192 雄鶏の本当の姿
翌日の昼下がり。
ロックの部屋は、午後の光が窓から斜めに差し込んでいた。茶の香りが、部屋の隅々まで、ゆっくりと広がっていた。
ロックが茶を淹れていた。湯気が、卓の上で細く立ち昇っていた。レヴィが肩で羽を整えていた。
リンとユミルが向かいに座った。ファーファは床に袋を置いて、ジャーキーを齧っていた。ニャルニルがその隣に立てかけられ、クラケンはユミルの肩で目を閉じていた。
ファーファが袋からジャーキーをもう一本取り出して、ロックに差し出した。
「**……ロック、ジャーキー、ニャ**」
「ありがとう」
ロックがそれを受け取って、噛んだ。
「美味い」
「**……うん、ニャ**」
レヴィが肩で首を傾けた。
「**……ダンナ、わしには、ないのか**」
ファーファが視線をレヴィに移した。
「**……レヴィ、雄鶏、ジャーキー、食べる、ニャ?**」
「**……雄鶏でも、食えるものは、食う**」
「**……うーん、ニャ**」
ファーファの眉が、わずかに寄った。何かを真剣に考えている顔だった。
「**……雄鶏、ジャーキー、食べると、共食い、ニャ?**」
ロックが茶を吹いた。
「**……お前**」
レヴィが羽を一度、大きく膨らませた。
「**……ファーファ殿、わしは、雄鶏では、ない**」
「**……でも、見た目、雄鶏、ニャ**」
「**……見た目に、惑わされるな**」
リンの口の端が、少しだけ緩んでいた。ユミルもわずかに口元が動いていた。
ファーファは結局、ジャーキーをレヴィの前にも一本置いた。
「**……レヴィ、ジャーキー、ニャ**」
「**……ありがたい**」
レヴィが嘴で軽く齧った。
「**……ふむ、雄鶏でも、悪くない**」
「**……共食い、ニャ?**」
「**……ファーファ殿、もう、よい**」
※
茶の香りが、部屋を満たしていた。
「ファーファ、お前、よく喋るな」
「**……ニャ?**」
「いつも、ジャーキー食べてるのに、今日は、よく喋る」
「**……ファーファ、楽しい、ニャ**」
「**……皆、いる、ニャ**」
ロックの目が、ユミルの方に向いた。
「お嬢さん、ファーファは、いつも、こんな感じか」
「**……はい**」
「楽だな」
「**……はい**」
リンが茶を一口飲んだ。
「うるさいぐらいでちょうどいい」
ロックの口の端が、わずかに緩んだ。
「俺はよく、レヴィに、うるさいって言われる」
「**……ダンナの方が、よっぽど、うるさい**」
「お前、うるさい」
「**……ほら、これだ**」
ファーファがロックを、下から見上げた。
「**……ロック、うるさい、ニャ?**」
「ファーファ、お前まで」
「**……でも、ファーファ、ロック、好き、ニャ**」
ロックの手が、止まった。
しばらく、ファーファの方を、見ていた。
「**……ありがとう**」
短い声だった。
「**……ダンナ、ファーファ殿に、好かれるとは、お主、運が、よい**」
「うるさい」
「**……ほら、これだ**」
リンの口元が、また緩んでいた。
※
ユミルが、ふと口を開いた。
「**……ロック様**」
「ああ」
「**……雄鶏は、長生き、ですか**」
ロックが茶碗を、ゆっくり卓に置いた。レヴィの方に、目を向けた。
「**……お嬢さん、わしは、雄鶏では、ない**」
「**……失礼、しました**」
ユミルは目を伏せた。
ロックが、わずかに口の端を緩めた。
「いや、見た目は完全に雄鶏だから、仕方ないよ」
「**……お嬢さん、わしの本来の姿は、別にある**」
ユミルが目を上げた。
「**……別の姿、ですか**」
「**……うむ**」
ファーファがレヴィを見た。
「**……レヴィ、人に、なれるの、ニャ?**」
「**……なれるが、面倒よ**」
「**……見たい、ニャ**」
「**……ふむ。まあ、よかろう**」
ロックが茶を一口、含んだ。
「久しぶりだな、その姿」
「**……ダンナ、たまにはな**」
レヴィがロックの肩から、軽く飛んだ。部屋の中央に降り立った瞬間、淡い光が雄鶏を包んだ。光は数瞬で消えた。
そこに、十二歳ほどの少年が立っていた。眼鏡をかけ、半身を覆うマントを羽織っていた。学者風の佇まい。地味だが、整った顔立ちだった。目つきだけは、雄鶏の時と、同じ鋭さを残していた。
「**……これで、よいか**」
声は雄鶏の時より少しだけ高かった。だが、口調は変わらなかった。
ファーファが立ち上がって、レヴィの隣に並んだ。頭を比べるように、寄せた。
レヴィがファーファを見下ろした。
「**……お主のほうが、少し、背が低い**」
「**……ニャ?**」
「**……数センチ、わしの方が、大きい**」
ファーファが、自分の頭の上に手を置いた。レヴィの頭の上にも置いた。手のひらが、確かに数センチ違っていた。
「**……ほんと、ニャ**」
ファーファの頬が、わずかに膨らんだ。
「**……ファーファ、まだ、伸びる、ニャ**」
「**……それは、楽しみじゃな**」
リンが、少年姿のレヴィを、しばらく眺めていた。
「眼鏡か」
「**……雄鶏の目より、こちらが、見やすいのよ**」
「お前、眼鏡、必要なのか」
「**……雰囲気、じゃ**」
「正直すぎるだろ」
ユミルがレヴィを、静かに見ていた。
「**……お似合いです**」
「**……お嬢さん、ありがとう**」
ファーファが袋からジャーキーを取り出して、レヴィに差し出した。
「**……レヴィ、ジャーキー、ニャ**」
「**……いただこう**」
レヴィが少年の手で受け取って、齧った。
「**……うむ、人の口は、味が、よく分かる**」
「**……うん、ニャ**」
ロックが茶を一口飲んだ。
「ファーファ、すぐに仲良くなるな」
「**……ジャーキー、食べる、人、いい人、ニャ**」
「単純だな」
レヴィが、また淡い光に包まれた。光が消えると、雄鶏に戻っていた。ロックの肩に収まり直した。
「**……人の姿は、肩が、こる**」
「短いな」
「**……雄鶏が、楽じゃ**」
ファーファが、雄鶏のレヴィを見上げた。肩の上のレヴィの目線は、ファーファより少しだけ高かった。
「**……雄鶏でも、ファーファより、上、ニャ**」
「**……まあ、当然じゃ**」
「**……むぅ**」
ロックが口の端を緩めた。
「ファーファ、レヴィに勝てると思うなよ」
「**……ファーファ、伸びる、ニャ**」
「お前、古竜だろ。伸びるのか?」
「**……人化、伸びる、ニャ**」
「ふん」
リンが茶碗を、空にした。
「ロック」
「ああ」
「お前、組織にいた頃、面白い話、ないか」
「面白い話?」
「失敗談、とか」
ロックが茶碗を、卓に置いた。レヴィが肩で、低く笑うような音を立てた。
「**……ダンナ、いっぱい、あろう**」
「うるさい」
「**……変装、雑で、バレかけた話、しなさるか**」
「お前、それを言うな」
「**……いや、面白いから、聞かせよう**」
ロックが、息を一つ吐いた。
「分かった、話す」
※
「五年前、ある国で、貴族の屋敷に、潜入することがあった」
ロックが茶を淹れ直した。湯の音が、しばらく続いた。
「変装は、執事だった。鬘を被ってな」
「**……あの鬘、ひどかった**」
「うるさい、レヴィ。話してるのは俺だ」
「**……すまん**」
「執事として、最初の三日は、上手くいった」
「四日目に?」
「ああ。当主の前で、お辞儀をした時に、鬘がずれた」
リンが茶を吹いた。
ファーファの目が、丸くなった。
「**……鬘、ずれた、ニャ?**」
「ああ。当主が、俺の頭を、見て、固まってた」
「で、どうした」
「**……ダンナ、何と、言ったか、覚えとるか**」
「うるさい、レヴィ」
「**……『失礼、髪が、軽くて』、と、言ったな**」
リンが声を出して笑った。ユミルもわずかに、口の端を緩めていた。
ファーファが、両手を、ぱちんと叩いた。
「**……髪、軽い、ニャ**」
「ファーファ、笑うな」
「**……ロック、面白い、ニャ**」
ロックが、自分の茶碗を、見ていた。
「**……笑え、笑え**」
レヴィが肩で、淡々と続けた。
「**……当主は、結局、笑って、許した。ダンナのことを、面白い執事、として、気に入ったのよ**」
「で?」
「**……三ヶ月、屋敷で、過ごした。情報も、十分、取れた**」
「鬘ずれが、怪我の功名か」
「ああ。だから、変装の時に、たまに、わざと、鬘をずらす」
「嘘だろ」
「いや、本当だ」
リンが、また口の端を緩めた。
「お前、適当だな」
「適当だから、長生きしてるんだよ」
「**……それは、否定できぬ**」
※
ファーファが、ジャーキーを齧り終えて、立ち上がった。
壁際の剣に、近づいた。立てかけられたティルフィングの鞘に、しゃがんで顔を寄せた。
「**……ティルフィング、起きろ、ニャ**」
返事はなかった。
「**……ファーファ、声、聞こえる、ニャ?**」
返事はなかった。
ファーファの頬が、また膨らんだ。
ニャルニルが、わずかに揺れて、ファーファの隣に動いた。鎚頭で、ティルフィングの鞘を、軽く小突いた。
返事はなかった。
「**……ニャルニル、知り合い、ニャ?**」
「**……戦の場で、何度か**」
ニャルニルの声は、低く、短かった。
「**……仲、よかった、ニャ?**」
「**……まあまあ、だ**」
「**……今、起きないの、なぜ、ニャ?**」
「**……主を、決めかねている、のだろう**」
「**……ふーん、ニャ**」
ロックが茶を、淹れ直していた。
「ティルフィング、頑固でね」
「**……ロック、知ってる、ニャ?**」
「ティルス殿の隣で、何度も、見てる」
「**……喋ってた、ニャ?**」
「ああ。戦闘中は、特に、うるさかった」
ロックが茶碗を、卓に置いた。
「『次、左、回り込む』『右、警戒』『敵、三人、後ろ』、ずっと、報告してた」
「**……便利、ニャ**」
「ティルス殿は、ティルフィングを、信頼してた。ティルフィングも、ティルス殿を、信頼してた。だから、今、静かなんだろう」
リンが、剣の方を、見ていた。
「気長に、やる」
「**……はい**」
ファーファがティルフィングの鞘を、もう一度、覗き込んだ。
「**……ファーファ、毎日、声、かける、ニャ**」
「ありがたい」
※
午後の光が、ゆっくりと傾いていた。
ロックが茶を、また淹れた。蝋燭を灯すには、まだ早かった。
しばらく誰も何も言わなかった。
ファーファのジャーキーを噛む音だけが、静かに続いていた。
「こういう、時間、いいな」
ロックの声は、低かった。
「ああ」
「組織にいた時、こういう、時間は、なかった」
「ふん」
「ありがとう」
「いや」
リンが茶を口に運んだ。
「俺の方こそ」
ロックは茶碗を、両手で包んだ。
「明後日、先に、出る」
「ああ」
「ミルラペトラで、待ってる。無理は、するなよ」
「お前もな」
午後の光が、卓の縁を、ゆっくりと横切っていた。
ー了ー




