150 スカジー邸
トビーとの街案内は、思ったより長かった。
朝から夕方まで、トビーは街のあらゆる路地を案内してくれた。バザールの裏、職人街、井戸の場所、城壁の上に登れる秘密の階段、子供たちが遊ぶ広場、風見鶏のある屋根。
最後に、城壁の上から街全体を見下ろした。
ファーファは城壁の縁に座って、ジャーキーを齧っていた。
トビーも横に座っていた。最初に貰ったジャーキーの残りを、ぽりぽりと食べていた。
「**……お前、毎日、こんなの、食ってるのかよ**」
トビーがまた聞いた。
「**……ニャ**」
「**……いいな**」
「**……ニャ**」
ファーファは自分のジャーキーをもう一本、出した。
トビーに渡した。
トビーは目を見開いた。
「**……お前**」
「**……食え、ニャ**」
「**……いいのか**」
「**……ニャ**」
トビーはジャーキーを受け取った。布に包まずに、その場で口に運んだ。
齧った。
噛み締めた。
「**……うまい**」
短く言った。
二人はしばらく、城壁の上でジャーキーを齧っていた。風が岩山の街を渡って、二人の足元を抜けていった。
リンとユミルは少し離れた場所で、街を眺めていた。
リンはトビーの様子を見ていた。
トビーは笑っていた。
ジャーキーを齧りながら、笑っていた。
無防備な笑顔だった。
「**……主**」
ユミルが低く言った。
「ああ」
「**……トビー様、化学物質、検出量、増えてはいません**」
「そうか」
「**……ですが、減ってもいません**」
「だな」
「**……毎日、摂取、推測**」
ユミルはそれきり黙った。
リンはトビーを見ていた。
ジャーキーを齧る、痩せた男。
笑っている。
だが、ユミルが言うには毎日、闇にゅーるを摂取している。
軽度。
まだ。
※
宿に戻ったのは夕方だった。
宿の主人がリンに、紙を一枚差し出した。
「**……スカジー商会から、ご招待状でございます**」
紙には丁寧な文字が並んでいた。
明日の夕刻、屋敷にお招きいたしたく。御一行様、皆様でお運びいただければ。
ヘンリー・スカジー。
「ヘンリーか」
「**……山道で、お救いいただいた、ヘンリー様**」
「ああ」
「**……スカジー商会、ヴァナールの中堅商人として、有名でございます**」
「明日、行く」
「**……承知、いたしました**」
リンは紙をしまった。
クラケンは桶の中で、夕方の影に揺れていた。
ファーファは昼間に貰ってきたジャーキーを、桶の縁でニャルニルと並べていた。
「**……ニャル、これ、温める、ニャ**」
「**……了解**」
ニャルニルが淡い光を放った。鎚頭のあたりに、わずかに熱が立ち上った。ジャーキーが表面で、じわっと油を滲ませた。
ファーファは温まったジャーキーを口に運んだ。
「**……ニャ。うまい、ニャ**」
「**……出力、適正、確認**」
「**……ニャル、家電、ニャ**」
「**……了解、しません**」
ニャルニルが即答した。
リンは半分笑った。
「お前、これ、まだ、続けるんだな」
「**……主、ニャル、家電、ニャ**」
「言ってろ」
クラケンが桶の中から触手を一本、出した。ファーファのジャーキーに、触手の先で軽く触れた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、食べたい、って、ニャ**」
「クラケン、ジャーキー、食えるのか」
ユミルが横で言った。
「**……リン様、クラケン、雑食、です。ジャーキー、可能、です**」
「そうか」
「**……ですが、噛み砕き、難しい、可能性**」
「だな」
ファーファがジャーキーを、小さく千切った。
クラケンの触手の上に置いた。
クラケンは触手でジャーキーの欠片を、ゆっくり桶の中に運んだ。水の中でふやかすみたいに、しばらく置いた。
それから、口らしき部分に運んだ。
噛み締める動作。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、うまい、って、ニャ**」
「そうか」
「**……ニャル、ジャーキー、温める、家電、ニャ**」
「**……了解、しません**」
ニャルニルがもう一度、即答した。
中庭の夕風がジャーキーの匂いを運んでいった。
※
翌日の夕刻、スカジー邸に向かった。
商人街の南側、立派な石造りの屋敷だった。三階建て。両側に庭。庭には果実の木が植えられていた。山の中の街なのに庭があった。
門の前で執事が出迎えてくれた。
「**……ようこそ、おいでくださいました**」
執事は犬獣人だった。深く頭を下げた。
通された応接室は広かった。中央に大きな卓。卓の上には料理が並べられていた。
魚料理、野菜の煮物、肉の焼き物、果実、パン、ワイン。
魚料理が卓の中央にあった。
リンはその魚を見た。
干物だった。
新鮮な魚ではない。
ヘンリーが奥から出てきた。深く頭を下げた。
「**……お運び、いただき、ありがとうございます**」
横にクララがいた。クララはファーファを見て、頬を赤くした。
「**……ようこそ、おいで、ください、ました**」
声が小さかった。
ファーファは頷いた。
「**……ニャ**」
それだけだった。
クララはジャーキーを大事に保管していた両手を、もう握っていなかった。代わりに両手を、お腹の前で組んでいた。
ヘンリーが卓を勧めた。
「**……どうぞ、お掛けください**」
リンとユミルとファーファが椅子に座った。
ヘンリーが対面に。クララが、ヘンリーの隣に。
クララはファーファの正面に座った。
ファーファは座って、ジャーキーを口の端から外した。袋にしまった。礼儀の感覚が彼にもある。
クララがそれを見て、息を呑んだ。
ファーファの礼儀正しい仕草を見て、何かを発見したような顔をした。
「**……どうぞ、お召し上がり、ください**」
ヘンリーが料理を勧めた。
リンは魚の干物に目をやった。
「魚、干物だな」
「**……はい**」
ヘンリーが頷いた。
「**……ヴァナールでは、新鮮な魚、入手困難、です**」
「街道で、運ばれてくる、んだろ」
「**……はい。ですが、量、少ない**」
ヘンリーがワインを注いだ。
リンの杯と、自分の杯。
「**……魚、街にとっても、重要な、食材です。猫獣人、犬獣人、狐獣人、皆、好みます。ですが、海から、遠い**」
「だな」
「**……港町、ヴェルファとの、貿易、開始されれば、安定、可能、です。ですが、冒険者ギルド長が、貿易の拡大に、慎重で、ございます**」
「冒険者ギルド長」
「**……ティルス様、です**」
ヘンリーは声を、少し落とした。
「**……ティルス様、本来、貿易には、直接の、権限は、ございません**」
「だが、口を出すのか」
「**……闇にゅーる事件、捜査中の、お立場です。新しい貿易を、開始すると、街に、新しい人や物が、流れ込みます。事件捜査の、混乱になる、と。だから、街の、安定を、最優先と、おっしゃいます**」
「捜査の名目で、街の貿易、止めてんのか」
「**……はい**」
ヘンリーは、頷いた。
「**……領主様も、ティルス様の、ご意見を、重んじておられます。武人として、信頼が、厚い、お方です**」
「武人」
「**……はい。冒険者ギルドの、長として、街の警備の、責任者でも、ございます**」
ヘンリーはため息をついた。
「**……正直に、申し上げます。リン様**」
「ああ」
「**……闇にゅーるの問題、根本原因は、魚の供給不足、と、思っております**」
「魚」
「**……はい。猫獣人、本来、魚を、好みます。新鮮な魚があれば、にゅーる、それほど、必要、ありません**」
「ああ」
「**……ですが、魚が、ありません。代わりに、にゅーるが、流通しました。安価な、にゅーる、闇にゅーる、街に蔓延しました**」
「だが、にゅーる、好物、なんだろ」
「**……はい。ですが、闇にゅーるは、別物、です。中毒症状を、起こします**」
ヘンリーは料理を、リンに勧めた。
リンは魚の干物を一切れ、口に運んだ。
塩辛い。古い干物だった。
「**……正規ルートで、魚を回せれば、闇取引は減るな**」
リンがつぶやいた。
ヘンリーが目を見開いた。
「**……まさに、そう、思います**」
「だな」
「**……ですが、冒険者ギルド長は、慎重で**」
ヘンリーはもう一度、繰り返した。
リンはユミルを見た。
ユミルは料理に手をつけていなかった。
ヘンリーの言葉を、噛み締めるように聞いていた。
「**……リン様**」
ユミルが低く言った。
「ああ」
「**……ティルス、貿易、阻害、傾向**」
「だな」
ユミルは料理に目を落とした。それから、またヘンリーを見た。
「**……ヘンリー様**」
「**……はい**」
「**……闇にゅーるの密造、バザールの地下、と、伺いました**」
「**……はい。ティルス様から、その情報、いただいております**」
「**……ティルス様、その情報、どこから、入手されましたか**」
ヘンリーは少し考えた。
「**……正確には、存じません。ですが、ティルス様が、商業ギルドを通じて、独自に、入手された、と、聞いております**」
「**……いつ頃、ですか**」
「**……数か月前、と、思います**」
ユミルは頷いた。
「**……ありがとうございます**」
それきり、ユミルは何も言わなかった。
クララがファーファに料理を勧めていた。
「**……これ、お好きですか**」
「**……ニャ**」
ファーファはジャーキー以外の食事は、あまり知らなかった。だが、出された料理は一通り口に運んだ。
魚の干物を一切れ。
「**……塩、強い、ニャ**」
ぽつり、と言った。
クララが慌てた。
「**……お口に、合いません、でした**」
「**……いや、食う、ニャ**」
ファーファはもう一切れ、口に運んだ。
「**……ニャ。慣れる、ニャ**」
クララはほっとした顔で、自分も食事を始めた。
時々、ファーファに視線を送った。
ファーファはそれに気づかず、ジャーキーの代わりに出された料理を、淡々と食べていた。
クララの視線はファーファには届かなかった。
【了】




