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167 貯蔵庫の影


奥の通路は、冷却室の通路よりも、さらに長かった。


岩肌に新しい鑿の跡が見えた。元の鉱山の坑道を、最近、削り直した跡だった。坑道の本来の用途には、なかった部屋を、新しく掘り進めていた。


ヴィレムが先導した。レニが彼の後ろに、半歩遅れて続いた。リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケンの一行が、その後ろを進んだ。


通路の途中、ヴィレムが立ち止まった。


「ここが、最初の鑿の継ぎ目だ。もとの坑道は、ここまで。ここから先は、全部、新しく掘った」


「いつから」


「一年半ほど前。私が、ここに移ってきた頃から、奥に向かって掘り進めている。掘る人足も、別に雇った。ヴァナールの中の人ではない、外の人足だ。仕事が終わると、いなくなった」


ユミルが低く言った。


「**……人足の口封じ、可能性が、ありますね**」


ヴィレムは目を伏せた。


「私には、確かめる術がなかった」


「**……コーレン様、後で、商業ギルドの調査に協力していただきます**」


「はい」


通路は、さらに二十間ほど続いた。途中で、わずかに左へ曲がった。曲がり角の先に、また別の松明の灯りが見えた。


ニャルニルが低く言った。


「**……前方、空間、確認できます。ここまでで、最も広い空間です**」


「貯蔵庫か」


「**……可能性、高いです**」


リンは弓を構え直した。ファーファが、低い姿勢になった。獣人の警戒の構え。


ヴィレムが振り返った。


「貯蔵庫には、見張りが、いないはずだ。装置の管理は、私の仕事だ。普段は、私一人が出入りしている」


「念のため、警戒する」


「分かった」


通路の終わり、岩を削り出した門のような形で、奥の空間が開けていた。


---


貯蔵庫は、思った以上に広かった。


二十間四方ほどの正方形の部屋。天井は、冷却室より高く、岩の上方に、いくつもの換気孔が穿たれていた。地表から見えていた煙の出処が、これだった。


部屋の中央に、巨大な装置があった。


冷却室のものと、似た系統。だが、はるかに大規模。鍋のような容器が三つ、並んでいた。それぞれが、細い管で繋がっていて、最終的に、部屋の壁際に並ぶ、結晶を貯蔵する透明な瓶に流れ込んでいた。


瓶の数は、目視で、五十を超えていた。各瓶の中には、淡い緑色の結晶が、半分ほど詰まっていた。


ユミルが、息を呑むような短い音を立てた。


「**……これは、想定の倍、です**」


「貯蔵量は」


「**……瓶一つに、五百分量。瓶五十で、二万五千分量。街全体に、五年分は流せる量です**」


リンは、瓶の壁を見た。淡い緑の結晶が、灯りを反射して、ぼんやり光っていた。これが、今朝、十二人を倒した物質の、原料の塊だった。


ヴィレムが低く言った。


「私が知らされていたのは、二月分の貯蔵だ。実際は、これだけある。私の知らない貯蔵が、何度か行われていた」


「お前を、信用してなかったか」


「製造の手順は、私に任せていた。だが、貯蔵の量は、私には伏せていた。誰かが、夜中に来て、追加していた可能性がある」


ユミルが頷いた。


「**……ティルス様か、あるいは、別の指示系統です**」


ガルムが後ろから合流した。商業ギルドの隊員と医師団の二人を、冷却室の方から連れてきていた。隊員は、捕虜の引き継ぎを終えていた。


「リン様、状況は」


「貯蔵装置だ。量が、想定の倍ある」


ガルムは瓶の壁を見て息を呑んだ。


「……これは」


「商業ギルド警備隊の、追加の人手が必要だ。瓶の押収と、輸送には、相当の人員が要る」


「直ちに、伝令を飛ばしました。あと半刻ほどで、追加の警備隊と、輸送用の馬車が到着します」


「分かった」


---


ユミルが貯蔵装置の前に立った。光の薄い板が、装置全体を走査した。


「**……装置の構造、確認しました。冷却室の生成装置と、連動しています。今、生成装置を停止したので、新しい結晶は、これ以上は流れ込みません**」


「貯蔵の方は」


「**……貯蔵装置自体は、結晶の保存と、品質管理を行っています。停止は、可能です。手順は、コーレン様のご指示で、行います**」


ヴィレムが装置の前に進んだ。


「貯蔵装置の停止は、生成装置よりも、簡単だ。エネルギーの供給を、絶てばいい。装置は、地下水路の水流を利用した独自の動力源を持っている。水路を完全に塞げば、停止する」


「水路を、塞ぐ」


「冷却室の弁とは別に、貯蔵庫の手前に、もう一つ弁がある。それを完全に閉じれば、貯蔵装置への水流が、止まる」


「分かった」


ユミルがヴィレムの指示で水路の弁を確認した。貯蔵庫の入口の床に、金属の蓋があり、その下に、水路の弁があった。ヴィレムが慎重に、弁を完全に閉じた。


装置の動力音が、徐々に低くなった。やがて、止まった。装置の上に灯っていた、小さな指示灯のようなものが、消えた。


「**……貯蔵装置、停止確認**」


「結晶の方は」


「結晶は、瓶ごと運び出せる。一瓶ずつ、慎重に。衝撃を与えると、結晶が砕けて、粉が飛ぶ。粉を吸い込むと、軽い中毒になる」


ガルムが頷いた。


「医師団に、瓶の梱包の指示を出します。粉の飛散を防ぐ袋を、瓶ごとに被せます」


医師長のフレデリクが進み出た。


「私の方で、対応いたします。レナータ、袋の準備を」


「はい、先生」


レナータが医師団の装備から布の袋を取り出した。瓶の大きさに合わせて、口を絞れる作りだった。準備の良さ、というのが、リンには分かった。商業ギルドの調査隊は、かなりの想定で、装備を組んでいた。


---


ユミルが貯蔵庫の壁を走査していた。


「**……リン様、ここに、もう一つ、何かが、あります**」


「何だ」


「**……壁の奥、空洞の感応です。秘密の部屋、可能性が、あります**」


ヴィレムが振り返った。


「秘密の部屋」


「**……この貯蔵庫の、北側の壁です。岩の厚みが、不自然に薄いです**」


ヴィレムは首を振った。


「私は、知らない。聞いたこともない」


「**……製造の指示系統に、関わっていない、別の用途の可能性です。コーレン様の知らない場所、というのは、十分に、あり得ます**」


リンは北側の壁に近づいた。岩肌は、他の壁と同じに見えた。だが、ユミルが感応する以上、何かはあった。


「ファーファ、壁、分かるか」


「**……ファーファ、見る、ニャ**」


ファーファが獣人姿のまま壁に近づいた。指で、岩肌を撫でた。それから、耳を、壁に当てた。長いこと、聞いていた。


「**……主、奥、空洞、ある、ニャ。広くないけど、人、入れる、ニャ**」


「入口は」


「**……分かんない、ニャ。でも、この、辺り、ニャ**」


ファーファが、岩肌の特定の場所を指した。他の岩肌と、見分けがつかない。だが、古竜の聴覚と、ユミルの感応が、一致していた。


ニャルニルが低く言った。


「**……岩肌の継ぎ目、確認できます。隠し戸、可能性、あります**」


「開けられるか」


「**……機構が、見えません。仕掛けは、外側から押すか、別の場所のスイッチか、です**」


ユミルが低く言った。


「**……コーレン様、貯蔵庫の中で、普段、お一人で出入りされる際、不自然な物に、気付かれたことは、ありますか**」


ヴィレムは考えた。それから、ゆっくり、頷いた。


「……一つだけ。装置の操作盤の、左下に、使ったことのないレバーがある。何の用途か、聞いたが、教えてもらえなかった。装置の動作には、関わらない、と言われた」


「確認します」


ユミルが装置の操作盤の左下を走査した。確かに、装置とは独立した、小さなレバーがあった。


「**……このレバー、装置の系統とは、別のものです。隠し戸の機構と、連動している可能性が、高いです**」


「動かすか」


「**……念のため、ファーファに、隠し戸の前で、待機していただきます。中に、人がいる可能性も、否定できません**」


「**……ニャ。任せて、ニャ**」


ファーファが隠し戸らしき位置の前に立った。獣人姿のまま低い姿勢で身構えた。


リンは矢を抜いた。


「ガルム、退路を確保しておいてくれ」


「ええ。隊員を、入口に配置します」


ガルムが警備隊員に指示を出した。隊員が、貯蔵庫の入口に、警戒の位置を取った。


ユミルが操作盤のレバーに光の手で触れた。


「**……動かします**」


レバーをゆっくり押し下げた。


岩肌の一部が軽い音を立てた。継ぎ目がわずかに開いた。隠し戸がゆっくり横にスライドした。


ファーファが開いた戸の中に視線を向けた。獣人の目が暗い空間の奥を捉えた。


「**……主、誰も、いない、ニャ**」


「中、確認できるか」


「**……ファーファ、見る、ニャ**」


ファーファが隠し戸の中に慎重に踏み込んだ。


ユミルが、光の小さな板を、ファーファの後ろから、中に飛ばした。光が空間を照らした。


---


中は、小さな部屋だった。


二間四方ほどの、正方形の岩室。中央に、机が一つ。机の上に、書類の束、地図、それに、緑色の結晶が、いくつか、保存瓶に入れられて並んでいた。製造装置の生成物より、結晶の色が、より濃い、純度の高そうな結晶。


「**……特殊な結晶、です**」


ユミルが低く言った。


「**……量は少ないですが、純度が、極めて高いです。高位の物質、可能性が、あります**」


リンは机に近づいた。書類を軽く撫でた。


書類は、二種類あった。一つは、製造の記録らしき帳簿。もう一つは、街の地図に、何かを書き込んだもの。


ユミルが地図を走査した。


「**……街中の、特定の住所が、印されています。納品先の地図です。冒険者ギルド舎の帳簿と、内容が、一致しそうです**」


「決定的な、証拠か」


「**……はい。ティルス様の関与を、書類で、示す物です**」


リンは頷いた。


ガルムが机の前に進んだ。


「これは、商業ギルドで、保管します。サフラス様に、お見せすれば、すぐに照合できます」


「頼む」


ガルムが、書類を、丁寧に布で包んだ。地図と、帳簿、それぞれを別に、扱った。証拠としての扱い、商業ギルドの定型のものだった。


ヴィレムが、机の前に立って、書類を見ていた。


「これは……」


「お前、知ってたか」


「いや。ここに、こういう書類があることは、知らなかった。私が、ここで作業する権利はなかった」


「お前の言葉、信じる」


ヴィレムは深く頭を下げた。


ユミルが低く言った。


「**……机の引き出しに、もう一つ、あります**」


ユミルの光の手が、机の下の引き出しを、慎重に開けた。


引き出しの中には、小さな金属の箱があった。掌大の、銀色の箱。


ユミルが箱を走査した。


「**……これは、装置の系統です。第一遺跡の装置と、同じ系統です。ですが、これは、装置全体の、制御装置です**」


「**……装置を、遠隔で操作する、鍵のようなものです。これがあれば、街中の、どこからでも、貯蔵装置と生成装置を、操作できます**」


「ティルスが、街に、これを持ち込んでた」


「**……可能性、高いです。ティルス様が、街にいる間も、ここの装置を、操作していました**」


リンは、箱を見た。銀色の表面に、奇妙な模様が刻まれていた。第一遺跡の装置の、より小さく、より整った版。


「これは、押収する」


ガルムが頷いた。


「商業ギルドで、厳重に保管します」


ユミルが箱を慎重に光の手で持ち上げた。


「**……念のため、箱に、魔法で封をしておきます。誰かが、勝手に開けることは、できません**」


「頼む」


光の鎖が、箱の周りに、薄く巻きついた。封のようなものだった。


---


部屋を出た。


隠し戸をもう一度閉じた。商業ギルドの隊員が、入口で待機していた。


ガルムが低く言った。


「リン様、ここまでで、相当の証拠を、確保できました。ティルス殿の関与を、書類と、装置の核と、捕虜の証言で、三方向から固めました」


「だな」


「商業ギルド舎に戻り、サフラス様に報告いたします。領主館への直訴の準備が、進められます」


「分かった」


ユミルが低く言った。


「**……ですが、リン様、まだ、終わりではない、と思います**」


「ん」


「**……あの方が、まだ、現れていません。これだけの規模の施設の、本来の管理者が、ここに、いないのは、不自然です**」


リンは頷いた。


「だな」


「**……鉱山跡の、もう一段、奥に、まだ別の空間が、あるかもしれません**」


「下層の、地下水路の方か」


「**……はい。図面では、塞がれている、とされていますが、ここまでの状況を、見る限り、信用できません**」


ガルムが頷いた。


「下層への、通路は、貯蔵庫から、さらに奥に、ある可能性があります。確認が必要です」


ヴィレムが低く言った。


「私は、下層に、入ったことがない。だが、何度か、夜中に、足音を聞いたことはある。誰かが、下層に降りていた、と思う」


「いつだ」


「不定期だ。月に、二度か、三度。深夜に、足音だけ。私は、自分の部屋から、出ないようにしていた」


リンは矢筒を撫でた。


「下層の、入口、心当たりは」


「貯蔵庫の、奥の壁。そこに、もう一つ、隠し戸が、あったかもしれない」


ユミルが頷いた。


「**……可能性、高いです。確認します**」


ファーファが奥の壁の方に、すでに視線を向けていた。獣人の耳が、わずかに動いた。


「**……主、奥、誰か、いる、ニャ**」


リンは弓を握り直した。


—了—


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