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173 布告


領主館からの布告が、街中に貼り出された。


商業ギルド舎の正門前、バザールの中央広場、各区画の辻、四方の門。羊皮紙に墨で書かれた布告書が、街の人通りの多い場所に次々と掲示されていった。


布告の内容は簡潔だった。


ヴァナール冒険者ギルド長、ティルス・ヴァルクスの解任。

ティルスの捕縛令、街全体への布告。

冒険者ギルドの権限の、商業ギルドへの暫定移管。

闇にゅーる中毒の被害者・遺族の、商業ギルド舎での聞き取り受付開始。


布告の末尾には、領主グレンの名と商業ギルド長サフラスの名が、並んで記されていた。


街の住人が、布告書の前に集まり始めた。最初は戸惑いの声だった。


「ティルス様が、解任」


「五年前から、ヴァナールの安全を守ってきた、あのティルス様か」


「闇にゅーるの、製造の指示を、出していた、と」


戸惑いから、徐々にざわめきが大きくなっていった。


---


リンは宿に戻る道で、布告を読む住人の様子を見ていた。


ファーファが獣人姿のまま、リンの隣を歩いていた。蹴られた腹は、クラケンの水で夜のうちに痛みが引いていた。


「**……主、街、騒がしい、ニャ**」


「ああ」


ユミルが低く言った。


「**……街の動揺、収束まで、半日ほど、かかると思います。冷静な住人と、感情的な住人、両方の声が、出てきます**」


「だな」


サフラスが、布告の前に集まった住人の様子を横から見ていた。商業ギルド警備隊員が、各布告書の脇に二名ずつ立っていた。秩序の維持と、住人の質問への対応。


ガルムが警備隊員に指示を出してから、リンの隣に来た。


「リン様、街の動きに、いくつか、懸念があります」


「ん」


「冒険者ギルド舎の方角に、住人が向かっております。被害者の遺族を中心に、抗議の声が上がる可能性、あります」


「暴徒化するか」


「商業ギルド警備隊が配置に就いております。最悪の事態は回避できる見込みですが、念のためお耳に入れておきます」


「行ってみるか」


「ご一緒します」


---


冒険者ギルド舎の前、広い石畳の広場には、すでに数十人の住人が集まっていた。


被害者の遺族らしき女性、闇にゅーる中毒で家族を失った職人、それから噂を聞きつけて集まってきた住人。表向きは誰も声を上げていなかった。だが、空気が低く、固かった。


冒険者ギルド舎の正門は閉ざされていた。中に残った隊員は、ほとんどいなかった。指揮官を失った組織が、夜のうちに半ば瓦解していた。


商業ギルド警備隊が、ギルド舎の正門の前に十名ほど立っていた。剣を抜かず、しかし手は柄に添えていた。住人と、ギルド舎の間に緩衝として立っていた。


リンとファーファが近づいたとき、住人の中から一人の中年男が声を上げた。


「リン様」


リンが振り返った。


革職人らしい身なり、五十前後の男。集団発作で運ばれた革職人の一人。あの場で、ユミルが処置をした男だった。


「リン様、生きておりまして、お礼を、申し上げたく」


「お前、無事だったか」


「はい。ユミル様の処置で、命を繋ぎました。先ほど、医師団から退院いたしました」


男は深く頭を下げた。それから、顔を上げた目には、強い冷静な怒りがあった。


「布告を、読みました。ティルス様の、十年来の不正、私のような被害者が、十数件、いたこと。私の、息子も、二年前、闇にゅーるで、亡くしました。冒険者ギルドの、形式的な捜査で、片付けられました」


「……」


「リン様、商業ギルドへの、私の家の証言を、お申し出いたしたく。私の妻が、息子の死の状況を、詳しく、覚えております。冒険者ギルドの、当時の対応も、記録しております」


ユミルが低く言った。


「**……ありがたいお申し出です。商業ギルド舎の、一階の応接で、聞き取りを、受け付けております。本日中に、お越しいただければ、ご証言を、書類化いたします**」


「すぐに、向かいます」


男は深く頭を下げて、広場を離れていった。


それを見ていた他の住人が、徐々に男に続いて、商業ギルド舎の方角に歩き始めた。何人もの住人が、列をなしていった。


ガルムが低く言った。


「リン様、これは想定以上の勢いです」


「だな」


「商業ギルドの聞き取り体制、増員の手配を出します」


ガルムは警備隊員の一人に、伝令を頼んだ。


---


それから別の声が、広場の隅から上がった。


「ティルス様を、引きずり出せ」


若い男の声。


別の声が続いた。


「ギルド舎を、焼き払え。ティルス様の隊員も、一緒だ」


声が、徐々に増えていった。三人、五人、十人。広場の空気が、一気に燃え立ち始めた。


商業ギルド警備隊員が、剣の柄を固く握り直した。


リンが矢筒に、手を添えた。


ガルムが低く、しかし通る声で、住人の方に声をかけた。


「皆様、お聞きください」


ガルムの声が、広場を横切った。剣士の、訓練された発声。叫びではなく、しかし広場の隅まで確実に届いた。


「ティルス・ヴァルクスは、領主様の捕縛令により、現在、追われている身でございます。商業ギルドと、領主様の警備隊が、必ず、捕縛いたします」


ガルムは、剣の柄を軽く撫でた。


「ですが、冒険者ギルド舎を、焼き払うのは、お許しいただきたい。ギルド舎には、過去の捜査記録、被害者の家族の届出、すべてが、残っております。これらを、焼き払えば、ティルスの罪を、明らかにする証拠も、消えます」


広場が、わずかに静まった。


「ご家族を失った、お怒りは、ご尤もでございます。ですが、その怒りを、最も有効に、使う方法は、商業ギルドへの、ご証言でございます。ご証言が、ティルスの罪を、確定させます」


ガルムの声に武人の重さがあった。広場の住人が、徐々に声を収めていった。


最初に「ギルド舎を焼き払え」と叫んだ若い男が、頭を下げて広場の隅に引いた。


ガルムがリンに、軽く頷いた。


「リン様、商業ギルドの仕事、商業ギルドの警備隊でなんとかします」


「ああ」


リンはそれ以上、何も言わなかった。ガルムの判断に任せた。よそ者が出る場面ではなかった。


---


広場を離れて、商業ギルド舎へ向かう途中、別の住人の声が聞こえた。


「リン様」


リンが振り返った。


四十前後の女性。クレタだった。織り屋の女将。昨日の領主館への直訴で、リンの隣に立った人。


「クレタさん」


「リン様、布告を、街中で見ました。ティルス様の解任、捕縛令。ヴァナールの、正しい歩みが、始まったこと、感謝いたします」


「お前の、証言の力だ」


「いいえ。リン様、ご一行のお力でございます」


クレタは深く頭を下げた。それから、顔を上げた目には、織り屋の女将らしい強い静けさがあった。


「私の織り屋に、戻りまして、子供たちに、本日のことを、伝えました。父の死が、ようやく、報われる日が、来た、と」


「子供は」


「二人。十二歳と、八歳でございます」


「お前、強いな」


「強くは、ございません。ただ、子供たちのために、立ち続けるしか、ございませんでした」


クレタは、わずかに笑った。穏やかな、しかし芯のある笑み。


「商業ギルド舎で、追加の聞き取りを、お受けいたします。それが、終わりましたら、織り屋に戻ります。仕事が、待っております」


「ああ」


「リン様」


「ん」


「ヴァナールを、お救いください」


クレタは深く頭を下げて、商業ギルド舎の方角に歩いて行った。


リンは、しばらくその後ろ姿を見ていた。ヴァナールの住人の、強さの一つの形。


ファーファがジャーキーを齧りながら、リンの隣でぽつりと言った。


「**……主、あの人、強いの、ニャ**」


「だな」


「**……ファーファ、強いと思う、ニャ**」


「お前とは、違う強さだがな」


「**……ニャ**」


ファーファは、少し頷いた。古竜の獣人姿が、人間の女性の生き方を何かしら感じ取っているらしかった。


---


商業ギルド舎に着いたのは、巳の刻だった。


中はすでに、聞き取りに来た住人で混雑していた。一階の応接が複数の卓に分かれて、商業ギルドの職員が住人の証言を書き取っていた。ローズが全体の指揮を執っていた。商業ギルドの警備隊員が、列の整理に立っていた。


サフラスがリンの方に来た。


「リン様、想定以上の住人の方々が、お越しになっております。一日では、聞き取り終わらない見込みです。三日ほどかけて、すべての証言を書類化いたします」


「ヴィレムは」


「コーレン様、ご家族との再会を無事終えられました。商業ギルド舎の地下の、安全な部屋でご家族とお休みになっております」


「会えるか」


「もちろんでございます。ご案内いたします」


---


地下の応接室は静かだった。


ヴィレムと、妻のミレーヌ、娘のフィアとロレナが、卓を囲んで座っていた。フィアは八歳、ロレナは六歳と聞いていた。フィアの方は、父親の隣で少しかしこまった顔。ロレナの方は、母親の膝にすっぽり収まっていた。


ヴィレムがリンの姿を見て、立ち上がった。


「リン様」


「ヴィレム」


ヴィレムの目は、昨日の鉱山跡で見た目とは違っていた。深い疲れと、深い安堵が同居していた。


「リン様、本当にありがとうございました。妻と、娘たちに、再び、会わせていただきました」


ヴィレムは、深く頭を下げた。妻のミレーヌも、続いて頭を下げた。


「いや」


「私の家族の救出、商業ギルド警備隊から伺いました。リン様のご判断と、ご一行のお力なしには、家族の命は助かりませんでした」


「お前の、装置の停止の協力、そっちが、有り難かった」


「私が、できたことは、技師としての、最低限の、務めでございます」


ヴィレムが、ゆっくり目を伏せた。


「私が、闇にゅーるの製造に関わったこと、ヴァナールの住人の方々への罪は消えません。妻子のためという私の理由は、住人の方々のお怒りを減じるものではございません。これからの人生をかけて、街へのお詫びと贖罪をいたします」


「お前の、選択は」


「製造を続けることでした。家族のために」


ヴィレムは、目を上げた。


「ですが、間違っていた、と思っております。住人の方々の命を、家族の命と比較してはならない。私は、別の道を探すべきでした」


「探す道は、あったか」


「分かりません。当時の私には見えませんでした。ですが、今振り返れば、サフラス様、ローズ様、ヘンリー殿のような方々がヴァナールにはおられました。私が、勇気をもってお助けを求めれば、別の道はあったかもしれません」


ヴィレムは深く息を吐いた。


「これから、商業ギルドの調査に協力いたします。装置の構造、製造の手順、運営の仕組み、すべてお話しいたします。ヴァナールの住人の方々の被害を、これ以上広げないために」


ユミルが低く言った。


「**……コーレン様、ありがとうございます。ご証言、極めて、貴重です。装置の停止と、製造拠点の特定に、必要な情報です**」


「私のできる、最低限のことです」


ヴィレムは、また深く頭を下げた。


リンは、しばらくヴィレムの娘たちを見ていた。フィアは、まだ少し緊張した顔。ロレナは、母親の膝で半分寝ていた。


「お前の、家族のために、頑張れ」


「はい」


ヴィレムの目に、わずかに涙が浮かんだ。


リンはそれ以上、何も言わなかった。地下の部屋を出た。


---


地下から、上がる階段で、ユミルが低く言った。


「**……リン様、コーレン様の供述、さらに、進められそうです。装置の運営の仕組み、これは、フードの男の、上位の指示系統に、繋がる情報です**」


「具体的に」


「**……コーレン様、装置の運営の指示書を、定期的に、受け取っていたそうです。指示書は、毎回、別の人物が、届けに来ていたそうです。指示書の文字は、フードの男の文字と、一致する可能性があります**」


「文字の照合か」


「**……はい。私が、記憶を、解析できれば、かなりの確度で、照合できます**」


「ヴィレムが、文字を、覚えてるか」


「**……コーレン様、技師としての記憶力は、高いです。指示書の内容と、文字の特徴を、覚えていらっしゃる可能性、十分にあります**」


「もう少し休ませてやってから、聞き取りに入れ」


「**……はい。ご家族との時間を、優先します**」


階段を上がりきった所で、ヘンリーがリンを待っていた。


「リン様、サフラス様から伝言です。冒険者ギルド舎の捜索が、商業ギルド警備隊によって進んでおります。ティルス殿の執務室から、いくつか興味深い文書が見つかっております」


「どんな文書だ」


「街道沿いの、いくつかの場所の地図です。何度も、印を付けられた跡がございます」


「場所は」


「現在、サフラス様がご精査中です。お話を、お聞きいただきたいとのことで」


「行く」


リンはヘンリーの後を追った。


ファーファがジャーキーを齧りながら、ついてきた。


「**……主、まだ、終わらないの、ニャ**」


「終わらないな」


「**……ニャ**」


ファーファは、不機嫌そうにしかし期待を含んだ声で、続いた。古竜の獣人姿は、平和な街より戦いのある街の方が性に合うらしかった。


---


サフラスの執務室には、卓に複数の地図が広げられていた。


ヴァナール周辺の街道地図。北の山脈、東の海岸、南の街道、西の森林地帯。それぞれに、ティルスの執務室から押収された印が付けられていた。


「リン様、お早いお越しを」


サフラスが卓の前で、地図を軽く撫でた。


「ティルス殿の執務室から、数十枚の地図が出てまいりました。複数の場所に、印が付けられております。ご覧ください」


リンは地図に近づいた。


北の山脈の、いくつかの場所。鉱山跡を含む、複数の地点。それから、西の森林地帯の深い場所にも、印があった。東の海岸線にも、海洋国家との貿易ルートを避ける形で、印が幾つか。


ユミルが低く言った。


「**……印の位置、製造拠点の候補、と思われます。鉱山跡が、一つの拠点。他にも、複数の拠点が、ヴァナール周辺に、配置されている可能性、あります**」


「他の拠点は、まだ、稼働してるか」


「**……可能性、あります。それから、印の中で、最も、太い印が、つけられた場所が、一つだけ、あります**」


「どこだ」


「**……西の、森林地帯の奥。ヴァナールから、半日ほどの、深い山中**」


サフラスが頷いた。


「商業ギルドの、過去の記録にない場所です。住人の出入りも、ほぼない山中。地図上の位置すら、極めて不正確に記されております」


「重要な拠点、と読めるか」


「**……はい。これが、フードの男の、本拠地である可能性、十分にあります**」


リンは地図を撫でた。


「行くか、と思うが」


「**……まだ、情報が、不十分です。コーレン様の追加証言、捕虜のヨゼフ殿の追加供述、その他の文書の精査。明日、まとまった情報が、揃います**」


「明日か」


「**……はい**」


ユミルの判断は慎重だった。情報の精査を優先する商業ギルドの作法に、合わせた判断だった。


サフラスが頷いた。


「リン様、明日の朝、再度こちらにお越しいただきたい。明日中には、行先と装備の準備が整います」


「分かった」


「本日は、お休みください。ご一行も昨夜、お休みなく動かれた。お休みが必要です」


ユミルが頷いた。


「**……ありがたい、ご配慮です**」


---


宿に戻る道で、ファーファがジャーキーを齧りながら、ぽつりと言った。


「**……主、明日、また、戦うの、ニャ**」


「分からない。情報による」


「**……ファーファ、楽しみ、ニャ**」


「お前、本当に、楽しみすぎだぞ」


「**……ニャ。古竜、戦い、好き、ニャ**」


リンは、わずかに笑った。


ユミルが低く言った。


「**……リン様、本日の街の動き、想定通り、商業ギルドが、秩序を保ちました。住人の方々の、怒りと、協力の意志、両方が、街全体に、広がっています**」


「ヴァナールが、変わり始めてる」


「**……はい。ティルス様の十年来の支配が、一日で、瓦解しています**」


「だが」


「**……はい。フードの男の、本拠地。これが、本当の決着の場、になります**」


リンは矢筒を撫でた。


ニャルニルが戦槌の柄から、低く言った。


「**……リン様、明日からの戦いに、備えます。装備の点検と、観測の精度を、上げておきます**」


「頼む」


クラケンがファーファの肩で、軽く動いた。


「**……ぴゅ**」


ファーファが訳した。


「**……主、クラケンも、戦いの準備、できてるって、ニャ**」


「ありがとう」


宿に着いた頃、空は午後の光で、温かく染まっていた。ヴァナールの街が、新しい一日を迎えていた。


ティルスは街にいない。フードの男も街にいない。だが、街はようやく、自分の足で立ち始めていた。


リンは戸を開けた。


—了—


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