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187 夕食会にて


街の食堂は夕刻に貸し切りになった。


商業ギルドの差配だった。バザールの一筋裏、石造りの古い店。看板に焼き印の山羊。窓辺の蝋燭が店の外まで光を漏らしていた。


奥の長卓に人が集まっていた。


リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン。


向かいの席にグレン、ザク、ローズ、ヘンリー、トビー。


クララは父の隣で肩を縮めて座っていた。


ファーファは入ってきた時から大きな麻袋を抱えていた。


リンの隣の床に、その袋をどさりと置いた。


「**……ファーファ、ジャーキー、配る、ニャ**」


小さな声だった。


リンは何も言わなかった。


ユミルは椅子を引いてリンの横に座った。


     ※


グレンが最初に口を開いた。


老齢の山羊獣人は卓の中央でわずかに頭を下げた。


「此度の働き、感謝する」


低く短い声だった。


「街は明日から、少しずつ、息を吹き返すだろう」


リンは軽く頷いた。


「いえ」


「礼は十分ではない。だが、まず、礼を述べさせてもらいたい」


ザクがグレンの隣で深く頭を下げた。


「領主代行として、改めて御礼を」


ローズも続けて頭を下げた。


「商業ギルドからも御礼を申し上げます。我々の積年の問題が、ようやく動きました」


ヘンリーが深く頷いた。


「うちの娘の命も助けられた。それも合わせて」


クララが卓の下で膝の上の手を握った。


ファーファが袋からジャーキーを一束取り出した。


ヘンリーの隣まで歩いてクララの前に差し出した。


「**……ジャーキー、ニャ**」


クララの耳がぴくりと動いた。


「あ、……あ、ありがとう、ございます」


声が上ずった。


ファーファはそれだけで満足したように自分の席へ戻った。


リンは横目で見ていた。


ユミルも見ていた。


何も言わなかった。


     ※


料理が運ばれてきた。


山岳の鳥の蒸し焼き、根菜の煮込み、固いパン、薄い葡萄酒。


トビーが自分の杯を軽く卓に置いた。


その音が少し大きかった。


「……気付くのが、遅かった」


低い声だった。


普段のハキハキした補佐の口調ではなかった。


「ティルス様の下にずっといて、それで何も気付けなかった」


トビーは卓の木目を見ていた。


「……街、守りたい、それだけだったのに」


ローズが静かに杯を置いた。


「気付けたかどうか、と問われれば、私たちも同じです。違和感はありました。捜査が長引くたびに。貿易の議論が止められるたびに」


ローズの声は低くて滑らかだった。


「ですが、信任を疑うところまでは行けなかった。あの方は領主の信任が厚かった」


ヘンリーが続けた。


「商人の側でも苛立っていただけだ。貿易が止まる、と文句を言うだけ。あの方が敵だなんて、考えもしなかった」


ザクが首を横に振った。


「亡くなった命もある」


短い声だった。


「街の子供も何人か。捜査が追いつかなかったとティルス様は繰り返しおっしゃっていた」


ザクは一度目を伏せた。


「我々はそれを信じていた」


グレンが低く言った。


「死んだ者は戻らん」


卓が静かになった。


「だが、生きている者をこれ以上出さぬようにする。それが領主としての責だ」


ファーファがグレンの前にジャーキーを差し出した。


「**……ジャーキー、ニャ**」


グレンは一拍止まった。


それから節くれ立った手でそれを受け取った。


噛んだ。


「……硬いな」


短く言った。


ザクが軽く吹き出した。


ファーファはそれだけでまた自分の席へ戻った。


ローズがグレンを見た。


口の端がわずかに緩んだ。


それからまた表情を戻した。


「我々の側も責があります。商業ギルドとしてもっと早く声を上げるべきでした」


ローズの声は自分への問いに変わっていた。


「『どうせティルス様が止める』。そう諦めて議題にすらしなかった議事録が、何度もある」


リンは葡萄酒を口に運んだ。


何も言わなかった。


     ※


ローズが姿勢を戻した。


「リン様。ロックと名乗った男のことですが」


リンは頷いた。


「ああ」


「処遇をどうお考えですか」


「もう一度、話を聞こう」


リンは杯を置いた。


「それから決める」


トビーが顔を上げた。


「アイツ、信用、できんのか」


「まだ、信用したわけじゃない」


リンは卓を見た。


「だが、聞かないことには決められない」


ヘンリーが低く唸った。


「あの男、商人の目から見ても底が読めん。捕まったのも、あの男の計算のうち、と見える」


「ああ」


リンは頷いた。


「だから、もう一度聞く」


グレンがゆっくり頷いた。


「話を聞いてから決める。それでよい」


「……騙されないようにしたい」


ザクが低く付け足した。


「あの男、言葉が上手い。聴取の場には複数の耳が必要だ」


「ああ」


ローズが続けた。


「商業ギルドからも立会人を出します。聴取の日取りが決まり次第お知らせいただければ」


「ああ」


リンは頷いた。


ファーファがザクの前にジャーキーを差し出した。


「**……ジャーキー、ニャ**」


ザクは短く笑って受け取った。


「ありがとう」


ファーファは頷いてまた戻った。


袋の中を覗き込んでまだたくさんあるのを確かめた。


「**……ファーファ、いっぱい、ある、ニャ**」


満足げな声だった。


リンは口の端を緩めた。


     ※


料理が進んだ。


シリアスな話は一度途切れた。


ヘンリーがヴェルファとの貿易ルートの話をローズと始めた。


ローズは商業ギルドの動きを説明した。


ザクが領主側の手続きを補足した。


グレンはほとんど口を挟まなかった。だが聞いていた。


トビーは葡萄酒を半分空けていた。


リンの方を見た。


「リン」


「ああ」


「アンタら、いつまで街にいる」


「分からん」


「そうか」


トビーはまた杯を傾けた。


「……いてくれ。少しの間でいい」


リンは軽く頷いた。


「ああ」


クララはずっとファーファの方を見ていた。


リンと目が合った。


慌てて目を逸らした。


リンは何も言わなかった。


ヘンリーは娘の様子に気付いている顔だった。だがそれも口に出さなかった。


ファーファは自分の皿の鳥肉を、丁寧に骨から外していた。


クララが目を上げてファーファを見た。


ファーファは肉を一口噛んだ。


「**……うまい、ニャ**」


クララの耳がぴくりと動いた。


それからまた肩を縮めた。


     ※


夕食会は静かにほどけた。


グレンが最初に立ち上がった。


「老体に夜はこたえる」


短く言った。


ザクが続いた。


「お先に失礼します」


ローズがリンの方に最後に向き直った。


「ロック様の聴取、日取りが決まり次第お知らせします。商業ギルドからは私が立ち会います」


「ああ」


リンは頷いた。


「頼む」


ローズは深く頭を下げた。


ヘンリーがクララを立たせた。


クララが最後にもう一度ファーファの方を見た。


ファーファは袋の口を紐で結んでいた。


クララの視線には気付かなかった。


ヘンリーが軽く娘の背を押した。


クララは店を出た。


トビーが最後に残った。


「リン」


「ああ」


「明日、ギルド舎、寄るか」


「ああ」


「ティルス様の机、片付ける。アンタも見ておいてくれ」


リンはトビーの目を見た。


「分かった」


トビーは頷いて店を出た。


     ※


リンとユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケンは、店を出た。


外は夜風が冷たかった。


街の通りに月の光が落ちていた。


ファーファは袋を抱え直してリンの後ろをついてきた。


ニャルニルはユミルの影に収まっていた。


クラケンはユミルの肩で目を閉じていた。


リンは宿への道を、ゆっくり歩いた。


「ユミル」


「**……はい**」


「明日、ロックの話、聞きに行く」


「**……はい**」


「あの男、どこまで信じる」


ユミルは少し、間を置いた。


「**……分かりません**」


「だろうな」


「**……ですが、嘘の、見極めは、可能、です**」


「ああ」


リンは月を見た。


「俺の判断、外れるかもしれん」


「**……リン様の、判断**」


ユミルが、リンを見た。


「**……外れても、隣に、おります**」


リンは、足を止めた。


ユミルも、止まった。


胸元のピンが、月の光に、揺れた。


リンはそれを見た。


「それ、似合ってるな」


「**……はい**」


短い声だった。


「**……ありがとう、ございます**」


リンは、頷いた。


何も付け加えなかった。


二人は、また、歩き出した。


ファーファが、後ろから、袋を抱えたまま、ついてきた。


「**……明日、また、配る、ニャ**」


「ああ」


夜の空気が、ジャーキーの、塩の匂いを、運んでいた。


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