157 治療
ティルスへの報告は、午前中に、済ませた。
リンは、要点を、絞って、伝えた。
——術士、未確認。装置、破壊。捕虜、若干。
ティルスは、深く、頷いた。
「**……ご苦労、様、でした**」
滑らかな、声だった。
「**……術士、いなかった、と**」
「ああ」
「**……奥の、方は**」
「途中で、引き返した」
「**……賢明な、判断、です**」
ティルスは、丁寧に、頭を、下げた。
ローブの肩のあたりが、わずかに、動いた。
——何か、ローブの下に、ある。
リンは、それを、見た。気付かない、振りで、見た。
「**……捕虜、こちらで、引き取り、ましょう**」
「いや、もう、商業ギルド、経由で、引き渡した」
リンは、応えた。
ティルスの、目の奥が、わずかに、動いた。
——一瞬。
それから、すぐに、戻った。
「**……ああ。スカジー商会、経由、で、ですね**」
「ああ」
「**……承知、しました**」
ティルスは、頷いた。
「**……次の、ご報告、お待ちして、おります**」
「ああ」
リンは、応接間を、出た。
廊下で、ユミルが、隣に並んだ。
「**……微小ノイズ、強くなりました。一瞬**」
「気付いてた」
「ふん」
リンは、廊下を、歩いた。
——揺さぶり。
それで、十分だった。
※
宿に戻って、午後を、過ごした。
ユミルは、夜中に、解析を、進めていた。今は、ファイアウォールの再展開の練習を、隅で、していた。
ファーファは、窓辺で、寝ていた。
クラケンは、ファーファの肩で、丸くなっていた。
ニャルニルは、壁に、立てかけられていた。
平和な、午後だった。
——だが、夕方になって、それが、崩れた。
宿の、扉が、強く、叩かれた。
リンが、立ち上がった。
ユミルが、扉に、近づいた。扉を、開けた。
トビーが、立っていた。
立っていた、というか、扉枠に、寄りかかっていた。
顔が、青かった。
汗が、額に、浮いていた。
呼吸が、荒い。
ユミルが、咄嗟に、トビーの腕を、支えた。
「悪い、リン」
トビーが、息を、切らしながら、言った。
「ジャーキー、終わった」
「全部か?」
「ああ」
トビーは、笑おうとして、失敗した。
「五日、保たなかった」
リンは、トビーを、部屋に、引き入れた。
椅子に、座らせた。
トビーの手が、震えていた。額の汗が、頬を伝って、落ちていた。心拍が、速い。瞳孔が、わずかに開いている。
ユミルが、トビーの正面に、しゃがんだ。
顔を、上げて、トビーを、見た。
「**……離脱、症状、です。最後、摂取、いつ**」
「三日前」
トビーが、答えた。
「ジャーキーで、誤魔化してたが、限界だ」
「**……治療、しても、よろしい、でしょうか**」
トビーは、目を、閉じた。
「……頼む」
「**……承知、しました。二段階、です。少し、お時間、いただきます**」
「分かった」
リンが、横に、立った。
「俺は、何すれば、いい」
「**……ファーファ様を、起こして、いただけますか**」
「ああ」
リンは、窓辺の、ファーファを、軽く揺すった。
ファーファが、目を、開けた。
「**……主、何**」
「トビーが、来てる」
「**……ニャ**」
ファーファは、起き上がった。
トビーを、見た。
ジャンプして、机の上に、登った。座って、トビーを、見つめた。
「**……トビー、辛い、ニャ**」
「ああ、辛え」
トビーは、笑った。
「ジャーキー、足りなかった」
「**……ファーファ、もっと、あげる、ニャ**」
「いい」
トビーは、首を、振った。
「治療、してもらう」
「**……ニャ**」
ファーファは、机の上で、座って、見守った。
クラケンが、ファーファの肩から、降りて、机の上に、来た。
触手を、トビーの、手の甲に、軽く、絡めた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、頑張れ、って、ニャ**」
ファーファが、訳した。
トビーは、目を、伏せた。
「ありがとう」
声が、震えていた。
ユミルが、トビーの正面に、立った。
両手を、軽く、組んだ。
「**……始めます**」
リンは、見守った。
——デバッグか。
ユミルが、神聖魔法の、デバッグを、使うのを、見るのは、初めてだった。
ユミルの、唇が、動いた。
「**……exec.debug、対象、対象者、走査、深部、検出、有害、コード、除去**」
詠唱は、短かった。
視線は、トビーの、胸に、落ちていた。
両手が、トビーの、肩に、軽く、置かれた。
——閾値、設定。
——走査、開始。
ユミルが、目を、閉じた。
トビーの、身体が、わずかに、震えた。
「**……うっ**」
トビーが、呻いた。
身体の、奥から、何かを、引き出されているような、表情だった。
ユミルは、目を、閉じたまま、両手を、動かさなかった。
集中していた。
——走査、深部、進行中。
——有害、検出。
——除去、開始。
リンには、それが、何をしているのか、感覚で、分かった。
——前世の、コードレビュー。
リンは、トビーの、隣に、立った。
ファーファは、机の上で、じっと、座っていた。
クラケンは、トビーの手の甲に、触手を、絡めたまま。
時間が、ゆっくり、流れた。
——どれくらい、経ったか、分からない。
ユミルの、唇が、また、動いた。
「**……exec.debug、除去、完了**」
両手が、トビーの肩から、離れた。
ユミルが、目を、開けた。
「**……第一段階、終了**」
「**……ご気分、いかがですか**」
トビーは、目を、開けた。
額の汗が、引いていた。
呼吸も、戻っていた。
「……身体が、軽い」
「**……はい。ですが、組織、損傷、残ります。長期、摂取で、内臓、神経、わずかに、損傷**」
「**……第二段階、リファクタリング。修復、します**」
「ああ」
トビーは、頷いた。
ユミルは、もう一度、両手を、組んだ。
そして、両手を、トビーの、肩に、戻した。
唇が、動いた。
「**……exec.refactor、対象、対象者、損傷、修復、深度、中**」
詠唱は、短い。
視線は、トビーの、胸から、動かない。
——書き換え、開始。
淡い、緑がかった白い光が、ふわりと、広がった。
トビーの、身体を、包んだ。
光は、柔らかく、優しい光だった。
トビーの、頬に、わずかに、赤みが、戻った。
——書き換え、完了。
光が、収束した。
ユミルが、両手を、離した。
「**……第二段階、終了**」
ユミルは、頷いた。
トビーは、深く、息を、吐いた。
身体を、椅子の背に、預けた。
「……何か、違う」
「**……はい**」
「身体、軽いってだけじゃ、ねえな」
「**……はい**」
ユミルは、淡々と、続けた。
「**……ですが、リン様**」
ユミルが、リンを、見た。
「**……トビー様、まだ、欲しい、と、感じる、可能性、あります。物質、除去、しました。組織、修復、しました。ですが、習慣、別、です**」
リンは、頷いた。
——ああ。
リンは、トビーを、見た。
「身体は、治った」
「ああ」
「だが、頭は、別だ」
トビーは、リンを、見た。
少し、苦笑した。
「分かってる」
「ああ」
「ジャーキーで、繋ぐの、続ける」
「いいだろう」
リンは、頷いた。
「ジャーキーは、また、やる」
「ああ」
ファーファが、机の上から、口を、挟んだ。
「**……ファーファ、ジャーキー、また、上げる、ニャ**」
「ああ、ありがとう」
トビーは、笑った。
今度は、無理した笑いじゃ、なかった。
身体が、軽くなった、笑いだった。
ユミルは、トビーの、肩に、もう一度、軽く、手を、置いた。
「**……お疲れ、様、でした**」
「ありがとう、ユミル」
「**……いえ**」
ユミルは、頷いた。
トビーが、目を、閉じた。
そのまま、椅子の背に、もたれた。
数秒で、寝息に、変わった。
ファーファが、机の上から、見ていた。
「**……主、トビー、寝た、ニャ**」
「ああ」
「**……寝かせて、おく、ニャ**」
「ああ」
リンは、自分の、上着を、トビーに、被せた。
部屋の中に、夕方の、光が、差していた。
ユミルが、リンの、隣に、立った。
「**……明日、起きます。元気、になっています**」
「だな」
リンは、頷いた。
ユミルは、深く、頷いた。
「**……合格、です**」
リンは、笑った。
「お前、最近、合格って言葉、好きだな」
「**……いえ**」
ユミルは、目を、伏せた。
「**……リン様、合格、好き、です**」
「ふん」
リンは、笑った。
夕方の、光が、トビーの、寝顔に、差していた。
-了-




