160 商業ギルド
朝、トビーが迎えに来た。
フードを深く被っている。
「行くぞ」
ユミル、ファーファ、ニャルニル、クラケン、全員揃って宿を出た。
街は朝の賑わいだった。
露店が並び、買い物客が行き交っていた。
トビーが先導した。少し距離を置いて。観察してる振りで。
——上手い演技だな。
リンは心の中で笑った。
商業ギルドは街の東側にあった。
冒険者ギルドのちょうど反対側。
石造りの四階建て。看板に商業ギルドの紋章が刻まれている。
天秤と矢印。
トビーはギルドの入口の前で立ち止まった。
リンの方を振り返らずに、ギルドの中を指した。
「副長、二階の執務室。直接行ってくれ」
「ああ」
「俺は外で待ってる」
「ああ」
トビーはギルドの向かいの酒場に入っていった。
リンたちはギルドに入った。
※
二階の執務室は、奥の廊下の突き当たりだった。
扉をノックした。
「どうぞ」
中から女の声が応えた。
リンは扉を開けた。
執務室は広かった。机が二つ。書類が山積み。窓辺に観葉植物。
机の奥に、一人の女が座っていた。
四十代。猫獣人。茶色の毛並み。鋭い目つき。
「リン様ですね」
女は立ち上がった。
「ああ」
「商業ギルド副長、ローズ・マーキスです」
「リンだ」
「お話は伺っております。ヘンリー様から」
ローズは深く頭を下げた。
「お入りください」
リンたちは執務室に入った。
ローズは客用の椅子を勧めた。
リンが座った。ユミルはリンの横に立った。ファーファは机の脇に立った。戦槌は背に担いだまま。
「本題に入ってもよろしいでしょうか」
ローズが聞いた。
「ああ」
リンは頷いた。
「闇にゅーる事件の根本、お聞きしました。魚不足。それを、ティルス様が捜査の名目で貿易拡大を阻害している」
ローズの声が低くなった。
「我々商業ギルドは、それを知っています。ですが、ティルス様は領主の信任が厚い。我々の声は、なかなか届かない」
リンは頷いた。
「証拠は」
「あります」
ローズは机の引き出しを開けた。書類の束を出した。
「過去五年の貿易記録です」
リンは書類を受け取った。
ユミルが横から覗き込んだ。ページをめくりながら、読んだ。数字、日付、場所、量。
「**……明確な、傾向。過去、五年で、魚の、輸入量、減少。減少の、タイミング、ティルス様の、就任と、一致**」
ユミルが、低く言った。
「ああ」
リンは頷いた。
「ですが、これだけではティルス様を断罪できません」
ローズが続けた。
「分かっています。ティルス様は、貿易を直接止めているわけではない。ですが、捜査の名目で、街の重要事項に強い発言力をお持ちです。貿易拡大の議論は、毎回『捜査の混乱になる』と止められる」
リンは書類を閉じた。
「要するに、ティルスの『捜査の責任者』の立場を剥がせればいい」
「はい」
ローズは深く頷いた。
「我々は、それを望んでいます」
「ふん」
リンは考えた。
「俺たちが、闇にゅーる事件の本当の責任者を暴ければいい」
「はい」
「ティルスが犯人の一人だ、と、領主に伝わるように」
「はい」
「ですが、それも難しいのです」
ローズが続けた。
「ティルス様は領主の信任が厚い。証拠がよほど強くないと、領主は動かない」
「ああ」
リンは頷いた。
「ですから、我々商業ギルドの内部で、ティルス様を外す機会を待っている。ですが——」
ローズはリンを見た。
「あなた方、外部の専門家であれば、領主の判断を変えられるかもしれません。我々はご援助できます。資金、情報、人手」
リンは頷いた。
「お互い、利害は一致だな」
「はい」
ローズは頷いた。
「ヘンリー様が、命の恩をお返ししたいと言っておられます。商業ギルド全体で、お返しする機会をいただけませんか」
「ふん」
リンは考えた。
「我々は本気でティルス様を倒したい。あなた方の力が必要です」
リンは頷いた。
「分かった」
「ありがとうございます」
ローズは深く頭を下げた。
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。第1遺跡にお入りになられたと」
「ああ」
「何か見つかったもの、お聞かせいただけますか」
リンはユミルと目を合わせた。
ユミルが、わずかに頷いた。
——伝えていい。
リンは頷いた。
懐から帳簿を出した。机の上に置いた。
ローズの目が見開かれた。
「これは、闇にゅーるの——」
「ああ」
「**……製造記録、です。納品先、記号で、書かれている。記号、ティルス様の、紋章では、ない。別の、組織、可能性**」
ユミルが続けた。
ローズは帳簿を見た。ページをめくった。しばらく、黙って読んでいた。
「これは、強い証拠です」
「ああ」
「我々商業ギルドで保管します。安全な場所に」
「いや」
リンは首を振った。
「写しを取れ。原本は俺らが持っている」
「承知しました。写し、すぐ作ります」
「ああ」
ローズは執務室の外に声をかけた。書記が入ってきた。帳簿を写し始めた。
リンは椅子にもたれた。
ファーファが机の脇から声をかけた。
「**……主、ファーファ、お腹、減った、ニャ**」
「お前、いつでも減ってんな」
「**……お腹、減った、ニャ**」
「**……ローズ様、お茶など、いかが、ですか**」
ユミルが丁寧に聞いた。
「あ、はい、出します」
ローズは立ち上がった。
「お茶とお菓子、すぐお持ちします。ファーファ様、お菓子はお好きですか」
「**……ジャーキー、好き、ニャ**」
ファーファが即答した。
ローズは笑った。
「ジャーキーはありませんが、肉の干物はあります」
「**……ファーファ、いい、ニャ**」
ファーファは満足そうに頷いた。
リンは笑った。
——ファーファ、また、どこでもジャーキー要求してる。
部屋に午前の光が差していた。
ローズの机の観葉植物が、光を受けて、緑が深かった。
※
商業ギルドを出たのは午後だった。
帳簿の写しができて、原本はリンがまた懐にしまった。
ローズは深く頭を下げて見送った。
「いつでもご相談ください。商業ギルドはリン様の味方です」
「ああ」
ギルドを出ると、向かいの酒場からトビーが出てきた。フードを被ったまま。
トビーがリンの後ろを、また観察してる振りでついてきた。
裏路地に入った。
トビーが隣に並んだ。
「どうだった」
「ああ、上手くいった」
「ローズ、しっかりしてるだろ」
「ああ」
「あいつ、信頼できる」
「ああ」
トビーは頷いた。
「で、これからどうする」
「ティルスにもう一回会う」
「ああ?」
「揺さぶりをかけられる」
「ああ、揺さぶれるか」
「ああ」
「お前、何言うんだ」
「捜査の進捗を聞きに来た、と言う」
「ああ」
「ティルスが何を知ってる、何を知らない、確認する」
「ふん」
トビーは頷いた。
「上手い」
「ああ」
「俺、付き添うか」
「いや」
リンは首を振った。
「お前、ティルスから距離置いとけ」
「ああ」
「お前、ばれたら終わりだぞ」
「ああ」
トビーは頷いた。
「分かった。俺、街を見て回る」
「ああ」
トビーはフードを深く被り直した。
「夜、また宿に行く」
「ああ」
トビーは別の路地に消えた。
リンたちは冒険者ギルドに向かった。
※
ティルスは応接間にいた。
リンが入ると深く頷いた。
「リン様、お越しになるとは、思いませんでした」
「報告の続きだ」
「はい」
ティルスはリンを応接間に招いた。
机の向かいに座った。
リンも座った。ユミルが横に立った。ファーファは扉の脇に立ったまま。
「何か新たな発見ですか」
ティルスが滑らかに聞いた。
「いや」
リンは首を振った。
「捜査の進捗を聞きに来た」
「ああ」
ティルスは頷いた。
「我々の進捗、ですね。正直に申し上げますと、進捗は芳しくありません。闇にゅーるの製造元は、特定できておりません」
「ふん」
リンは頷いた。
——嘘か。
リンはティルスを見た。
——本当の製造元、知ってる癖に。
「末端の密造所を押さえても、根が見えません。根を見つけるのが急務です」
「だな」
リンは頷いた。
「リン様、何かお気づきのことはありますか」
「俺らも見つけてねえ」
「ああ」
「だが、商業ギルドと話してきた」
ティルスの目の奥が、わずかに動いた。
——一瞬。
「商業ギルド、ですか。何のお話で」
「魚の貿易」
「ああ」
「魚、足りねえらしいな」
「はい」
ティルスの声が、少し固くなった。
「ですが、我々は捜査の関係で、貿易の拡大は難しい」
「だろうな」
リンは頷いた。
——固くなった。
「魚が増えれば、にゅーる需要は減る、と、商業ギルドの副長が言ってた」
「一面はあります。ですが、それは捜査が終わってからです。今はまず、闇にゅーるの製造元を潰すのが先決」
「だな」
リンは頷いた。
「ご協力いただけると、ありがたい」
「ああ」
リンは立ち上がった。
「考えとく」
「はい」
ティルスも立ち上がった。
「いつでもご報告、お待ちしております」
「ああ」
リンは応接間を出た。
廊下でユミルが隣に並んだ。
「**……微小ノイズ、強くなりました。商業ギルドの、話の時**」
「だな」
「**……ティルス様、商業ギルドと、我々の、繋がり、想定外**」
「ふん」
リンは廊下を歩いた。
——揺さぶりをかけた。
——もう一度、揺さぶれた。
それで十分だった。
「**……ティルス様、動きます**」
「ああ、動くな」
「**……何か、する、可能性、高い**」
「ああ」
リンは頷いた。
「気をつけろ」
「**……はい**」
ユミルは深く頷いた。
廊下の窓から午後の光が差していた。
その光の中を、リンとユミル、そして戦槌を背に担いだファーファが歩いていた。
—了—




