145 城塞都市
商人は、ヘンリー・スカジーと名乗った。
「ヴァナールの、スカジー商会の、長を、務めております」
ヘンリーが頭を下げた。大柄な身体が、深く折れた。
「娘の、クララです」
ヘンリーが、少女を指した。
少女が、小さく頭を下げた。
「**……クララ、です**」
声が、小さかった。
リンも、軽く頭を下げた。
「リンだ。こっちはユミル。ファーファ。ニャルニル。クラケンだ」
紹介の順番が、雑だった。だが、サイラスの「軽くで結構」という言葉を思い出した。これでいい。
ヘンリーは、ファーファを見た。
「**……あなた様が、娘を**」
ファーファは、頷いた。
「**……ニャ**」
「**……お礼、お礼を、申し上げます**」
ヘンリーが、また頭を下げた。
「**……ニャ**」
ファーファは、それ以上、何も言わなかった。少女のクララが、ファーファをずっと見ていた。手の中のジャーキーを、握ったまま。
「ヘンリーさん、目的地は」
リンが聞いた。
「ヴァナールへ、戻る、途中でした」
「俺たちもだ」
「**……それは、心強い**」
ヘンリーが、目を細めた。
「同道、お願い、できますでしょうか。途中まで、護衛の方が居たのですが、別の街道で、我々と分かれました。ご一緒できれば、安心、です」
「いいだろう」
「**……ありがとうございます**」
ヘンリーが、また頭を下げた。
ヴァナールの民は、こういう時の頭の下げ方が、深い。サイラスの言葉を思い出した。礼儀を、重んじる。
リンは、捕虜を顎で示した。
「こいつら、どうする」
「**……ヴァナールの兵に、引き渡し、いたします**」
ヘンリーが言った。
「街の門で、衛兵に。彼らは、こういった事件を、扱っております」
「分かった」
「ですが、馬車に乗せる、必要が、ございます」
「ああ」
捕虜を、馬車の荷台に縛りつけた。
四人。猫獣人三人と、フードの男一人。
ユミルの光の鎖は、解かない。それで縛られたまま、馬車の後部に、転がした。
暴徒の三人は、唸り続けていた。フードの男は、目を閉じて、何も言わなかった。
※
旅は、それから二日続いた。
商隊の馬車二台と、リンたちの徒歩。
ファーファは、人化したままだった。クララが、ファーファのすぐ後ろを歩いた。最初は、五歩離れて。次の日は、三歩離れて。最後は、ファーファの隣を歩いていた。
ファーファは、特に話しかけなかった。クララも、話しかけなかった。
ただ、隣を歩いていた。
時々、クララがファーファの肩のクラケンを、ちらっと見た。
クラケンが、触手をくねらせて、軽く挨拶のように動かした。
クララは、目を丸くしただけだった。
夜、野営をした。
水が、足りなくなった。
ヘンリーが、申し訳なさそうに言った。
「**……商隊の水も、底を、つきかけて、おります**」
「ああ」
リンは頷いた。それから、クラケンを見た。
「クラケン、頼むぞ」
「**……ぴゅ**」
クラケンが、ファーファの肩から降りて、地面の上で触手を広げた。
水が、滴り始めた。
最初は、滴。次に、細い流れ。
リンが、空の水袋を差し出した。クラケンの触手から、水袋に、水が注がれた。
ヘンリーが、息を呑んだ。
クララが、目を見開いた。
「**……これは**」
ヘンリーが、声を漏らした。
「**……これは、精製水、です**」
「飲めるぞ」
リンが言った。
「うちの、クラケンが、出してくれる」
「**……信じられません**」
ヘンリーは、震える手で、水袋を一つ、クラケンの前に置いた。クラケンは、淡々と、その水袋にも水を入れた。
商隊の水袋が、全部、満たされた。
ヘンリーが、深く頭を下げた。
「**……ありがたい、こんなに、綺麗な水**」
「**……ぴゅ**」
クラケンは、嬉しそうに触手をくねらせた。
クララが、ファーファを見上げた。
「**……あなた様の、お友達、ですか**」
声が、まだ小さい。
ファーファは、クララを見下ろした。
「**……ニャ**」
「**……お友達、なんですね**」
「**……ニャ**」
ファーファは、それ以上、何も言わなかった。
クララは、それ以上、聞かなかった。
※
ヴァナールが見えたのは、出発から五日目の朝だった。
山道を一つ、越えた。
その先に、城塞があった。
岩山の中腹に、巨大な石壁が築かれていた。壁の中に、街がある。屋根が幾重にも重なり、塔がいくつも立っている。城塞の内側から、煙が立ち上っていた。生活の煙だった。
城塞の門は、巨大な鉄の門だった。両側に、衛兵が立っている。獣人の衛兵だ。山羊の衛兵、犬の衛兵、狐の衛兵。種族が、混じっていた。
「**……ヴァナール、です**」
ヘンリーが、立ち止まった。
「**……ようこそ、おいでくださいました**」
リンは、城塞を見上げた。
岩山に、街がしがみついている。風の音が、城壁を渡って、こちらまで届いた。
「**……主、街、でかい、ニャ**」
ファーファが言った。
「だな」
「**……人、たくさん、ニャ**」
「これからだろ」
「**……ニャ**」
クラケンが、ファーファの肩で、触手を伸ばした。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、緊張、してる、って、ニャ**」
「俺もだよ」
リンは、ヘンリーに頷いた。
「行こう」
商隊の馬車が、城塞の門に向かって、ゆっくり進み始めた。
リンたちは、その後ろを歩いた。
少年姿のファーファが、先頭に立った。少女のクララが、ファーファの隣を歩いた。
捕虜を乗せた馬車が、最後尾を、軋みながら進んだ。
【了】




