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175 ヘラ山


馬車二台が、ヴァナールの西門を、出た。


馬車の中には、リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン。それから、ガルム、商業ギルド警備隊員五名、医師団のフレデリク・モースとレナータ・ベルク。装備一式、食料、医療具、灯り、それから商業ギルドの録音の魔道具。クレタの声を録音した、小さな水晶。


二台目の馬車には、別の警備隊員五名と、ヘラ山周辺の地形に若い頃通ったことのある、商業ギルドの古い記録保管係。山道の案内人を兼ねていた。


ユミルが低く言った。


「**……西の街道、馬車の轍、確認できます。最近、複数台の出入りがありました**」


「ティルスとフードの男の、本拠地への、道筋か」


「**……可能性、高いです。鉱山跡の時と、同じ手筋です**」


ガルムが剣の柄に、軽く手を添えた。


「ヘラ山の麓まで、馬車で三刻ほど。そこから先、徒歩で半刻ほどでございます」


「分かった」


馬車は西の街道を、進んでいった。朝の光が徐々に、街道の木立を照らしていった。


---


街道は最初の一刻ほど、平坦な野原を抜けていった。


野原の先で、徐々に地形が起伏を見せ始めた。低い丘がいくつか連なり、その先に暗い森が広がっていた。森の奥に、ヘラ山の影が、わずかに見えた。


馬車の中で、ユミルが書類の写しを、光の薄い板で読んでいた。コーレン家のヴィレムから、夜半に追加供述を取った内容。製造拠点の運営の指示書、納品の経路、装置の構造の差異、すべての情報を整理していた。


「**……リン様、ヴィレム様の追加供述から、本拠地の構造が、ある程度、推定できます**」


「聞こう」


「**……三層構造、と思われます。地表に偽装された入口、中層に装置と作業員の居住区、下層に最重要施設。鉱山跡と、似た構造です**」


「最重要施設、何だ」


「**……ヴィレム様も、確証は、お持ちでないのですが、装置の核となる、本来の制御装置がある、と推定されます。鉱山跡で押収した銀色の小箱は、本拠地の制御装置に、繋がる端末だった、と思われます**」


「本拠地の制御装置、何ができる」


「**……ヴァナール周辺の、複数の製造拠点を、一括で操作できると、思われます。停止、起動、生産量の調整、配送経路の変更。すべて、本拠地から、可能です**」


「本拠地を押さえれば、製造系統全体を、止められるか」


「**……はい**」


ガルムが頷いた。


「商業ギルドとしても、本拠地の制御装置の押収が、最大の目的です。それさえ、確保できれば、ヴァナール周辺の闇にゅーる製造を、根絶できます」


「ティルスは、それを、潰そうとしてるか」


「**……可能性、高いです。ですが、フードの男の、判断は、不明です。あの方の目的は、ティルス様の目的と、必ずしも、一致しません**」


「フードの男の、目的、お前の見立ては」


ユミルは、しばらく、答えなかった。それから、低く言った。


「**……まだ、確証は、ありません。ですが、あの方は、ヴァナール一つの製造拠点を、捨てる覚悟、おありに見えます。本拠地の制御装置を、自ら破壊することも、選択肢の一つかもしれません**」


「証拠を、消すか」


「**……可能性、あります**」


リンは矢筒を撫でた。


---


馬車が丘陵地を抜けた。


森の入口で、馬車を降りた。徒歩で進める道が、ここから先続いていた。商業ギルドの古い記録保管係──ベルナルド、という五十代の男──が先頭で、案内に立った。


「リン様、ヘラ山への山道は、私の若い頃に、一度、通ったことがございます。当時は、廃坑の調査で、山の北側を、通りました。本拠地のある南斜面は、別の道筋です」


「分かるか」


「商業ギルドの古い地図と、本日の地形を照らし合わせれば、ある程度は。ただし、本拠地の正確な位置までは、近づいてから、ユミル様の感応で、絞り込んでいただきたく」


ユミルが頷いた。


「**……はい。森に入ってから、装置の気配を、追跡します**」


森に入った。


最初の数歩で、空気が変わった。木立の密度が高く、光が、わずかしか届かない。古い、深い森。住人が出入りした痕跡は、ほぼなかった。


ニャルニルが低く言った。


「**……空気の流れ、観測しています。前方、南西の方向に、わずかに、温かい空気の流れがあります**」


「装置の換気孔か」


「**……可能性、高いです。地下の装置の熱が、地表に漏れている、と思われます**」


「ベルナルド、南西に、進めるか」


「商業ギルドの古い地図に、その方向の谷間が、記されております。古道の一つ、と思われます。半刻ほどで、谷間に、出られるかと」


「行こう」


---


森の中の道は、古道の名残のような、わずかに踏みしめられた跡を辿っていた。


ファーファが低い姿勢で、先頭の数歩を警戒していた。黒猫の鼻が、空気の異常を嗅ぎ取っていた。


「**……主、前、人の匂い、ある、ニャ**」


「敵か」


「**……分かんない、ニャ。古い、匂い、ニャ**」


「歩哨か、過去の出入りの痕跡か」


「**……ファーファ、嗅ぎ分けるの、得意じゃない、ニャ**」


「分かった」


リンは矢を抜いた。番えはせず、弦の隣に添えた。


ガルムが警備隊員に、警戒の合図を出した。隊員が左右に散開して、低い姿勢で進んだ。


森の中に、徐々に人の通った跡が見え始めた。木の枝が折られた跡、地面に馬の蹄の跡。最近のもの、と分かった。


ベルナルドが低く言った。


「リン様、ここから先、道が整備されております。商業ギルドの古い地図には、ない道です」


「ティルスの組織が、作った道か」


「と、思われます」


「警戒、強める」


ガルムが頷いた。警備隊員が剣の柄に、しっかり手を添えた。


---


森の道を、四半刻ほど進んだ。


谷間に出た。


両側を岩肌の崖が囲み、底に細い小川が流れている、深い谷。古い氷河の名残のような地形。陽の光は上方からだけ、わずかに差し込んでいた。


谷の奥、岩肌の一部に人工の跡があった。岩を削り出した、入口らしき構造。


ユミルが低く言った。


「**……リン様、装置の気配、ここから、強くなります。本拠地の入口、可能性、極めて高いです**」


「敵の歩哨は」


「**……現時点で、目視確認できません。ですが、観測の死角に、潜んでいる可能性も、あります**」


ファーファが岩肌の方に、目を向けた。


「**……主、入口の中、人、いる、ニャ**」


「数は」


「**……分かんない、ニャ。複数、ニャ**」


ガルムが警備隊員に、配置の指示を出した。リンとファーファ、ガルムが入口に近づき、警備隊員五名が谷の入口側を確保。残り五名が左右の岩肌の上に、配置された。医師団は谷の入口側で、待機した。


リンは矢を番えた。


入口に近づいた。


岩を削り出した、二間四方ほどの入口。中は暗かった。


ガルムが低く言った。


「リン様、私が先に入ります」


「俺が先だ。お前の剣戟、ティルスの能力対策に温存しておきたい」


「ですが」


「俺の矢で、最初の歩哨は押さえる」


ガルムは、しばらく考えた。それから、頷いた。


「承知いたしました。ですが、リン様の射線を、私が補佐できる位置におらせていただきます」


「ありがたい」


ユミルが低く言った。


「**……exec、scan、入口の内部**」


ユミルの手元で、光の薄い板が開いた。


「**……入口から十間ほど、敵の歩哨、二名、確認しました。武装、革鎧、剣。冒険者ギルド系統の装備、と思われます**」


「鉱山跡と、同じか」


「**……はい**」


「位置」


「**……入口から十間先、左右に、一名ずつ。岩の柱の影に、隠れています**」


「分かった」


リンは矢を構えた。


入口の暗がりに、目を慣らした。深い暗闇の中で、わずかに人影が見えた。岩の柱の左右、ユミルの言った通りの位置。


リンの指が、矢筈に触れた。


息が、細くなる。


距離、十間。風、なし。


指が、止まった。指が、離れた。


——空気を切り裂く音。


---


矢が、左の歩哨の右肩を縫った。男の手から、剣が落ちた。男が、低く呻いた。


リンが、すぐに二射目を番えた。


——空気を切り裂く音。


矢が、右の歩哨の右肩を縫った。同じ角度、同じ位置。男が、剣を取り落とした。


「ユミル」


「**……exec、subdue、対象、二名**」


光の鎖が、二人の歩哨を即座に拘束した。声を立てる暇すら、なかった。


リンが入口に踏み込んだ。ファーファが続いた。ガルムが剣を抜いて、その後ろに続いた。


岩の通路を、五間ほど進んだ。歩哨二人を、商業ギルド警備隊員が収容した。光の鎖で口も塞がれた状態で、谷の入口側に運ばれていった。


「**……奥の入口、確認しました**」


ユミルが低く言った。


「中層への、階段が、左に分かれています。鉱山跡と、似た構造です**」


「進む」


リンは矢を、新しい一本に入れ替えた。


奥の通路は、岩を削り出した整然としたものだった。鉱山跡の、新しく掘られた通路に近い質感。だが、より精度が高く、古代の遺跡の本来の構造を活かしているようだった。


ニャルニルが低く言った。


「**……空気の質、変わりました。古代の装置の、独特の気配が、強くなっています**」


「第三の遺跡、入った、か」


「**……はい**」


リンは矢筒を撫でた。腰の十五本のうち、二本が減っていた。残り十三本。


---


階段の入口に、着いた時、ユミルが低く言った。


「**……リン様、感応の精度が、上がりました。下層に、複数の人の気配。十数人、と思われます。それから、ティルス様の気配と、あの方の気配が、より明確に、検出できます**」


「両方、いるか」


「**……はい。ティルス様、中層の作業区。あの方、下層の最重要施設の、入口付近**」


「役割分担、か」


「**……ティルス様が、戦闘の対応。あの方が、装置の制御。役割としては、論理的です**」


「俺の対応、どうする」


「**……ティルス様の能力、揺らぎを、再現できれば、押さえやすくなります。クレタ様のお声の魔道具、私が、持っております。中層の作業区に、踏み込む前に、再生いたします**」


「分かった」


「**……それから、もう一つ。ティルス様の能力には、学習の側面が、あるかもしれません**」


リンは目をユミルに向けた。


「学習」


「**……一度受けた攻撃を、覚える可能性、あります。前回の対峙で、リン様の矢、ファーファのナイフ横薙ぎ、ガルム様の剣戟、すべて、ティルス様に、見られました**」


「同じ攻撃は、効かない、ってことか」


「**……可能性です。確証は、ありません。ですが、念のため、最初の一撃は、変える方が、安全です**」


「お前の判断は」


「**……リン様の矢、軌道を、これまでとは、変える。ファーファ、ナイフ以外の、別の動作で、踏み込む。ガルム様、剣戟は、相互セッションで、有効、引き続き有効と、想定**」


「分かった」


リンがファーファに、目を向けた。


「お前、爪と牙、使えるか」


「**……ニャ。ファーファ、爪、得意、ニャ**」


「ナイフは、温存しろ」


「**……ニャ。爪で、行く、ニャ**」


ガルムが頷いた。


「私は、引き続き、剣戟で、ティルス殿との相互セッションを、確保します。リン様の矢の射線を、補佐します」


「頼む」


ユミルが低く言った。


「**……それから、私からも、新しい技を、検討しております。ティルス様の能力、停止判定の、入口部分に、私のファイアウォールが、干渉できる可能性、あります**」


「干渉、どんな効果だ」


「**……停止判定の発動を、わずかに、遅らせる、効果です。完全には防げませんが、攻撃の最初の一撃と、二撃目の間に、時間を、稼げます**」


「ありがたい」


「**……まだ、実戦での検証が、できておりません。試します**」


「分かった」


---


階段の前で、リンは矢筒を、もう一度点検した。


腰の十三本、背の十五本。羽根、鏃、矢柄。すべて、状態良好。


ファーファが爪を、軽く岩肌に立てた。ファーファの爪は、岩を軽く削った。固さの確認。


ガルムが剣を、軽く鞘から半分ほど抜いて戻した。剣の状態の確認。


ユミルが、光の薄い板を開いていた。


「**……exec、firewall、階段の下、待機展開。それから、録音魔道具、再生準備、完了**」


「行くぞ」


リンが階段に足をかけた。


階段は、岩を削り出した急なもの。下から、わずかに暖かい空気と装置の気配が、流れ上がってきた。


最初の段が、足の裏に冷たかった。


—了—


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