204 観察される街
朝、宿の食堂で、リン達は朝食を取っていた。
朝食は、平たいパンと、豆の煮込みと、ヤギ乳のヨーグルトだった。パンは、その場で焼いたばかりらしく、まだ温かかった。豆の煮込みには、見たことのない香辛料が、薄く効いていた。
ファーファが、パンを千切って、豆の煮込みに浸していた。
「**……主、これ、美味いニャ**」
「ヴァナールのとは、違うか」
「**……パン、薄いニャ**」
「砂漠のパンは、こういう形なんだろう」
ユミルが、ヨーグルトを、ひとくち食べた。
しばらく、口の中で、味を確かめている。
「**……酸味が、強いです**」
「合うか、口に」
「**……はい。豆と、よく合います**」
ユミルは、頷いた。それから、もう一度、ヨーグルトをひとくち食べた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……朝食を済ませたら、市場ですね**」
「分かった、分かった」
リンは、息を吐いた。
「お前、本当に楽しみにしてるんだな」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
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朝食を済ませて、リン達は宿を出た。ファーファは、ニャルニルを担いで、クラケンを肩に乗せている。
街路には、すでに人が出ていた。商人が屋台を出し、子供達が走り回り、布を巻いた女達が水汲みに行く姿があった。空気は、朝のうちはまだ、それほど暑くなかった。岩の天井の下は、外より涼しいらしい。
ユミルが、最初に立ち止まったのは、香辛料屋の前だった。
店先に、麻袋が並んでいた。袋ごとに、違う色の粉や種が、山に積まれている。赤、黄、茶、緑、黒。匂いも、それぞれ違っていた。
ユミルは、袋を、ひとつずつ、覗き込んでいった。
「**……これは、知っています。クミンです**」
「ああ」
「**……これは、知らない。赤い、細かい種です**」
「店主に、聞いてみるか」
「**……はい**」
店主が、リン達の方に来た。年配の男で、布の中から、髭が覗いていた。
「お客さん、初めて見る顔だね」
「ヴァナールから来た」
「お、遠いところから。何か、お探しか」
「これは、何だ」
ユミルが、赤い種の山を指した。
「ああ、それは、サフラリって言う。料理の色付けに使う。少しでも、効くよ」
「**……何の料理に、合いますか**」
「米料理だな。砂漠じゃ、米は貴重だが、サフラリで色を付けて炊くと、見栄えも、香りも、いい」
ユミルは、頷いた。
「**……少し、買います**」
「お、味分かるね、お客さん」
店主は、笑って、小さな麻袋に、サフラリを量り入れてくれた。
ユミルは、銀貨を渡して、麻袋を受け取った。袋を、両手で大事そうに抱えていた。
リンは、ユミルを、しばらく見ていた。
「お前、本当に楽しんでるな」
「**……はい**」
ユミルは、わずかに、口の端を緩めた。
ファーファが、リンの足元から、見上げた。
「**……主、ファーファも、何か、欲しいニャ**」
「お前は、ジャーキーだろう」
「**……よく分かったニャ**」
ファーファは、納得した。
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街路を歩いていると、子供達が、ファーファの周りに集まってきた。
最初は、一人だった。布で頭を巻いた、十歳くらいの女の子。ファーファのことを、しばらくじっと見ていた。
それから、声をかけてきた。
「猫の人、ね」
「**……ニャ**」
「尻尾、触っていい?」
ファーファは、リンを見上げた。リンは、軽く頷いた。
「**……いい、ニャ**」
女の子が、ファーファの尻尾を、軽く触った。それから、笑った。
「ふわふわ、してる」
「**……ファーファ、毛、自慢ニャ**」
「お前、その自慢、どこから出てきたんだ」
リンが、口を挟んだ。
ユミルが、肩を揺らして笑った。
女の子が、振り返って、別の子供を呼んだ。少しすると、四、五人の子供達が、ファーファの周りに集まっていた。
「耳、触っていい?」
「ふわふわー」
「猫の人、どこから来たの?」
ファーファは、子供達に囲まれて、満足げにしていた。耳を撫でられても、嫌がらない。尻尾を握られても、笑っている。
「**……主、ファーファ、子供、好きニャ**」
「分かるな、それ」
ユミルが、隣で、しばらくその様子を見ていた。
それから、リンの方を見た。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……平和、ですね**」
「ああ」
「**……でも、見られています**」
ユミルは、声を、少し落とした。
「**……三方向から。屋根の上に一人、屋台の影に二人**」
「気づくか」
「**……輪郭だけ、感じる程度です。深くは、読みません**」
「分かった」
リンは、子供達に囲まれているファーファの方に、目を戻した。
子供達は、ファーファの耳と尻尾に夢中だった。
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昼、リン達は、街角の食堂に入った。
食堂は、岩を削った地下のような造りで、天井が低かった。卓は、岩を削り出したものが、店の中に並んでいる。客は、地元の住人と、巡礼者らしき外来の客が、半々くらいだった。
店主が、メニューを見せてくれた。砂漠の文字で書かれていて、リンには読めない。
「お任せ、で、頼む」
「分かった」
しばらくして、料理が運ばれてきた。
煮込みが、二皿。米料理が、一皿。それと、串焼きが、一皿。
串焼きを見て、ファーファが、目を見開いた。
「**……主**」
「ああ」
「**……これ、虫、ニャ?**」
リンも、串焼きを、しばらく見ていた。
太い、節のある体。長い尾。先端に、毒のありそうな爪。
サソリだった。
串に、丸ごと刺して、こんがりと焼いてある。
「**……サソリ、です**」
ユミルが、隣で、串焼きを覗き込んだ。
「**……砂漠では、食材だ、と聞きました**」
ファーファは、サソリの串焼きを、両手で受け取った。
「**……ファーファ、虫たべるニャ**」
そのまま、頭から齧り取った。バリッ、と硬い音が、ファーファの口の中で鳴った。
「**……ファーファ、これ、香ばしいニャ**」
ユミルも、串を一本取って、サソリの胴体を、ひとくち齧った。
しばらく、口の中で、噛んでいる。
「**……エビに、似た味です**」
「**……ファーファ、エビ、好きニャ**」
「だろうな。海でも食ってたしな。こっそりクモ食ってたのも見たことある」
「**……これも、エビと、似てるニャ?**」
「ユミルが、そう言ってる」
ファーファは、もう一本取って、齧り取った。
「**……ファーファ、これ、エビより、香ばしいニャ**」
「殻ごと、いってるからな」
リンも、一本取って、齧ってみた。
確かに、エビに似た味だった。塩と、香辛料が、効いていた。殻が、香ばしい。
「悪くないな」
「**……でしょう**」
ユミルが、わずかに、口の端を緩めた。
ファーファは、すでに三本目を、齧り取っていた。
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午後、リン達は、銀細工屋を覗いた。
店先に、銀の腕輪、首飾り、指輪が、並んでいた。砂漠の文様が、細く彫り込まれている。職人の細工が、ヴァナールのものとは、まったく違う系統だった。
ユミルが、腕輪を、ひとつ手に取った。蔓のような文様が、銀の表面に、流れるように彫られている。
「**……綺麗、ですね**」
「気に入ったか」
「**……いえ。見るだけです**」
「買えばいいだろう」
「**……必要じゃ、ありません**」
ユミルは、腕輪を、店先に戻した。
リンは、ユミルを見ていた。
それから、店主に声をかけた。
「これ、いくらだ」
ユミルが、リンを見た。
「**……リン様**」
「俺が買う」
「**……それは**」
「土産だ。ヴァナールから、長いこと旅してきた。何か一つくらい、持って行っていいだろう」
リンは、銀貨を出した。店主は、頷いて、腕輪を、布で包んでくれた。
リンは、腕輪を、ユミルに渡した。
ユミルは、しばらく、腕輪を見ていた。
それから、自分の腕に、巻いた。
ぴったりだった。
「**……ありがとうございます**」
「気にするな」
ユミルは、腕輪を、しばらく見ていた。
それから、わずかに、口の端を緩めた。
ファーファが、ユミルの腕を、覗き込んだ。
「**……ユミル、綺麗ニャ**」
「**……ファーファ、ありがとう**」
ファーファも、納得していた。
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夕方、宿に戻る道で、ユミルが、リンの隣で、口を開いた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……今日、四回、観察されました**」
「四回も、か」
「**……はい。屋根の上、屋台の影、銀細工屋の向かい、食堂の窓の外**」
「ずっと、見てたんだな」
「**……はい**」
「気づかないふりは、できたか」
「**……はい。輪郭だけ、感じていました。深くは、読んでいません**」
「分かった」
リンは、頷いた。
「向こうも、しばらく、見続けるだろう。気にせず、街を、楽しんでくれ」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
腕輪が、夕方の岩の街路の光の中で、わずかに、銀色を返した。
ファーファが、二人の間を、軽く歩いていた。
「**……明日も、街、見るニャ?**」
「見る」
「**……ファーファ、ジャーキー、また探すニャ**」
「探せ、探せ」
リンは、息を吐いた。
宿の方角に、夕方の光が、岩の天井の取り入れ口から、斜めに差し込んでいた。
【了】




