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168 下層


貯蔵庫の奥の壁、もう一つの隠し戸は、最初の隠し戸より、巧妙に隠されていた。


ファーファが指した位置は、岩肌の継ぎ目すら、見えなかった。だが、ニャルニルが観測の声で、空気の流れを追った。


「**……壁の向こうから、わずかに、空気が漏れています。下から上に、流れています**」


「換気孔か」


「**……もしくは、地下からの呼吸です。下層の空間が、生きている、ということです**」


ヴィレムが装置の操作盤をもう一度確認した。


「ここに、もう一つレバーは、ない。だが、機構は、別の場所にあるかもしれない」


ユミルが頷いた。


「**……探します**」


ユミルの光の薄い板が、貯蔵庫全体をゆっくり走査した。装置、瓶の壁、机、隠し戸の周辺。それから、貯蔵庫の入口の方を振り返った。


「**……入口の、岩肌に、機構の痕跡があります。誰かが、貯蔵庫に入る時、または出る時に、自然に触れる位置です**」


「どこだ」


「**……入口の右側、肩の高さ。岩のわずかな凹み、です**」


ガルムが入口の方に向かった。確認すると、確かに、肩の高さに、岩の小さな凹みがあった。普通には、気付かない場所だった。


「これか」


「**……押すと、奥の隠し戸が、開く可能性が、あります**」


「念のため、ファーファに、奥の壁の前で待機してもらう」


「**……ニャ。任せて、ニャ**」


ファーファが、奥の壁の前に立った。リンは矢を抜いた。


ガルムが岩の凹みをゆっくり押し込んだ。


奥の壁の一部が低い音を立てた。岩がゆっくりとスライドして、横に動いた。隠し戸の奥に暗い口が開いた。


下に降りる、急な階段が見えた。


---


階段は岩を削り出した古い造りで、貯蔵庫の構造より遥かに古かった。鉱山時代の、本来の地下水路への通路だった。


ニャルニルが低く言った。


「**……階段の下、大きな空間があります。広い、です。それから、水の音、確認できます**」


「水路、生きてるか」


「**……はい。流れています**」


ユミルが頷いた。


「**……地下水路は、塞がれた、と記録にありますが、実際は、塞がれていません。下層は、現役で、機能している、と思われます**」


リンは階段の縁に立った。下から、わずかに暖かい湿った空気が流れ上がってきた。地下水の匂いと、もう一つ、化学物質に近い匂いも混じっていた。


「ガルム、商業ギルド警備隊は、ここで待機。下層の偵察は、こちらで行う」


「ですが」


「下層に、敵の本体がいる可能性がある。一般的な戦闘では、対応できない相手かもしれない」


ガルムはしばらく考えた。それから、頷いた。


「分かりました。私と、副隊長一人だけ、同行させてください。残りは、ここで、捕虜と装置の確保を行います」


「いいだろう」


ガルムが副隊長に、入口側での指揮を任せた。代わりに、別の隊員をガルムの随行に呼んだ。隊員も剣を握り直した。


ヴィレムは貯蔵庫に残った。


「私は、ここで、装置の最終確認をしておく。下層には、行かない。私は、戦えない」


「そうしてくれ」


「リン様、ご無事を、お祈りしている」


リンは頷いた。


---


階段を下りた。


下層は、上の貯蔵庫よりはるかに広かった。岩を削り出した巨大な空間。中央に、地下水路が太い流れで横切っていた。水路の幅は二間ほど、深さは見ただけでは分からなかった。流れは思ったより速かった。


水路の両側に岩の足場があった。古い、磨り減った石。鉱山時代に鉄鉱石を運んだ通路だった。


そして、水路の奥、上流側。


円形の空間が開けていた。中央に井戸のような穴。だが、井戸ではなかった。穴の縁に金属の輪が取り付けられていた。最近のものだった。


ユミルが低く言った。


「**……あれは、井戸ではなく、装置の一部です。地下水路の水を、引き上げて、特定の場所に送り込む機構です**」


「貯蔵庫と、繋がってるか」


「**……はい。貯蔵庫の冷却に、ここの水が、使われていました**」


「他にも、繋がってるか」


「**……可能性、あります。装置の系統が、複雑です**」


リンは円形の空間の方に、慎重に近づいた。ファーファが低い姿勢で先導した。ガルムと隊員がリンの両脇についた。


円形の空間に着くと、装置の全貌が見えた。


井戸のような穴の上に、金属の架構が組み上げられていた。架構には、複数の管が放射状に伸びていた。それぞれの管は岩肌の壁に吸い込まれるように消えていた。


「**……街の方向に、管が伸びています**」


ニャルニルが低く言った。


「街に、何を送ってる」


「**……水、もしくは、何かを混ぜた液体、可能性が、あります**」


ユミルが頷いた。


「**……街の地下水脈に、何かを混ぜている、可能性があります**」


リンは息を呑んだ。


「街の井戸に、闇にゅーるを、混ぜてるってことか」


「**……断定はできません。ですが、可能性は、考慮すべきです。今朝の集団発作の規模を、説明できる仮説です**」


「飲み水か」


「**……地下水脈ですので、井戸の水、街の貯水池、街の人が日常的に使う水に、関わってきます**」


ガルムが息を呑んだ。


「……これは、ティルス殿一人の判断では、ない」


「**……はい。これだけの規模の施設は、ティルス様一人では、構築できません。背後に、別の指示系統がある、と思います**」


「あの方、か」


「**……はい**」


---


水路の奥、円形の空間の、さらに向こう。


岩肌にぽっかりと、別の口が開いていた。最初の階段とは別の通路だった。


ニャルニルが低く言った。


「**……あの方角から、人の気配。一名、です**」


「待ち伏せか」


「**……動きが、止まっています。こちらを、観察している、可能性が、高いです**」


リンは弓を構えた。ファーファが地を蹴る準備をした。


奥の通路から、声が聞こえた。


「ご苦労様」


低い、落ち着いた男の声だった。フードの男の声、と分かった。前回、第一遺跡で聞いたのと同じ声音だった。


ユミルが低く言った。


「**……あの方です**」


リンは弓を構えたまま、奥の通路を見た。


通路の入口に、紺色のフードを目深に被った男が立っていた。両手は見える位置に下げていた。武器は持っていない姿勢だった。


「リン殿」


男はリンの方に、軽く頭を下げた。


「貴公がここまで来るのは、時間の問題だった。よくぞ、これだけの早さで、来てくれた」


「お前」


「あまり、長くは話さない。互いに、それは望まないだろう」


男はフードの中で、わずかに笑った気配を見せた。


「貴公らに、伝えておくことが、二つある」


リンは答えなかった。


男は続けた。


「一つ。この施設の本体は、ここではない。貴公らが今、見ているのは、地方支部に過ぎない。貯蔵装置と、生成装置と、街への配水装置。これは、ヴァナール一つを、賄うための、規模だ」


「他の街にも、あるか」


「ある」


短い、しかし重い肯定だった。


「二つ。ティルスは、今夜、街で動く」


「今夜」


「貴公らがここにいる間に、ティルスは、街の事態を、彼の都合の良い形に、整え直す。商業ギルド長、副長、護衛隊長。彼らは、今夜、危険だ」


リンは息を呑んだ。


「お前、なぜ俺たちに、それを伝える」


男は、フードの中で、また、わずかに笑った気配を見せた。


「貴公らが、街に、生きて戻ってもらわねば、困るからだ。私の仕事の、続きが、できない」


「お前の、仕事」


「いずれ、また会う」


男はゆっくり、後ろに下がった。奥の通路の闇に、影が消えていった。


ファーファが地を蹴ろうとした。リンは片手で制した。


「待て」


「**……主、追わないの、ニャ?**」


「街に戻る方が、先だ」


「**……ニャ**」


ファーファは不満そうに尻尾を揺らした。だが、リンの判断には従った。


ユミルが低く言った。


「**……あの方の言葉、信用できるかは、分かりません。ですが、街の状況の警告は、無視できません**」


「だな」


「**……ティルス様が、商業ギルドに、報復に出る可能性は、高いです。証拠を全て、こちらに握られた状況で、彼が次に取れる手は、限られています**」


「サフラスとローズが、危ない」


ガルムが深く頷いた。


「直ちに、戻るべきです。商業ギルド舎に、伝令が必要です」


リンは弓を背負った。


「下層の調査は、ここまでだ。商業ギルド警備隊に、装置の管理を任せる。俺たちは、街に戻る」


「ええ」


---


階段を駆け上がった。


貯蔵庫に戻ると、ヴィレムが装置の前で待っていた。商業ギルドの隊員が貯蔵庫の入口で、捕虜を見張っていた。


「ヴィレム」


「はい」


「街に、戻る。お前の家族の保護を、急ぐ」


ヴィレムは深く頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


ガルムが副隊長に、状況を素早く伝えた。


「副隊長、この場の指揮を任せる。装置と捕虜は、追加の警備隊が来るまで、ここで保持。私とリン様は、街に急ぎ戻る」


「承知いたしました」


副隊長が頷いた。


ユミルが低く言った。


「**……商業ギルドの追加警備隊と、輸送馬車は、間もなく到着するはずです。すれ違いになる可能性が、高いです**」


「途中で、合流できるか」


「**……街道で、合流可能だと思います**」


リンは矢筒を確認して、坑道の入口に向かった。


ファーファが低い姿勢で先導した。獣人の脚力で坑道の通路を駆け抜けた。リン、ガルム、隊員がその後ろを追った。


坑道の入口に出た時、外はすでに昼を過ぎていた。


街の方角の空が、わずかに煙っていた。


---


リンは足を止めた。


ユミルが低く言った。


「**……街、煙、確認できます。一箇所ではありません。複数の場所から、出ています**」


「火事か」


「**……可能性、高いです。商業ギルド舎の方角も、含まれています**」


ガルムが息を呑んだ。


「……ティルス殿が、すでに動いた」


リンは矢筒を握り直した。


「馬車は」


「街道の入口に、待機しているはずです。馬車を全力で走らせれば、半刻で、街に戻れます」


「行く」


ファーファがすでに駆け始めていた。リンとガルムと隊員が、その後を追った。


街の方角の空は、徐々に煙の色を濃くしていった。


—了—


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