190 先代の竜
# 第百八十九話 先代の竜
夜、宿の部屋。
蝋燭の灯りが揺れていた。
ファーファとニャルニルとクラケンは、隣の部屋で寝ていた。
リンとユミルが、卓を挟んで座っていた。
リンは、ユミルを見た。
「何か、あったか」
「**……いえ**」
リンはそれ以上聞かなかった。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「**……リン様**」
ユミルが口を開いた。
「ああ」
「**……今日の、ロック様の話、シギ様、という方**」
「ああ」
「**……おそらく、先代の竜の、作った、エージェント、です**」
リンは、ユミルを見た。
「先代の」
「**……はい**」
「ファーファみたいな、もんか」
「**……そうです**」
ユミルは頷いた。
「**……私は、先代の竜の、知識を、継いでおります**」
「ああ」
「**……だから、シギ様が、どういう、人物だったか、分かって、しまいます**」
ユミルは目を伏せた。
「**……私よりも、人の心を、理解していた、みたいです**」
リンは、ユミルを見ていた。
しばらくして、口を開いた。
「ユミルは、まだ、可愛いもんな」
「**……**」
ユミルは何も言わなかった。
目を伏せたまま、動かなかった。
リンは口の端を緩めた。
「だから、ロックの話を聞いて、どうしていいか、分からなかったんだろ」
「**……はい**」
短い声だった。
「**……分かって、しまうから、苦しい、です**」
「ああ」
リンは頷いた。
「黙ってて、正解だ」
「**……」
「お前が、何か言えば、ロックは、もっと、苦しんだ」
ユミルは目を上げた。
リンを見た。
「**……そう、でしょうか**」
「ああ」
「お前は、聞いた。それで、いい」
ユミルはしばらく、リンを見ていた。
それからゆっくり頷いた。
「**……はい**」
「**……ありがとう、ございます**」
ユミルはわずかに息を吐いた。
肩の力が抜けた。
隣の部屋で、ファーファが寝返りを打った。
「**……ニャ……**」
寝言だった。
ユミルがわずかに口の端を緩めた。
リンも口の端を緩めた。
蝋燭の灯りが揺れていた。
※
朝、ギルド舎。
奥の部屋に、面々が揃った。
グレン、ザク、ローズ、トビー、ガルム。それから、ロックと、肩のレヴィ。
リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン。
ロックは、手枷を外されていた。腕を、軽く回していた。
「楽になったよ」
「ああ」
リンは頷いた。
「ロックの提案、受ける」
部屋が、わずかに緊張した。
グレンが、ゆっくり頷いた。
「決まったか」
「ああ」
「リン殿の、判断を、信ずる」
ローズも頷いた。
「商業ギルドとしても、賛同いたします」
トビーは扉の脇で、姿勢を正した。
「冒険者ギルド、了解だ」
ガルムは、扉の反対側で、短く頷いた。
ロックが、リンを見た。
「ありがとう」
「礼は、まだ早い」
「ああ、そうだな」
ロックは、口の端を緩めた。
※
「文面を、書こう」
ロックがそう言って、紙を手にした。
ローズが、墨を用意した。
ロックは、しばらく卓を見ていた。
それから、書き始めた。
文字が、ゆっくり、紙に並んだ。
書き終えて、紙を、卓の中央に置いた。
リンが、横から読んだ。
ローズも、覗き込んだ。
トビーも、後ろから見た。
> 標的勢力への潜入、成功。
> 裏切り者を装い接触、内部情報の収集体制を確保。
> 攪乱目的の偽情報、流出済み。
> 以後、継続的に情報入手可。
>
> 同行の女魔道士、能力詳細未判明。
> ただし当組織の能力体系に精通している様子。要警戒。
> 当該一名を除き、構成員の脅威度は低し。
>
> 引き続き調査を継続する。
リンは、しばらく文面を見ていた。
「『当該一名を除き、構成員の脅威度は低し』」
「ああ」
リンは口の端を緩めた。
「ファーファに聞かせない方が、いい文面だな」
「ああ、そうだろうね」
ロックも口の端を緩めた。
ファーファは部屋の隅で、ジャーキーを齧っていた。
聞いていなかった。
ローズが、低く笑った。
「『同行の女魔道士、能力詳細未判明』」
ローズが、ユミルを見た。
ユミルは、わずかに目を伏せた。
ローズの口の端が、ほんの少し緩んだ。
「**……これは、嘘では、ありませんね**」
ユミルが、低く返した。
ローズが頷いた。
「ええ、嘘ではない、だから、効きます」
リンは、文面を、もう一度見た。
「いいだろう。送れ」
「ああ」
ロックは、机の上の二つの魔石のうち、自分のものを取り上げた。
掌で、軽く包んだ。
魔石が、淡く光った。
ロックは、目を閉じて、しばらく待った。
光が、消えた。
「送った」
「ああ」
「返信は、いつ来る」
「分からん。早ければ数日。慎重なら、数週間」
「ふん」
リンは頷いた。
「待つ」
※
「で、釣り出しの話だが」
ロックが、椅子に座り直した。
「これは、難しい」
「やはりか」
「ああ。十二柱は、互いに警戒している。一人を釣るのは、簡単じゃない。下手に動けば、組織全体が警戒態勢に入る」
ロックは、卓を見た。
「だが、対策は練れる」
「対策」
「ああ。組織が次に動く時、その情報が、俺経由で、こちらに入る。動きが分かれば、迎え撃てる」
「向こうから来るのを、待つということか」
「そうだ」
リンは頷いた。
「分かった」
「**……それで、いい**」
ローズも頷いた。
「商業ギルドとしても、街を再び危険に晒すような能動的な動きは、避けたい」
グレンが、低く付け足した。
「街は、まだ、傷を負ったばかりだ」
「ああ」
リンは頷いた。
※
「もう一つ」
ロックが、続けた。
「ティルス殿の、エージェントを、回収しておきたい」
部屋が、静かになった。
「エージェント」
リンが聞き返した。
「ああ。ティルス殿は、装備を、持っていた。組織の、装備だ。捕縛時に、押収されてるはずだ」
ロックは、ローズを見た。
「商業ギルドの、押収品の中に、剣が、あるはずだ」
ローズは頷いた。
「ええ、ございます。ティルス様の、佩いていた剣」
「それだ」
「あれが、エージェント、なのですか」
「ああ」
ローズが、低く息を吐いた。
「気付きませんでした」
「気付かないように、できてる」
ロックは、口の端を緩めた。
「組織が再起動する前に、こちらで確保しておこう」
リンは頷いた。
「分かった」
※
その日の昼、ヴィレムから連絡が来た。
「兄に、最後に、会いたい」
リンは、トビーから、その伝言を、受けた。
「会わせるか」
「ああ」
「立ち会うか」
「ああ」
リンは、ユミルを、見た。
ユミルは、頷いた。
※
牢屋は、ギルド舎の地下にあった。
石の階段を降りた先、鉄格子の並んだ廊下。
ティルスの牢は、奥の一つだった。
トビーが、扉を開けた。
ヴィレムが、先に、中に入った。
リンとユミルは、扉の前で、待った。
ティルスは、藁の上に、座っていた。
捕縛から数日経って、髭が伸びていた。だが、目は澄んでいた。
ヴィレムが、鉄格子の前に、立った。
しばらく、何も言わなかった。
ティルスも、何も言わなかった。
ヴィレムが、口を開いた。
「兄上」
「**……ヴィレム**」
ティルスが、低く返した。
ヴィレムは、しばらく、兄を見ていた。
ティルスも、弟を見ていた。
ヴィレムが、目を、閉じた。
それから、開いた。
「**……兄上**」
「**……」
「**……」
「**……すまない**」
ティルスが、それだけ、言った。
ヴィレムは、息を、止めた。
それから、ゆっくり、吐いた。
「**……はい**」
短い声だった。
ティルスは、もう一度、頭を下げた。
それきり、顔を、上げなかった。
ヴィレムも、何も、言わなかった。
しばらく、二人とも、動かなかった。
ヴィレムが、ようやく、頭を下げた。
「**……兄上、お元気で**」
ティルスは、頷いた。
顔は、上げなかった。
ヴィレムは、牢を、出た。
トビーが、扉を、閉めた。
※
階段を、上がる途中。
ヴィレムが、踊り場で、立ち止まった。
リンも、ユミルも、立ち止まった。
ヴィレムは、しばらく、壁を、見ていた。
それから、リンを、見た。
「リン殿」
「ああ」
「**……お預け、したいものが、あります**」
「ああ」
ヴィレムは、廊下の隅に、立てかけてあった、長い包みを、取った。
布で、巻かれていた。
両手で、リンに、差し出した。
「**ティルフィング**」
「ああ」
「**兄の、剣だ**」
「ああ」
「**兄には、持たせられない**」
リンは、ヴィレムを、見た。
ヴィレムは、続けた。
「**……兄が、これからも、人で、いられるように**」
「**……分かった**」
リンは、両手で、受け取った。
ずしりと、重さがあった。
「**リン殿に、お預けします**」
「**ああ**」
ヴィレムは、深く、頭を下げた。
「**……どう、お使いになっても、構いません**」
「ああ」
「**……ただ、兄の、もとには、戻さないで、ください**」
「**……分かった**」
ヴィレムは、もう一度、頭を下げた。
それから、階段を、上がっていった。
リンは、包みを、抱えたまま、ユミルを、見た。
ユミルは、目を、伏せていた。
「**……エージェント、です**」
「ああ」
「**……強い、能力を、持っています**」
「ああ」
リンは、包みを、抱え直した。
「持って帰ろう」
「**……はい**」
※
宿の部屋。
リンは卓の上に包みを置いた。
布を解いた。
長剣だった。鞘は黒。柄は深い赤茶。
リンは柄を握った。
剣を鞘から抜いた。
刃は磨かれていた。光を淡く跳ね返した。
リンはしばらく刃を見ていた。
ファーファが袋を抱えてリンの足元に来た。
「**……主、剣、ニャ?**」
「ああ」
「**……ファーファ、知ってる、剣、ニャ**」
リンはファーファを見た。
「**……ティルフィング、ニャ。あの男の、剣、ニャ**」
「ティルフィング」
リンが、その名を、口にした。
「**……うん、ニャ**」
ファーファは剣をしばらく見ていた。
「**……全然、しゃべらなく、なった、ニャ**」
リンはファーファを見た。
「喋るのか、こいつ」
「**……戦ってる時、しゃべってた、ニャ**」
「ふん」
「**……うるさかった、ニャ**」
リンは口の端を緩めた。
「うるさかったのか」
「**……うん、ニャ**」
ファーファは頷いた。
「**……あの男と、組んで、戦ってた、ニャ**」
「ああ」
「**……でも、今、静か、ニャ**」
リンは剣を見た。
「**ティルフィング**」
声をかけてみた。
返事はなかった。
「**……お前、聞こえてるんだろ**」
返事はなかった。
リンはしばらく刃を見ていた。
それから鞘に戻した。
「**……ま、いいか**」
ユミルが横で見ていた。
「**……時間が、必要、です**」
「ああ」
「**……ティルス様への、忠誠が、残っております**」
「ああ、そうだろうな」
リンは剣を布で巻き直した。
部屋の壁際に、自分の剣と並べて、立てかけた。
「気長に、やる」
「**……はい**」
ファーファは自分の場所に戻って、ジャーキーを齧り始めた。
ユミルが、リンを、見た。
「**……組織から、返信が、来ましたら、お知らせ、します**」
「ああ」
「**……それから、リン様**」
「ああ」
「**……次の、目的地、ですが**」
リンはユミルを見た。
「ああ」
「**……砂漠の方向、です**」
「ああ」
「**……ミルラペトラ、という、街、です**」
「ふん」
「**……地図、確認しておきます**」
「頼む」
リンは卓に座った。
蝋燭の灯りが、揺れていた。
剣は壁際で、自分の剣と並んで、静かに立てかけられたままだった。




