203 夜の訪問者
夕方、リンは、ロックの部屋に行った。
ロックの部屋は、リンの部屋の隣だった。同じ三階の、同じくらいの広さの部屋だった。寝台、卓、椅子。窓は、街路ではなく、街の中庭の方を向いていた。中庭には、岩を削って作られた水場があって、そこから、わずかに水音が聞こえていた。
ロックは、卓に、地図を広げて待っていた。
「来たか」
「ああ」
リンは、椅子に座った。ユミルも、同じ部屋に来ていた。窓のそばに立って、外の中庭を見ていた。ファーファは、自分の部屋で、ジャーキーを噛んでいた。
ロックが、地図を、リンの方に向けた。
「ミルラペトラ王国だ。中央が、この街。周りに、オアシス都市が、いくつかある。砂漠の中の点々と、線で繋がってる」
「街は、いくつだ」
「主要なのは、三つ。中央のミルラペトラ、北東のアル・ザフラ、南西のフィン・ヌール。それと、小さな宿場が、街道沿いに、点々と」
「遺跡の場所は」
「アル・ザフラとフィン・ヌールに、それぞれ一つ。中央のミルラペトラの王宮の最奥に、もう一つ」
「三つだな」
「そうだ」
ロックは、地図の三つの点を、指で示した。
「俺の見立てでは、王宮の遺跡は、最後だ。アル・ザフラとフィン・ヌールを、先に潰す。王宮は、政情と絡む。準備が要る」
「政情は、どうなってる」
ロックは、椅子に背を預けて、軽く笑った。
「これがな、面白い話だ」
「面白いのか」
「面白いってのは、語弊があるな。砂漠の街じゃ、半分は都市伝説、半分は本当、みたいな話が、よく転がってる」
ロックは、卓の上で、指を組んだ。
「この国の王様は、十年前から、人前に出てこない」
「病気か」
「分からん。役人は『お忙しい』『静養中』とだけ言う。だが、街の連中は、誰も信じちゃいない。十年だぞ。静養するには、長すぎる」
「ふうん」
「執政は、第二夫人と、大臣がやってる。第二夫人は、外来の女で、子供を王位に就けようとしてる。大臣は、温和な顔をした男だが、裏で、相当のことをやってる、らしい」
「らしい?」
「俺の情報網じゃ、断片しか入らん。深いところは、地元の人脈が要る」
ロックは、肩のレヴィを、軽く撫でた。レヴィが、首を傾げた。
「**……ダンナの情報網は、酒場と、市場と、宿屋の女将だけじゃからな**」
「うるせえ」
ユミルが、窓のそばで、口を開いた。
「**……ロック様**」
「ん?」
「**……今、伺った範囲で、二点、気になります**」
ロックが、ユミルの方を見た。
「**……一つ目。十年前というのが、第一夫人の死亡時期と、近いのかどうか**」
「お、するどいな。第一夫人は、八年前に死んでる。事故死、と発表されてる」
「**……二つ目。子供を王位に就けようとしている、という話。第一夫人にも、子供はいたのですか**」
「いた。第一王子だ。今は、王宮を出てる、らしい。第二夫人は、自分の息子を、第二王子じゃなくて、王太子にしたいわけだ」
「**……順序を、入れ替えたい、ということですね**」
「そういうこと」
ユミルは、頷いた。それから、もう一度、窓の外を見ていた。
リンは、地図の上を、指でなぞっていた。
「お前の個人的な用事ってのは、その辺の人脈か」
ロックは、リンを見た。それから、わずかに、口の端を緩めた。
「言える範囲では、そうだ」
「全部は、言わないんだな」
「契約だ」
「ああ」
リンは、頷いた。
ロックも、頷いた。
---
「それと、もう一つ、報告がある」
リンは、地図から目を離した。
「シーク手前の野営地で、リザードマンに襲われた」
ロックの表情が、わずかに、引き締まった。
「数は」
「七体」
「それを、お前らで、片付けたのか」
「ロバ隊の冒険者の助太刀もあった。ファーファとユミルが、半分以上やった」
「ふうん」
「で、本題はその先だ。リザードマンが、火の槍を持ってた」
ロックが、眉を上げた。
「火?」
「炎が、絶えず燃えてる槍だ。リザードマンは、火を扱わない種だ、と隊長は言った」
「ああ。湿ってる種だからな」
「ティルフィングで斬った一体の胸を確認したら、魔石が埋め込まれていた」
ロックの表情が、変わった。笑みが、消えた。
「魔石」
「ユミルが、海の方の魔石とは違う、と言った」
ユミルが、窓のそばから、振り返った。
「**……海の方の魔石は、強化用でした。基礎能力の底上げです**」
「これは」
「**……能力付与でした。リザードマンに、本来は無い火の能力を、後付けで使わせていました**」
ロックは、しばらく、黙っていた。
それから、息を、ひとつ吐いた。
「組織が、進化してる、ってことか」
「俺らの判断では、そうだ」
ロックは、卓に肘をついて、額に手を当てた。
「マズいな」
「マズいか」
「ああ。マズい」
ロックは、しばらく、その姿勢のままだった。
「能力付与の魔石、ってのは、組織の中でも、上の方しか持ってない技術だ。少なくとも、俺が知ってる範囲じゃ、第二柱の俺は、扱えん」
「上の方、ってのは」
「具体的には、知らん。だが、第六柱、ヴィーゼ、って名前は、聞いたことがある。沈黙してる柱だ。表に出てきたことが、ほぼない」
ロックは、顔を上げた。
「砂漠で、その魔石が出回ってる、ってことは」
「ヴィーゼが、絡んでる可能性がある、ってことか」
「可能性、だがな」
ロックは、レヴィの方を見た。
レヴィが、軽く首を傾げた。
「**……ダンナ、わしは、その柱の名前は、知らん。第六柱は、組織の中でも、噂しか、流れんかった**」
「だな」
ロックは、息を吐いた。
「お前らに、最初に話す予定だった話は、もっと軽いやつだったんだが。報告のおかげで、地図が、ちょっと書き直しになりそうだ」
「悪かったな、報告して」
「むしろ、ありがたい。知らないより、知ってる方が、いい」
ロックは、地図を、もう一度卓の中央に戻した。
「で、最初の話に戻る。お前らの当面の動きだが」
ロックは、軽く笑った。
「明日以降、街を歩いてくれ。香辛料屋とか、銀細工屋とか、適当に回ってくれ」
「観光か」
「半分はそうだ。もう半分は、俺の地元の人脈に、お前らを観察させる時間だ」
「観察」
「向こうも、慎重なんだ。お前らがミルラペトラに着いた段階で、もう、何度か観察されてるはずだ」
ユミルが、窓のそばで、わずかに、姿勢を変えた。
「**……気づきません、でした**」
「気づくようなら、向こうも、その程度ってことだ。本職は、気づかせない」
ユミルは、頷いた。
「向こうが判断したら、向こうから来る」
「向こうから?」
「ああ」
ロックは、にやりとした。
「夜中に、宿に忍び込んでくる、かもしれん」
「物騒だな」
「物騒な人脈だ」
ロックは、肩のレヴィを、軽く撫でた。
「**……ダンナ、まあ、夜は、お気をつけて**」
リンは、息を吐いた。
「気をつけるのは、俺らか」
「**……ええ。気を付けてください**」
レヴィが、にやりと、した。
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部屋に戻ってから、リンは、ユミルとファーファに、ロックの話を伝えた。
ファーファは、寝台の上で、ジャーキーを噛みながら、聞いていた。
「**……主、夜、誰か来るニャ?**」
「来るかも、しれない」
「**……ファーファ、寝てるニャ?**」
「寝ていい。来たら、俺が起きる」
「**……分かったニャ**」
ファーファは、納得して、ジャーキーを噛み続けた。
ユミルは、窓辺に立って、街路の方を、しばらく見ていた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……解析が、必要、ですか**」
「相手が、どこまで信用できるかは、解析だけじゃ判断できん。ロックが、信用してる相手だ。会う前に、深く解析するのは、礼儀じゃないだろう」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
それから、しばらく、何か考えているようだった。
「**……でも、念のため、来た時に、名前と、能力を、軽く読みます**」
「軽く、な」
「**……はい。深くは、読みません。輪郭だけ、見ます**」
「分かった」
ユミルは、頷いた。
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夜が、深くなった。
街路の音は、ヴァナールの夜より、長く続いていた。砂漠の街は、夜になっても、商売をしている店があるらしい。それでも、深夜近くになると、街路の音は、徐々に小さくなっていった。
リンは、自分の寝台に、装備を着たまま、横になっていた。剣は、寝台の脇に二本並べて立てかけてある。弓は、すぐ手の届く場所に置いた。
ユミルは、窓辺の椅子に座って、目を閉じていた。眠ってはいなかった。
ファーファは、寝台の上で、ジャーキーを噛んだまま、寝ていた。クラケンが、ファーファの胸の上で、わずかに光っていた。ニャルニルは、壁際に立てかけられている。
部屋の蝋燭は、消えていた。
窓から入る、街の灯りが、わずかに、室内を照らしていた。
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それは、深夜過ぎだった。
リンは、目を覚ました。
窓のところに、人影があった。
黒い装束を着た女だった。布で、口元から下を覆っている。目だけが、街灯りの中で、光っていた。背は、ユミルと同じくらい。足音は、聞こえなかった。窓の格子を、いつ抜けたのか、リンには分からなかった。
女は、部屋の中央に、音も無く立った。
リンは、寝台の上で、起き上がった。剣には、まだ手をかけなかった。
ユミルが、窓辺の椅子で、目を開けていた。こちらも、動かない。
ファーファは、寝ていた。
「夜遅くにすまない」
女が、口を開いた。声は、低く、抑えられていた。
「ロック様の客人とお見受けする」
「そうだ」
「あなた方の様子を、しばらく見ていた。ヴァナールから来た、と聞いた。事実か」
「事実だ」
「ヴァナールで、何があったか。手短に」
リンは、女を、しばらく見ていた。
それから、答えた。
「ヴァナールの冒険者ギルド長が、組織側だった。捕縛した。組織の十二柱が一人、ロックを、こちらに引き込んだ。レヴィを連れて、共に動いている」
「ロック様は、信用に値するか」
「契約は、結んでいる。全部を伝える契約じゃない、と双方が了解してる」
「あなたの判断としては」
「まだ、信用したわけじゃない」
女は、しばらく、黙っていた。
それから、軽く頷いた。
「正直な答えだ」
「お前は、誰だ」
「名乗るのは、もう少し後だ。今夜は、顔を見に来た」
「顔だけか」
「顔と、声と、判断だ。ロック様の判断と、あなたの判断が、両方とも妥当か、確かめる必要があった」
女は、ユミルの方を見た。
「そちらの女性は、解析能力者と、聞いている」
ユミルは、窓辺の椅子で、頷いた。
「**……はい**」
「私を、解析したか」
「**……名前と、能力の、輪郭だけ、見ました。深くは、読んでいません**」
「結果は」
「**……名前は、現在のお名前ではない。能力は、隠匿に特化している。攻撃も、可能ですが、本領ではない**」
女は、布の中で、軽く笑ったような気配がした。
「正確だ」
「**……失礼しました**」
「いや。深く読まなかったのは、判断として正しい。ロック様も、深く読まれるのは、嫌うだろう」
女は、ユミルから、リンに視線を戻した。
「明日以降、街を歩いてくれ。私は、もう数日、観察する。判断が下りたら、然るべき場所に、案内する」
「然るべき場所、とは」
「私の主のところだ」
女は、それだけ言って、窓の方に下がった。
「夜分、失礼した」
「待て」
リンが、声をかけた。
女は、振り返った。
「俺らが、信用に足りない、と判断したら、どうする」
女は、布の中で、静かに答えた。
「あなた方を、ミルラペトラから、出てもらうことになる」
「出てもらう、とは」
「いろいろな方法がある」
女は、それだけ言った。
それから、窓の格子を、音も無く抜けて、消えた。
部屋の中に、女が居た痕跡は、何も残らなかった。
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しばらく、リンとユミルは、何も言わなかった。
ファーファが、寝台の上で、寝言を言った。
「**……ジャーキー、ニャ……**」
リンは、息を吐いた。
「物騒だな」
「**……はい**」
「お前、解析、本当に軽くだったか」
「**……はい。輪郭、だけ**」
「分かった」
ユミルは、立ち上がって、窓の格子を、しばらく見ていた。
「**……痕跡が、ありません**」
「ああ」
「**……ロック様の人脈、確かに、本職、です**」
「ああ」
リンは、寝台に、もう一度、横になった。
「明日、ロックに、報告する」
「**……はい**」
「あの女、明日もまた、見てるだろうな」
「**……はい。複数の場所から、観察される、はず**」
「気づかないふりで、街を歩く」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
それから、もう一度、窓辺の椅子に、座った。
リンは、目を閉じた。
ファーファの寝息が、規則正しく、続いていた。
【了】




