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169 街の煙


馬車は街道を全力で走った。


ファーファは獣人姿のまま馬車の上に飛び乗って、街の方角を見ていた。竜の視力は街の煙の出処を、馬車の中の人間よりずっと早く特定していた。


「**……主、商業ギルド舎、燃えてる、ニャ。それから、商人通り、二箇所、燃えてる、ニャ**」


「商業ギルド舎が、最大の標的か」


「**……ニャ。一番、煙、太い、ニャ**」


ガルムがリンの隣で、唇を結んだ。


「ローズ様、サフラス様、副長補佐の方々、皆、商業ギルド舎におられます」


「中で、何が起きてるか、分かるか」


「**……分かりません。距離が、まだあります**」


ニャルニルが続けた。


「**……街の北門、見えてきました。門は、開いています。出入りは、止められていません**」


「ティルスが、街の封鎖まではしてないか」


「**……表向きは、火事の対応に追われている、形です。実態は、別だと思います**」


馬車が街道を抜けた。北門に近づいた時、門番が慌てた様子で旗を振っていた。商業ギルドの通行証を、馬車の御者がすぐに見せた。門番は深く頷いて、通した。


「お早く、お戻りください」


門番の声が、追ってきた。


街中に入ると、煙の匂いが強くなった。北の通りはまだ普段通りだったが、中央通りに近づくにつれて、人の流れが乱れてきた。煙を見て避難する住人。逆に、火事を見物しようとする者。商人の馬車が混雑に巻き込まれて、立ち往生していた。


御者が巧みに馬車を進めた。商業ギルド舎までは、まだ少し距離があった。


ユミルが低く言った。


「**……商業ギルド舎の前、人だかりです。冒険者ギルドの隊員、確認できます**」


「ティルスの隊員か」


「**……はい。火事の対応、という名目で、商業ギルド舎の周辺を、囲んでいます**」


「中を、外と遮断してるか」


「**……可能性、高いです**」


ガルムが剣の柄に手をかけた。


「リン様、商業ギルド舎の正門には、近づけないかもしれません。裏口があります。商業ギルドの裏手、職人通りの細い路地から、入れます」


「案内してくれ」


「ええ」


御者にガルムが指示を出した。馬車は中央通りを離れて、職人通りの細い路地に入った。馬車一台がやっと通れる幅の道だった。煙の匂いは、ここまで届いていた。


---


商業ギルド舎の裏口の前で、馬車を止めた。リン、ガルム、ファーファ、ユミル、ニャルニル、クラケンと、随行の隊員一人。合計七人。


裏口は地味な木の戸だった。商人の出入り用の小さな戸。鍵がかかっていた。


ガルムが戸を軽く三度叩いた。続けて二度、間を空けてもう一度。商業ギルドの合図らしかった。


中から低い声が答えた。


「ガルムか」


「ええ」


「無事か」


「無事だ。中の状況は」


「副長と、ギルド長は、地下の安全室に避難済みだ。隊員は、応戦中。表は、冒険者ギルドの隊員に囲まれている」


戸の鍵が外れた。中から商業ギルドの警備隊員が戸を開けた。剣を持っていた。顔に、わずかに煤がついていた。


「ガルム隊長、お早いお戻りで」


「リン様、ご一緒だ」


「リン様」


隊員はリンの方に頭を下げた。リンは短く答えた。


「中、入る」


「どうぞ」


裏口からギルド舎の裏側に入った。狭い廊下、倉庫の脇、職員の休憩室の裏。普段は商品の搬入に使われる通路らしかった。


廊下の奥から、衝突の音が断続的に聞こえた。剣と剣がぶつかる音、それから人の叫び声。


ニャルニルが低く言った。


「**……表の応接、戦闘中です。商業ギルドの警備隊三名、冒険者ギルドの隊員五名、対峙しています**」


「劣勢か」


「**……数の不利、技量の差、両方です。商業ギルド警備隊が、押されています**」


ガルムが剣を抜いた。


「私が、加勢に入ります。リン様は、地下の安全室に向かってください。ローズ様、サフラス様の身柄が、最優先です」


「お前は」


「私は、商業ギルドの警備隊長です。仲間を、先に守ります」


ガルムの目に迷いはなかった。リンは頷いた。


「ファーファ、ガルムについていけ。生かしたまま、制圧。ニャルニルとクラケンも、付いてる」


「**……ニャ**」


「**……はい、ガルム様の援護に、回ります**」


「**……ぴゅ**」


「ユミル、俺と来い」


「**……はい**」


ガルムとファーファが表の応接の方角に駆けた。ガルムが剣を抜いて、応接の戸を蹴り開けた。中から即座に剣戟の音が立ち上がった。古竜の獣人姿が、ニャルニルを背負ったまま、肩のクラケンと共に、その後ろに飛び込んだ。


リンは地下への階段に向かった。商業ギルドの隊員が案内してくれた。


---


地下の階段は、狭い急なものだった。岩を削り出した、商業ギルドの古い構造。普段は貴重品の保管庫として使われている階層。


階段を下りると、複数の部屋が並んでいた。商業ギルドの隊員が各部屋の前に、剣を持って立っていた。


「リン様、ローズ様は、奥の部屋におられます」


「サフラスは」


「サフラス様も、ご一緒です。ヘンリー様も、いらっしゃいます」


「無事か」


「お怪我は、ございません」


リンは奥の部屋に向かった。隊員が戸を叩いた。中からローズの声が答えた。


「リン様」


声には、安堵が混じっていた。


戸が開いた。ローズが戸の前に立っていた。サフラスがその後ろに、ヘンリーがさらに後ろにいた。三人とも、無事だった。だが、ローズの服には煤がついていた。サフラスの顔も青ざめていた。


「ご無事で、何よりです」


リンが短く言った。


ローズが深く頭を下げた。


「リン様、お早いお戻り、感謝いたします。鉱山跡は」


「装置を、押さえた。書類と、結晶と、装置の核。商業ギルドの隊員に、輸送を任せた」


「ありがたい」


サフラスが頷いた。


「街の方は、ご覧の通りです。今朝の集団発作の混乱の最中に、ティルス殿が動きました。三箇所で、火災が発生。商業ギルド舎の正門前にも、火が入りました。隊員が、初期消火に成功しましたが、表は冒険者ギルドの隊員に、占拠されております」


「ティルスの本人は」


「商業ギルド舎の正面に、姿を見せております。火災の調査、という名目で、私の身柄を要求してきました」


ヘンリーが続けた。


「『商業ギルドが、街の混乱の元凶になっている。ギルド長の責任を問う』という言い分です。書類上は、捜査機関の責任者として、形式的な根拠は、ございます」


ユミルが低く言った。


「**……ティルス様の動き、想定通りです。鉱山跡の証拠を、こちらに握られた状況で、彼が次に取れる手は、商業ギルドの権威の失墜です**」


「だな」


「**……ですが、こちらにも、すでに証拠が揃っています。商業ギルド警備隊が、戻ってくれば、形勢は、こちらが有利です**」


サフラスが深く頷いた。


「ガルムが戻ってきたのが、決定的です。鉱山跡の証拠が、揃っております。これで、領主館への直訴の準備が、整います」


「直訴は、いつだ」


「明日の朝、領主グレン様の館へ。今夜、書類を整えます」


「今夜が、危ないな」


「ええ」


ユミルが低く言った。


「**……ティルス様は、今夜のうちに、商業ギルド舎を、何としても押さえようとします。明日の朝までに、書類が整うことを、彼は、避けたいはずです**」


「お前らの避難先は」


サフラスが首を振った。


「商業ギルド舎を、放棄することは、できません。書類、台帳、すべてが、ここにございます。ここを離れれば、商業ギルドの権威が、失墜します」


「だが、ここにいては、危ない」


「ですから、リン様の同行を、お願いしたい」


サフラスは深く頭を下げた。


「商業ギルド舎の防衛を、今夜一晩、お任せしてもよろしいか」


リンは頷いた。


「分かった」


---


表の応接から、ファーファとガルム、ニャルニルとクラケンが戻ってきた。


ファーファはジャーキーを齧りながら、何でもない顔だった。獣人姿のまま、両肩に煤がついていた。


「**……主、表の人、全員、寝かせた、ニャ**」


「全員」


「**……五人、寝かせた、ニャ。生きてるの、ニャ**」


ガルムが後ろから来た。剣に、わずかな血が付いていた。だが、ガルム自身は無傷だった。


「リン様、表の応接、制圧しました。冒険者ギルドの隊員五名、捕縛。商業ギルド警備隊の三名、軽傷ですが、応戦可能な状態です」


「ご苦労」


「ファーファ様の活躍、見事でした。それから、ニャルニル殿の重みで、ファーファ様の一撃の威力が、極まっておりました。クラケン殿も、敵の足元に水を撒いて、踏み込みを崩していただきました」


「**……ニャ。剣士、強かった、ニャ。ファーファ、もっと強い、ニャ**」


「**……ファーファの一振りに、私の重さを乗せました。剣士の鎧ごと、軽く弾けました**」


「**……ぴゅ**」


ガルムは少し笑った。


「正面のティルス殿は、まだ動いておりません。応接が制圧されたことは、まだ伝わっていない様子です」


ローズが頷いた。


「ガルム、商業ギルド警備隊の追加は」


「鉱山跡から戻ってくる隊員と、街中の各拠点から、徐々に集まっております。あと一刻ほどで、五十名規模になります」


「正面のティルス殿の隊員は」


「目視で、十五名ほど。冒険者ギルドの隊員と、雇われの戦闘職、混在です」


サフラスが卓を撫でた。


「数の上では、こちらが有利になります。ですが、ティルス殿本人の腕が、未知数です」


ユミルが低く言った。


「**……ティルス様は、武人です。剣の腕、極めて高いと、想定すべきです。第五柱、武闘派、と、トビーさんの観察も、合致します**」


「リン様、ティルス殿の対応、いかがいたしましょうか」


リンは矢を撫でた。


「直接、対峙する必要があるか」


「ティルス殿が、商業ギルド舎の制圧を、自ら指揮しています。彼を止めなければ、隊員の動きは、止まりません」


「そうか」


リンはしばらく考えた。それから、頷いた。


「ティルスの対峙は、俺が引き受ける。ただし、隊員の方は、ガルムに任せる」


「リン様」


「正面、行く」


ローズが深く頭を下げた。


「ご無理を、お願いします」


「商業ギルドが組んでくれた、対価だ」


サフラスが頷いた。


「リン様の、ご決断に感謝いたします」


リンは矢筒を確認した。腰に十五本、背に十五本。三十本。十分だった。


ファーファがジャーキーをくわえたまま、リンの隣に来た。


「**……主、ファーファ、行く、ニャ**」


「お前は、ガルムと一緒に、ティルスの隊員を相手にしろ。ニャルニルとクラケンも一緒だ。俺は、ティルスの本人、対峙する」


「**……ニャ。任せて、ニャ**」


「**……ファーファの背で、観測します**」


「**……ぴゅ**」


ローズが、わずかに不安そうな顔をした。


「リン様、地下の守りは」


「商業ギルド警備隊で、十分だ。三人同時で、ティルスを正面から押さえる方が、街全体の被害を、抑えられる」


サフラスが頷いた。


「商業ギルド警備隊の精鋭を、地下に残します。ローズ、ヘンリー、私の身柄、商業ギルド側で守ります」


「頼む」


ガルムがリンに頷いた。


「リン様、私は中距離、剣で対峙いたします。隊員の対応は、私が引き受けます。リン様は、ティルス殿との対峙に、集中していただきたい」


「頼む」


リンは戸の方に向かった。


ファーファとニャルニル、クラケンが、リンの後ろに続いた。ユミルが、リンの隣を歩いてついてきた。


階段を上がる時、ユミルが低く言った。


「**……リン様、ティルス様との対峙、お一人ではありません**」


「分かってる」


「**……念のため、です**」


リンは、わずかに表情を緩めた。


階段の先に商業ギルド舎の表の応接が見えた。煤で黒ずんだ床、倒れた椅子、その奥の正面の戸。


戸の向こうから、剣戟の音と男の声が、まだ響いていた。


—了—


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