191 返信アリ
朝のギルド舎は、まだ人がまばらだった。
ロックの部屋に通されると、卓の上に魔石が置かれていた。親指の先ほどの大きさ、淡い青の光が、明け方の薄い光の中で静かに脈打っていた。
ロックは茶碗を両手で包んでいた。レヴィが肩で羽繕いをしていた。寝起きの目をしていた。
「来た」
ロックの声は低かった。
「いつ」
「夜半過ぎ。寝てる時に、起こされた」
「向こうも、夜にしか動かないのか」
「決まりはない。連絡係の習慣だな」
ロックは魔石を軽く指で押した。光が一瞬強くなって、また落ち着いた。
「で、内容だ」
「ああ」
ロックの口元が、少しだけ硬くなった。
「言える範囲で、伝える」
「全部じゃないのか」
「全部、伝える契約じゃない」
リンは黙ってロックを見ていた。
「俺の判断で、伝えるべきところを、伝える」
「ふん」
「そういう、契約のはずだ」
部屋に、しばらく沈黙が落ちた。
茶器の湯気が、ロックの掌の上で、細く立ち昇っていた。
「ああ。そうだったな」
リンの声に、ロックが息を吐いた。
「悪く思わないでくれ」
「いや」
「お前の判断を、信用する」
「助かる」
※
ロックが茶を一口、口に運んだ。
「やることが、できた」
「ああ」
「砂漠の街に、仲間がいる」
「組織側の?」
「いや」
ロックは首を横に振った。
「俺の個人的な繋がりだ」
「ふん」
「合流したい」
「お前一人で、行くのか」
「先に出る。そっちの仲間と、話しておきたいことがある」
「現地集合か」
「ミルラペトラの街で、合流しよう」
ユミルがリンの隣で、わずかに息を吸った。
「**……ミルラペトラ、ご存知ですか**」
「ああ」
ロックの口の端に、わずかに笑みが浮かんだ。
「砂漠のど真ん中にしては、良い街だよ」
「**……」
「お嬢さん、行きたい街、だったんだろ」
ユミルは目を伏せた。
「**……はい**」
「奇遇だな。俺も、行きたい街、だ」
リンは卓の木目を見ていた。
「ロック」
「ああ」
「お前の用事と、俺たちの行先、関係あるのか」
「あるかも、しれない」
ロックの声は、平らだった。
「合流したら、答え合わせ、しよう」
「分かった」
※
部屋の窓から、朝の光が射し始めていた。
「いつ、出る」
「明後日には、発ちたい」
「早いな」
「組織が、俺の動きを待ってる。あまり長居すると不審に思われる」
「お前らは?」
「街の挨拶回りがある。三日、欲しい」
「いいよ。先に出てる」
ロックは茶碗を置いた。
「俺は馬で行く。山岳越えで半月。お前らは?」
「同じく、馬車で山岳越え」
「途中で追いつかれるな」
「追いつくな」
ロックの口の端が、また緩んだ。
「無理はしない。砂漠到着、二十日後と見ておく」
「ああ。俺も同じくらいだ。先に着いて、待ってる」
「ミルラペトラのどこで」
ロックは少し考えた。
「街の中央に、大きなファサードがある。岩を削って作った広場だ。そこで待ち合わせる、と伝言を残しておこう」
「分かった」
※
ロックの部屋を出ると、ギルド舎の廊下は、朝の光で薄く明るかった。
階段の踊り場で、リンが立ち止まった。
「ユミル」
「**……はい**」
「あいつ、何か隠してるな」
「**……はい。返信の内容、すべては共有されていません**」
「分かるか」
「**……ですが、ロック様の信用は、変わっていない、と私は判断します**」
「俺もだ」
リンは廊下を歩き出した。階段を降りた先に、朝の街の音が、薄く聞こえていた。
「契約通りだ。あいつの判断を信用する。だが、警戒は緩めない」
「**……はい**」
ファーファが袋を抱え直して、リンの後ろをついてきた。
「**……主、ロック、信用、ニャ?**」
「半分、信用してる」
「**……半分、ニャ?**」
「残りは、これからだ」
「**……ファーファも、同じ、ニャ**」
ファーファは納得したように頷いた。
「だが、ジャーキーは配ってるんだろ」
「**……うん、ニャ。ロック、ジャーキー、好き、ニャ**」
「半分の信用には、ジャーキーで十分か」
「**……うん、ニャ**」
ユミルの口元が、わずかに緩んだ。
クラケンが、ユミルの肩で目を開けた。
「**……ぴゅ**」
短い、寝ぼけたような声だった。
※
宿の部屋に戻ると、ユミルが卓に地図を広げた。
ヴァナールから、ミルラペトラまでのルート。山岳地帯を抜けて、森林、平原、草木が減って、砂漠。地図の右下、岩肌に削り込まれたペトラの街が、小さな絵で示されていた。
「**……山岳の出口のあたりに、温泉があります**」
「温泉」
「**……はい。地元の伝承では、霊験あらたか、と**」
「ちょうど休憩にいい場所だな。立ち寄ろう」
「**……はい**」
ファーファが地図の隅から覗き込んだ。鼻先が、紙の上に近づいた。
「**……砂漠、暑い、ニャ?**」
「ああ。たぶん、暑い」
「**……ファーファ、毛皮、ある、ニャ**」
「人化すれば、楽だろ」
「**……うん、ニャ**」
ファーファはしばらく地図の砂漠の方を見ていた。
「**……オアシス、水浴び、できる、ニャ?**」
「ああ、そう書いてある」
「**……いい、ニャ**」
ファーファは満足げに頷いて、また自分の場所に戻った。
「**……三日後、出立で、よろしいですか**」
「ああ」
「**……グレン様、ローズ様、トビー様、ヘンリー様、ヴィレム様、それぞれに、挨拶、必要、です**」
「明日、明後日で頼む」
リンの視線は、地図の上の砂漠の方を、しばらく辿っていた。
「ミルラペトラ、か」
「**……はい**」
「行ってみるか」
「**……はい**」
※
ユミルが地図を巻いて、棚に戻した。
リンは椅子の背にもたれた。窓の外で、午後の光が傾き始めていた。
「ロックの、用事」
「**……はい**」
「何だと、思う」
ユミルは少し考えた。
「**……分かりません**」
「ふん」
「**……ですが、ロック様の判断を信用する、と、リン様は決めました**」
「ああ」
「**……それで、十分、です**」
「だな」
ファーファがクラケンに、ジャーキーを一本差し出した。クラケンが小さな足で抱えるようにして、齧り始めた。
「**……ジャーキー、皆、好き、ニャ**」
満足げな声だった。
蝋燭はまだ灯っていなかった。日が暮れるまでには、まだ間があった。
剣は壁際で、リンの剣と並んで、静かに立てかけられたままだった。
ー了ー




