を上げた。砂漠の南西を見た。


「……本来、遺跡には管理者が要ります。点検と、調整。動かし続けるなら、誰かが世話をしないといけない装置です。それが、千年、誰もしていません」


「壊れかけているのか」


「……はい。組織が来る前から、ずっと。魔力が、ゆっくり漏れ続けています。漏れた魔力が、周りの砂に溜まる。砂鉄を引き寄せ、砂粒の一部を魔石化させる。十年、二十年と続けば、砂全体が変質します」


「……これは、放置できる装置ではないんです」


 ユミルの声が、いつもと少し違った。後ろめたさのような、悔やむような響きがあった。


 リンは何も言わなかった。


 ユミルが「管理者」の系譜だと、リンは前から知っている。でも何百年も誰もメンテナンスを担えなかった。本来は、ユミルの先代の誰かが——古竜の誰かが——担うべき仕事だったのかもしれない。


 リンは、聞かなかった。


---


 ロックが砂をひとつまみ、指で挟んでいた。


「これを、人が吸い込むとどうなる」


 ユミルが少し間を置いた。


「……長期間吸い続けると、体内に微量の魔石が蓄積します。肺に少しずつ残ります」


「魔石が体に、溜まる」


「……はい」


「溜まると、何が起きる」


「……外からの呪詛を、受けやすくなります。受信のアンテナのようなものに、なります」


 全員が黙った。


 リンが言った。


「アル・ザフラの住人も」


「……可能性は高いです。ただ、あの街は遺跡の漏れがまだ浅い。半年では、蓄積もまだ浅いです」


「フィン・ヌールは」


「……十年以上、ここで暮らしている人ほど、深い。生まれてからずっと暮らしている人は——もっと深い」


 ロックが「街全体が、アンテナになっているのか」と言った。


「……ほぼ、そうです。だから、組織の発信を、強く受けます。子供は、まだ蓄積が浅いから守られている部分もあります。記憶の量だけではなく、魔石の蓄積量も、関係しています」


 誰も何も言わなかった。


---


 ロックが立ち上がって、南西を見た。


「……気をつけろ」と小声で言った。


「何だ」


「誰か、見てる」


 砂漠だった。何もなかった。砂と岩しかなかった。人の影は、どこにもなかった。


 でもロックの目は、砂漠の向こうの何かを見ていた。


 レヴィが羽の下から低く言った。


「……ダンナ、北の方角に、気配が、ひとつ」


 リンも同じ方を見た。何も見えなかった。


 誰もいなかった。


 でも、何かがいた。


---


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