表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163/201

162 炭鉱跡


光の鎖で縛られた男が、部屋の隅でわずかに身じろぎしたのを、目の端で捉えた。


「ユミル」


「**……はい**」


矢筒の隣でユミルの声が立った。続いて、男の口の塞ぎが緩んだ。話せる程度に。完全には外さない。


リンは椅子を引いて、男の前に座った。


「お前、名前は」


男は答えなかった。革鎧の下、息の浅さが見えた。怪我はない、ファーファが押さえつけた時の打ち身が一つ二つあるだけだ。だが、目には覚悟があった。


「名前、答えなくていい。冒険者ギルドの所属か、それだけ確かめる」


男は唇を結んだまま動かなかった。


「ファーファ」


「**……ニャ**」


寝台で齧りかけのジャーキーをくわえたまま、ファーファが片目を開けた。獣人姿のまま、ゆっくり起き上がる。男の前に立った瞬間、男の肩が一度、跳ねた。


ファーファは何もしなかった。ただ、立っていた。


それでも、男の額には汗が浮いた。


「冒険者ギルドの所属か」


リンはもう一度、同じことを訊いた。男はしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。


「ティルスの直属か」


男は目を逸らした。それが答えだった。


「昨夜の任務、何の名目で受けた」


男は首を振った。話す気はない、という意味だった。


ユミルが矢筒の隣で、低く言った。


「**……リン様、これ以上は、難しいと思います。プロの兵です**」


「だな」


「**……ローズ様への引き渡しまで、この状態を保ちます。鎖の強度は、十分です**」


「分かった」


リンは立ち上がった。男の口の塞ぎを、ユミルが元通りにした。


ファーファが寝台に戻って、ジャーキーをまた齧った。


「**……主、こいつ、固いの、ニャ**」


「兵だからな」


「**……うちの、ファーファ、強いの、教えただけ、ニャ**」


「教えなくていい」


「**……ニャ**」


ファーファは尻尾を一度、軽く揺らした。気にしていない様子だった。


---


朝が来て、ヘンリーが宿に来た。トビーが先に伝えていたらしい。応接の応待もせず、すぐ部屋に入ってきた。光の鎖で縛られた男を見て、息を呑んだ。


「リン様、これは」


「昨夜、矢を射てきた男の片割れだ。冒険者ギルドの特殊任務班、ティルスの直属」


「……北側に逃げた一人もいた、と聞いております」


「トビーは追ってる」


ヘンリーは目を細めた。商人の顔ではなく、戦時の顔だった。


「ローズ様も、この件、すでに把握しておられます。本日、商業ギルド舎へお越しください、とのことです。商業ギルド長も同席なさいます」


「商業ギルド長」


「**……名は、確認しておきましょう**」


ユミルが小さく言った。リンは頷いた。


「分かった。捕虜は」


「商業ギルド側で身柄を引き取ります。商会の地下に、安全な部屋がございます。ローズ様の権限で、領主館への移送も可能です」


「頼む」


ヘンリーは護衛を呼んだ。商会の屈強な男が二人、入ってきた。光の鎖は外せないので、ユミルが鎖の長さだけ調整して、運びやすい形にした。男はおとなしく従った。抵抗しても無駄だ、と分かっている顔だった。


「リン様、お話の続きは、ギルド舎で」


「ああ」


ヘンリーは護衛と捕虜を連れて、宿を出ていった。


戸が閉まると、ユミルが小さく息を吐いた。


「**……一段落、ですね**」


「まだ序盤だ」


「**……はい。でも、捕虜が証拠になります。これは、大きいです**」


リンは矢筒を肩にかけた。


「行くか」


「**……はい**」


「**……ファーファ、行く、ニャ**」


「**……ユミル様、お供します**」


「**……観測、入ります**」


「**……ぴゅ**」


---


商業ギルド舎は、街の中央通りに面した三階建ての石造りだった。冒険者ギルド舎より一回り大きい。表に商人の出入りが多く、荷馬車の音が絶え間なく続いている。


ヘンリーが入口で待っていた。リンを先導して、二階の応接室へ通した。


部屋には三人いた。ローズと、知らない男が二人。一人は六十前後、白髪交じりの小柄な男で、商人の身なり。もう一人は四十前後、肩幅の広い人間で、剣士の姿勢だった。


ローズが立ち上がって、リンを迎えた。


「リン様、よくお越しくださいました。昨夜のこと、聞いております。お怪我は」


「ない」


「ファーファ様も、お変わりなく」


「**……ニャ**」


ファーファはローズの顔を覚えていた。短く頷いた。


ローズは小柄な白髪の男に目をやった。


「ご紹介します。ヴァナール商業ギルド長、サフラスです」


サフラスと呼ばれた男が、丁寧に頭を下げた。


「サフラス・ノルディン、と申します。商業ギルドの長を務めております。ローズから、お話は伺っております。本日は、ご足労いただき、感謝いたします」


「リンだ」


「お連れ様も、ご紹介を」


「ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン」


サフラスは矢筒の隣のユミルにも、ファーファの肩のクラケンにも、丁寧に視線を向けた。獣人の街らしく、姿かたちで人を判じる癖がない。


「もう一人、ご紹介させてください」


ローズが続けた。剣士の姿勢の男に目をやった。


「商業ギルド警備隊長、ガルム・トーレンです」


ガルムが立ち上がって、軽く頭を下げた。


「警備のガルムと申します。本日より、リン様の街での動きに、護衛を一名つけさせていただきます。ローズ様のご判断です」


リンは頷いた。要らない、とは言わなかった。商業ギルドが本気で組むつもりだ、という意思表示だった。


「捕虜は」


「地下に。今、医師が状態を確認しております。怪我はないようですが、口を割らせるのは難しい、と」


「兵だからな」


「ええ。ですが、こちらにも手があります」


サフラスが小さく頷いた。


「捕虜の身元、商業ギルドの記録から照合します。冒険者ギルドの特殊任務班の名簿は、こちらでも一部把握しております。武具の発注記録、移動許可証、税の記録、複数の路線から照合できます」


「便利だな」


「商業ギルドの仕事です」


サフラスの目に、わずかに笑みがあった。穏やかな商人の顔の下に、仕事師の確信があった。


ユミルが横で、低く言った。


「**……サフラス様の方法、確実だと思います。物的証拠の積み上げは、ティルス様の言い逃れを難しくします**」


サフラスはユミルの方に視線を向けた。


「ユミル様、と仰いましたか」


「**……はい**」


「お見受けしたところ、解析の方ですね」


「**……そう、お考えいただいて、構いません**」


「ありがたい。商業ギルドにも解析の得意な者はおりますが、ユミル様ほどの方は、おりません。後ほど、ご相談させていただきたい件もございます」


「**……できる範囲で、お手伝いします**」


サフラスは丁寧に頷いた。リンはサフラスの読みの早さを覚えた。商業ギルド長というのは、商売だけの男ではない。


---


話が、本題に入った。


ローズが卓の上に、街の地図を広げた。冒険者ギルド舎、商業ギルド舎、領主館、バザール、港側の倉庫街、街の壁の四方の門。区画ごとに細かく書き込まれている。


「リン様、最近、街の中で、奇妙な煙の報告が増えております」


「煙」


「街の北側、鉱山跡の方角です。古い鉱山ですが、五十年ほど前に廃坑になっております。鉄鉱石が出尽くしまして」


「鉄鉱石」


「ヴァナールは、古くは鉄の街でした。今は商業の街に変わりましたが、鉱山跡は北の山中に残っています。ここ最近、その方角から、夜中に煙が見える、という話が出ております」


サフラスが続けた。


「商人の隊商が、北の街道を通る際に、何度か見ております。最初は山火事を疑いましたが、煙の出方が違う、と。一定の時間帯にだけ、ごく薄く立ち昇る。それから消える」


ユミルが地図に目を落とした。


「**……鉱山跡の構造は、ご存知ですか**」


「商業ギルドに、当時の図面が残っております」


サフラスは別の紙を広げた。古い羊皮紙だった。鉱山の坑道図。地下に複数の層があり、深いところまで掘り進められている。坑道の側に、四角い小さな部屋がいくつか描かれていた。


「**……ここ、何ですか**」


ユミルが、その四角を指した。


「冷却室、と書かれております。鉄を鍛造した後の冷却に使ったそうです。地下水を引き込んで、温度を下げる設備でした。鉱山閉鎖時に、地下水路は塞がれたはずですが」


「**……塞がれた、はず**」


「記録上は、そうなっております」


ユミルはしばらく図面を見ていた。それから、低く言った。


「**……塞がれたかどうか、確認したいです。地下水路が生きていれば、鉱山跡は今も使えます**」


「水と熱の制御ができる、という意味でしょうか」


「**……はい。それから、空気の流れも、です。煙が出る、ということは、何かを燃やしているか、加工しているか、です**」


サフラスは深く頷いた。商人の合点だった。


「闇にゅーるの、製造、ですか」


「**……可能性は、高いと思います。マタタビ系統の物質を、加工する施設としては、条件が揃いすぎています**」


「鉱山跡が、敵の拠点」


「**……決定はできません。ですが、調査の価値は、十分にあります**」


リンは図面を見た。坑道の入口は、北の山中、街から二刻半の距離。表向きは廃坑、人の出入りは少ない。煙の話が出始めたのが、最近。


「ティルスは、この鉱山跡のことを知ってるか」


「冒険者ギルドの方には、巡回の権限があります。廃坑も、定期的に確認しているはずです」


サフラスが答えた。


「ですが、巡回記録は、ここ二年ほど、不自然に少なくなっております。商業ギルド側でも気になっていた点です」


「不自然」


「以前は月に一度の巡回でしたが、最近は四ヶ月に一度ほど。それも、報告書の中身が、ほぼ前回の写しです」


「ティルスが、巡回を、緩めた」


「あるいは、巡回の内容を、調整した、のかもしれません」


サフラスの言葉は慎重だったが、意味は明確だった。冒険者ギルド長の権限で、鉱山跡の巡回が形だけのものになっている。意図的に。


リンは図面を撫でた。


「行くか」


ローズが頷いた。


「商業ギルドからも、護衛を出させていただきます。ガルムが同行します」


ガルムが立ち上がった。


「ご一緒します。鉱山跡の地形には、若い頃から馴染みがあります」


「準備にどれくらいかかる」


「明日の朝には、出立可能です。装備、食料、地図、医師の同行も含めて、商業ギルドが手配します」


「医師は」


「鉱山跡の毒性を考慮しております。万一、闇にゅーるの製造現場に踏み込んだ場合、毒の対処が必要かもしれません」


ユミルが頷いた。


「**……ありがたい、ご配慮です。私の解毒では、対応できる範囲が、限られます**」


サフラスが軽く頭を下げた。


「リン様、こちらからの提案です。鉱山跡の調査は、商業ギルドの正規の調査として、進めさせてください。煙の報告に対する、商人の利害の調査、という名目です。冒険者ギルドの管轄を侵さず、商業ギルドの権限内で、合法的に動けます」


「ティルスが、口を出せないようにする、ってことか」


「ええ」


「便利だな」


「商業ギルドの仕事です」


サフラスはまた、同じ言葉を繰り返した。穏やかな目だったが、底に確信があった。


リンは頷いた。


「明日の朝、出る」


「承知しました」


---


宿に戻る道で、リンは矢筒を撫でた。


「ユミル」


「**……はい**」


「サフラス、信用できると思うか」


「**……今のところは、はい。ローズ様との連携、深いです。商業ギルドの記録の精度も、確認できました**」


「で、ガルムは」


「**……剣士です。それも、相当の腕です。話し方は穏やかですが、腰の構えに、隙がありません**」


「分かるか」


「**……はい。武人の姿勢は、観察できます**」


「あいつが護衛、ありがたいな」


「**……同感です**」


ファーファが横で、ジャーキーを齧りながら頷いた。


「**……あの剣士、強いの、ニャ**」


「分かるか」


「**……ファーファ、近くで、見た。強いの、ニャ**」


ニャルニルも続けた。


「**……剣の重心、自然です。長く使い込まれた、本物の剣士です**」


リンは頷いた。商業ギルド側の人材は、見せかけではない。本気で組むつもりだ。


明日、北の山中。鉱山跡の煙。地下水路。冷却室。鉄と、加工と、薬物。


第二の場所が、見えてきた。


---


夕方、宿にトビーが戻ってきた。顔に泥がついていた。北側の路地と山際を、半日歩き回った後だった。


「逃げた一人、追えなかった」


トビーは卓に腰を下ろして、息を吐いた。


「街の北門を通って、街道に出た跡があった。だが、その先は、足跡が消えてる。馬を待たせてあったか、誰かが回収したか」


「鉱山跡の方角か」


「……分からない。北門から先は、街道が三本に分かれる。鉱山跡の方は、その一本だ」


リンは頷いた。


「明日、商業ギルドと、鉱山跡を見に行く」


トビーが顔を上げた。


「鉱山跡」


「煙が出てる、って話が出てる。サフラスとローズが、調査名目で動かしてくれる」


「サフラス、いい人だぜ。商業ギルドの長、何年もやってる」


「お前、知ってるのか」


「俺、ガキの頃に、商業ギルドの倉庫で、駄賃稼ぎしてた。サフラスさんに、何度か飯を食わせてもらった。冒険者ギルドに入る前の話だ」


「世話になった人か」


「ああ」


トビーは少しだけ笑った。すぐに表情を戻した。


「俺、明日、お前らに同行するか」


「ティルスの方は」


「ティルスは今日、ギルド舎に戻ってきた。表向きは普通の業務に戻ってる。だが、特殊任務班の隊長級が一人、消えたままだ。ティルス自身、それを把握してる」


「焦ってるか」


「目の奥は、揺れてる。表情には出してないが、隠しきれてない」


ユミルが頷いた。


「**……揺さぶりは、効いています。次の動きが、必ずあります**」


「だな」


リンは矢筒を卓に置いた。


「トビー、お前は明日、ギルド舎にいてくれ。ティルスの動きを見ておきたい。鉱山跡には、ガルムがついてくれる」


「分かった」


「危なくなったら、無理せず引け」


「お前らも、だぜ」


「ああ」


トビーは立ち上がった。戸の前で、振り返って、軽く手を上げた。


「明日、また」


「ああ」


トビーは出ていった。


戸が閉まった後、リンは弓を膝に乗せて、弦を一度、軽く弾いた。低く乾いた音が、部屋に短く落ちた。


ユミルが、矢筒の隣で静かに言った。


「**……明日からの調査、計画を整理しておきます**」


「頼む」


「**……はい**」


ファーファは寝台で、ジャーキーを齧り続けた。古竜の余裕だった。


窓の外、ヴァナールの夜は、昨夜より少しだけ長く感じられた。


—了—


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ