166 冷却室の灯
階段を下りきると、広い空間が開けていた。
岩を削り出した、横長の部屋だった。天井は低く、岩肌が剥き出しのまま。奥に向かって、さらに通路が続いているのが見えた。
部屋の中には、机と作業台が並んでいた。台の上には、煮詰めた液体の入った鍋、乾燥させた草の束、小さな金属の容器。マタタビ系統の植物と、別の何かを混ぜて加工する作業場だった。
そして、人がいた。
九人。革鎧の男が四人、ローブの男が三人、それから、作業着の男女が二人。革鎧の男は、ファーファの突入で、すでに二人が地面に伏していた。残りの二人が剣を抜いて構え、ローブの三人と作業着の二人は、壁際に身を寄せていた。
「**……exec、subdue、targets、五名**」
ユミルの光の鎖が、矢筒の隣から伸びた。残りの剣士二人とローブ三人を、同時に拘束した。早い、無駄のない動きだった。作業着の二人は、戦闘職ではないと判断したのか、拘束の対象から外していた。
剣士の一人が、鎖が腕に巻きつく直前、何かを口にした。
「ヤツらが、来た」
そう叫んだ。次の瞬間、奥の通路の方から、別の足音が立ち上がった。複数。武装した者の、慌てた足音。
リンは矢をつがえた。
「ガルム、後ろは頼む」
「ええ」
ガルムが、副隊長と隊員三人と共に、入口の階段を確保する位置に回った。商業ギルドの警備隊は、後詰めとしては優秀だった。前線をリンとファーファに任せ、退路を守る役に徹していた。
ファーファが、奥の通路の方を向いた。獣人姿のまま、低い姿勢で身構えた。
ニャルニルが、低く言った。
「**……奥から、五人。武装、しています**」
「**……戦闘職です。先ほどの剣士よりも、訓練度が高そうです**」
ユミルが続けた。
リンは弓を構えた。
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奥の通路から、五人が現れた。
革鎧、外套、剣。冒険者ギルドの装備だった。先頭の男が、剣を構えながら、状況を見て取った。地面に伏した仲間、光の鎖で縛られた剣士、壁際に身を寄せる作業着の二人。
「貴様ら、何者だ」
「商業ギルドの調査だ」
リンが短く答えた。
「ふざけるな。商業ギルドに、坑道調査の権限はない」
「煙の調査の名目だ。書類はある」
「冒険者ギルドの管轄を、無断で侵犯したな。その罪、軽くないぞ」
リンは答えなかった。
ユミルが、低く言った。
「**……リン様、対話の余地は、ありません。彼らは、製造の証拠を、隠そうとします**」
「だな」
「**……exec、firewall、入口側**」
光の薄い壁が、奥の通路の入口に展開された。五人の退路を、半分塞いだ。
「ファーファ」
「**……ニャ**」
ファーファが、地を蹴った。
獣人姿のまま、低い姿勢で突進した。先頭の男が剣を構えたが、ファーファの方が早かった。男の手首を片手で掴み、もう片方の手で剣の柄を弾いた。剣が、岩の壁に当たって、乾いた音を立てた。男は剣を失った。
二人目が、横から斬りかかった。ファーファは身を低めて、斬撃を躱した。同時に、肩で男の腹を突き上げた。男は数歩、後ろに飛んで、壁にぶつかった。
リンは、三人目に矢を放った。
弓の手元の指を狙った。矢は男の右手の親指を縫って、剣を握れなくした。男は呻いて、剣を取り落とした。
「**……一名、四名**」
ニャルニルが、状況を読んだ。
ファーファは、四人目に向かった。男は弓を構えていた。獣人の脚力を見て、距離を取ろうとしていた。だが、ファーファの跳躍に追いつかなかった。男が矢を放つ前に、ファーファが弓ごと弾き飛ばした。男は倒れた。
五人目が、最後だった。男は剣を構えながら、後退した。奥の通路に逃げようとした。
ユミルが、低く言った。
「**……exec、subdue、target、最後の一名**」
光の鎖が、最後の男の足首を絡め取った。男は転んだ。剣が手から離れた。
リンは矢を下ろした。
「制圧、完了か」
「**……はい。五名、拘束しました**」
ファーファが、地面に伏した男たちの上に、ジャーキーをくわえたまま立っていた。古竜の獣人姿、戦闘の余裕。男たちは、誰も動けなかった。
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ガルムが、入口側から駆けつけた。
「リン様、ご無事ですか」
「無事だ」
「お見事でした」
ガルムが、地面の男たちと、光の鎖で縛られた者を見渡した。革鎧の男たちは、冒険者ギルドの腕章をつけていた。ティルスの組織の人間だった。
「冒険者ギルドの隊員、計十人ほど、確認しました。これは、決定的な証拠になります」
ユミルが頷いた。
「**……ガルム様、奥に、まだ作業中の場所があります。装置の停止と、作業員の保護を、急ぎます**」
「ええ。私も同行します。副隊長は、ここで残り、捕虜を見張ります」
ガルムが副隊長に指示を出した。副隊長と隊員三人が、捕虜の周りを固めた。リンとガルム、ファーファ、ユミルが、奥の通路に向かった。
通路は、岩を削り出した狭い道で、両側に、灯り用の松明が、等間隔で燃えていた。最近設置されたもの、というのが分かった。岩肌が、煤で黒ずんでいた。
ニャルニルが、低く言った。
「**……前方、もう一段、空間があります。広い、です**」
「冷却室か」
「**……可能性、高いです**」
リンは弓を構えた。
通路を抜けると、思った通り、広い空間が現れた。
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冷却室は、図面通りの作りだった。
岩を削り出した、十間四方ほどの正方形の部屋。中央に、地下水路から引いた水路が、床を横断していた。水は今も流れていた。塞がれた、という記録は、嘘だった。水路の両側に、金属の作業台が、五つほど並んでいた。
作業台の上に、装置があった。
第一遺跡で見たものより、小さく、整然としていた。大きな鍋のような容器、それに繋がる細い管、管の先に、結晶を生成する小さな器。マタタビ系統の液体を、特定の温度と圧力で煮詰めて、闇にゅーる――MTTBの結晶を生成する装置だった。
容器の下では、火が燃えていた。地下水路の水が、装置を冷却していた。
そして、装置の前に、人がいた。
二人。一人は、五十がらみの白衣の男、技師の風体だった。もう一人は、若い助手と思しき女。二人とも、武器は持っていなかった。リンたちが現れた瞬間、白衣の男は、両手を上げた。降参の姿勢だった。
「動かないでくれ。私は、戦わない」
「お前、誰だ」
「ヴィレム・コーレン。技師だ。私は、ただの雇われだ」
ユミルが、低く言った。
「**……装置の状態、確認します**」
ユミルの光の薄い板が、装置の上を走査した。第一遺跡の装置と、同じ系統の解析が走っているのが分かった。
「**……装置、稼働中です。停止コマンド、入れます**」
「待ってくれ」
ヴィレムが、手を上げたまま、必死の声で言った。
「停止のさせ方を、間違えると、装置が暴走する。中の物質が、気化して、坑道全体に広がる。子供の頃から、毒に弱い者が、坑道周辺に住んでいる。被害が出る」
リンはヴィレムを見た。
「お前、それを知ってて、製造してたのか」
ヴィレムは、目を伏せた。
「……知っている」
「だが、止めなかった」
「私が止めれば、私の家族が殺される。妻と、娘が二人。冒険者ギルドの長が、私の家族を、人質に取っている」
「ティルス」
ヴィレムは目を閉じた。それから、頷いた。
「……はい」
ガルムが、低く言った。
「お話は、後ほど、商業ギルド舎で詳しく伺います。今は、装置の安全な停止が、第一です」
「協力してくれるか」
「私の家族の安全が確保されれば、何でも」
「商業ギルドが、最大限、保護する。約束する」
ヴィレムは、しばらく目を閉じていた。それから、ゆっくり頷いた。
「分かった。装置の停止手順、教える」
ユミルが、低く言った。
「**……コーレン様、お願いします**」
ヴィレムは、装置の前に立った。両手は上げたまま、手順を口頭で説明し始めた。
「まず、火を落とす。だが、急に消すと、容器の中の液体が、過冷却で爆発する。徐々に、火力を下げる」
「**……火力、ゆっくり、下げます**」
ユミルの光の輪が、容器の下の火に被さった。火が、徐々に弱まっていった。ヴィレムが、容器の中の液体を、長い金属の棒で、ゆっくり混ぜた。
「次に、地下水の流入を止める。だが、急には止めない。水路の弁を、半分ずつ閉じる」
「**……水路の弁、確認します**」
ニャルニルが、観測の声で続けた。
「**……水路の左右に、金属の弁、二つあります**」
ヴィレムが、左の弁を、ゆっくり半分閉じた。続いて、右も、半分。水の流れが、徐々に弱くなった。
「最後に、結晶器を、装置から外す。これで、新しい結晶の生成が、止まる」
「**……結晶器、外します**」
ユミルの光の手が、結晶器を、慎重に持ち上げた。装置から外した。結晶器の中には、生成途中の小さな結晶が、いくつか残っていた。
ヴィレムが、長く息を吐いた。
「これで、装置は、安全に停止した」
「他に、装置はあるか」
ヴィレムは、頷いた。
「奥に、もう一つある。同じ系統だが、規模が大きい。生成中の結晶を、貯蔵する装置だ」
「貯蔵、量は」
「ここ三月で、生成した分が、まだ貯蔵されている。十数貫目」
「十数貫目」
ガルムが、息を呑んだ。
「街全体に、数年分は流せる量、です」
「……まずいな」
ユミルが、低く言った。
「**……貯蔵装置の停止と、結晶の押収が、必要です。ガルム様、商業ギルド警備隊を、追加で呼べますか**」
「呼べます。直ちに、伝令を飛ばします」
ガルムは、副隊長に指示を出すために、来た通路を戻っていった。
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リンは、ヴィレムの前に立った。
「お前の家族の場所は」
「街の南、職人地区の、奥の家。住所は、後で書く」
「分かった」
「リン様、と仰いましたか」
「ああ」
「私の家族を、お助けいただけるか」
「商業ギルドのサフラスに、伝える。お前の家族の保護、優先される」
「ありがとう」
ヴィレムは、深く頭を下げた。それから、装置の方を、もう一度見た。
「私は、技師だ。最初は、薬の研究だと聞いて、雇われた。途中で、これが、薬ではないと気付いた。だが、降りられなかった」
「いつから、ここにいる」
「三年だ。最初は、別の場所だった。一年前、この鉱山跡に移動した」
「別の場所」
「街の地下、商業ギルドより南西の倉庫街。そこも、あった。今は、もう撤去されている、と思う」
ユミルが、頷いた。
「**……製造拠点が、複数あった可能性です。今は、ここに集約されている**」
「だな」
リンは矢筒を、軽く撫でた。
「奥の貯蔵装置、案内できるか」
「できる。私が手順を知っている。安全に押収できる」
「頼む」
ヴィレムは、頷いた。それから、若い助手の女に、目を向けた。
「レニも、私と一緒に。彼女も、雇われだ。家族はいない」
レニと呼ばれた女は、震えながら頷いた。怖がっていた。だが、ヴィレムの言葉に、しがみついていた。
リンは頷いた。
「お前らの安全は、守る」
「ありがとう、ございます」
レニが、小さく頭を下げた。
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ファーファが、ジャーキーを齧りながら、ヴィレムを見ていた。
「**……主、こいつ、嘘、ついてないの、ニャ?**」
「分かるか」
「**……ファーファ、嘘つきは、嫌い、ニャ。こいつ、震えてるけど、嘘の震えじゃ、ない、ニャ**」
ユミルが、低く頷いた。
「**……同感です。コーレン様の言葉、信じても、良いと思います。家族の話は、検証が必要ですが**」
「分かった」
リンは、ヴィレムに向き直った。
「装置、案内してくれ」
「はい」
ヴィレムが、奥の通路の方に、ゆっくり歩き始めた。レニが、その後ろに、ぴったりとついていった。
ユミルが、装置の周りに、軽く光の印を残した。
「**……押収の証拠用に、印を打っておきます。後で、商業ギルドが回収する際の目印です**」
「分かった」
リンは、奥の通路に向かって、進んだ。冷却室の灯りが、後ろに小さく揺れていた。
奥には、もう一段、別の空間があった。
—了—




