199 渇いていく道
ロバ隊は、平原を、四日かけて進んだ。
最初の日は、緑の濃い草原だった。背の高い草が、ロバの腹のあたりまで伸びていて、街道の両側で、風に揺れていた。風が吹くたびに、草の波が、地平線の方まで伸びていく。ファーファは、ロバの背の上で、それを見ていた。
「**……主、草、海みたいニャ**」
「海、見たことあるのか、お前」
「**……ない、ニャ**」
「ないのに、海みたいって言うのか」
「**……ファーファ、知ってるニャ**」
「そうか」
リンは、それ以上は、聞かなかった。
ユミルが、わずかに、口の端を緩めた。
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二日目から、草の背丈が、低くなった。
最初の日に見た腰の高さほどの草は、徐々に、膝丈に変わっていった。緑の濃さも、薄くなっていく。乾いた黄色が、混ざりはじめていた。土の色も、黒っぽい色から、徐々に、明るい茶色に変わっていった。
水場が、徐々に少なくなった。ロバ隊は、街道沿いの井戸を頼りに進んでいた。井戸ごとに、ロバ達が水を飲み、水袋に水を補充する。クラケンが、ユミルの肩から、水袋に触手を伸ばしていた。
「**……主、クラケン、水、追加するニャ**」
「ありがたい」
「ぴゅ」
クラケンが、満足げに、触手を縮めた。
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三日目には、街道の両側に、点々と、灌木が見えるようになった。
緑の草原は、もう見えなかった。代わりに、土の上に、棘のある低木が、ぽつぽつと生えている。ロバ達は、その低木の葉を、嫌がらずに食べていた。乾燥に強い葉らしい。
ユミルは、ロバの背の上で、灌木を観察していた。
「**……葉が、厚いです**」
「乾燥地の植物だな」
「**……表面に、蝋のようなものが、あります。水分を、逃さない仕組みでしょう**」
「ヴァナールでは、見なかったな、こういうのは」
「**……はい。気候帯が、違います**」
ユミルは、頷いた。
それから、しばらく、灌木の方を見ていた。
「**……知らない、植物、です**」
「楽しいか」
「**……はい**」
ユミルは、笑った。
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四日目は、一日中、平原の終わりだった。
街道の両側の灌木も、徐々に、まばらになっていった。土の表面に、砂が混ざりはじめている。ロバ達の足跡が、砂の上に、はっきりと残るようになった。
巡礼者の女達が、ロバの背の上で、布で頭を巻きはじめた。商人達も、同じように、頭から布を被るようになっている。冒険者風の男達は、もう少し前から、布を巻いていた。
ロバ隊の隊長らしき男が、リンの隣に並んだ。
「あんた方も、頭を覆った方が良い。砂塵が、すぐそこだ」
「分かった」
リンは、ヘンリーから貰った布を、頭から巻いた。ユミルにも、同じように布を渡した。ユミルは、長い髪を、布の中に纏めて、首の前で結び目を作った。
「**……ファーファ、これ、嫌ニャ**」
ファーファが、頭を覆った布を、何度も外そうとしていた。
「砂が入ったら、目が痛いぞ」
「**……ファーファ、砂、平気ニャ**」
「耳に入ったら、痒くなるぞ」
「**……ニャ?**」
「鼻にも入る」
ファーファが、布を、両手で押さえた。
「**……ファーファ、布、巻くニャ**」
「そうしろ」
ユミルが、わずかに、肩を揺らして笑った。
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四日目の夕方、街道が、地形に当たった。
それまで地平線まで広がっていた平原が、突然、立ち上がっていた。岩の壁が、街道の正面に、聳えている。岩の壁は、左右に伸びていて、視界の限り続いていた。岩の色は、夕日を受けて、赤褐色に染まっている。
ロバ隊の前で、街道は、岩の壁に向かって伸びていた。岩の壁の一点に、裂け目が、見えた。
岩の壁を、刃で垂直に切り裂いたような、細い裂け目だった。幅は、ロバが二頭並んで通れるかどうか。両側の岩の壁が、頭上の遥か高くまで切り立っていて、上の方の空が、ほとんど見えない。街道は、その細い谷の中に、吸い込まれるように、続いていた。
ロバ隊の隊長らしき男が、リンの隣で、街道の先を指した。
「あれが、シークだ」
「あの裂け目を、抜けるのか」
「あの中を、半日歩く。岩の壁の、一番細い谷だ。出ると、ミルラペトラの近くに着く」
「自然に、できたものか」
「水が、長い時間をかけて、削った、と言われている。今は、水は流れとらん」
リンは、頷いた。
ファーファが、ロバの背の上で、口を開けていた。
「**……主、岩、立ってるニャ**」
「ああ」
「**……ファーファ、入る、ニャ?**」
「明日、入る」
「**……ニャ**」
ユミルは、岩の壁の裂け目を、しばらく見上げていた。
岩の壁が、地平線まで続いていた。夕日が、岩肌の上を、赤く照らしている。裂け目の中だけが、暗く、影になっていた。
「**……あの細い谷の、向こうに、あるんですね**」
「ミルラペトラだ」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
「**……岩を、削った、街、と聞きました**」
「砂漠のど真ん中らしい」
「**……砂漠の、岩窟都市**」
ユミルは、繰り返した。
それから、もう一度、シークを見上げた。
「**……明日、ですね**」
「ああ。明日だ」
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その夜、ロバ隊は、シークの手前で野営した。
岩の壁に風が当たって、街道沿いの広場には、あまり風が来なかった。ロバ達は、岩の根本に繋がれて、休んでいた。火が、いくつか焚かれて、隊員達と客が、その周りに座っていた。
リンは、火のそばで、地図を広げた。
ユミルが、隣に座った。
「**……シークを抜けて、どのくらいで、ミルラペトラに着きますか**」
「半日らしい。シークの中を進んで、街の入口に出る」
「**……街の中に、ロックがいる**」
「ああ」
「**……再会、ですね**」
「ヴァナールから、十二日。ロックは、十日ほどで先に着いたはずだ」
ユミルは、頷いた。
それから、火を見ていた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……ロック様の、個人的な用事、というのは、何でしょうか**」
「分からない」
リンは、地図を畳んだ。
「あいつは、何か、隠してる。それは、はっきりしてる。だが、契約は、全部を伝える契約じゃない、というのが、お互いの了解だ」
「**……はい**」
「ロックが、自分で話す気になるまで、待つ。それまで、こっちは、こっちの判断で動く」
「**……気長に、ですね**」
「気長に、だ」
ユミルは、頷いた。
ファーファが、火の向こうから、寄ってきた。
「**……主、ジャーキー、減ったニャ**」
「だから、早く食うなと言ったろ」
「**……ファーファ、食べたかったニャ**」
「砂漠の街で、補充するさ」
「**……砂漠、ジャーキー、あるニャ?**」
「あるはずだ」
「**……ニャ**」
ファーファは、納得したらしい。リンの隣に、ぺたりと座って、残ったジャーキーを、ゆっくり噛み始めた。
火が、岩の壁に、揺れる影を作っていた。
リンは、シークの方を、もう一度見た。
裂け目は、夜の闇の中で、さらに暗く見えた。
その先に、岩窟都市があるはずだった。
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火が、徐々に小さくなっていった。
ロバ隊の客の何人かは、すでに毛布にくるまっていた。商人達は、馬車の脇で、互いに背を寄せて、眠りに落ちていた。冒険者風の男達は、火のそばで、まだ、低い声で何か話していた。
ファーファが、リンの腕に、頭を預けていた。
「**……主、ファーファ、眠いニャ**」
「寝ていい」
「**……ジャーキー、明日、食うニャ**」
「明日な」
ファーファは、ジャーキーを腰の袋に戻すと、その場で丸くなった。クラケンが、ファーファの胸の上に、ちょこんと収まった。
ユミルが、火の脇で、軽く息を吐いた。
「**……今日は、長かった、ですね**」
「平原から、ずっと歩きづめだったからな」
「**……シークの入口の、空気が、頭に残っています。明日、抜けます**」
「ああ。明日、抜ける」
リンも、息を吐いた。
「もう寝るか」
「**……はい**」
リンは、地図を畳み終えて、毛布を引き寄せた。腰から剣を二本とも外して、自分の脇に並べて立てかけた。弓と矢筒を、毛布の脇に置いた。
ユミルも、毛布にくるまった。
ファーファは、すでに寝息を立てていた。
火が、さらに小さくなった。
岩の壁の影が、ゆっくりと、揺れていた。
ロバ達も、静かになっていた。
リンは、目を閉じた。
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ゴトン。
【了】




