154 密造MTTB
影は、三体、だった。
リンは、矢を放った。
一本目。先頭の影の、肩に、刺さるはずだった。
——刺さらなかった。
影が、わずかに、横に逸れた。矢は、影の頬を、かすめて、後ろの壁に、刺さった。
ニャルニルが、背中で言った。
「**……回避、観測。反射神経、人間、超**」
リンは、舌打ちした。
——眷属、か。
ユミルが、即座に、光の板を、前に立てた。
板は、淡い白だった。リン、ユミル、ファーファ、三人を覆う形に、立ち上がった。
影が、走ってきた。
「**……ファーファ、行く、ニャ?**」
「待て」
リンは、止めた。
ユミルが、淡々と詠唱した。
「**……exec.scan、対象、敵性、優先度、高**」
一拍。
「**……眷属、断定。三体。魔石、体内、深部。強度、先ほどの、四倍**」
「四倍、か」
「**……はい。装備、ナイフ、短剣、棒**」
「武器は、大したことねえな」
「**……はい。だが、近接、強い、です**」
リンは、矢を、二本、つがえた。
「ファーファ、お前は、左の二体を、止めろ」
「**……了解、ニャ**」
「ユミル、右の一体を、リダイレクトで、壁に**」
「**……承知**」
ファーファが、戦槌を背から下ろした。鎚頭を、低く構えた。
光の板の手前で、ファーファが、待った。
影が、近づいてきた。
距離、十歩。
リンは、息を細くした。
指が、止まった。
息が、細くなった。
指が、離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
二本の矢が、二つの放物線で、別々の影に向かった。
左の二体——一本目は、影の右手首を、かすめた。短剣が、落ちた。二本目は、もう一体の脚を、かすめた。影が、わずかに、よろけた。
「**……exec.redirect、対象、右手、影、経路、書き換え**」
ユミルが、詠唱した。
右の一体が、こちらに走ってくる軌道で、ぐにゃりと曲がった。
軌道が、横に流れた。
影は、横の壁に、激突した。
鈍い音。影が、崩れた。
光の板が、消えた。
ファーファが、走った。
地面を蹴って、低く。戦槌の柄を、横に振った。
短剣を落とした影の、脚を、払った。
影が、転んだ。
ファーファは、続けて、もう一体の前に、回った。
よろけていた影が、棒を振り下ろした。
ファーファは、戦槌の柄で、棒を、受けた。
鈍い接触音。
ファーファは、左手を、影の胸に、当てた。
軽く、押した。
影が、後ろに飛んだ。壁に、当たった。
「**……exec.subdue、出力、中**」
ユミルが、詠唱した。
光の鎖が、三体の足元から、立ち上がった。
絡みついた。
三体とも、地面に、転がった。
通路に、静寂が、戻った。
リンは、矢を、矢筒に戻した。残り、八本。
ファーファが、戦槌を、背に、担ぎ直した。
「**……主、ファーファ、楽しかった、ニャ**」
「楽しいって言うな」
「**……でも、楽しい、ニャ**」
リンは、ため息をついた。
ユミルが、三体を、確認した。生命は維持されているが、意識はない。体内深部の魔石は、ここでは取り出せない。
——後で、考える。
リンは、奥を、見た。
通路は、まだ、続いていた。
奥から、何かの匂いが、漂ってきていた。
甘い、刺激的な匂い。
ファーファが、鼻を、ひくつかせた。
「**……主、何か、匂う、ニャ**」
「ああ」
「**……ファーファ、いい匂い、ニャ**」
ファーファの、瞳孔が、わずかに、開いた。
身体が、ふらりと、揺れた。
クラケンが、ファーファの肩から、触手を伸ばして、ファーファの耳に、軽く触れた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、ファーファ、危ない、って、ニャ**」
ファーファが、訳した。
「**……でも、ファーファ、効かない、ニャ**」
「効かないのは、お前は、効かないってことだ」
「**……ニャ**」
リンは、ファーファの肩を、軽く叩いた。
「お前、突入、頼むぞ」
「**……了解、ニャ**」
ファーファの、声は、平気だった。
ユミルが、近づいた。
ファーファの肩に、軽く手を置いて、薄い光の膜を、纏わせた。念のため、薬物のフィルター、と短く言った。
ファーファが、戦槌を、背から下ろした。
リンは、矢を、つがえた。
「行くか」
「**……はい**」
「**……ファーファ、先、行く、ニャ**」
「気をつけろ」
「**……了解、ニャ**」
ファーファが、低く、走った。
通路の奥に、消えていった。
※
通路の奥は、広い空間だった。
ファーファが、入口で、止まった。
「**……主、来て、ニャ**」
リンは、慎重に、入った。
ユミルも、続いた。
中に入って、息が、止まった。
天井が、高かった。古代の、丸いドーム状の空間だった。
中央に、装置があった。古代のものだった。金属の枠組み、石の台座。台座の上に、大きな鉢のようなものがあった。
鉢の中で、何かが、煮えていた。
淡い、緑がかった液体。湯気が、立ち上っている。
その湯気が、甘い匂いを、放っていた。
鉢の周りに、人がいた。三人。猫獣人だった。
エプロンのようなものを、つけている。白い。汚れている。
——密造、現場。
三人は、こちらに気づいて、固まっていた。
それから、一斉に、奥の扉に、走り出した。
「**……exec.subdue、出力、低**」
ユミルが、詠唱した。
光の鎖が、三人の足元から、立ち上がった。
絡みつき、引き倒した。
三人は、地面で、もがいた。
リンは、装置に近づいた。
煮えている、緑の液体。匂いが、強い。
ユミルが、装置の脇に、しゃがんだ。
その脇に、籠が、置かれていた。
籠の中に、葉のようなものが、入っていた。
ユミルが、葉を一枚、手に取って、光に透かした。
「**……マタタビ、系統。野生では、ありません。栽培、品種改良、可能性**」
「マタタビ、か」
「**……葉の、段階で、既に、濃い**」
リンは、頷いた。
——栽培した、品種改良の、マタタビ。それを、装置で、さらに濃縮。
ユミルが、低く、続けた。
「**……抽出物、装置で、抽出。それを、にゅーるに、混入。闇にゅーる、完成**」
「ふん」
リンは、装置を、見た。
——壊すか。
「**……装置、破壊、可能、です。ですが**」
ユミルが、続けた。
「**……綻び、近接、です**」
「綻び?」
「**……はい**」
ユミルが、装置の奥を、指した。
奥の壁に、暗い、何かがあった。空気が、揺れている。色が、薄い。
「**……あの、奥、綻び、確認。装置、綻びの、エネルギーを、利用、しています**」
「**……ガベージコレクション、絶対、禁止、です**」
リンは、頷いた。
——大穴が、開く。
「装置だけ、止められるか」
「**……可能、です**」
ユミルは、装置の脇に、立った。
「**……exec.refactor、対象、装置、状態、停止**」
詠唱した。
淡い、緑がかった白い光が、装置を、包んだ。
装置の、低い唸りが、止まった。
鉢の中の、煮える音が、止まった。
リンは、息を、吐いた。
「ファーファ、捕虜の、見張りを頼む」
「**……了解、ニャ**」
ファーファは、転がっている三人の作業員の、横に、立った。
リンは、装置の周りを、見回した。
机の上に、書類のようなものが、置かれていた。
近づいて、見た。
帳簿だった。
数字。日付。場所。納品先。
「ユミル、これ」
ユミルが、近づいた。
帳簿を、覗き込んだ。
ページを、めくった。
「**……元締め、記載、なし。発注者、記号のみ**」
「記号、か」
ユミルは、ページの一点を、指した。
小さな、印があった。三角形の、中に、点が一つ。
「**……ティルス様の、紋章、ではありません。冒険者ギルド、ではありません**」
「別の、組織、か」
「**……可能性、高い、です**」
リンは、帳簿を、閉じた。
「持って帰るぞ」
「**……はい**」
リンは、帳簿を、懐に、しまった。
その時——
ファーファが、低く、唸った。
「**……主**」
「ああ?」
「**……奥**」
ファーファが、奥の扉を、見た。
リンも、見た。
奥の扉が、わずかに、開いていた。
その隙間から、誰かが、こちらを、見ていた。
虚ろな目では、なかった。
冷たい、知性のある、目だった。
リンは、矢筒に、手を伸ばした。
その目が、動いた。
扉の奥に、消えた。
足音が、遠ざかっていった。
ニャルニルが、背中で、低く、言った。
「**……第三遺跡で、戦った、術士。同一、確認**」
リンは、立ち上がった。
「行くぞ」
「**……はい**」
ファーファが、戦槌を、背から下ろした。
四人は、奥の扉に、向かった。
通路の奥から、術士の足音が、響いていた。
遠い。
だが、確実に、何かに向かって、走っていた。
リンは、息を、細くした。
そして、走り出した。




