197 ジャーキー教室
朝の光が、宿屋の窓の格子から、斜めに差し込んでいた。
リンは、寝台の縁に腰掛けて、装備を点検していた。弓弦の張りを確かめ、矢筒の本数を数え、剣の柄を布で拭く。ティルフィングは、寝台の脇に、自分の剣と並べて立てかけてあった。
ロバ隊の出発まで、まだ一時間ほどあった。
宿場の朝は、街道沿いから、徐々に人の声が聞こえ始めていた。商人達が、荷の積み込みをしている音。ロバ達が、低く鳴いている声。窓の外で、薪を割る音が、遠くから響いてきた。
ユミルは、卓の前で、薬包の最終確認をしていた。
ファーファは、寝台の上に、ジャーキーを並べていた。
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ファーファは、自分の腰の袋から、ジャーキーを四本取り出していた。
ヴァナールで買った干し肉、ヘンリーから貰った塩控えめの燻製肉、宿場で昨日買い足した山岳のジャーキー、そして昨夜の夕食で出された砂漠風の肉。種類の違う四本を、寝台のシーツの上に、行儀よく並べている。
それから、ニャルニルを、寝台の脇から引き寄せた。
「**……ニャルニル、温めてニャ**」
「**……うむ**」
ニャルニルが、答えた。鎚頭が、わずかに、赤く光り始めた。鉄の表面に、熱の波紋が走るように、温度が上がっていく。
ファーファは、ニャルニルの鎚頭を、ジャーキーの上に、軽くかざした。
ジャーキーから、香ばしい匂いが、立ち上り始めた。
リンは、装備の手を止めて、その様子を見ていた。
「お前ら、毎朝、それやってるな」
「**……ファーファ、温かい方が、好きニャ**」
「**……ファーファ様の、お好み、最優先**」
ニャルニルが、また同じことを言った。
リンは、息を吐いた。
ユミルが、卓の前で、わずかに、口の端を緩めた。
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ジャーキー四本が、温まった。
ファーファは、ニャルニルを脇に置いて、寝台の上のジャーキーを、もう一度並べ直した。
それから、寝台の脇に立てかけてあった剣の方を、見た。
ティルフィングだった。
ファーファは、寝台から降りて、ティルフィングの前に、ぺたりと座った。
「**……ティルフィング、ジャーキーは、こういうもの、ニャ**」
ファーファが、寝台の上の四本を、指で示した。
ティルフィングは、応えなかった。鞘に収まったまま、静かに立てかけられている。
「**……これが、ヴァナールの、ジャーキー、ニャ**」
ファーファが、最初の一本を、両手で持って、ティルフィングの方に向けた。
「**……塩、強めニャ。噛み応え、ありニャ**」
ティルフィングは、応えなかった。
「**……これが、ヘンリーの、ニャ**」
二本目を、ティルフィングに向けた。
「**……塩、控えめニャ。燻製、ニャ**」
「**……これが、宿場の、ニャ**」
三本目。
「**……山の方の肉、ニャ。脂、少ないニャ**」
「**……これが、砂漠の、ニャ**」
四本目。
「**……スパイス、効いてるニャ。ロックの、と、似てるけど、違う、ニャ**」
ティルフィングは、応えなかった。
ファーファは、しばらく、剣を見ていた。
それから、四本のジャーキーを、寝台のシーツの上に、並べ直した。
「**……ティルフィング、食べられないニャ**」
「**……うむ**」
ニャルニルが、寝台の脇から、また答えた。
「**……剣だから、口、無いニャ**」
「**……うむ**」
「**……でも、覚えて、おくと、いいニャ**」
ティルフィングは、応えなかった。
ファーファは、それでも、納得したらしい。並べたジャーキーのうち、ヴァナールの一本を、自分で取って、噛み始めた。
「**……ファーファ、これから、食うニャ**」
ティルフィングは、応えなかった。
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リンは、装備の点検を、もう一度始めていた。
「お前、毎朝、ティルフィングに、教えてるのか」
「**……ニャ**」
「いつから」
「**……ヴァナール、出てから、ニャ**」
「ずっとか」
「**……ファーファ、毎日、教えてニャって、頼まれた、ニャ**」
「誰に」
「**……ティルス、に**」
リンは、装備の手を止めた。
ユミルも、卓の前で、こちらを見た。
「ファーファ、いつ、ティルスに会った」
「**……夢の中、ニャ**」
ファーファは、ジャーキーを噛みながら、答えた。
「**……ティルス、ファーファに、お願いしたニャ。ティルフィング、寂しがり屋だから、毎日、声、かけてって**」
「**……夢、なんだな**」
「**……夢、ニャ**」
ファーファは、もう一度頷いた。
リンは、しばらく、ファーファを見ていた。
それから、寝台の脇のティルフィングを、見た。
剣は、応えなかった。
リンは、息を、ひとつ吐いた。
「ありがたいな」
「**……ニャ?**」
「いや。何でもない」
ユミルが、卓の前で、わずかに、頷いた。
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朝食の時間が、近づいていた。
宿屋の女将が、階下から、声をかけてきた。
「お客さん、朝飯、用意できとるよ」
「ああ。すぐ降りる」
リンは、装備を、まとめ始めた。
ファーファは、並べた残り三本のジャーキーを、自分の腰の袋に、丁寧に戻していた。
それから、ニャルニルを、もう一度、軽く撫でた。
「**……ニャルニル、ありがとうニャ**」
「**……うむ**」
ニャルニルが、答えた。鎚頭の赤い光は、すでに、消えていた。
ユミルが、薬包をまとめ終えて、立ち上がった。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……今日から、平原ですね**」
「平原から、砂漠だ」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
それから、寝台の脇のティルフィングを、しばらく見た。
「**……ティルフィングも、ジャーキーの種類、覚えたでしょうか**」
「分からん。でも、ファーファが教えたなら、何かは、入ったかもしれん」
「**……はい**」
ユミルは、わずかに、口の端を緩めた。
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リンは、自分の剣と、ティルフィングを、両方、腰の鞘に差した。左右に分けて、二本差しの形に。
弓を背負って、矢筒を腰に。
ファーファは、ニャルニルを担いで、クラケンを肩に乗せた。
ユミルは、薬包の袋を、肩から斜めにかけた。クラケンの触手が、ユミルの肩から、少しだけ外に出ていた。
部屋を出る前に、リンは、もう一度、振り返った。
寝台のシーツの上に、ジャーキーの香ばしい匂いが、わずかに、残っていた。
ファーファが、リンの隣で、リンを見上げた。
「**……主、行くニャ?**」
「行こう」
ファーファは、頷いた。
リンは、扉を、押した。
宿の階段が、下から、朝の光に照らされていた。
【了】




