200 リザードマン改
リンは、目を開けた。
毛布の脇に並べて立てかけてあった剣のうち、一本が、横に倒れていた。
ティルフィングだった。
風は、無かった。地面は、平らだった。リンは、寝る前に、自分で剣を立てかけた。倒れる理由は、無かった。
リンは、しばらく、倒れた剣を見ていた。
ユミルが、目を開けて、起き上がっていた。同じ剣を、見ていた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……これは、警告、ですね**」
「ああ」
リンは、息を、ひとつ吐いた。
「黙ったまま、知らせる気か」
ティルフィングは、応えなかった。倒れたまま、地面に横たわっていた。
リンは、剣を取って、もう一度立てた。それから、自分の剣と弓を、手元に引き寄せた。矢筒を、腰に回す。
「ユミル、敵の数」
「**……今、見ます**」
ユミルは、しばらく、目を閉じた。
それから、目を開けた。
「**……砂の上を、何かが、滑ってきています。低い姿勢。数は、五。いや、七**」
「方向は」
「**……北東。岩の壁の、崩れた箇所から**」
「種類は」
「**……ヒト型ですが、人ではありません。鱗の反応です**」
「リザードマンか」
「**……おそらく**」
リンは、立ち上がった。
ファーファは、ジャーキーを噛んだまま、寝ていた。リンは、ファーファの肩を、軽く揺すった。
「ファーファ、起きろ」
「**……ニャ?**」
「敵だ。お前は、後ろで、見てろ」
「**……ニャ!**」
ファーファが、跳ね起きた。クラケンが、ファーファの胸の上で、すでに目覚めていた。ニャルニルが、壁に立てかけられていた状態から、ファーファの手元に、転がるように移動した。
リンは、見張りの方に、声をかけた。
「敵が来る。北東。七体」
見張りの二人が、振り返った。一人が、すぐに、隊長を起こしに走った。もう一人が、剣を抜いて、北東の方を向いた。
ロバ達が、騒ぎ始めた。
リンは、弓を構えた。
ユミルが、すでに、両手を地面に向けて広げていた。指先から、青い光が、わずかに漏れていた。
ファーファは、ニャルニルを担いだまま、リンの後ろの位置に立った。
「**……主、来るニャ**」
「ああ」
岩の壁の崩れた箇所から、最初の影が、こちらに向かって走ってきた。
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最初の一体が、火の槍を構えて、走り込んできた。
槍は、お手製のように見えた。柄は、まっすぐに削った木。穂先は、金属を打ち出して尖らせたものだった。だが、穂先の周囲に、赤い炎が、絶えず揺らいでいた。槍そのものから、炎が、燃え立っているようだった。
リザードマンは、人間の槍兵のように、槍を構えていた。しかし、走り方は、獣のそれだった。低く、地を這い、左右に揺れながら、距離を一気に詰めてくる。
弓を引き絞り、
息を、止めた。
ドスン
リザードマンの頭が仰け反る。
矢は、リザードマンの頭に、深く刺さった。リザードマンは、槍を握ったまま、地面に倒れた。
「**……あと、六**」
ユミルの両手の周囲には、青い光の壁が、円環状に立ち上がっていた。野営地の客と、ロバを、内側に囲っている。
「ファイアウォール、効くか」
「**……物理は弾きます。火は、抑制できますが、長時間は持ちません**」
「分かった」
「**……次、二体、右から来ます**」
二体目、三体目が、岩の壁の崩れから、現れた。
二体目は、口を、横に大きく開いていた。針のような歯が、火明かりに光っている。
リンは、矢を放った。
矢は、二体目の眉間に、当たった。二体目は、後ろに倒れた。
岩陰からもう一匹
一気に距離を詰めてきた。
槍を構えていた。穂先に、炎。
リンは、二射目を諦めた。距離が、近すぎた。三体目の槍の方が、先に届く。
リンは、剣を抜いた。
ティルフィングだった。
刃が、夜明け前の薄い光を、わずかに弾いた。
三体目が、火の槍を、まっすぐに突き込んできた。
リンは、ティルフィングで、逆袈裟斬り気味に斜めに切り上げた。
抵抗が、ほとんど無かった。
刃は、まるで湯気を切ったかのような感触で、リザードマンの胴を抜けた。
リザードマンの上半身が、地面に落ちた。下半身は、その後で、別に倒れた。
リンは、剣を持ったまま、しばらく、立ち止まっていた。
「**……リン様**」
ユミルの声で、我に返った。
「ああ」
「**……四体目、五体目、同時に来ます。野営地の客の方を、狙っています**」
「ファーファ」
「**……ニャ!**」
ファーファが、すでに、駆け出していた。
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ファーファは、四体目に向かって、地面すれすれに走った。
四体目は、槍を構えていた。炎が、穂先で揺れている。
ファーファは、槍の穂先の下を、滑るように抜けた。すれ違いざま、ナイフで四体目の喉の脇を、斜めに裂いた。鱗の隙間から、暗い色の血が噴き出した。
ファーファは、走り抜けた先で、ニャルニルを高く構えた。
「**……ニャ!**」
鎚頭が、四体目の頭に、上から落ちた。四体目の頭が、潰れた。
ファーファは、ニャルニルを担ぎ直して、五体目に向かって走り出した。
口だけを大きく開いて、ファーファに突進してきた。
ファーファは、五体目の真正面で、ぴたりと止まった。
それから、地面を蹴って、五体目の頭の上を、跳び越えた。
着地した時には、ファーファは、五体目の真後ろにいた。
ナイフが、五体目の喉の後ろを、横に裂いた。
五体目は、声を出そうとして、出せなかった。喉の気道が、断たれていた。
ファーファは、五体目が膝を突くより前に、ニャルニルを横から振った。鎚頭が、五体目の頭の側面に当たった。五体目は、横に吹き飛ばされて、地面に倒れた。
「**……ニャ!**」
ファーファは、ニャルニルを担ぎ直して、息を整えていた。
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ユミルが、声を上げた。
「**……六体目、岩の崩れの上から、こちらに飛び込んできます**」
「上か」
「**……はい。距離、上方七**」
岩の崩れの一番上から、リザードマンが、火の槍を構えて、降ってきていた。
ユミルが、両手を、上に向けた。
無数の岩が現れる。
「お、使えるんだったな」
「**……はい。使う場面が、あまり、なかったもので**」
「使い心地は」
「**……ブレスより、お手軽で、良いです**」
ユミルの両手の前に、砂漠の空気が、瞬間的に圧縮されて、塊になった、ように見えた。
岩は、上空のリザードマンに向かって、まっすぐに飛んだ。
連続だった。一発ではなかった。岩が、続けて、二発、三発、四発と、リザードマンに当たった。
リザードマンは、空中で、形が崩れていった。火の槍も、岩に当たって砕けた。地面に落ちる頃には、すでに、原形を留めていなかった。
「**……あと、一**」
ユミルが、低い声で言った。
両手を、下ろした。額に、わずかに、汗が浮いていた。
リンは、ユミルの方を、ちらりと見た。
「お前、便利だな」
「**……お役に、立てて、何よりです**」
ユミルは、わずかに、口の端を緩めた。
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七体目は、ロバ隊の冒険者の方に向かっていた。
冒険者風の男達のうち、サーベルを差していた一人が、前に出た。サーベルを抜いて、構えた。
七体目は、火の槍を構えていた。穂先で、炎が揺れている。
七体目が、槍を突き込んだ。
サーベルの男が、それを受け流した。受け流した刃の動きの延長で、サーベルが、リザードマンの首の脇に、滑り込んだ。
七体目の首が、地面に落ちた。
サーベルの男が、剣を振って、血を払った。
「片付いたな」
サーベルの男が、振り返って、リン達に言った。
「世話になった」
リンは、頷いた。
七体、終わっていた。
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戦闘が終わって、隊長が、リン達のところに走ってきた。
「あんた方、無事か」
「無事だ」
「助かった」
隊長が、倒れたリザードマンの一体に近づいて、屈み込んだ。それから、首を傾げた。
「妙だな」
「何が」
「リザードマンは、こんな数で襲ってくる種じゃない。それと、こいつらの槍だ」
隊長は、地面に転がった、半分に割れた火の槍を、指で示した。
「リザードマンが、槍を、お手製で作るのは、たまにある。だが、炎は」
「炎は」
「リザードマンは、火を、扱わん。鱗が、湿ってるからな。火を扱う種じゃない」
リンは、隊長の隣に屈んだ。
ユミルも、屈んで、リザードマンの胴を、しばらく見ていた。
リンは、ティルフィングで斬った三体目の方に、目を移した。
斜めに、二つに割れていた。
切断面が、赤い火明かりの中で、はっきり見えた。
「**……リン様**」
ユミルが、低い声で言った。
「ああ」
「**……あの、断面**」
リンは、頷いて、三体目の上半身の方に近づいた。屈んで、断面を覗き込んだ。
リザードマンの胸の中、肋骨の位置に、何かが見えた。
赤黒い、結晶のような塊だった。
魔石だった。
ティルフィングの一刀で、魔石ごと、斜めに切り裂かれていた。
切れた断面が、火明かりの中で、薄く光っていた。
リンは、息を吐いた。
「やっぱりか」
「やっぱり、とは」
隊長が、横で、聞いた。
「前にも、見たことがある。海の方で、襲ってきた敵にも、これが埋め込まれていた」
「埋め込み? 自然に出来たもんじゃないのか」
「自然じゃない。誰かが、やってる」
ユミルは、魔石の断面を、しばらく見ていた。
それから、口を開いた。
「**……リン様。これは、海の方の魔石とは、違います**」
「何が違う」
「**……断面の、結晶構造が、違います。海の方の魔石は、強化用でした。攻撃力、防御力、速度、そういう、基礎能力の底上げ**」
「これは」
「**……これは、能力付与、です**」
ユミルは、断面を、指で示した。
「**……ここに、火の魔法回路が、組み込まれています。リザードマンに、本来は無い、火の能力。この魔石が、リザードマンに、それを使わせていた**」
「魔石で、能力を、後付けしていた、ってことか」
「**……はい**」
リンは、しばらく、魔石の断面を見ていた。
「組織の手口が、変わったか、進化したか、だな」
「**……はい。海の時とは、段階が、違います**」
隊長が、口を開けたまま、固まっていた。
「**……あんた方、何の話をしてるんだ**」
「複雑な話だ」
リンは、立ち上がった。
「ミルラペトラに、入ってから、商業ギルドに報告した方がいい。それと、知り合いに、伝える」
「あんた方の知り合い、ってのは」
「先に、街に着いてる」
「分かった。俺は、ギルドに上げる」
リンは、頷いた。
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リンは、ティルフィングを、地面に立てたまま、しばらく見ていた。
刃は、火明かりの中で、わずかに光っていた。リザードマンの血は、ほとんど刃に残っていなかった。鱗の硬さも、骨の太さも、魔石の硬さすら、まるで無かったかのような切れ味だった。
リンは、剣の柄に、軽く手を添えた。
「ありがとう」
剣は、応えなかった。
それでも、リンは、もう一度言った。
「ありがとう。お前のおかげで、見えた」
剣は、応えなかった。
ユミルが、リンの隣で、頷いた。
「**……ティルフィングが、教えてくれました**」
「ああ」
「**……戦って、くれました**」
「ああ」
ユミルは、しばらく、剣を見ていた。
「**……主を、選んでくれている、のかも、しれません**」
「黙ったままでも、か」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
リンも、頷いた。
剣は、応えなかった。
それでも、リンは、剣を、腰の鞘に収めた。
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その夜、リンは、ほとんど眠らなかった。
ユミルも、ファーファの隣で、座ったまま、目を閉じていた。完全には、眠らない姿勢だった。
火を、隊員達が、もう一度大きくしていた。見張りの数も、増えていた。残りの夜は、二度と、敵は来なかった。
夜が明けて、ロバ隊が、ゆっくりと動き出した時、リンは、シークの方を、もう一度見た。
裂け目は、朝の光の中で、暗く、口を開けていた。
その先に、岩窟都市がある。
そして、そこに、魔石を埋め込み、能力を付与する者達が、すでに、入り込んでいる。
【了】




