213 停止
翌朝、神殿に戻った。
昨夜、ユミルとレヴィが残って作業を進めていた。偽装信号の準備が整ったのは夜明け前だった。リンとファーファは宿で仮眠を取り、レイラは朝までハミドの家に戻っていた。
広間には朝の光が、北東の隙間から差し込んでいた。砂が舞っていた。光の筋の中で、塵が踊っていた。
守護装置は、入口の方を向いて座っていた。昨夜より、姿勢が少し楽になったように見えた。気のせいかもしれなかった。でもリンには、そう見えた。
ターミナルは静かに動いていた。音もなく、振動もなく、熱もほとんど引いていた。表面に、ユミルが昨夜書き加えた光の文字が、薄く浮いていた。リンには読めなかった。
ユミルが疲れた目で、リンを見た。
「……できました」
「うまくいったか」
「……はい。発信は止まりました。代わりに、空っぽの信号を流しています。組織側からは、稼働しているように見えます」
レヴィが羽の下から声を出した。
「俺の仕事も、たまには光るな」
ロックが「いつもは光らないのか」と返した。
「うるさい」
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ユミルが守護装置に向かって、軽く頭を下げた。
「……お疲れ様でした」
守護装置が低く言った。
「……街の人々を、守れなかった」
「……いいえ。これからは、守ってください」
「……承知した」
ユミルが少し間を置いた。
「……問いに答えられた者だけ、通してください。それ以外の人を傷つける必要は、ありません」
「……承知した」
守護装置が頷いた。石が動く音がした。
ファーファが守護装置の前に立った。じっと見上げた。
「……ファーファ、また来るニャ」
守護装置がファーファを見た。目だけが動いた。
「……主」
ファーファが「ニャ」と返した。
それだけだった。
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神殿を出た。
外に出ると、砂漠の朝の風が顔に当たった。乾いていた。空が白く、昼の熱がもう始まりかけていた。
ハミドが神殿の入口の方を見ていた。
「……音が、止まった」
「ああ」
「昨夜から、止まっていた。寝ていて、ふと気づいた。音がない、と」
ハミドの目に、何かが浮かんでいた。涙ではなかった。でも近いものだった。
「……半年ぶりだ。音がない夜は」
リンは何も言わなかった。
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街に戻ると、空気が変わっていた。
市が出ていた。普通の朝だった。でも普通とは少し違っていた。立ち止まる人がいなかった。会話の途中で虚ろになる人がいなかった。商人が普通に荷を下ろし、地元の女が普通に水を汲んでいた。
完全に元に戻ったわけではない。半年間削られ続けた魂が、一晩で全部戻るわけがない。でも、進行は止まっていた。
井戸の周りで、子供が二人、走り回っていた。
昨日も走っていたのと同じ子供だった。違いはなかった。子供は元から守られていた。
でも、子供を見ている大人の目が、昨日より明るかった。
ユミルがそれを見ていた。
「……良かった」
小さな声だった。
リンは何も言わなかった。
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ハミドの家で、簡単な見送りがあった。
ハミドが「カリム様に、よろしく伝えてくれ」と言った。
「伝える」
「……あなた方が、何者なのか、聞かないでおく」
「賢明だ」
ハミドが少し笑った。日に焼けた顔の皺が、初めて柔らかく動いた。
「いつか、また来てくれ。その時は、ナツメヤシでも食ってくれ」
「食う」とファーファが即答した。
全員が少し笑った。
レイラが扉の前で、リンを見た。
いつもの寡黙な表情だったが、目が、少し違った。
「……ありがとう」
短い言葉だった。
でもこの数日、レイラから初めて出た「ありがとう」だった。
リンは「ああ」とだけ答えた。
それだけで、十分だった。
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