214 監視付き夕食会
ミルラペトラに戻ったのは、五日後の夕方だった。
行きと同じ街道、同じラクダ、同じロバ。でも帰り道はもっと早く感じた。サンドワームが出ることもなく、特に何もなく、淡々と日数が過ぎた。レイラが先頭を歩く姿が、行きより少し馴染んでいるように見えた。
ファーファは砂漠の真ん中で何度かサソリを見つけた。つついた。一度、つついたら、岩の下から人の頭ほどある巨大なサソリが出てきて、ファーファを小一時間追いかけ回した。ファーファが必死で逃げ続けて、最終的に巨大サソリの方が諦めて、岩陰に引っ込んだ。それ以上は、何も起きなかった。
起きとるやないかい、とリンは思ったが、口には出さなかった。
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ミルラペトラの街門をくぐる時、ロックが「帰ってきた感じがするな」と言った。
「お前、ここに長くいたのか」
「住んでない。でも何度も通った。岩の街は、覚えがいい街だ」
「岩の街」
「街自体が岩でできてるから、街の方が人を覚えてる感じがする」
リンには分からない感覚だった。でもロックの目は、本気だった。
街門を抜けて、ロックがリンに小声で言った。
「言っておく。俺たちが街に入った瞬間から、見られてる」
「砂漠と同じか」
「同じだ。砂漠から、ずっと尾けてきている。同じ気配だ」
レヴィが羽の下から「……二人、いや、三人」と囁いた。
「街の中の協力者にも、繋がってる感じだな」とロックが言った。
「どうする」
「とりあえず、隠れ家でカリム様に報告してから決めよう」
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地下通路を通ってカリムの隠れ家に着いた。
カリムは執務机に向かっていた。リン達が入ると、立ち上がって迎えた。
「……戻ったか」
「戻った」
ユミルがアル・ザフラでの結果を報告した。スフィンクスの魔石、収集装置の停止、偽装信号の継続、レヴィが手伝ってくれたこと。カリムは静かに聞いていた。最後に頷いた。
「……感謝する」
「礼は、終わってからでいい」
カリムが少し笑った。
「変わらないな、その言い方は」
カリムがファーファを見た。
ファーファはずっと、カリムの執務机の上に置かれた水差しを見ていた。
「ファーファ殿は、何者なのですか」
「ファーファ、ファーファニャ」
カリムが少し沈黙して、それから笑った。
「……それで十分だ」
ロックが「あっちは、もっと厄介だ」と顎でユミルを指した。
ユミルが「……否定できません」と答えた。
カリムがまた笑った。
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報告が終わったところで、ロックが姿勢を変えた。
「カリム様、報告がもう一つ」
「言え」
「砂漠から、尾けてきている連中がいます。三人。街にも協力者がいるようで、今もこちらを見ています」
カリムの表情が、わずかに引き締まった。
「……いつから気づいた」
「砂漠の途中から。ですが、はっきり確認できたのは街に入ってからです」
「対処は」
「炙り出します。今夜、街で食事に出ます。あえて目立つ店に行く。俺たちが砂漠から戻ったことを、見せつける」
「身分を隠していた方が、安全ではないか」
「逆です。隠れていれば、向こうも遠巻きにしか見ない。誰が見ているのか分からないままになる。表に出れば、向こうも近づきます。誰が手駒なのか、見えるようになる」
カリムが少し考えた。
「危険は、ないか」
「向こうが手を出してくる確率は低いです。市街地で、人目があります。連中の目的は、まだ確認段階のはずだ」
「君が言うなら、信じよう」
カリムがリンを見た。
「私は、ここから出られない。君達は、気晴らしも兼ねて、街で食事をしてきてくれ。ロックの言うように、ついでに敵の顔を見てきてくれると、ありがたい」
「分かった」
カリムがレイラを見た。
「レイラ、お前は二人と一緒に行ってもいいし、私のところに残ってもいい。どちらでも」
レイラが少し考えた。それから言った。
「……行きます」
「そうか」
「店に同席する形で。情報を取るには、その方が」
カリムが頷いた。
「頼む」
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ロックが宿の主人に紹介された食堂に向かった。
大ファサード前広場に面した、岩を彫り込んだ造りの店だった。客が多かった。地元の客も、商人も、よそから来た旅人もいた。窓が広く、外から店内が見える造りになっていた。
「目立つ」とリンが言った。
「だから選んだ」とロックが返した。
全員で奥のテーブルに座った。レイラだけが、窓に近い席を選んだ。外の通りが見える位置だった。
料理は岩塩で焼いたラムだった。香辛料の効いた赤い汁を絡めて、平焼きのパンに挟んで食べる形式だった。ナツメヤシを蜜で煮たデザートも出た。
ファーファが目を輝かせた。
「主、これ、美味いニャ!」
「ジャーキーじゃないやつもいけるんだな」
「ジャーキーも美味いけど、これも美味いニャ! 違う美味さニャ!」
ファーファが平焼きのパンに肉を挟んで、両手で持って噛んだ。汁が顎を伝った。
レイラがそれを見て、口の端をわずかに動かした。
「ファーファは、よく食べるな」
「食べるのが好きニャ。レイラも食うニャ」
ファーファが自分の皿から肉を一切れ、レイラの皿に置いた。レイラは少し戸惑ってから、それを食べた。
「……美味しい」
「普通じゃなくて?」
「普通じゃなく、美味しい」
ファーファが「ニャ!」と嬉しそうにした。
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ロックがレヴィに小声で聞いた。
「見えるか」
レヴィが羽の下から外を見ていた。
「向かいの建物の二階、左から三つ目の窓。男が一人、こっちを見ている。座って動かない」
「他は」
「角の市場、籠を二回見直した男。買う気がないのに、籠を持ち上げては戻している。三十代、痩せ型、左の頬に古い傷」
「もう一人いる、と言ったな」
「店の中だ」
ロックが小さく顎を引いた。
「どこだ」
「入口から数えて二つ目のテーブル。一人で座って、酒を飲んでいる。グラスはほとんど減っていない。注文してから、一口も飲んでいない」
ロックが「了解」とだけ言った。
リンとユミルにも、目線で伝えた。リンは食事を続けながら、視野の隅でその男を捉えた。地味な服装。誰の特徴も持っていない、というのが特徴だった。プロだった。
ユミルが小声で「……三人とも、似た訓練を受けています」と言った。
「分かるか」
「……立ち方、視線の動かし方、呼吸の間隔。同じ集団から、出ている人間です」
レイラが「……組織の手駒だ」と低く言った。「街にいる協力者の中で、こういう動きができる連中は限られている。あとで、当たりがつく」
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食事が進むにつれ、ファーファが満足げに「お腹一杯ニャ……」と漏らし始めた。最初の威勢は減っていた。
ロックが「お前、よく食ったな」と言った。
「ファーファ、砂漠で頑張ったから、美味しいの食べる権利があるニャ」
「権利か」
「権利ニャ」
リンが「権利の使い方は合ってるかもしれない」と言った。
ユミルが少し笑った。
その笑いは、自然だった。フィン・ヌールに行く前の、最後の柔らかい時間だった。
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食事が終わって、勘定を済ませた。店を出る前に、レイラが小声でリンに言った。
「私は、別ルートで戻る。あの三人を、もう少し見ておく」
「分かった」
「あなた達は、堂々と宿に戻ってくれ。連中が見やすいように」
ロックが「了解。表通りで戻る」と返した。
レイラが先に店を出た。何気ない歩き方で、北の通りに消えた。誰も追わなかった。プロは、目立つ獲物を追う。レイラは目立たない。
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リン達が店を出ると、向かいの建物の二階の窓の男が、まだそこにいた。
角の市場の男も、まだ籠を見ていた。
ロックが「お疲れ」と小声で言って、表通りを宿の方に歩き始めた。
リンとユミルとファーファとレヴィが続いた。普通の旅人のように。砂漠から戻って、食事して、宿に帰る、という風に。
歩きながら、ユミルが小さく言った。
「……三人のうち、二人は、ついてきています」
「店内のやつもか」
「……あの人は店に残っています。記録係でしょう。動くのは外の二人」
「分かった。宿まで普通に歩こう」
誰も手を出してこなかった。誰も近づきすぎなかった。ただ、距離を保ったまま、影のようについてきた。
宿に着くと、二人は通りの向こうで止まり、宿の入口を確認してから、消えた。
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部屋に入ると、リンが大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「食事の方ですか、それとも観察の方ですか」とユミルが聞いた。
「両方だ」
ファーファが寝床に転がった。お腹を出して。
「ファーファ、もう動けないニャ」
レヴィが羽の下から「俺は、大丈夫」と言った。「酒、一口も飲ませてもらえなかった代わりに、よく見えた」
ロックが「お前、酒飲むのか」と返した。
「飲まない。でも飲めない、と思われると、舐められる時がある」
「お前にしては、考えてるな」
「うるさい」
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夜、ロックがリンとユミルに、別の部屋で短い打ち合わせを持った。
「明日、出発前にレイラと合流する。連中の素性が分かるはずだ」
「次のフィン・ヌールで、また同じ連中が来るか」
「来ると思え。砂漠を通って先回りする方法もある」
「警戒しておく」
ユミルが「……砂嵐対策と、長距離の移動準備、両方が必要です」と言った。
ロックが頷いた。
「明日、市場で補給する。武具と、食料と、薬。それから——魔石対策の何か、要るか?」
「……魔石対策は、こちら側で何とかします。皆さんは、普通の補給で十分です」
「分かった」
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夜、ミルラペトラの宿に一日休息することになった。
ファーファが市場でジャーキーを補充したのは、その翌日だった。砂漠用の保存が効くやつを大量に買い込んだ。塩漬けの干し肉、香辛料の効いた燻製、甘い果物の干したもの。リンが「食い過ぎるなよ」と言ったが、ファーファは聞いていなかった。
夜、宿の窓辺でリンとユミルが向かい合って座っていた。窓の外は岩窟都市の夜景。月明かりが岩に当たって、街全体が淡く光っていた。
「……長くなりますね」
「砂漠の話か」
「……はい」
「あと二つ、遺跡が残っている」
「……はい。それから、王宮」
「王宮はもっと大きいんだろうな」
「……規模が違います。でも、構造は同じです」
リンがしばらく考えた。
「お前は、止められるか」
「……一人では、難しいです。今夜の作業も、レヴィさんが手伝ってくれたから早かった。皆さんの助けがないと、止まりません」
ユミルがリンを見た。
「……だから、一緒にいてください」
「いるよ」
「……はい」
窓の外で、岩の街が静かに光っていた。
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翌朝、レイラから報告があった。
昨夜、三人のうち一人が、街の北の宿に入った。そこは「中継宿」と呼ばれる場所で、組織の手駒が情報を集約する場所だった。レイラが伝手で確認したところ、三人とも雇われ者で、本体ではないが、本体に直接報告する立場の連中らしい。
「砂漠で先回りしてくる可能性は」
「ある。だが、急いで動く気配は今のところない。連中も、私達がフィン・ヌールに行くと知って、向こうで待つ準備をしているはずだ」
「向こうが先回りする方が早い、ということか」
「……はい」
レイラが少し間を置いた。
「フィン・ヌールでは、私の伝手はほとんど使えない。アル・ザフラと違って、地元の協力者がほぼ残っていない。情報は、自分達で取るしかない」
リンが頷いた。
「準備は、できる限りしておこう」




