201 岩窟都市
朝、シークの入口で、ロバ隊が列を作った。
岩の壁の裂け目に、街道が、まっすぐに吸い込まれていた。裂け目の幅は、ロバが二頭並べばいっぱいになるほどの狭さだった。岩の壁は、上を見上げても、空の細い帯しか見えないほど高かった。
隊長が、声を上げた。
「シークの中は、列を崩すな。岩が落ちることもある。空を、時々見上げろ」
「分かった」
リンは、ロバの手綱を握り直した。
ロバ隊が、シークに入っていった。
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シークの中は、薄暗かった。
岩の壁が、両側から迫っていた。空は、頭上の細い帯にしか見えない。朝の光は、その細い帯から、まっすぐに落ちてきた。光が当たる岩肌は、赤褐色だった。日陰になっている部分は、黒に近い茶色で、ところどころに、塩のような白い結晶が、岩の表面に浮いている。
ロバ達の蹄の音が、岩の壁に反響した。普通の街道で歩く時の倍ほどの大きさで、音が、前後の岩から返ってくる。誰も、口を開かなかった。話す声も、反響して、シークの奥に届いてしまうからだった。
ファーファが、ロバの背の上で、口を開けて、上を見上げていた。
何も、言わなかった。
ユミルも、同じように、上を見上げていた。岩の壁の高さが、ユミルの目の中に、ゆっくりと記録されていく。
リンは、岩肌を、しばらく見ていた。
岩には、模様があった。長い時間をかけて、水が削った跡だった。波のような筋が、岩の壁を、上から下まで走っている。それが、シークの両側の壁の、いたるところにあった。
水が、ここを流れていた時代があった。
今は、空気だけが、シークの中を、ゆっくりと動いている。
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シークの中ほどで、ロバ隊が、休憩を取った。
岩の壁が、少し広がっている場所だった。広場のようになっていて、地面に小さな祠が置かれている。隊員達と客が、ロバから降りて、水を飲んだ。
リンも、ロバから降りた。
祠は、石を積み上げただけの簡素な作りだった。中に、小さな像が置かれている。像は、細長い形をしていて、頭の部分に、目のような刻みが入っていた。
「シークの神だ」
ロバ隊の隊長が、隣に来て、言った。
「ここを抜ける旅人を、見守ってる、と言われている。古い」
「ふうん」
「砂漠の街に着いたら、感謝の祈りを捧げる風習がある。あんた方も、街で、教えてもらえるはずだ」
「覚えておく」
隊長は、頷いて、ロバの方に戻っていった。
ユミルが、リンの隣に来て、祠を見ていた。
「**……古いですね**」
「ああ」
「**……岩の削れ具合と苔の堆積から見て、千年は経っているはずです**」
「お前、それ、どうやって分かるんだ」
「**……石の表面の風化と、苔の堆積層の厚みです。気候帯ごとの侵食速度から逆算できます**」
「便利だな」
ユミルが、わずかに、口の端を緩めた。
それから、もう一度、祠を見て、軽く頭を下げた。
ファーファも、ユミルの隣で、軽く頭を下げた。
「**……ファーファ、お祈りニャ**」
「お前、何祈ったんだ」
「**……ジャーキー、たくさん、ニャ**」
「お前、それは祈りじゃない」
ユミルが、肩を揺らして笑った。
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午後、シークの先に、光が見えてきた。
岩の壁の裂け目の出口だった。最初は、細い光の点だったが、ロバ隊が進むにつれて、光は、徐々に大きくなっていった。出口に近づくにつれ、岩の壁の色も、変わっていった。シークの奥では赤褐色だった岩肌が、出口に近づくと、明るい黄褐色に変わっていく。
ファーファが、ロバの背で、もぞもぞと動き始めた。
「**……主、外、見えてきたニャ**」
「ああ」
「**……明るいニャ**」
「砂漠の光だな」
ファーファは、布で頭を覆ったまま、目を細めて、出口の方を見ていた。
ユミルも、同じように、目を細めていた。
リンは、シークの出口の光に、しばらく目を慣らした。
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シークを抜けた。
最初に見えたのは、空だった。
砂漠の空は、シークの中で見ていた細い帯の空とは、別物だった。地平線まで、青が広がっていた。雲は、ほとんど無かった。太陽は、頭の真上に近い位置にあって、光が、平等に下に降り注いでいる。
それから、地面が見えた。
砂だった。
砂が、地平線まで広がっていた。色は、明るい黄褐色で、表面に、風が作った波のような模様が、無数に走っている。風が吹くと、砂の表面が、ざらざらと音を立てて流れた。
そして、街が見えた。
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街は、シークの出口から、半時間ほど歩いた先にあった。
最初は、岩の塊にしか見えなかった。砂漠の真ん中に、巨大な岩が、いくつもそびえ立っている。
近づくにつれて、岩の塊の表面に、模様が見えてきた。
模様ではなかった。
窓だった。
岩の表面に、無数の窓が、開いていた。窓の周りには、装飾が彫り込まれている。柱のような形、花のような形、文字のような形。岩そのものを削って、建築の正面を作っていた。
岩窟都市、と聞いていた言葉の意味が、リンの中で、ようやく形になった。
岩を削って、街にしていた。
ファーファが、ロバの背の上で、口を開けたまま、固まっていた。
「**……主**」
「ああ」
「**……ファーファ、こんなの、知らないニャ**」
「俺もだ」
ユミルは、街を、ロバの背の上から、見ていた。
しばらく、ユミルは、何も言わなかった。
それから、口を開いた。
「**……これは、人が作ったのですか**」
「岩を、削ってな」
「**……何百年もかかったでしょう**」
「そうだろうな」
「**……知らない、文化です**」
ユミルは、頷いた。
それから、もう一度、街を見上げた。
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街の入口は、シークの出口とは別の方向にあった。
岩の塊の側面に、巨大な門が彫り込まれていた。門の柱は、岩そのもの。門の上には、横に長い装飾が走っていた。文字のような模様だが、リンには読めない。砂漠の文字だった。
ロバ隊が、門の手前で、徐々に速度を落とした。
リンは、ロバの手綱を引いて、街門の前で止まった。
シークを抜けた砂漠の風が、頬の上を、わずかに撫でていく。乾いた風だった。
ユミルが、隣のロバの背で、街の門を、見ていた。
「**……着きました**」
「ああ」
「**……ロック様が、待っています**」
「ああ」
リンは、頷いた。
街門の岩の柱の影が、午後の砂漠の光の中で、長く伸びていた。
【了】




