185 ロック
ロックの独房は、領主邸の北棟の地下にあった。
岩を削った石の壁。鉄格子。寝台代わりの低い木の台。机一つに椅子一脚。蝋燭の橙色の光。
普通の独房と少し違う点は、入口の扉が重い鋼鉄ではなく、観察用の格子戸である事。守りは外の廊下に三人。中の音は外に届く。だが、ロックの自発投降と、レーヴァテインの存在を考慮した、半開放型の処遇だった。
リンとユミルが、扉の外で立っていた。
ユミルは光の薄い板を手元に灯していた。フードは深く被ったままだった。
リンは扉の格子越しに、中を覗いた。
ロックは寝台代わりの木の台に座っていた。両手は前で縛られていたが、足の縛りは解かれていた。座って楽な状態。肩には黒い雄鶏。レーヴァテインも、起きていた。
ロックがリンを見た。
「**……来てくれたんだ**」
「**……ああ**」
「**……お嬢さんも、ご一緒で**」
ユミルが頷いた。
ロックがしばらくユミルを見ていた。
それから低く言った。
「**……お嬢さん**」
「**……はい**」
「**……一つ、お願いがある**」
「**……どうぞ**」
「**……話す前に、ファイアウォールを、張ってほしい**」
ユミルの目がわずかに動いた。
「**……外に、音が、漏れぬように**」
ロックが続けた。
「**……守りの三人、廊下、それから上の階。全部に、防諜の壁を。出来るだろう、お嬢さんの力なら**」
ユミルが答えなかった。
リンが低く問うた。
「**……ロック、お前、ユミルの能力、知っているのか**」
ロックの口元がわずかに動いた。
「**……戦闘では、対峙していない**」
「**……」**
「**……だが、見てはいた**」
「**……どこで**」
「**……前から、ね**」
ロックはそれ以上、答えなかった。
リンはユミルに目を向けた。
ユミルがフードの内側で、わずかに頷いた。
`exec.firewall --range=room --layer=ten --type=acoustic_isolation`
光の薄い板の上で文字列が走った。
部屋の周りに、見えない壁が立ち上がった。光のカーテンとは違う、もっと薄い、空気の境界のような何か。音と気配を外に漏らさない処理。
「**……完了しました**」
「**……ありがとう、お嬢さん**」
ロックの肩のレーヴァテインが、低く頷いた。
「**……これで、話せる**」
リンは独房の中に入った。ユミルも続いた。守りの三人は廊下に残った。扉が閉じた。
リンは木の机の前の椅子に座った。ユミルはリンの斜め後ろに立った。光の薄い板を手元に灯したまま。
ロックがリンを真正面から見た。
「**……何から、聞きたい**」
リンはしばらく答えなかった。
矢筒は持っていなかった。武装は、腰の捕縛紐だけ。だが、ユミルが斜め後ろに立っている事が、武装よりも重い保証だった。
リンは低く言った。
「**……お前は、勝てた戦闘で、自分から捕まりに来た**」
「**……ああ**」
「**……それから、戦闘中に、俺を殺さなかった。蹴り飛ばしたが、致命傷ではなかった。ガルムも、肋骨にひびを入れただけだった**」
「**……ああ**」
「**……それから、俺を諦めさせようとした。『勝てないと思うから諦めろ』『悪いようにはしない』、と**」
「**……そうだな**」
「**……あれは、敵の台詞、じゃない**」
ロックがわずかに笑った。
「**……君、観察、いいね**」
「**……」**
「**……敵だったら、殺してたよ。普通**」
リンは矢筒の代わりに、机の縁に指を当てた。
「**……それから、もう一つ**」
「**……」**
「**……ヴァナールの路地で、お前、俺に近づこうとした**」
ロックの目がわずかに動いた。
「**……あれ、覚えてるか**」
「**……ああ**」
「**……あの時、お前は何を言いかけた**」
ロックがしばらく答えなかった。
肩のレーヴァテインが、低く言った。
「**……ダンナ、ここからは、覚悟を、決めろ**」
「**……分かってる**」
ロックがリンを見た。
「**……君に、組織の事を、話そうとしていた**」
リンの中で、何かが動いた。
「**……話そう、として**」
「**……ああ**」
「**……結局、話さなかった**」
「**……あの時、君は警戒していた。それから、ティルスが動き始めていた。話すタイミングが、合わなかった**」
「**……」**
「**……話せたら、闇MTTBの場所、ヘルムの参戦予定、それから、組織の構造、全部、話すつもりだった**」
リンの後ろでユミルの板の上で文字列が走った。リンには見えなかったが、ユミルの吐息が、わずかに、止まった気配があった。
リンは低く問うた。
「**……お前、何で、それをしようとした**」
ロックがしばらく答えなかった。
それから、低く笑った。
「**……君、本当に、観察、いいね**」
「**……」**
「**……敵が、内通する。それは、何か、理由がある、と**」
「**……ああ**」
「**……まあな**」
ロックは机の上に縛られた両手を置いた。
「**……組織に、遺恨がある**」
「**……」**
「**……古い話だ**」
「**……どんな話だ**」
ロックの口元が、わずかに動いた。何かを言いかけて、止めた。
「**……それは**」
「**……」**
「**……話さない**」
「**……話さない、のか**」
「**……話さない**」
ロックの声は、低く、抑制されていた。普段の軽口と違う温度。
肩のレーヴァテインが、低く言った。
「**……ダンナ、頑固だな**」
「**……うるさい、レヴィ**」
「**……まあ、お前も、隅に置けぬ時期も、あったしな**」
レーヴァテインの嘴が、わずかに、笑ったように動いた。
「**……レヴィ**」
ロックの声が、わずかに、鋭くなった。
「**……それは、いい**」
「**……ふん**」
「**……それは、いい、んだよ、レヴィ**」
ロックが、肩のレーヴァテインを、わずかに、睨んだ。
その瞬間。
ロックの顔から、軽口の表情が、剥がれた。
——本心の顔が、一瞬だけ、見えた。
深い、悲しみの色だった。
目元が、わずかに、伏せられた。口元が、引き締まった。普段の面倒くさそうな脱力も、観察者の余裕も、消えた。
ただ、深い疲れと、悲しみと、長い年月の重みが、そこにあった。
リンの息が、止まった。
ユミルも、フードの内側で、わずかに、目を細めた。
ロックの顔が、すぐに、戻った。
軽口の表情が、覆い直された。認識操作の能力が、もう一度、表情を、装い直した。
だが、リンとユミルは、見ていた。
リンは矢筒の代わりに、机の縁を撫でた。
それから、低く言った。
「**……分かった。話さなくて、いい**」
「**……」**
「**……古い話、聞かない**」
「**……」**
「**……ありがとう**」
ロックの声が、わずかに、低くなった。
レーヴァテインが、低く付け加えた。
「**……ダンナ、許してくれ。私も、口が、軽すぎた**」
「**……お前のせいじゃ、ない、レヴィ**」
「**……いや、軽すぎた**」
「**……」**
「**……反省、する**」
「**……ああ**」
ロックが、目を、閉じた。
それから、もう一度、開いた。
「**……話せる事、話そう**」
「**……」**
「**……組織の構造、闇MTTBの製造拠点、十二柱の意思決定の仕方、それから、ヴァナール以外の街での動き**」
「**……」**
「**……古い話以外、なら、話せる**」
リンはしばらく考えた。
「**……お前、それだけの情報、持っているのか**」
「**……持ってるよ**」
「**……組織の幹部、じゃないのか**」
ロックの口元が、わずかに動いた。
「**……俺?**」
「**……ああ**」
「**……俺は、都合のいい、連絡係だよ**」
「**……連絡係**」
「**……ああ。組織の各拠点を、回って、情報を運ぶ。捕まらないしね、認識操作と転移、両方使えるから**」
「**……」**
「**……」**
リンはしばらく、ロックを見ていた。
「**……お前、捕まってるじゃねぇか**」
ロックの目が、わずかに、止まった。
肩のレーヴァテインが、嘴を、わずかに、開いた。笑ったように見えた。
「**……ダンナ、捕まっておるな**」
「**……うるさい**」
「**……自分から、捕まりに、行ったのだ**」
「**……うるさい、レヴィ**」
ロックがリンを見た。
「**……今回は、例外だ**」
「**……例外**」
「**……ああ。普段は、捕まらない**」
「**……」**
「**……だから、組織の中で、便利屋として、長く、生き残ってきた。連絡係は、組織の上層部の動きが、よく見える。だから、情報も、持っている**」
リンは頷いた。情報の出所と質が、これで分かった。十二柱本人ではなく、十二柱の間を行き来する連絡係。それは、組織全体の動きを最も俯瞰できる立場、だった。
「**……分かった**」
「**……ああ**」
リンが頷き返した。
それから、低く言った。
「**……ただし、条件がある**」
「**……」**
「**……俺と、レヴィの、命の保証**」
ロックがリンを真正面から見た。
「**……組織が、俺たちを消しに来る。確実に。それから、領主側にも、俺たちは敵だ。両方から、命を狙われる**」
「**……」**
「**……逃げようと思えば、逃げられる。今の縛りも、認識操作と転移、両方使えば、抜けられる**」
「**……」**
「**……だが、逃げない。逃げたら、君に話せない**」
「**……」**
「**……だから、領主側で、俺たちを処刑しないでほしい。それだけだ**」
「**……」**
「**……信じられない、かもしれないが、信じてくれ**」
リンはしばらく考えた。
それから低く言った。
「**……それは、俺の判断だけでは、決められない**」
「**……ああ**」
「**……グレン領主、ザク、ヴィレム氏、商業ギルド、それぞれの判断が要る**」
「**……そうだな**」
「**……だが、俺は、お前の話を、聞きたい**」
「**……」**
「**……お前を、生かしておく方向で、領主に、話してみる**」
ロックが頷いた。
「**……ありがとう**」
「**……」**
「**……それから、もう一つ**」
リンが低く付け加えた。
「**……お前の話が、本当だと、ユミルの解析で、確認している**」
ロックの目がわずかに動いた。
「**……解析**」
「**……お前の声、呼吸、皮膚の温度。虚偽の傾向は、検出されていない**」
ロックがしばらくユミルに目を向けた。
「**……お嬢さん、見ていたんだ**」
「**……はい**」
「**……」**
「**……古い話を、しなかった事も、嘘じゃ、ないと**」
ユミルが低く答えた。
「**……はい**」
「**……」**
「**……」**
ユミルが付け加えた。
「**……ロック様、先ほど、レーヴァテイン様のお言葉を、制止された時**」
「**……」**
「**……表情を、装われる前の、一瞬の素顔、私の解析でも、捉えました**」
ロックの口元が、わずかに、動いた。
「**……お嬢さん、本当に、見える、んだなあ**」
「**……はい**」
「**……」**
「**……あれが、本心の波形でした**」
ロックがしばらく答えなかった。
それから、低く、笑った。
「**……認識操作の能力で、隠そうとした。だが、隠せなかった**」
「**……はい**」
「**……能力の弱点、知っているか、お嬢さん**」
「**……いえ**」
「**……自分の本心が、最も、隠せない**」
ロックの声が、低くなった。
「**……他人を、騙すのは、得意だ。だが、自分自身の心は、騙せない**」
「**……」**
「**……だから、本心の話題が、出た瞬間、能力が、効かない**」
リンは低く、応じた。
「**……知らなかった**」
「**……教えるよ。情報の一つだ**」
ロックが、わずかに、笑った。
「**……認識操作系の使い手は、皆、同じ弱点を持っている。本心を、隠せない。だから、組織の上層は、お互いに、本心を見せないように、距離を、置いて、付き合う**」
「**……」**
「**……俺は、組織の中で、本心を見せたら、即、消される。だから、ずっと、本心を、隠してきた**」
「**……今日、話したのは**」
「**……君なら、本心を、見せて、いい、と思った**」
ロックがリンを見た。
「**……君、人を、駒にしない、人だから**」
リンは答えなかった。
机の縁を、わずかに、撫でた。
それから、低く言った。
「**……今日は、ここまでだ**」
「**……ああ**」
「**……明日、グレン領主と、ザクと、ヴィレム氏に、お前の事を話す。それから、改めて、本格的な、聴取の場を、設ける**」
「**……ああ**」
「**……お前は、休んでいてくれ**」
「**……ありがとう**」
リンとユミルが扉に向かった。
扉の手前で、リンが一度振り返った。
ロックは、机に縛られた両手を置いたまま、目を閉じていた。何かを、思い出しているのか、ただ疲れているのか、分からなかった。
肩のレーヴァテインが、リンに、軽く頷いた。
リンも頷いた。
扉を出た。
廊下で、ユミルが板を撫でた。
`exec.firewall --range=room --status=stop`
防諜のファイアウォールが、解除された。
「**……完了しました**」
「**……ありがとう、ユミル**」
「**……」**
「**……お前、最後に、ロックの素顔を、解析で捉えたって、言ったな**」
「**……はい**」
「**……あれは、何の波形だった**」
ユミルがしばらく答えなかった。
それから、低く言った。
「**……あの時のロック様の表情は……**」
ユミルの言葉が、止まった。
「**……」**
リンも、何も、言わなかった。
しばらく、廊下に二人の足音だけが響いた。
リンが低く言った。
「**……そうだな**」
ユミルがフードの内側で、わずかに頷いた。
「**……まだ、学習途上、です**」
「**……」**
「**……いずれ、ロック様、ご自身が、お話しくださるかもしれません**」
リンは低く答えた。
「**……まだ、信用したわけじゃない**」
「**……はい**」
ユミルと並んで、廊下を歩いた。
—了—




