178 いざ尋常に!
===== ファーファルート =====
右の通路は、明るかった。
通路の壁に、古い金属の燭台。蝋燭ではなく、油の灯り。橙色の光が、岩肌に揺れていた。
通路の奥に、広い空間が、開けていた。岩を削り出した、円形の広間。天井は高く、中央に、低い段差。段差の先に、もう一段、高い場所があった。
その高い場所に、男が立っていた。
長身。白髪交じりの、鋭い顔立ち。装飾の少ない、武人の革鎧。腰に、長い剣。
ティルス・ヴァルクスだった。
ファーファが、広間の入口で、足を止めた。
黒猫獣人姿のまま、爪を、軽く地面に立てた。岩を、わずかに削った。
ティルスは、ファーファを、見ていた。
「リン殿の従者と、お見受けする」
事務的な、公務の声。
「私は、ティルス・ヴァルクス。冒険者ギルド長」
ファーファの口元が、わずかに、動いた。笑った、のかもしれなかった。
「**……ファーファ、ニャ**」
「ファーファ殿、と」
「**……ニャ**」
ティルスは、長剣の柄に、手を添えた。抜いては、いなかった。
「ファーファ殿。ご主君のリン殿は、別の方向に、おられるか」
「**……ニャ**」
「あの方と、対峙される、と」
「**……ニャ**」
「では、私は、貴殿のお相手を、致す」
ティルスが、長剣を、静かに、抜いた。
「**……了解、ティルス**」
剣身から、低い、小声が、漏れた。ティルスの声では、なかった。剣そのものから、聞こえた、応答。
剣身は、長く、まっすぐだった。装飾はない。ただ、刃の通り道を、丁寧に、磨き続けてきた、武人の剣だった。
ファーファの耳が、わずかに、動いた。
「**……ニャ、武人さんの剣、お喋りニャ**」
「我が、相棒だ。ティルフィング、と、呼んでいる」
ティルスが、低く、答えた。
「**……ティルフィングさん、ニャ**」
ティルフィングが、応えた。
「**……ファーファ、殿。お手柔らかに**」
「**……剣も、礼儀正しいニャ**」
ファーファは、しばらく、ティルスを、見ていた。
それから、低く、笑った。
「**……いざ尋常に、勝負にゃ**」
ファーファが、低い姿勢で、踏み込んだ。
---
最初の踏み込みは、速かった。
黒猫獣人の脚力。岩の床を、二歩で蹴って、ティルスの懐に、跳び込んだ。爪を、横一閃に、振った。
「**……攻撃、検出。私が、全てを、止めます**」
ティルフィングの、声が、走った。
`exec.judgment --target=offender --condition=offense`
ファーファの体が、止まった。
爪は、ティルスの胸から、二寸の距離で、止まっていた。
ファーファの、全身。指先まで、爪先まで、姿勢を保ったまま、一切、動かなかった。
ティルスが、長剣を、返した。
剣身の腹で、ファーファの、伸ばした右腕を、軽く、叩いた。
「**……解除**」
ファーファの体が、解放された。
「**……ニャ**」
ファーファは、後ろに、跳び退いた。
着地して、低い姿勢で、構え直した。
「**……止まったニャ**」
「貴殿が、私を、攻撃した。だから、ティルフィングが、止めた」
「**……」**
「**……ファーファ殿の、攻撃判定、対象として、確定。条件を満たす限り、私が、判決を、下します**」
ティルフィングが、低く、付け加えた。
「**……解除は、剣の腹で、叩いたニャ**」
「私からの、干渉だ。私からの干渉を受ければ、停止は解除される。それが、能力の仕様」
「**……分かったニャ**」
ファーファは、爪を、舐めた。
ティルスの言葉に、ファーファは、嘘を感じなかった。武人の言葉だった。能力の仕様を、堂々と、教えてくれた。
ファーファは、低く、笑った。
「**……ティルスさん、教えてくれて、ありがとうニャ**」
「礼には、及ばぬ。武人の流儀」
「**……ニャ。なら、ファーファも、本気で行くニャ**」
ファーファは、低い姿勢で、もう一度、踏み込んだ。
---
二度目の踏み込みは、最初より、速かった。
爪を、振らなかった。代わりに、尻尾で、ティルスの足元を、薙ぎ払った。
ファーファの体が、止まった。
尻尾の動きの、途中。岩の床を、薙ぎ払う、寸前。
ティルスが、長剣の腹で、ファーファの肩を、叩いた。
ファーファの体が、解放された。
ファーファは、跳び退いた。
「**……尻尾も、攻撃判定、ニャか**」
「貴殿の、私への攻撃は、すべて、能力の対象」
「**……ニャ**」
ファーファは、舌打ちを、した。
「**……武器を、使うかニャ**」
ファーファが、腰の革帯から、ナイフを、抜こうとした。
止めた。
ナイフは、温存しろ、と、リンに言われていた。
ファーファは、ナイフから、手を離した。代わりに、岩の床に、転がっていた、小石を、拾った。
小石を、ティルスの方向に、投げた。
ファーファの体が、止まった。
小石は、止まらなかった。
ファーファの指から離れた小石は、空中を、まっすぐ、飛んだ。
ティルスは、長剣で、小石を、弾いた。
小石が、岩の壁に、当たった。
「**……ニャ?**」
ファーファの体が、まだ、止まっていた。
ティルスが、長剣の腹で、ファーファの腕を、叩いた。
ファーファの体が、解放された。
ファーファは、跳び退いた。
「**……石、止まらなかったニャ**」
「貴殿の手から、離れたものは、もう、貴殿の攻撃ではない。物理現象として、私に、向かっている。それは、能力の対象、外」
「**……ニャ**」
ファーファは、低く、笑った。
「**……でも、ファーファは、止まったニャ**」
「貴殿が、投げた。投げたという行為が、私への攻撃。だから、貴殿は、止まる」
「**……ニャ。じゃあ、投げないで、別のものに、攻撃させたら、どうかニャ**」
ティルスの目が、わずかに、細くなった。
「試して、みられるが、よい」
---
ファーファは、岩の床に、しばらく、座った。
座り込んで、考えた。
ティルスは、その間、攻撃して来なかった。武人の流儀、なのかもしれなかった。長剣を、低く構えたまま、ファーファの動きを、見ていた。
ファーファは、肩のクラケンに、目を向けた。
「**……クラケンさん**」
「**……ぴゅ**」
「**……ファーファに、何かを、命令されたら、それは、ファーファの、攻撃かニャ**」
クラケンは、しばらく、答えなかった。
肩の上で、わずかに、触手を、動かした。
「**……ぴゅ**」
「**……ニャ。試してみるニャ**」
ファーファは、ティルスの方向に、目を向けた。
「**……クラケンさん、お客様に、水を、かけてあげろニャ**」
ファーファは、立ち上がりも、しなかった。座ったままだった。
クラケンが、肩から、伸びた。
触手が、空中で、揺れた。触手の先から、水が、生成された。透明な、丸い水球。
水球が、ティルスの方向に、飛んだ。
ファーファの体は、止まらなかった。
水球が、ティルスの胸に、当たった。
ティルスの胸が、濡れた。
ティルスは、長剣を、低く構えたまま、水を、浴びた。
「**……ニャ**」
ファーファの目が、わずかに、光った。
「**……ファーファ、止まらなかったニャ**」
「クラケン殿の、攻撃。貴殿の、攻撃ではない」
「**……命令は、ファーファが、出したニャ**」
「貴殿が、命令を、出した。だが、攻撃を、行ったのは、クラケン殿。能力の対象は、私への攻撃を、行った者」
ファーファは、立ち上がった。
低く、笑った。
「**……武人さん、これは、面白いニャ**」
「**……」**
「**……もっと、試すニャ**」
---
ファーファは、肩のクラケンに、もう一度、目を向けた。
「**……クラケンさん、もう一回、お客様に、水を、かけてあげろニャ**」
クラケンが、伸びた。
水球が、ティルスの方向に、飛んだ。
ファーファの体は、止まらなかった。
ところが。
ティルスが、長剣を、振った。
長剣の刃が、水球を、両断した。
水球が、二つに分かれて、ティルスの両側に、流れた。ティルスの胸は、濡れなかった。
「**……ニャ**」
ファーファは、目を細めた。
「**……武人さん、避けるんだニャ**」
「能力の対象、外、なのでね。私の、剣で、対処するしかない」
「**……なるほどニャ**」
ファーファの口元が、わずかに、動いた。
ファーファは、考えていた。
クラケンの水は、ティルスの能力では、止められない。だから、ティルスは、自分の剣で、避けるか、防ぐかしか、できない。
それは、ティルスが、**普通の武人として、物理現象を、受けている**、ということだった。
物理現象。
ファーファは、笑いを、噛み殺した。
「**……ニャルニルさん、貸してニャ**」
ファーファが、リンの方向に、向かって、声を、上げた。が、リンは、別の通路に、行っていた。ニャルニルは、リンの背に、ある。
ファーファは、自分の腰の、革帯を、見た。革帯には、ナイフ。ナイフは、温存。
ファーファは、肩のクラケンに、目を向けた。
「**……クラケンさん、また、お客様サービスを、頼むニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……今度は、足下に、たっぷりニャ**」
クラケンが、伸びた。
触手の先から、大量の水が、生成された。さっきの水球より、ずっと、大きい。水のかたまりが、ティルスの足元に、降り注いだ。
ティルスの足元に、水が、広がった。
ティルスは、わずかに、足を、引いた。水溜りを、避ける形で、半歩、後ろに。
ファーファの体は、止まらなかった。
「**……ニャ。武人さん、避けたニャ**」
「能力の対象、外」
「**……分かってきたニャ**」
ファーファは、低く、笑った。
「**……ファーファが、直接、攻撃しなければ、武人さんは、避けるしかないニャ**」
ティルスは、答えなかった。
長剣を、低く構えたまま、ファーファを、見ていた。
---
ファーファは、もう一度、踏み込んだ。
爪を、振らなかった。代わりに、ティルスの足元の、水溜りを、跳び越した。岩の柱の、横に、回り込んだ。
そこから、爪を、振った。
ファーファの体が、止まった。
ティルスが、長剣の腹で、ファーファの背を、叩いた。
ファーファの体が、解放された。
ファーファは、跳び退いた。
「**……止まったニャ**」
「角度を、変えても、貴殿の、私への攻撃は、攻撃」
「**……ニャ**」
ファーファは、舌打ちを、した。
「**……次、ニャ**」
ファーファは、地面に、低く、伏せた。
そして、ティルスの足元の、水溜りに、爪を、立てた。
水を、跳ねさせた。水滴が、ティルスの方向に、飛んだ。
ファーファの体は、止まらなかった。
ティルスは、長剣で、水滴を、払った。
「**……止まらなかったニャ**」
「水滴は、貴殿の手から、離れた、物理現象。攻撃判定、外」
「**……武人さん、これ、面白いことに、なってきたニャ**」
ファーファは、低く、笑った。
ファーファの中で、戦闘の景色が、変わり始めていた。
最初は、能力に、止められて、苛立っていた。
だが、今は、違う。
ティルスの能力には、**穴がある**。直接の攻撃は止められる、だが、**間接的な物理現象は、止められない**。物理現象として、ティルスに、向かわせれば、ティルスは、武人として、対処するしかない。
それは、もう、能力の戦いではなく、**物理の戦い**だった。
そして、物理の戦いなら、ファーファは、負けない。
---
ファーファは、もう一度、低い姿勢で、構えた。
ティルスが、長剣を、構え直した。
「ファーファ殿」
ティルスが、低く、言った。
「貴殿の、考えていることが、私には、分かる」
「**……ニャ?**」
「物理現象を、用いて、私を、削ろうとしている」
「**……ニャ。武人さん、頭、いいニャ**」
「武人として、当然」
ティルスの目が、わずかに、光った。
「だが、私は、武人だ。物理の戦いなら、武人の本領」
「**……望むところニャ**」
ファーファが、踏み込んだ。
爪を、振った。止まった。ティルスの剣の腹で、解放。跳び退いた。
ファーファが、もう一度、踏み込んだ。
今度は、爪を、振らなかった。代わりに、ティルスの長剣を、爪で、絡めようとした。
ファーファの体が、止まった。
長剣に、爪を、立てる行為も、攻撃判定だった。
ティルスの長剣の腹が、ファーファの肩を、叩いた。解放。
ファーファが、跳び退いた。
「**……武器、絡めるのも、ダメか、ニャ**」
「攻撃判定」
「**……ニャ**」
ファーファは、舌打ちを、した。
ファーファが、もう一度、踏み込んだ。
今度は、ティルスの足元の、水溜りに、向かって、跳んだ。水を、蹴り上げた。水のかたまりが、ティルスの顔に、飛んだ。
ファーファの体は、止まらなかった。
水のかたまりが、ティルスの目に、入った。
ティルスは、わずかに、目を細めた。
その瞬間。
ファーファが、爪を、振った。
ファーファの体が、止まった。
ティルスは、目を細めたまま、長剣を、振り上げた。
長剣の刃が、ファーファの肩を、薄く、切った。
血が、ファーファの肩に、滲んだ。
長剣の腹が、ファーファの腕を、叩いた。解放。
ファーファが、跳び退いた。肩から、血が、流れていた。
「**……武人さん、目に水入っても、剣、振れるんだニャ**」
「武人だ」
「**……強いニャ**」
ファーファの口元は、笑っていた。が、目は、笑っていなかった。
戦闘狂の目だった。
---
戦闘は、続いた。
ファーファは、何度も、踏み込んだ。
爪、牙、尻尾、跳躍、回転、すべての手を、試した。
止まる。解放。跳び退く。
止まる。解放。跳び退く。
ティルスは、長剣の腹で、毎回、ファーファを解放した。武人の流儀。だが、解放と同時に、刃の側で、ファーファを、薄く、切ることが、増えてきた。
ファーファの体に、傷が、増えていった。
肩、腕、脇腹、太腿。
血が、滲んでいた。
ファーファの息は、荒くなっていた。
そして、もう一つの、変化があった。
ティルスの能力の、停止が、**速くなっていた**。
最初は、爪を振り切る寸前で、止まっていた。だが、戦闘が長引くにつれ、停止のタイミングが、早くなっていた。爪を振り始めた瞬間に、止まる。踏み込んだ瞬間に、止まる。
ファーファは、跳び退いて、息を、整えた。
「**……武人さん、止めるの、速くなってるニャ**」
「貴殿の動きを、覚えた」
「**……」**
「**……記録、完了。次から、構築段階で、止められる**」
ティルフィングの、応答。ティルスが、わずかに、頷いた。
「**……同じ攻撃は、二度目から、止められる。それが、能力の、もう一つの仕様**」
「**……ティルフィングさん、覚えてるんだニャ**」
「我が相棒は、記録係でもある」
「**……ニャ**」
ファーファは、舌打ちを、した。
「**……武人さん、教えてくれるの、優しいニャ**」
「武人の流儀」
「**……ニャ**」
ファーファは、低く、笑った。
「**……だから、ファーファも、教えるニャ。次の手は、もう、見せたものは、使わないニャ**」
「望むところ」
ティルスが、長剣を、構え直した。
---
ファーファは、踏み込んだ。
新しい手を、考えながら。
クラケンに、水を、かけさせる。だが、クラケンの水だけでは、ティルスは、避けられる。長剣で、払える。
何か、物理現象として、強い、もの。
ファーファは、考えながら、踏み込みを、続けた。
爪を、振らなかった。代わりに、ティルスの周りを、回った。高速で、円を、描いた。
ティルスの長剣が、ファーファの方向に、向いた。
ファーファは、円の途中で、跳んだ。岩の柱の、上に、登った。
岩の柱の上から、ティルスを、見下ろした。
「**……武人さん、ちょっと、待ってニャ**」
「……」
「**……ファーファ、考えるニャ**」
ティルスは、長剣を、構えたまま、待っていた。
武人の流儀、だった。
ファーファは、岩の柱の上で、座った。
考えた。
ティルスの足元には、水溜り。クラケンの水。
物理現象として、強いもの——
ファーファの目が、わずかに、開いた。
「**……あれ?**」
ファーファは、岩の柱の上で、しばらく、固まっていた。
それから、低く、笑った。
「**……こっれって……**」
笑い声が、広間に、響いた。
低く、楽しげな、戦闘狂の笑い声。
「**……ひらめいたニャ**」
ファーファの目が、光った。
「**……武人さん、ファーファ、お礼を、言うニャ**」
「礼、と」
「**……武人さん、教えてくれて、ありがとうニャ。武人さんの、おかげで、ファーファ、思いついたニャ**」
ティルスは、答えなかった。
長剣を、低く構えたまま、ファーファを、見上げていた。
ファーファが、岩の柱の上から、跳んだ。
広間の、空中、高く。
天井に、近い場所まで、跳び上がった。
—了—




