206 砂漠の商隊
ミルラペトラを出たのは朝だった。
城壁の門をくぐり、街道に出ると、空が急に広くなった。岩窟都市はうしろに遠ざかり、前には砂漠だけが広がっていた。白い。遠くまで、白かった。
レイラが先頭を歩いた。ラクダを一頭連れていた。外套の裾が風に揺れた。リン達はロバ五頭に荷を積んで続いた。ロバは砂漠に慣れているらしく、ぐずりもせず足を運んだ。
リンはラクダをしばらく見ていた。知っている動物だった——前世で見た、もっと小さいやつを。こちらのラクダは一回り以上大きく、足の側面に鱗のような硬い皮膚が部分的についていた。細かいことはどうでもよかった。ラクダはラクダだった。
ファーファがラクダをしばらく見ていた。
「……主、あれ、なんニャ」
「ラクダ」
「こぶ、あるニャ」
「ある」
「あの中に、何あるニャ」
「水じゃない。脂肪だ」
ファーファは少し考えてから「ニャ」と言い、それ以上聞かなかった。
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昼に近い頃、砂漠の日差しが本格的になった。
光が砂に反射して、目の奥まで白かった。リンは布を頭に巻き直した。ロバたちは耳をぺたんと伏せて黙々と歩いていた。
ユミルが足元の砂をじっと見ていた。
「何か面白いものがあるか」
「……砂の粒の大きさが、さっきより少し細かくなりました。風向きが変わっています」
リンには全部同じ砂に見えた。
しばらく歩いて、ファーファが足を止めた。何かを踏む一歩手前で止まっていた。
「……なんニャ、これ」
砂の上に、サソリがいた。
掌くらいの大きさで、尾を持ち上げていた。日差しを避けるように岩の影から出てきたらしかった。
ファーファがしゃがんだ。
指先でつついた。
サソリが尾をぴんと立てた。ファーファがもう一度つついた。サソリが横にずれた。
「……生きてるニャ」
「当たり前だ」
「砂漠の生き物ニャ」
「そうだ」
ファーファがさらに近づいた。サソリが尾を振った。
「ファーファ、刺されるぞ」
「ファーファ、刺されないニャ」
根拠がなかった。リンは止めるのをやめた。
ユミルが隣でサソリを観察していた。
「……外骨格の構造が、面白いです。関節の数が多い」
「食えるか」
「食べられます。炙ると香ばしいそうです」
「そうか」
ファーファの耳がぴんと立った。
「……食うニャ?」
「今は食わない」
「ニャー」
ファーファが立ち上がった。サソリは岩の影に戻っていった。
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休憩は岩の日陰を見つけて取った。
ユミルがロバの水桶を確認した。レイラが布を頭に巻き直した。リンはジャーキーを噛みながら街道の先を見た。まっすぐだった。どこまでも続いていた。
ファーファがレイラの隣に座った。
「レイラ、ジャーキー食うニャ?」
レイラは黙っていた。
ファーファは諦めなかった。ジャーキーを一本、自分で食べ始めた。しばらくして、もう一本を無言でレイラの膝の上に置いた。
レイラは少し見てから、拾って食べた。
「……美味しいか?」
レイラはリンを見た。「そう聞かれたら答えるしかない顔でしゃべらせるな」とリンは内心思ったが、口には出さなかった。
レイラが短く言った。
「普通だ」
「普通ニャ!」
ファーファが嬉しそうにした。理由がよくわからなかったが、ファーファの中では何かが成立したらしかった。
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夕方、二日目の野営地を決めた。
岩が風除けになる場所を選んで、焚き火を起こした。砂漠の夜は急に冷える。昼の白い灼熱が嘘のように、日が落ちると空気が変わった。
ファーファが「砂漠おかしいニャ」と言った。
「昼暑くて夜寒いニャ。どっちかにしてほしいニャ」
「砂漠とはそういうものだ」
「ニャ〜」
ユミルが焚き火の傍で膝を抱えていた。空を見ていた。砂漠の夜空は星が多かった。遮るものが何もないせいで、星がべたりと貼り付いているように見えた。
「星、多いですね」
「砂漠は空気が乾いているから、よく見える」
「……ヴァナールでも見ましたが、違います」
「何が違う」
「……数、じゃないです。近い気がします」
リンは上を向いた。確かに、近かった。手を伸ばせば届くような気がした。届かないのはわかっていたが。
ロックが火の向こうで空を見た。レヴィが肩の上で羽を畳んだ。
しばらく、誰も喋らなかった。焚き火が小さく音を立てた。
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ロックが口を開いたのは、火が落ち着いた頃だった。
リンに向けて、小声で言った。
「……あんた、砂漠で何かを感じるか」
「何かって?」
「気配。誰かの目、とまでは言えないが」
リンは少し考えた。
「わからない。特に感じていない」
「そうか」
ロックは火を見た。
「俺も、はっきりはしない。ただ——感覚的に、誰かがこっちを見てる気がする。ずっと」
「ヴィーゼ関連か」
「断言はできん。でも、砂漠に入ってから消えないんだ、この感覚が」
レヴィが静かに言った。
「……ダンナ、北の方角に、気配が、ひとつ」
焚き火が揺れた。風が来て、また収まった。
リンはユミルを見た。ユミルは星を見ていた。何か感じているかどうか、表情ではわからなかった。
「明日も早い。寝よう」
ロックが頷いた。レヴィが目を閉じた。
翌朝、三日目に出発した。
空は白く、砂漠は静かだった。




