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164 卓上の盤面


リン、ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン。それから、トビーが宿に来ていた。トビーは夕方、ティルスのギルド舎での動きを観察した後、宿に直接来た。商業ギルドからは、ローズの判断で、ガルムが連絡係を兼ねて同席することになっていた。


卓の上には、街の地図と、商業ギルドから借りた鉱山跡の図面、それに捕虜の身元書類の写しが並べられていた。


「まず、今日の整理だ」


リンは矢の鏃で、地図の上を軽く撫でた。


「朝、西三番街で集団発作。十二人が重症、二十人が軽症。ティルスが半刻後に到着して、三番街の封鎖を実施。被害者の処置は、ガルムが押し返して、商業ギルド側で受け持った」


「**……被害者の方々、命の危険は、回避できております。重症の三人は、まだ意識が戻っていませんが、体は安定しています**」


ユミルが頷いた。


「で、捕虜の身元が判明した。ヨゼフ・ハーゲン、冒険者ギルド特殊任務班の隊長級、ティルス直属。これで、昨夜の襲撃が、ティルスの指示によるものだという、書類上の証拠が固まった」


トビーが頷いた。


「ヨゼフ、俺も知ってる。十年来の古株だ。ティルスの腹心の一人」


「お前、その自覚があって、捕まえても良かったのか」


「ああ」


トビーは短く答えた。それ以上は言わなかった。


ガルムが、卓に向かって軽く頷いた。


「捕虜の存在は、商業ギルド側で厳重に管理しております。地下の医療室で、身柄を確保しております。ローズ様の権限で、領主館への移送も可能ですが、現時点では、商業ギルド舎で保留しております」


「保留の理由は」


「決定打が、もう一つ欲しいから、です」


「鉱山跡」


「ええ」


ガルムが、地図の北の方を指した。


「現在、ティルス殿は、捕虜が商業ギルド側にいることを、把握していると思われます。ですが、表立っては、まだ動いておりません。ヨゼフ殿の身元を、商業ギルドが特定したことを、ティルス殿は気付いていない可能性があります」


「**……商業ギルドの照合の速さは、ティルス様の想定外、ですね**」


「サフラス様の手腕です。書類の整備、商業ギルドの伝統です」


ユミルが小さく頷いた。


「**……つまり、今が、好機です。ティルス様が次の手を打つ前に、こちらが鉱山跡を押さえる**」


「だな」


リンは矢を卓に置いた。


「明日、鉱山跡。商業ギルドの調査名目で、合法に入る。ガルム、医師団、装備一式、商業ギルドが手配済み」


「夜明けと共に出立、馬車で半刻、街道から坑道入口まで、徒歩で半刻。合計、街から二刻以内で到着できます」


「中はどうなってる」


ガルムが、鉱山跡の図面を広げた。古い羊皮紙だった。


「坑道は、表層、中層、下層、と三層に分かれております。表層は、五十年前の閉鎖時のまま。中層に、冷却室があります。下層は、地下水路が走っておりました。表向きは、すべて塞がれております」


「煙が出てるのは」


「中層、と思われます。冷却室の換気孔が、地表に幾つか開いております。以前は、地下の熱気を逃がす通気口でした。今は塞がれているはずですが、夜の煙の出所と、位置が一致しております」


ユミルが図面を覗き込んだ。


「**……この位置の換気孔、地表からの距離は、どれくらいですか**」


「地表から、地下二十間ほどです」


「**……空気の流れがあるなら、製造の規模は、ある程度大きいです。少量の加工なら、煙は出ません**」


「規模は」


「**……数十人分の闇にゅーるを、定常的に製造できる、という規模です。今朝の集団発作の量を、考えると、それくらいの規模が、必要です**」


ガルムが頷いた。


「ということは、坑道の中に、相当数の作業員がいる、可能性があります」


「**……はい。十数人から、数十人、と推定します**」


トビーが顔をしかめた。


「冒険者ギルドの隊員が、関わってるかもしれない」


「**……可能性は、あります**」


リンは矢を撫でた。


「武力衝突は、避けられないか」


ガルムが慎重に答えた。


「相手の構成によります。冒険者ギルドの隊員であれば、訓練を受けた戦闘職です。ですが、闇にゅーるの製造作業員であれば、戦闘職ではない可能性もあります。両者が混在している、という想定が、現実的です」


「装備は」


「商業ギルド警備隊から、五人。私と、副隊長一人、隊員三人。皆、剣士か槍兵です。それから、医師団から、二人。万一の中毒対応です」


「俺たちと合わせて、十一人」


「ええ」


ユミルが、低く言った。


「**……数の上では、不利かもしれません。ですが、こちら側には、私たちがいます**」


「だな」


リンは少しだけ、表情を緩めた。古竜の獣人と、百年前のAIと、戦槌の声と、海の触手。普通の戦力計算では、出てこない数字だった。


ファーファが、ジャーキーを齧りながら、低く言った。


「**……ファーファ、強いの、ニャ。任せて、ニャ**」


「無茶はするな」


「**……ニャ**」


ガルムが、不思議そうにファーファを見た。それから、自分の剣の柄を撫でて、軽く頷いた。


「明日、よろしくお願いします」


---


トビーが、卓に肘をついた。


「俺は明日、ギルド舎にいる。ティルスが鉱山跡の動きを察知したら、すぐ伝令を飛ばせる」


「お前、危なくないか」


「ティルスは、俺をまだ疑ってない。少なくとも、表向きは。補佐としての俺の信用は、十年かけて積んできた」


「そうか」


「ティルスの目の届く範囲で、普通に仕事するのが、俺の役目だ」


リンは頷いた。


「お前の判断、信用する」


「ああ」


トビーは少しだけ、照れたように顔を逸らした。それから、声を低くした。


「リン」


「ん」


「鉱山跡で、何があっても、生きて戻ってきてくれ」


「ああ」


「俺、まだ、お前らに、伝えてないこと、ある気がする」


「いつか聞かせろ」


「いつか、な」


トビーは小さく笑った。それから、立ち上がった。


「明日の朝、ギルド舎で動いてる。何かあったら、サフラス様経由で、伝令が来る」


「分かった」


トビーは戸の前で振り返った。一拍、リンを見た。それから、軽く手を上げて、出ていった。


戸が閉まった。


ガルムが、低く言った。


「リン様、トビー殿のことは、商業ギルド側でも、把握しております。冒険者ギルドの内側に、信頼できる人が一人いる、というのは、極めて貴重です」


「だな」


「ご無事をお祈りしております。トビー殿の判断を、こちらも信用しております」


「ありがとう」


ガルムも立ち上がった。


「私も明日の準備に戻ります。明朝、夜明け前、宿前に馬車で参ります」


「頼む」


ガルムが出ていった。戸の閉じる音が、続けて二度、響いた。


---


部屋に、リンとユミルとファーファと、ニャルニルとクラケンだけが残った。


リンは弓を膝に乗せた。弦を一度、指で撫でた。


「ユミル」


「**……はい**」


「明日の鉱山跡、お前の見立ては」


「**……戦闘の可能性は、高いです。製造現場の作業員と、護衛の戦闘職、両方の対応が必要になります**」


「お前の役割」


「**……後方支援を中心にします。光のファイアウォール、負傷者の治療**」


「分かった」


「**……それから、リン様**」


ユミルの声が、わずかに低くなった。


「**……鉱山跡の中で、フードの男に、出会す可能性が、あります**」


リンは矢を撫でていた手を止めた。


「お前の読みは」


「**……断定はできません。ですが、製造現場は、あの方の関心事の中枢です。視察、あるいは、指示のために、現地にいる可能性は、十分にあります**」


「もし出会したら」


「**……認識操作の本体です。視覚以外の感知系統を持っています。前回の遭遇では、一方的に観察される側でした**」


「だな」


「**……今回は、距離を取りすぎるべきではない、と思います。あの方は、距離があれば消える。捕まえるなら、近距離で、一瞬の判断が必要です**」


「俺の弓では、難しいか」


「**……弓は、認識操作で、軌道を逸らされる可能性があります。前回、第一遺跡で、リン様の矢を回避した実績があります**」


「ファーファか」


「**……ファーファに任せるか、私が拘束を入れるか、です**」


ファーファが、寝台で耳を立てた。


「**……主、ファーファ、フードのやつ、潰す、ニャ?**」


「捕らえろ」


「**……ニャ。生きたまま、ニャ**」


「無理なら、無理でいい。お前の判断に任せる」


「**……ニャ**」


ファーファは頷いた。それから、ジャーキーをもう一本、ゆっくり齧った。古竜の獣人姿の、何でもない仕草だった。


ユミルが、矢筒の隣で、わずかに息を吐いた。


「**……リン様、もう一つ、申し上げます**」


「ん」


「**……鉱山跡の中で、敵の研究施設に、何かしらの装置があると思います。第一遺跡の装置と、似た系統の装置です。停止させる必要があります**」


「お前にできるか」


「**……はい。第一遺跡の装置と同じ系統であれば、停止コマンドの目処は、立っています**」


「分かった」


リンは弓を壁に立てかけた。


ニャルニルが、戦槌の柄から、低く言った。


「**……明日の観測、私が担います。坑道の音響、敵の位置、空気の流れ、全て把握します**」


「頼む」


「**……はい**」


クラケンが、ファーファの肩で、軽くぴくりと動いた。


「**……ぴゅ**」


ファーファがその振動を受けて、頷いた。


「**……主、クラケン、水、いつでも出せる、って、ニャ**」


「ありがたい」


「**……ぴゅ**」


クラケンは満足そうに、触手を一本、ファーファの首に巻き付けた。


---


リンは窓の外を見た。


ヴァナールの夜は、いつもより少しだけ静かだった。封鎖された三番街の方角からは、声がしなかった。冒険者ギルドの隊員が立っているだけの、空っぽの通り。


被害者は、商業ギルド舎の地下で、医師団の処置を受けている。捕虜は、別の地下室で、光の鎖に縛られて、夜を過ごしている。トビーは、自分の家か、ギルド舎の宿直室か、どちらかで、明日の動きに備えている。


明日、夜明け前。鉱山跡。北の山中。煙の出処。


リンは矢筒に、矢を一本補充した。三十本。十五と、十五。


「ユミル」


「**……はい**」


「お前、寝るのか」


「**……すぐには、寝ません。明日のための整理が、まだ残っています**」


「無理はするな」


「**……はい。リン様も、お休みください**」


「ああ」


リンは寝台に身を横たえた。ファーファはすでに目を閉じていた。古竜は、必要な時にだけ起きる。普段は、寝ている。


ユミルが、卓の上で光の小さな板を浮かべて、明日の坑道の図面を、繰り返し読み込んでいた。冷却室、地下水路、換気孔、入口、退路。何度も、確認していた。


リンは目を閉じた。


明日の朝、夜明け前、馬車が来る。


—了—


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