146 禁断症状
城塞の門で、衛兵に捕虜を引き渡した。
衛兵の隊長らしき、大柄な犬獣人の男が、捕虜を見て、唸った。
「またか」
短く言った。
唸るような声に、苛立ちが混じっていた。
「**……またか、と、おっしゃいましたか**」
ユミルが、聞き返した。
「**……月に、何件か、こういった事件が起きております。最近、増えております**」
衛兵は、フードの男のフードを、引き下ろした。男の顔が、露わになった。痩せた、頬のこけた、人間の男。だが、目は閉じたままだった。
「人間か」
衛兵が、舌打ちした。
「こいつら、商人を襲った理由は」
リンが聞いた。
衛兵は、しばらく、捕虜たちを見下ろした。
「**……それは、詰所で、お話しさせて、いただきます**」
声が、低かった。
「ここでは、できねえのか」
「**……人目が、ございます**」
衛兵は、街道を行き交う人々に、目をやった。
なるほど、と、リンは思った。
「分かった。後で、行く」
「**……ヘンリーさん、お知り合いか**」
衛兵が、ヘンリーを見た。
ヘンリーは深く頭を下げた。
「**……命の、恩人、です。私と、娘の**」
衛兵は、しばらくリンたちを見ていた。それから、頷いた。
「**……スカジー商会の、命の恩人ですか。それは、街にとっても、ありがたい話だ**」
衛兵は、リンに頭を下げた。深く下げた。
「**……ヴァナールの、衛兵を代表し、感謝、申し上げる**」
「いえ」
リンは、軽く頷いた。
「**……後ほど、領主様に、ご紹介、いたします。ご逗留先は、お決まりで**」
「これからだ」
「**……ご紹介の、宿が、ございます。商人街の、北側に、清潔な宿が、ございます**」
「助かる」
衛兵が、紙に何か書いて、リンに渡した。宿の名前と、地図だった。
「**……ご逗留中、何かあれば、衛兵詰所に、ご一報、お願いいたします**」
「分かった」
衛兵は、もう一度頭を下げて、捕虜を引き取っていった。
ヘンリーが、リンを見た。
「**……我が屋敷にも、是非、お越しください。後日、お招き、いたします**」
「お邪魔する」
「**……ありがとうございます**」
ヘンリーは、商隊と一緒に、街の中へ消えていった。
クララは、ファーファをもう一度見上げてから、父について行った。
ファーファは、見送らなかった。
クララが振り返ったとき、ファーファは、もう街の中に目を向けていた。
※
紹介された宿は、想像より広かった。
商人街の北側、城壁の近く。三階建ての石造り。
入り口の主人が、リンたちを見て、驚いた顔をした。
特に、クラケンを見て、もう一度驚いた。
「**……お珍しい、お連れ様で**」
「水の生き物だ。桶があれば、助かる」
「**……ご用意、いたします。中庭に、井戸が、ございます。水を、お使いください**」
「水は、要らねえ。こいつ、自分で出す」
「**……自分で**」
「ああ」
主人は、口を開けたまま、頷いた。
クラケン用の桶が、すぐに用意された。中庭の片隅、井戸の横の日陰。クラケンが、桶の中で、ゆっくり広がった。
ファーファは、自分の荷物を部屋に置いて、戻ってきた。クラケンの桶の縁にしゃがんで、何か話しかけている。
「**……クラケン、宿、覚える、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……俺、街、見てくる、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……お留守番、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
クラケンは、触手を一つ、ファーファの手に絡めた。それから離した。
「**……ぴゅ**」
「**……行ってくる、ニャ**」
ファーファが立ち上がった。
リンも、ユミルも、宿の前で待っていた。
「散策、行くか」
リンが言った。
「**……ニャ**」
「**……はい**」
ヴァナールの街は、広かった。
商人街を抜けると、バザールに出た。
露店が並んでいた。布、香料、武器、装飾品、食べ物。買い物客が大勢歩いていた。猫、犬、狐、狼、山羊、鳥、いろんな獣人が混じっている。人間も混じっている。
ファーファが、目を丸くした。
「**……主、獣人、たくさん、ニャ**」
「だな」
「**……色々、ニャ**」
「だな」
「**……俺、混ざる、ニャ**」
「目立たねえだろ」
「**……ニャ**」
ファーファは、満足そうだった。
ユミルが、横でゆっくり歩きながら、街を観察していた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……街、観察、します**」
「頼む」
「**……人口、密集。商業活動、活発。ですが、住民の表情、観察**」
ユミルは、しばらく黙って、街を歩いた。
それから、また言った。
「**……住民の一部、表情、緊張、観測。商人、客への対応、慎重**」
「客を、警戒してるってことか」
「**……はい**」
「なんだ、それ」
「**……不明、です**」
リンも、街を見直した。
確かに、何か、おかしい。
露店の商人が、客と話すとき、目をきょろきょろさせている。誰かを、警戒している。それが、自分の客なのか、別の何かなのか、分からない。
買い物客の中にも、急ぎ足で歩いている者がいる。普通の買い物客の足取りではない。
「**……あ**」
ユミルが、小さく声を漏らした。
「どうした」
「**……あちら、観察してください**」
ユミルが、目だけを動かした。
バザールの広い通りの、向こう側。
猫獣人の男が一人、立っていた。
四十代くらいの、体格の良い男。買い物の最中だった。両手に、布の袋を提げていた。
その男が、突然、固まった。
両手の袋を、地面に落とした。
それから、頭を抱えた。
「**……ぐ**」
唸り声が、漏れた。
男の身体が震え始めた。
周りの買い物客が、ぱっと距離を取った。慣れた動きだった。
「**……主**」
ユミルが、声を低くした。
「**……始まります**」
リンは、男を見た。
「リン、あれ」
短く言った。リンは無意識に、ユミルの肩を引いた。
ユミルが、頷いた。
「**……主、解析、します**」
ユミルが、目を細めた。
「**……対象、瞳孔、拡大。発汗、急速。心拍、急上昇**」
男が、頭を抱えたまま、唸った。唸り声が叫びに変わった。
男は顔を上げた。
目つきが、変わっていた。
街道で見た暴徒の猫獣人と、同じ目だった。
瞳孔が広がりきっている。
口元から涎が垂れていた。
男は近くの露店の棒を掴んだ。
商人が悲鳴を上げて逃げた。
「**……ファーファ、距離、推奨**」
ユミルが、ファーファに言った。
「**……ニャ?**」
「**……ファーファ様、対象、近づかない、お願い、します**」
「**……ニャ**」
ファーファは、首を傾げた。
クラケンがファーファの肩から触手を伸ばした。ファーファの腕に触手を絡めて、軽く引いた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、ファーファ、危ない、って、ニャ**」
「危ない」
「**……ニャ**」
「**……ファーファ様、危険、です。後で、説明、します**」
ユミルが言った。
「**……リン様、対象、制圧、します**」
「殺すな」
「**……はい**」
ユミルが、片手を上げた。
「**……exec.subdue、出力、低**」
光の鎖が、地面から、男の足に絡みついた。
男は棒を振り回しながら抵抗した。だが鎖が手足に絡みついて、地面に倒れた。
唸り声が、鎖の中で、徐々に弱まった。
男は地面で震えていた。涎を垂らしていた。
周りの買い物客が遠巻きに見ていた。誰も駆け寄らなかった。慣れた光景だ、という感じだった。
リンは近くにいた老婦人に聞いた。
老婦人は狐獣人だった。
「これ、よくあるのか」
「**……最近、増えてるんですよ**」
老婦人は、ため息をついた。
「**……月に、何回も。にゅーるの、せいだって、皆、言ってます**」
「にゅーる」
リンは、聞き返した。
「**……ご存知ない**」
「ああ」
「**……街の、揉め事の、原因です**」
老婦人はそれだけ言って人混みに戻っていった。
ユミルが倒れた男に近づいた。
しゃがんで、男の周りで何かを解析した。
立ち上がってリンに戻ってきた。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……中毒性、検出**」
ユミルが、低く言った。
「**……ファーファ様、距離、推奨、理由、これです**」
「中毒性、か」
「**……はい**」
「何の、薬物だ」
「**……不明、です**」
ユミルが頷いた。
「**……既知の、物質、いずれにも、一致しません**」
「分からねえのか」
「**……検出量、少ない。ですが、影響、大きい**」
「**……濃縮、可能性、です**」
ユミルは、それきり、黙った。
衛兵が走ってきた。男を縛り上げて運んでいった。慣れた手際だった。
リンは、人混みの中で、立っていた。
ファーファは、リンの服の裾を、軽く掴んでいた。
クラケンは、ファーファの肩で、触手を縮めていた。
街の喧騒がまた戻ってきた。買い物客が、何事もなかったように歩き出した。
だが、リンの中で、何かが、動かなかった。
「**……主**」
ユミルが、呟いた。
「**……これは、街の、深い、問題、です**」
「だな」
リンは短く応じた。
「**……後で、整理、します**」
ユミルは、それきり何も言わなかった。
ファーファだけが、リンの服の裾を、ずっと握っていた。
【了】




