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184 報告


ヘラ山の入口に出た。


外の風が吹いていた。冷たい、針葉樹の匂い。地下の湿気と装置の熱から解放された空気。


リンは入口の岩の縁に手をついた。膝がまだ震えていた。


ガルムが歩哨二名を肩から下ろした。岩の床に並べて紐の結び目を確認した。


ファーファがティルスを引きずってきた。ティルフィングがティルスの体の上に置かれたまま。ティルスは目を閉じていた。意識はあるようだった。


ロックは縛られたまま、自分で歩いてきた。肩には黒い雄鶏。ロックは岩の入口に出ると、わずかに目を細めた。


「**……外、久しぶりだなあ**」


肩のレーヴァテインが低く言った。


「**……ダンナ、感慨に耽るな。これからが本番だ**」


「**……うるさいな**」


ユミルは最後に出てきた。光の薄い板を撫でて、装置の残骸の解析データをまとめていた。


「**……リン様、装置の残骸の一部、押収可能です。証拠として領主邸へ運びます**」


「**……ああ**」


リンは岩の入口の縁に座り込んだ。


「**……少し休もう**」


---


針葉樹の林の麓に、警備隊の野営地があった。


朝に出立した時に置いてきた、後詰の隊員六名。リンの姿を見て立ち上がった。


「**……リン様、ご無事で**」


警備隊の隊長が、隊員を率いてリンの一行に駆け寄った。それから、引きずられてきたティルスを見て、足を止めた。


「**……これは**」


「**……ティルス・ヴァルクスだ。捕縛した**」


「**……」**


隊長の目が見開かれた。


「**……それから、こちら**」


リンがロックの紐を引いた。


「**……ロック。フードの男。投降してきた**」


「**……投降**」


「**……ああ**」


隊長はしばらくロックを見ていた。それから低く頷いた。


「**……承知いたしました。馬車の手配を**」


「**……頼む**」


警備隊が手早く動いた。担架を二つ用意して、ティルスと歩哨二名を運んだ。屈強な隊員が複数で担いだ。ロックは縛られたまま、自分の足で馬車に乗った。レーヴァテインも肩に止まったまま。


リンが矢筒を撫でた。それから、自分の腰の捕縛用の紐の予備を確認した。


ファーファに目を向けた。


「**……ファーファ、無事か**」


「**……ニャ。傷はあるけど、軽いニャ**」


「**……手当を、しよう**」


「**……主、自分が先ニャ**」


ファーファがリンの体を、上から下まで見た。


「**……主、立ってるの、辛そうニャ**」


「**……ああ、まあ**」


「**……乗れニャ。馬車**」


リンは頷いた。


馬車に乗った。


---


ヘラ山からヴァナールまでは、馬車で半日。


道中、リンはほとんど眠っていた。膝の震えが収まらなかった。BSoSの暴れの記憶が、目を閉じるたびに蘇った。岩の壁が円形に消える、装置の残骸が引き裂かれる、自分の手の中から制御不能の何かが湧き出てくる——


ガルムは右脇腹を庇いながら、馬車の窓側に座っていた。肋骨のひびは戦場で致命傷ではない。だが痛みは抜けない。


ファーファは馬車の床に丸まって眠っていた。戦闘狂の貪欲さは、戦闘が終われば仕舞われる。今は、傷だらけの黒猫獣人が、子猫のように丸まっているだけだった。


ユミルは馬車の隅で、光の薄い板を撫でていた。装置の解析データを整理し続けていた。フードを深く被ったまま。


ロックは縛られたまま、馬車の反対側で目を閉じていた。レーヴァテインも肩で目を閉じていた。眠っているのか、考えているのか、外からは分からなかった。


ティルスは別の馬車の担架の上にいた。


長剣のティルフィングが、ティルスの体の上に置かれていた。剣身が時々わずかに動いた。生きている、合図のように。


---


ヴァナールが見えてきた。


街の門が開いていた。商業ギルドからの伝令が先に走ったらしく、領主邸の前に人影があった。


ザクが立っていた。


ピッケルトン家の上級使用人。領主職代行。背の高い、痩せた、白髪の男。年は五十ほど。元々は別の貴族家の使用人だったが、ピッケルトン本家の信頼を得てヴァナールに常駐している。


ザクの後ろに、領主グレン本人が立っていた。


山羊獣人。七十前後。職人気質。武人の名残のある、肩の張り。今は領主の正装ではなく、簡素な羊毛の上着。


リンが馬車から降りた。


膝はまだ震えていた。だが、立つことは出来た。


「**……グレン領主**」


「**……リン殿**」


グレンの低い声。


「**……ご無事で、戻られた**」


「**……はい**」


「**……戦果は**」


リンは矢筒を撫でた。


「**……ティルス・ヴァルクス、捕縛。フードの男——本人の自称はロックです——も捕縛。歩哨二名連行。第三の人物、ヘルムは撃退。装置は機能停止、残骸の一部を押収しました**」


グレンの目が、わずかに細くなった。


「**……二人**」


「**……はい**」


「**……ティルスを、生きて捕らえたのか**」


「**……ファーファが**」


ファーファが馬車から降りてきた。傷だらけの黒猫獣人姿。


ザクがファーファを見て、わずかに頭を下げた。


「**……ご苦労様でした**」


「**……ニャ**」


グレンが頷いた。


「**……話は、邸の中で。捕虜の処理を先に**」


ザクが警備隊に指示した。ティルスは独房へ。歩哨二名は別の独房へ。ロックは——


「**……ロック殿の処遇は、リン殿のご判断を伺う**」


ザクがリンに目を向けた。


「**……投降してきた、と聞きました。話があるとも**」


「**……ああ**」


「**……独房に入れますが、リン殿が会いに行ける部屋に**」


「**……そうしてくれ**」


「**……承知**」


ロックが馬車から降りた。縛られたまま、警備隊に連れていかれた。レーヴァテインが肩で軽く頷いた。


「**……後で、また**」


ロックが低く言った。リンに向けた言葉だった。


リンは答えなかった。


---


領主邸の応接室。


グレンが上座に座った。ザクが脇に立った。リン、ガルム、ファーファ、ユミルが向かい側に。


ファーファとリンは医師に診せたばかりで、簡単な手当を受けていた。ファーファは腕と肩に包帯。リンは打撲の手当だけ。ユミルは外見上は無傷だった。


グレンが低く言った。


「**……戦果の詳細を**」


リンがゆっくりと話した。


下層の構造、二差路、三手に分かれた経緯、ファーファとティルスの戦闘、ユミルとヘルムの遭遇、自分とロックの戦闘、BSoSの暴発、装置の一部喪失、ロックの自発投降。


一つだけ、伏せたことがあった。ユミルがヘルムに対して何をしたか、それだけは「装置の機能停止と並行して、ヘルムを能力的に無効化した」という言い方に留めた。ユミルの「深い青の目」については触れなかった。ユミルが言葉を補った。


「**……ヘルム様の能力の根源を切り離しました。物理的な破壊ではなく、能力の依存先を解除する処理です**」


ザクが頷いた。


「**……解析能力の方ですね**」


「**……はい**」


「**……承知しました**」


ザクは深く問わなかった。リンとユミルの説明をそのまま受け入れた。武人の家系の使用人らしく、踏み込みすぎない節度。


ユミルが続けた。


「**……装置についても、ご報告します**」


「**……どうぞ**」


「**……下層の制御装置、機能停止させました。物理的な破壊ではなく、制御系の解除です。装置自体は、原形をとどめております**」


ザクの目がわずかに動いた。


「**……壊さずに、止めた**」


「**……はい**」


「**……それは、復旧、可能ということですか**」


「**……技術者が手を入れれば、可能です。ただし、当面は動きません。私が解除した制御系には、簡易な封印を施しております**」


ザクがしばらく考えた。


「**……ヴィレム殿の本職に関係しますな。修復可能な状態で残っているなら、装置の構造解析の証拠としても、価値が高い**」


「**……はい**」


「**……それから、MTTBの製造、流通も、当面停止します。ヴァナールの水脈への混入も、これ以上は進まないかと**」


グレンが低く頷いた。


「**……良い判断だ。封印したのは、お主が**」


「**……はい**」


「**……承知した**」


グレンが低く言った。


「**……装置の一部喪失は、致し方ない。生き残ったほうが優先だ**」


「**……はい**」


「**……ティルスとロックを生きて捕らえたのは、想定以上の戦果だ。ヴィレム殿の供述と合わせて、商業ギルドへの追訴材料になる**」


「**……はい**」


グレンの目がリンを見た。


「**……リン殿、お疲れだろう。今夜は領主邸で休まれよ**」


「**……ありがとうございます**」


「**……明日、ティルスの取調べに、ヴィレム殿を呼ぶ**」


リンが息を呑んだ。


「**……ヴィレム氏を、ですか**」


「**……ああ**」


「**……ティルス殿の元義兄、として**」


リンの中で、何かが引っかかった。


ヴィレムは技師。家族を人質に取られて闇MTTBの製造を強要されていた。その人質の主犯はティルス。ヴィレムはヴァナールに保護され、家族と再会した。今は領主邸の客室にいる。


そのヴィレムを、ティルスと対面させる。


「**……今夜のうちに、ヴィレム殿には伝えておく。心の準備が要るだろう**」


「**……はい**」


リンは頷いた。


---


その夜。


リンは領主邸の客室に通された。


医師の手当の後、ぬるい湯で体を拭いて、寝間着に着替えた。膝の震えは収まっていた。だが、手の震えはまだ残っていた。BSoSの記憶が、夢のように、目を閉じるたびに蘇った。


ファーファは隣の部屋にいた。傷の手当が終わって、毛布にくるまって眠っていた。


ユミルは別の部屋にいた。光の薄い板を撫でながら、解析データを整理していた。


ガルムは右脇腹を庇いながら、椅子で浅い眠りに入っていた。


リンは寝台に横になった。


天井を見ていた。


——明日、ヴィレムとティルスが、対面する。


リンは目を閉じた。


眠れなかった。


---


翌朝。


領主邸の取調室。


岩の床と石の壁。家具は最小限。中央に長い木の机。机の片側に椅子が三つ。反対側に椅子が一つ。


机の片側に、グレン、ザク、リンが座った。


反対側の椅子に、ティルスが座らされていた。両手を後ろで縛られたまま。革鎧は脱がされて、簡素な囚人服に着替えていた。腕の表皮の爛れには、医師が薬を塗っていた。


ティルフィングは、机の上に置かれていた。剣身が黒く焦げていた。剣の鞘もなく、布の上に横たえられていた。


「**……了解**」


ティルフィングが低く呟いた。ティルスの方に応じる声。


ティルスは目を閉じていた。


部屋の入口の扉が開いた。


ヴィレム・コーレンが入ってきた。


五十がらみの、白衣の男。今日は白衣ではなく、簡素な濃紺の上着を着ていた。痩せた肩。白髪交じりの短い髪。眼鏡。


ヴィレムは扉を入った所で、足を止めた。


ティルスを見ていた。


ティルスがゆっくりと目を開けた。ヴィレムを見た。


部屋の中の音が、消えた。


リンは机の片側で、息を浅くした。


二人は、しばらく見合っていた。


ヴィレムは何も言わなかった。


ティルスも何も言わなかった。


ザクが控えめに席を勧めた。ヴィレムがゆっくりと、空いていた椅子の一つに座った。ティルスの斜め向かいの位置。


長い沈黙があった。


最初に口を開いたのは、ティルスだった。


「**……済まなかった**」


低い、掠れた声。


「**……ヴィレム**」


ヴィレムは答えなかった。眼鏡の奥の目が、わずかに細くなった。


「**……ミレーヌ殿、フィア、ロレナ、皆、無事だと、聞いた**」


ヴィレムの口元が、わずかに動いた。


「**……無事です**」


低い声。事務的な声に近かった。


「**……良かった**」


「**……」**


ティルスはしばらく目を閉じた。


それから、もう一度開いた。


「**……兄として、謝らねばならぬことが、ある**」


ヴィレムが眼鏡の縁に手を当てた。


「**……兄として、ですか**」


「**……」**


「**……兄上、と、私はあなたを、お呼びしていた**」


「**……うむ**」


「**……長く**」


「**……うむ**」


「**……自慢の兄、だと思っていた**」


ティルスの目が、わずかに揺れた。


「**……法の番人だと、信じていた**」


ティルスは答えなかった。


「**……兄上は、私を、利用された**」


「**……」**


「**……家族を人質に取って、闇MTTBの製造を、強要された**」


「**……」**


「**……それは、利用、ですか。それとも、兄として、何かを、考えてくださっていたのですか**」


ティルスはしばらく答えなかった。


それから、低く言った。


「**……両方だ**」


「**……両方**」


「**……お前を、使った。それは事実だ。組織のために、お前の技術が、必要だった**」


「**……」**


「**……だが、お前を、嫌っていたわけではない**」


ティルスの声が、わずかに震えた。


「**……自慢の弟、だった。家族だとも、思っていた**」


ヴィレムが眼鏡を、外した。


机の上に置いた。


「**……兄上**」


「**……」**


「**……それは、もっと、ひどい話です**」


ティルスが目を閉じた。


「**……知っている**」


「**……」**


「**……嫌っていて、利用したのなら、まだ、分かる。憎しみは、合理だ**」


ヴィレムの声が、低くなった。


「**……ですが、家族と思いながら、利用した。それは、もっと、ひどい**」


「**……」**


「**……兄上は、私を駒として見ていながら、家族だとも思っていた。それは、両立しないはずです**」


「**……」**


「**……いや、両立する人もいる。組織のためには、誰でも、駒にできる人。だが、その人は、家族すら、平気で駒にできる**」


ヴィレムの声は、抑制されていた。怒りはなかった。むしろ、深い疲れの色だった。


「**……兄上は、そういう人だった**」


ティルスは答えなかった。


ティルフィングが、机の上から低く呟いた。


「**……ヴィレム殿、それは——**」


「**……ティルフィング、よい**」


ティルスが、抑えた声で言った。


ティルフィングは黙った。


ティルスがゆっくりと、目を開けた。ヴィレムを見た。


「**……ヴィレム**」


「**……」**


「**……お前の言葉、すべて、その通りだ**」


「**……」**


「**……謝罪して、許される話ではない。それも、知っている**」


「**……」**


「**……ただ、一つだけ、伝えたい**」


ヴィレムが眼鏡を取り上げて、また掛けた。


「**……何ですか**」


「**……お前を、利用した。それは、組織の指示でも、私の判断でも、あった**」


「**……」**


「**……だが、お前の家族に、最後の一線は、引いた**」


「**……」**


「**……ミレーヌ殿、フィア、ロレナ、誰も、最終処分には、しなかった**」


ヴィレムが眼鏡の奥で目を細めた。


「**……兄上が、引いた線、ですか**」


「**……」**


「**……組織は、最終処分を要求していた**」


ティルスが頷いた。


「**……お前の家族の処分を、私は、保留し続けた**」


「**……」**


「**……それは、保留であって、解放ではない。だが、線は、引いた**」


ヴィレムは長く答えなかった。


それから、低く言った。


「**……それは、兄として、ですか。それとも、公正者として、ですか**」


ティルスはしばらく考えた。


それから低く答えた。


「**……分からん**」


「**……」**


「**……私の中で、その二つは、分かれていなかった**」


「**……」**


「**……だから、間違えた**」


ヴィレムが机の上で、両手を組んだ。


長い沈黙があった。


ヴィレムが低く言った。


「**……兄上**」


「**……」**


「**……家族の最終処分を保留してくださったこと、それは、感謝します**」


「**……」**


「**……人質に取ったこと、利用したこと、それは、許せません**」


「**……」**


「**……二つは、別の話です**」


ヴィレムの声が、わずかに震えた。


「**……感謝と、許し、両方を、私は、お渡しできない。感謝だけ、お渡しする**」


ティルスがゆっくりと頷いた。


「**……充分だ**」


「**……」**


「**……お前から、感謝の言葉を、貰えることだけで、私は、敗者として、立ち上がれる**」


ティルスの目が、わずかに濡れたように見えた。


「**……ありがとう、ヴィレム**」


ヴィレムは何も言わなかった。


それから、立ち上がった。


「**……今日は、ここまでで、宜しいでしょうか**」


ザクに向かって言った。


ザクが頷いた。


「**……はい。ヴィレム殿、お疲れ様でした**」


ヴィレムが扉に向かった。


扉の手前で、一度、振り返った。


ティルスを見た。


「**……兄上**」


「**……」**


「**……いずれ、もう一度、お話しできれば**」


ティルスがゆっくりと頷いた。


「**……承る**」


ヴィレムが扉を出た。


扉が閉まった。


部屋の中の音が、戻ってきた。


リンは机の片側で、息を吐いた。


—了—


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