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165 夜明けの馬車


夜明け前、宿の戸を、軽く三度叩く音がした。


リンはすでに起きていた。弓を背負い、矢筒を二つ、腰と背に分けて装着していた。革鎧の上から、外套を一枚羽織っていた。山中は、街中より冷える。


「リン様、ガルム、参りました」


戸を開けた。ガルムが、馬車の御者と二人で立っていた。背後、宿の前に、四頭立ての大きな馬車が二台、止まっていた。一台目には商業ギルド警備隊、二台目には医師団と装備一式。


「準備、できております」


「分かった」


リンは振り返った。ファーファが寝台で大きく伸びをして、獣人姿のまま跳ね起きた。腰に布袋、ジャーキーの予備が入っている。背にはニャルニル。肩にはクラケン。


「**……ファーファ、行く、ニャ**」


「**……ユミル様、お供します**」


「**……観測、入ります**」


「**……ぴゅ**」


ユミルは矢筒の隣で、姿を絞ったまま、声だけが立っていた。


戸の外、宿の女将が早朝にも関わらず起きていて、握り飯を渡してくれた。トビーが昨夜、宿主に伝えていたらしい。リンは礼を言って、握り飯を受け取った。ファーファが二つ目を、当然のように受け取って、布袋に入れた。


「ご無事で、お戻りください」


「ああ」


宿の女将は深く頭を下げた。リンは外に出て、馬車に乗り込んだ。


---


馬車は、街の北門に向かった。夜明け前の通りに、人はいない。封鎖された三番街の方角だけ、冒険者ギルドの隊員が立つ角に、灯りが見えた。それ以外は、すべて暗かった。


北門は、商業ギルドの通行証で、すぐに開いた。門番が顔を出して、ガルムに軽く敬礼した。商業ギルドの調査名目は、すでに通っているらしかった。


街道に出ると、馬車が速度を上げた。北の山が、薄明かりの中で、徐々に形を見せ始めていた。


ガルムが、リンの隣に座っていた。


「リン様、坑道の入口までは、馬車で半刻、徒歩で半刻、合計一刻ほどです」


「了解」


「途中、街道が三本に分かれます。鉱山跡へは、左の道です。途中で馬車を降りて、徒歩になります」


「分かった」


ユミルが、矢筒の隣で低く言った。


「**……街道の様子、確認しておきます。最近、人の出入りがあったかどうか、地面の踏み具合で、ある程度は分かります**」


「頼む」


馬車の窓から、ユミルの光の小さな板が、外を観察するように向けられた。


街道は、夜明けの薄い光の中で、徐々に色を取り戻していった。土の道、両側に低い木立、遠くに鉱山の山影。古い、使われなくなった街道の風情だった。


途中で、ユミルが低く言った。


「**……リン様、最近、馬車の轍が、複数あります**」


「闇にゅーるの輸送か」


「**……可能性は、高いです。一台ではありません。複数台、それも、定期的な往来です**」


「街の方には」


「**……街の方角ではなく、北の山中に向かって、続いています**」


「鉱山跡」


「**……はい。途中で別の道に逸れる可能性も、確認します**」


ガルムが頷いた。


「街道の三叉路まで、もう少しです。そこで、轍がどちらに向かうか、見えるかと存じます」


馬車は進んだ。三叉路に近づくと、リンも窓から外を見た。三本の道が、放射状に分かれている。一本は鉱山跡へ、一本は北の隣街へ、一本は山道へ。


ユミルが言った。


「**……轍は、鉱山跡の方向に、続いています。それ以外の二本には、最近の轍は、見られません**」


「決まりだな」


「**……はい**」


馬車は左の道に入った。鉱山跡への旧街道。今は、ほぼ使われていないはずの道。だが、車輪の跡が、はっきり残っていた。


---


しばらく進んで、ガルムが御者に合図を送った。馬車が止まった。


「リン様、ここから先は、徒歩です。馬車では、坑道入口までは進めません。木立が密です」


「分かった」


馬車を降りた。商業ギルドの警備隊員が、二台目の馬車から装備を運び始めた。各人の荷物、医師団の医薬品、灯り用の松明、予備の武器。ガルムが手早く配分した。


リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン。ガルムと、副隊長と、隊員三人。医師二人。合計、十一人。


医師団の二人は、年配の医師と、若い助手だった。年配の医師は、白髪交じりの落ち着いた人で、ガルムが紹介した。


「医師長のフレデリク・モースと、助手のレナータ・ベルクと申します」


フレデリクは丁寧に頭を下げた。


「お見知り置きを」


「リンだ」


「ご一緒できる栄誉、感謝いたします」


レナータは若く、二十代前半に見えた。緊張した面持ちで、しかし礼儀正しく頷いた。


ユミルが、フレデリクに小さく言った。


「**……モース先生、解毒の準備、お持ちですか**」


「マタタビ系統の解毒剤と、一般的な解毒剤、複数種を持参しております。鎮静剤、止血剤、外傷用の処置具、ひと通り揃えております」


「**……ありがたいです。私の方でも、応急処置はできますが、医療の本職の方が同行されると、安心です**」


「お役に立てれば、幸いです」


ユミルは小さく頷いた。


---


徒歩で、半刻。


木立の中の細い道を、列になって進んだ。ガルムが先導、次に隊員三人、リンと一行が中ほど、医師団が後ろ、最後に副隊長。鉱山跡が近づくにつれて、地面が固くなり、足音が響くようになった。


ユミルが、矢筒の隣で低く言った。


「**……空気の流れ、変わりました。前方、坑道入口の方角から、わずかに、暖かい空気が流れています**」


「煙の話、合ってたか」


「**……はい。坑道の中で、何かを燃やしているか、温めている、可能性が高いです**」


ガルムが小声で頷いた。


「坑道入口、もう一町ほど先です」


「警戒、入る」


「ええ」


ガルムが手で合図を送った。隊員三人が散開して、左右の木立に身を低めた。リンも弓を構え直した。ファーファは獣人姿のまま、四つん這いに近い姿勢で進み始めた。ニャルニルが背で、観測の準備に入った。


ニャルニルが、低く言った。


「**……前方、坑道入口、確認できます。入口に、武装した者、二名、立っています**」


「見張りか」


「**……はい。坑道の中からは、複数の人の気配を感じます。十数人、と推定します**」


「冒険者ギルド風か」


「**……革鎧、外套。冒険者ギルドの装備に、近いです**」


リンは矢を抜いた。


ガルムが、囁いた。


「リン様、最初の二人は、こちらで対処します。商業ギルドの警備隊で、生け捕りにします」


「分かった」


ユミルが、低く言った。


「**……入口から二十間まで近づければ、私の光の鎖で、二人とも拘束できます。隊員の方々の負担を、減らせます**」


「ガルム」


「ユミル様にお願いいたします。私たちは、念のための後詰めに回ります」


「**……はい**」


---


近づいた。


木立の隙間から、坑道入口が見えた。山の斜面に、黒い口を開けている。入口の両側に、革鎧の男が二人。槍を持って、退屈そうに立っていた。一人は欠伸をしていた。気を抜いた見張り。


「ファーファ、待機」


「**……ニャ**」


ファーファは木立の影に身を潜めた。


ユミルが、矢筒の隣で、低く詠唱を発した。


「**……exec、subdue、targets、二名**」


光の鎖が、矢筒の隣から、坑道入口の二人に向かって伸びた。早すぎて、二人とも反応できなかった。鎖が一瞬で巻きついて、二人の腕を背中に固定し、足首を結束した。


「**……拘束、完了です。声を出させない処置も、しております**」


ガルムが頷いた。


「お見事です」


商業ギルドの隊員が、二人の元へ駆け寄って、装備を回収した。槍、剣、それに、坑道入口の鍵らしき小さな金属片。ガルムが鍵を受け取った。


「これで、入口の制圧、完了です」


「中、行くか」


「ええ」


リンは弓を背負い直した。ファーファが、木立の影から出てきた。獣人姿のまま、坑道の暗闇を覗き込んだ。


ユミルが、低く言った。


「**……坑道内の構造、図面通りであれば、最初の二十間は、表層の本道です。途中で、中層への階段が、左に分かれます。冷却室は、その階段を下りた先です**」


「気を付けて行く」


「**……はい**」


---


坑道に入った。


最初の数歩で、空気が変わった。外より暖かく、わずかに、薬草と化学物質の混じった匂いがした。マタタビとは違う、別の何かが加わった匂い。


リンは弓を構えながら、進んだ。松明を、ガルムが先頭で持っていた。火明かりが、岩肌を赤く照らした。


「**……リン様、空気中の物質、検出できます**」


ユミルが低く言った。


「マタタビか」


「**……マタタビ系統に加えて、別の物質。第一遺跡の装置から検出された物質と、近いものが、混ざっています**」


「闇にゅーるの製造、進行中、か」


「**……はい。今、まさに、加工が行われています**」


ガルムが小声で言った。


「リン様、医師団は後ろで待機させます。中毒の危険が高い場所には、踏み込ませません」


「頼む」


医師団の二人は、坑道入口の少し内側で、装備と共に待機した。ガルム、副隊長、隊員三人、リン一行の合計八人で、奥に進んだ。


二十間進んだところで、ニャルニルが低く言った。


「**……左、階段、確認できます**」


「中層への階段か」


「**……はい。下に、空気の流れと、人の気配が、より濃く感じられます**」


「行くか」


ガルムが頷いた。隊員が階段の左右に立って、降りる準備をした。階段は、岩を削り出した急なもので、片側に古い木の手すりが残っていた。下から、暖かい空気と、薬の匂いが、より強く流れ上がってきた。


「**……階下に、複数の人。十人前後**」


「武装してるか」


「**……装備の音、確認できます。少なくとも、半数以上は、武装しています**」


リンは矢を抜いた。


「先に、ファーファが行く。混乱させて、その隙にユミルが拘束を入れる。商業ギルド警備隊は、後詰めだ」


「**……ニャ。任せて、ニャ**」


ファーファは、階段の縁に立った。獣人姿のまま、軽く息を吐いた。古竜の威圧を、まだ抑えていた。


リンが、ファーファの背を軽く叩いた。


「行け」


ファーファが、階段を一気に駆け下りた。


階段の下から、悲鳴と、武器を抜く音が、立て続けに上がった。


「**……exec、subdue、複数target**」


ユミルの声が、矢筒の隣から、続けて立った。


階下が、一気に騒がしくなった。


リンも階段を駆け下りた。


—了—


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