210 神殿の調査
神殿は街の北の外れにあった。
ハミドが案内した。砂の道を歩いて半刻ほど。丘の陰に、岩を削り出した建物が見えてきた。大きくはなかった。でも古かった。壁面に彫られた文字と図像が、砂に埋もれながらも残っていた。正面の入口は岩で塞がれていた。ハミドによれば百年以上、誰も入っていないという。
近づくにつれ、音がしていることに気がついた。
聞こえるか聞こえないか、その境目にある音だった。耳で捉えているのか体で感じているのか分からない。腹の底に来る、低い振動だった。神殿の石が、微かに震えているように見えた。
「……これが音か」
ハミドが頷いた。「夜は特にひどい。昼間はまだ、風の音に紛れる」
ユミルが外周を歩いた。壁に手を触れながら、文字を見ていた。途中で立ち止まって、両手で石の表面を押さえた。
「……熱い」
「石が熱いのか」
「……日差しで温まった熱ではないです。内側から来ています。ずっと、何かを動かし続けている熱です」
一周して戻ってきた。眉根が微かに寄っていた。
「……外殻の構造が、海の方の遺跡と一致します。山の遺跡とも、同系統です。設計の根が同じ」
「ターミナルがある」
「……ほぼ確実です。ただ——」
少し間を置いた。
「……本来、この構造は発熱しないはずです。振動も、ない。何かが設計外の負荷をかけ続けています。それがこの熱と音の原因です」
「壊れかけているのか」
「……壊れかけながら、動かされています。半年間、ずっと」
ハミドが何かを言いかけて、黙った。
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ファーファが鼻を動かした。北東の角の方向に向かって歩いた。壁の下の方、砂に埋まった隙間を見つけた。人ひとりが潜れるくらいの隙間だった。膝をついて顔を近づけ、また鼻を動かした。
「……匂い、ここから出てるニャ。空気、動いてるニャ。中に繋がってるニャ」
「入れそうか」
「ファーファは入れるニャ」
ユミルがファーファを見た。
「……ファーファ様、一人で中を確認してもらえますか。私が感覚を共有します」
「ニャ。行くニャ」
ファーファが隙間に体を押し込んだ。尻尾が最後に消えた。ユミルが目を閉じた。
外で待った。
ハミドが神殿の壁を見ていた。長い間、この音を聞いてきた男の目だった。止めることができなかった男の目だった。
「……半年間、何もできなかった」とハミドが言った。誰にともなく。
「動けない理由があったか」
「分からなかった。何が起きているのかが。音がして、人がぼんやりして、でも原因が見えなかった。カリム様に報告しても、対処の手がなかった」
リンは何も言わなかった。
しばらくして、ファーファが砂まみれで出てきた。耳に砂が詰まっていた。毛並みが砂で白くなっていた。
「……あった、ニャ。でかいのが、いたニャ」
「結界か」
「ちがうニャ。でかくて、石みたいで、目だけ動いてたニャ。じっとこっち見てたニャ」
「動いたか」
「……動かなかったニャ。でも、起きてたニャ。絶対起きてたニャ」
ユミルが目を開けた。リンを見た。
「……守護装置です。この遺跡に元々いるものです。組織が置いたものではない」
「生きているのか」
「……稼働しています。ただ——何かがおかしいです。本来の動作ではない」
リンは「でかくて、石みたいで、目だけ動いていた」というファーファの言葉を反芻した。
「……前世で見たことがある。スフィンクスみたいなものか」
「……そうですね。それに似たものです」
「問いを出すやつか」
「……はい。問いに答えれば、通してもらえるはずです」
「答えられなければ」
ユミルが少し間を置いた。
「……昔話の通りです」
ハミドが神殿の方を見た。「守り神が、まだいたのか」と小声で言った。
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深夜、全員で隙間から一人ずつ入った。
内部は暗かった。でも完全な闇ではなかった。壁の石が微かに光っていた。文字が彫られた部分だけ、青白く滲むように光った。天井が高く、通路が奥へ続いていた。
振動が、ここでは体の芯まで届いた。石の床から足の裏を通じて来る。歯が噛み合う感覚がした。
通路の奥に、それはいた。
石でできていた。座った姿勢で、翼を持っていた。人の顔と獅子の体。目だけが動いていた。生きた目だった。周囲の石が熱を持っていた。それの体から、白い靄のようなものが微かに漂っていた。熱の揺らぎだった。
リンが思ったのと同じものだった。前世で絵でしか見たことがなかった。
全員が立ち止まった。
それが口を開いた。声は低く、石が擦れるような音がした。体から白い靄が少し、多く揺れた。
「——問いに答えよ」
通路に声が響いた。反響して、消えなかった。
「朝は四本、昼は二本、夜は三本のものは何か」
リンは考えた。知っていた。前世で何度も聞いた謎かけだった。
「……これ、前世で聞いたことがある」
ユミルが小声で「……そうですか」と返した。
「まんまだ」
「……以前の誰かが、作ったのかもしれません」
「古竜か」
「……恐らくは」
ファーファが手を上げた。
「ニャ。ファーファニャ」
全員がファーファを見た。
「猫の時、四本ニャ。人の時、二本ニャ。竜になると、足二本と尻尾で、三本ニャ」
それが黙った。
長い沈黙だった。振動だけが続いていた。
「……想定解は、人間、である」
「でも、ファーファも、あってるニャ」
「……」
「答え、一個じゃないニャ。問題に、難があるニャ」
ロックが小声でリンに言った。「エージェントが詰まってる」
ユミルが静かに前に出た。
「……正答が複数存在する問いは、単一解を前提とした問いとして成立しません」
それがさらに黙った。靄が揺れた。
「……通行を、許可する」
ファーファが「ニャ!」と言った。
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