155 ピョンピョンコロコロ
奥の扉の向こうは、また通路だった。
ただし、さっきまでの通路とは、少し違った。
天井が、高い。床が、滑らかに、磨かれている。古代の構造だが、後世の補修の痕跡があった。それも、新しい。数年以内のものだ。
——使ってる、ってことか。
リンは、矢を、つがえたまま、走った。
ユミルが、後ろを、追った。
ファーファが、先頭を、走っていた。十二歳の少年姿。戦槌を、背に。
「**……主、術士、距離、五十、ニャ**」
ファーファが、振り返らずに、言った。
「鼻、いいな」
「**……ファーファ、鼻、いい、ニャ**」
通路は、緩く、曲がっていた。
曲がりの先で、足音が、止まった。
リンが、立ち止まった。
「**……何か、待ってる、感じ、ニャ**」
ファーファが、囁いた。
リンは、頷いた。
——待ち伏せか、罠か。
「ユミル、防御」
「**……承知**」
ユミルが、淡い光の板を、前方に、立てた。
それから、自分たち四人を、囲うように、薄い光のカーテンを、もう一枚。
二重。
「**……念のため、です**」
「ああ」
四人は、慎重に、進んだ。
通路の曲がりを、越えた。
その先は、また、広い空間だった。
ドーム状の天井。床は、円形。中央に、何もない。
奥に、扉がある。
そして、扉の手前に、一人、立っていた。
紫の、長いローブ。フード。顔は、影で、見えない。
ローブの胸の前で、両手を、組んでいる。
——術士。
リンは、矢を、構えた。
距離、二十歩。
矢が、二本、つがえてある。
指が、止まった。
息が、細くなった。
指が、離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
二本の矢が、別々の標的に、向かった——はずだった。
向かった先は、術士の右手と、左手だった。
矢が、届く前に、術士が、わずかに、手を、動かした。
空中で、何かが、起きた。
二本の矢が、ぐにゃりと、曲がった。
矢が、横に、流れて、壁に、刺さった。
ユミルが、低く、呟いた。
「**……同種の、技。リダイレクト、相当**」
「お前と、同じか」
「**……はい。だが、出力、低い、です。私の、四分の一**」
術士の、フードの下で、声が、響いた。
「**……お前、また、来たか**」
低い、嗄れた声だった。
聞き覚えがあった。第三遺跡で、聞いた。
「**……前回、運が、よかった、だけだ**」
術士の、組んだ手が、解かれた。
両手が、広げられた。
指先に、紫の、火が、灯った。
ぼっ、と、音がして、火が、両手の上で、丸く、膨らんだ。
握り拳ほどの、火球が、二つ。
紫の、炎を、纏っていた。
「**……今回は、違う**」
火球が、飛んできた。
ぼん、と、空気を、押し出して、放たれた。
「**……exec.firewall、対象、前方、強度、上**」
ユミルが、即座に、詠唱した。
光の板が、厚くなった。
火球が、板に、当たった。
弾けた。
紫の、炎が、板の表面で、散った。
「**……一発、強度、中。連射、可能**」
ユミルが、淡々と、言った。
術士が、また、両手に、火球を、生んだ。
撃った。
板が、震えた。
「**……抜けません。ですが**」
ユミルが、続けた。
「**……長期戦、不利、です**」
「ああ」
リンは、ユミルを、見た。
——合理の、鬼。
板の向こうで、火球が、弾け続けていた。
そして——
異変が、起きた。
術士の、姿が、揺れた。
一瞬、二人に、見えた。
それから、また、一人に、戻った。
リンは、目を、細めた。
「ユミル、見えたか」
「**……はい**」
「分身、か」
「**……解析、中、です**」
ユミルの、目が、術士に、向いた。
その時——
術士の姿が、奥から、左に、跳んだ。
足は、動かなかった。
姿だけが、ふっと、左に、滑った。
「**……位置、変化。ですが、足の、動き、なし**」
ニャルニルが、背中で、低く、言った。
リンは、矢を、つがえ直した。
——左に、跳んだ、振りか?
矢を、左の、術士に、放った。
矢は、術士の胸を、突き抜けた。
——通り抜けた。
矢は、後ろの壁に、刺さった。
「**……幻、だ**」
リンが、呟いた。
その瞬間——
右の、別の場所から、火球が、飛んできた。
光の板の、外側から。
「リン!」
ユミルが、叫んだ。
リンは、横に、転がった。
火球が、リンの、いた場所を、抉った。
石が、砕けた。
紫の、炎が、床を、舐めた。
「**……攻撃、別の、座標、から**」
ニャルニルが、観測した。
「**……術士の、位置と、攻撃の、出所、一致、せず**」
ユミルの、声が、わずかに、固くなった。
「**……exec.scan、対象、空間、優先、最高**」
ユミルが、詠唱した。
——解析、開始。
——空間、走査。
——認識、干渉、検出。
ユミルが、目を、見開いた。
「**……認識、操作、観測。全て、偽装**」
「全て?」
「**……術士の、姿、火球の、出所、両方**」
リンは、立ち上がった。
肩が、痛かった。
転がった時に、火球の、欠片が、肩を、掠っていた。
ローブが、焦げて、皮膚が、赤い。
——浅い。動ける。
「**……主!**」
ファーファが、リンの方に、走ってきた。
「下がれ! ファーファ!」
リンが、叫んだ。
——遅かった。
ファーファの、横から、火球が、飛んできた。
別の方向から、別の角度で。
ファーファの、左肩に、当たった。
紫の、炎が、弾けた。
「**……うわ、ニャ**」
ファーファが、間の抜けた声を、上げた。
そのまま、横に、吹き飛ばされた。
「ファーファ!」
リンが、叫んだ。
ファーファが、空中で、戦槌を、放した。
身体が、横に、跳ね飛ばされて、壁に、向かっていた。
リンは、走った。
ファーファを、受け止めようと、した。
——だが、間に合わなかった。
ファーファが、リンの、横に、ぶつかった。
二人とも、転がった。
石の床を、コロコロと、転がった。
「**……ニャ、ニャ、ニャ、ニャ**」
ファーファが、転がりながら、声を、出していた。
リンも、転がった。
ようやく、止まった。
リンの、肩の傷が、開いた。
ファーファの、左肩から、血が、滴っていた。肉が、抉れていた。
ファーファが、ぱちりと、目を、開けた。
「**……主、地面、固い、ニャ**」
「お前、それ、肩、見ろ」
「**……ニャ?**」
ファーファは、自分の左肩を、見た。
血が、流れている。肉が、見えている。
「**……あ、痛い、ニャ**」
「気付いてなかったのかよ」
「**……ファーファ、転がるの、楽しかった、ニャ**」
「楽しいって、お前」
リンは、ため息を、ついた。
「**……でも、痛い、ニャ。痛いの、ニャ。コロコロ、楽しかったけど、痛いの、ニャ**」
「分かった、分かった」
リンは、ファーファを、抱えて、起き上がった。
肩が、激痛だった。
ファーファの肩は、もっと、酷かった。
紫の炎の、欠片が、肉に、食い込んでいた。
それでも、ファーファは、立った。
「**……ファーファ、戦う、ニャ**」
「お前、痛いって、言ったろ」
「**……痛いけど、戦う、ニャ**」
「ふん」
リンは、矢筒に、手を、伸ばした。
残り、三本。
そして——
気付いた。
ローブを、着た術士の姿が、また、跳んでいた。
火球が、また、別の場所から、飛んでくる。
——でも、待て。
リンの、目が、何かを、捉えた。
術士の姿は、奥に、いる。
火球は、左から、飛んでくる。
だが、術士の、両手の動きと、火球の、軌道が、合っていない。
——撃ってる、振り、を、してる。
——左から、飛んでくるのは、本物の、座標だ。
——だが、術士の姿は、ここに、ある。
リンは、ローブの姿を、見た。
それから、左の、火球の、出元を、見た。
そして、右の、空間を、見た。
そこに、何もなかった。
何も、なかった、はず、だった。
だが、空気が、わずかに、揺れていた。
——あそこ、だ。
「ユミル!」
リンが、叫んだ。
「**……はい**」
「見えるのは、フリックだ! 全部、嘘だ!」
「**……解析、進行、中、です**」
「攻撃が、来る場所と、撃ってる場所が、違う! 本物を、探せ!」
ユミルの、目が、見開いた。
「**……承知**」
ユミルが、両手を、組み直した。
「**……exec.scan、対象、空間、認識、フィルター、解除**」
詠唱が、変わった。
——フィルター、解除。
——認識、補正。
——本物の、座標、走査。
ユミルの、視線が、空間を、走った。
奥の、術士。左の、火球の出元。
それから——
右の、空気が、揺れた場所。
そこに、視線が、止まった。
「**……右、です。リン様**」
「ああ」
リンは、矢を、つがえた。
二本。
引き絞った。
肩の、痛みが、走った。
——構わねえ。
「**……exec.redirect、対象、火球、ファーファ様、回避**」
ユミルが、追加で、詠唱した。
ファーファに、向かおうとしていた、火球が、ぐにゃりと、曲がった。
リンは、矢を、放った。
二本の矢が、揺れた空気の、中に、向かった。
——空気が、震えた。
——矢が、何かに、当たった。
——その何か、から、声が、漏れた。
「**……ぬっ**」
低い、嗄れた声。
奥の、ローブの、術士の姿が、消えた。
幻が、消えた。
代わりに、右の、空間に、術士の姿が、現れた。
そこに、本物が、いた。
リンの矢が、術士の右肩に、刺さっていた。
ローブが、紫から、わずかに、暗い色に、変わっていた。
血だった。
「**……exec.subdue、出力、高**」
ユミルが、詠唱した。
光の鎖が、術士の足元から、立ち上がった。
絡みつき——
ようとした、その時。
奥の、扉が、わずかに、動いた。
扉の隙間から、誰かが、覗いた。
フードを、被った男だった。
ティルスでは、ない。背格好が、違う。少し低い。肩幅は、ある。
——フードの、男。
リンと、目が、合った。
距離、三十歩、以上。
顔は、フードの影で、見えない。
その、フードの男が、わずかに、片手を、上げた。
——合図。
その瞬間——
術士の、足元の、床が、光った。
円形の、紋様が、浮かび上がった。
「**……転移、陣**」
ニャルニルが、観測した。
リンは、矢を、もう一本、つがえた。
放った。
矢は、術士の、頭に、向かった。
——届かなかった。
術士の、姿が、消えた。
紫の光が、収束して、空間が、歪んだ。
そして、術士は、いなかった。
光の鎖だけが、空中で、空を、絡んでいた。
リンは、フードの男の方を、見た。
フードの男の、唇が、動いた。
何かを、言った。
声は、聞こえなかった。
——だが、ニヤッと、笑った気配がした。
そして、扉の隙間から、消えた。
足音が、しなかった。
ユミルが、低く、呟いた。
「**……あの男、認識、操作の、本体**」
「ああ?」
「**……術士の、フリック、火球の、転移、全て、あの男の、能力**」
「**……術士は、術士。だが、強化、されていた**」
リンは、頷いた。
——あいつ、本命、だ。
ファーファが、隣で、戦槌を、引き寄せた。
肩から、血が、流れていた。
「**……主、ファーファ、肩、痛い、ニャ**」
「分かってる」
リンは、ファーファの、隣に、しゃがんだ。
肩の、紫の炎の、欠片を、見た。
肉に、食い込んでいた。
——抜く。
「我慢しろ」
「**……了解、ニャ**」
リンは、欠片を、抜いた。
ファーファが、わずかに、唸った。
血が、流れた。
「**……主、痛い、ニャ**」
「分かってる」
「**……でも、ファーファ、戦った、ニャ**」
「ああ、戦った」
「**……ファーファ、偉い、ニャ?**」
「偉い、偉い」
「**……ニャ**」
ファーファは、満足そうに、頷いた。
ユミルが、近づいた。
ファーファの肩に、両手を、当てた。
「**……exec.refactor、対象、ファーファ様、出血、止血**」
詠唱した。
光が、ファーファの、肩に、注がれた。
血が、止まった。
肉の、表面が、塞がっていった。
「**……応急、処置、です。深部、宿で、行います**」
ファーファの、顔色が、戻った。
「**……主、ファーファ、血、止まった、ニャ**」
「ああ」
リンは、頷いた。
ユミルが、リンの肩に、手を、当てた。
「**……リン様、お動きに、なってください**」
「いや、軽傷だ」
「**……塞ぎます。応急、です**」
ユミルが、詠唱した。
リンの肩の、血が、止まった。
表面が、塞がった。
だが、奥は、まだ、痛む。
リンは、息を、吐いた。
「ユミル」
「**……はい**」
「あいつ、ヤバい」
「**……はい**」
ユミルは、頷いた。
「**……今、戦って、勝てる相手か、不明、です**」
「ああ」
リンは、奥の扉を、見つめた。
扉は、もう、動かなかった。
——次は、お前だ。
リンは、心の中で、呟いた。
「戻るぞ」
「**……はい**」
ファーファが、戦槌を、背に、担ぎ直した。
肩の、血は、止まった。だが、まだ、痛む。ローブも、焦げたままだった。
「**……主、ファーファ、肩、まだ、痛い、ニャ**」
「分かってる。宿で、ちゃんと、治す」
「**……ニャ**」
ファーファは、頷いた。
四人は、来た道を、戻った。
通路を、抜ける時、リンは、もう一度、奥の扉を、振り返った。
扉は、閉まっていた。
その向こうに、何があるかは、もう、分からなかった。
——だが、いる。
——あの、フードの男。
——ティルスより、深い、何か。
リンは、肩を、押さえた。
紫の炎の、焦げた跡が、まだ、熱を、持っていた。




