152 手引き
冒険者ギルドの応接間は、石造りだった。
壁の高い位置に、細い窓。光は斜めに差して、机の木目を浮かせていた。
ティルスは、深い緑のローブのまま、机の向こうに座っていた。豊かな黒髪を、後ろで一つに結んでいる。
「**……お呼び立てして、申し訳ありません**」
ティルスの声は、滑らかだった。
「いや」
リンは、短く応えた。
机の上には、地図が広げられていた。羊皮紙だった。古びている。
「**……バザールの、直下、です**」
ティルスの指が、地図の一点を指した。
「**……古代の、構造物。地下水脈、装置の、痕跡**」
長い指だった。袖口から覗く指の節が、硬い。
リンは、それを見た。
——商人の指じゃない。
机の脇に、ユミルが控えていた。両手を前で揃えている。視線は、地図に落ちている。
「**……立ち入り、調査は、危険、です。だが、闇にゅーる事件の、発生源の、可能性。捜査の、手引きとして、情報を、お渡しします**」
ティルスは、丁寧に言葉を置いた。
「**……お引き受け、いただけますか**」
リンは、地図を見た。
入口が一つ、奥に二つ。階層は、三つ。装置の場所が、一番奥に印されている。
「分かった」
短く応えた。
「**……感謝、します**」
ティルスは、深く頭を下げた。
ローブの肩のあたりが、わずかに動いた。何かが、ローブの下にある。
リンは、目を逸らさなかった。
——短剣か、棒。
「**……何か、お困りの際は、いつでも、お声がけ、ください**」
「ああ」
「**……街の、平穏は、私の、責務、です**」
ティルスの目が、リンを見た。
穏やかな目だった。
リンは、頷いた。
※
応接間を出て、ギルド舎の廊下を歩いた。
天井は高い。石の柱が、両側に並んでいる。
ユミルが、リンの隣を歩いていた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……解析、微小ノイズ、観測、しました**」
声は、低い。
「**……人間、解析時、生体情報、安定、観測されます。ですが、ティルス様の、解析、わずかに、揺れます**」
「揺れる、か」
「**……はい**」
「**……人間以外の、可能性、否定、できません。ですが、確証、ありません**」
リンは、廊下の先を見た。
「**……不明、です**」
ユミルは、もう一度繰り返した。
リンは、頷いた。
——揺れる。
ティルスの指の節を、思い出した。
——商人の指じゃない、武人の指。
それと、揺れる解析。二つが、同じ場所に、ある。
「ユミル」
「**……はい**」
「あの地図、罠だな」
ユミルは、一拍、置いた。
「**……可能性、高い、です**」
「ふん」
リンは、廊下を歩いた。
——罠でも、行く。
行かないと、何も分からない。
※
宿の二階の部屋に戻った。
ファーファは、窓辺で寝ていた。黒猫の姿だった。腹を上にして、脚を投げ出している。
クラケンは、ファーファの肩の上にいた。触手を一本、ファーファの耳のあたりに、軽く触れさせている。
ニャルニルは、壁に立てかけられていた。窓からの光を、鎚頭で受けている。
リンが入ると、ファーファが目を開けた。
「**……主、戻った、ニャ**」
「ああ」
ファーファは、起き上がった。背を反らして、伸びをした。
「**……ぴゅ**」
クラケンが、肩から触手を伸ばして、リンの袖に絡めた。
「**……主、クラケン、お帰り、って、ニャ**」
ファーファが、訳した。
「ああ、ただいま」
リンは、軽く触手を撫でた。
机の上に、地図を広げた。羊皮紙の写しを、ティルスから渡されていた。
ユミルが、横に立った。
「**……ニャルニル、観測、お願いします**」
「**……了解**」
ニャルニルが、壁から離れて、机の脇に立てかけられた。鎚頭の側面が、地図に向いた。
「**……古代構造、断定。年代、千年以上**」
「**……地下水脈、確認**」
「**……装置、痕跡、確認。稼働、現在、不明**」
ニャルニルの観測は、続いた。
「**……入口、地表、一箇所。地下、二箇所。地下入口、未公開、可能性**」
リンは、地図を見た。
ティルスが渡した地図には、入口は一つしか書かれていない。
——隠してる入口がある。
「ふん」
「**……書かれていない入口、敵側の、出入り口、可能性、高い、です**」
ユミルが、続けた。
リンは、頷いた。
「**……術士、再戦の、可能性、考慮、必要、です**」
「ああ」
ユミルは、小さく頷いた。
「**……あの術士、第三遺跡で、取り逃がしました。今回も、同じ、可能性**」
「だな」
リンは、机の縁に腰を預けた。
ファーファが、机の上に飛び乗ってきた。地図の真ん中に、座った。
「**……ファーファ、行く、ニャ?**」
「ああ、行く」
「**……ファーファ、楽しみ、ニャ**」
「楽しみじゃねえよ」
「**……でも、ファーファ、行く、ニャ**」
リンは、ため息をついた。
「行くよ。お前の鼻が必要なんだよ」
「**……ファーファ、鼻、いい、ニャ**」
ファーファは、満足そうに、尻尾を立てた。
※
夕方、トビーが宿に来た。
裏口から、こっそり入ってきた。フードを目深に被っている。
部屋に入ると、フードを取った。猫獣人の、灰色の毛並み。少し痩せた頬。目だけが、よく動く。
「よお」
トビーは、軽く手を上げた。
「ああ」
リンは、椅子を勧めた。
トビーは、椅子に座った。机の縁に、肘をつく。
「持ってきたぜ」
胸のポケットから、小さな包みを出した。布で包んだ、何か。
開くと、紙が一枚あった。汚い文字で、何かが書かれている。
「ティルス様の、最近の動き。ざっくりだが」
リンは、紙を受け取って、目を通した。
夜の外出の頻度。会った相手。場所。
「**……ありがとう、ございます**」
ユミルが、横から覗き込んで、頷いた。
「で、瓶の方は、どうだ」
トビーは、声を低くした。
ユミルは、机の上の小瓶を見た。淡い緑がかった液体が、光を吸っている。
「**……中毒性、検出。微量で、強い、影響。既知の、物質、いずれにも、一致しません**」
「……既知の、物質と、一致しない、か」
トビーは、息を吐いた。
「やっぱりな」
肩が、少し落ちた。
「俺、五度目なんだ。止めようとして、戻って、止めようとして、戻って」
リンは、黙って聞いていた。
「だが、今度こそだ」
トビーは、自分に言い聞かせるように、言った。
「**……ファーファ、ジャーキー、まだ、ある、ニャ?**」
ファーファが、机の上から、口を挟んだ。
「ああ、まだある」
トビーは、笑った。少し、無理した笑いだった。
「四本、残ってる」
胸のポケットから、布の包みを取り出して、見せた。ジャーキーの端が、四本、覗いていた。
「今日、明日、明後日、明々後日。その次は、何とかする」
「**……ファーファ、もう一本、追加、ニャ**」
ファーファは、自分のポケットから一本出して、机の上に置いた。
「いや、悪い、それは」
「**……ファーファ、ジャーキー、多めに、持ってる、ニャ**」
トビーは、しばらくジャーキーを見ていた。
それから、受け取った。
「……ありがとう」
声が、少し震えていた。
胸のポケットに、ジャーキーを大事にしまった。心臓に近い場所。五本になった。
「五日分」
トビーは、自分に言い聞かせた。
「五日、頑張れる」
リンは、頷いた。
「無理すんな」
「ああ」
トビーは、立ち上がった。
「明日の、夜中。ギルド舎の、裏路地。あいつが、出る」
「あいつ?」
「フードの、男」
トビーは、声を低くした。
「ティルス様と、密談する、相手だ」
リンは、目を細めた。
「**……承知、しました**」
ユミルが、頷いた。
「気をつけろよ」
トビーは、フードを被り直した。
「あんたら、本物の、手練れだろ。だが、あの男も、何か、ある」
「ああ」
「俺、勘でしか言えねえが、ティルス様より、深い、やつだ」
リンは、頷いた。
「分かった」
トビーは、裏口から出ていった。
部屋に、夕方の光が斜めに差していた。
ユミルが、小さく息を吐いた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……明日、行きますか**」
リンは、地図を見た。
罠と分かっている遺跡。隠された入口。再戦するかもしれない術士。
そして、フードの男。
「行く」
短く応えた。
「**……承知、しました**」
ユミルは、頷いた。
ファーファが、地図の上で、また転がった。
「**……ファーファ、寝る、ニャ**」
「寝るんかい」
リンは、笑った。
ファーファは、目を閉じた。クラケンが、触手を伸ばして、ファーファの背中に、軽く触れた。
夕方の光が、机の上を、ゆっくり移動していった。
------了




