144 ズザザー
声が聞こえたのは、山道を半日歩いた頃だった。
道が大きく曲がる、岩陰の向こう側。
複数の声が、混じり合っていた。
「やめて」
女の声だった。
それから、低い唸り声。獣のような、人のような、その境目の声。
リンは、足を止めた。
「**……主、変、ニャ**」
ファーファが、耳を立てた。フードの下から覗いた猫耳が、ぴくっと動いた。
「**……前方、複数、声、観測**」
ニャルニルが、ファーファの背で言った。
「**……襲撃、可能性**」
「**……解析します**」
ユミルが目を閉じた。一拍置いて、開けた。
「**……五人。襲っている、四人。襲われている、一人**」
「四対一か」
「**……襲っている、四人、内、三人、暴徒。挙動、異常**」
「異常」
「**……薬物、可能性、です。詳細、不明**」
リンは舌打ちした。
「行くぞ」
「**……はい**」
ファーファが先に動いた。
少年姿のファーファは、岩を蹴って、低く走った。猫姿のときと、姿勢が同じだった。腰を低く落として、岩の影を縫っていく。クラケンが肩でしがみつき、ニャルニルが背で跳ねる。
リンとユミルが続いた。
岩を曲がった先。
街道の広い場所に、商隊がいた。
馬車が二台。荷を運ぶ馬が三頭。商人らしき男が二人、何かを庇うように立っていた。
その商人たちに、四人の影が向かっていた。
三人は、猫獣人だった。三十代から四十代の、男たち。猫の特徴を残した、二足歩行の姿。だが、目つきが、まともじゃない。瞳孔が広がりきっていて、口元から涎が垂れていた。手には、棒切れと、ナイフ。
残りの一人は、人間だった。フードを目深に被った、痩せた男。投げナイフを構えていた。商人ではなく、商人の影に隠れている、小さな人影を狙っていた。
少女だった。
商人の脚の影に、しがみついている、小さな少女。
猫獣人の少女。歳は、十二、三。淡い茶色の毛並み。商家の娘らしい、上品な服。
その少女に向けて、フードの男がナイフを振り上げていた。
リンは弓を背中から外した。
「**……雷、来い**」
短い詠唱。
矢に、青い火花が乗った。
「**……離れる、ニャ**」
ファーファが言った。
「**……俺、行く、ニャ**」
ファーファは、地面を蹴った。
岩を蹴って、空中で身体を捻った。少年姿でも、動きは猫だった。空中で角度を変えて、商人の影に飛び込んだ。
少女に駆け寄って、抱きかかえた。
横に飛んだ。
——ズザザー。
地面を、滑った。
土埃が、舞った。
ファーファは、少女を抱えたまま、フードの男から十歩離れた位置で止まった。少女を、そっと、地面に降ろした。
フードの男のナイフは、ファーファが居た場所、空を切っていた。
少女は、ファーファの腕の中で、息を止めていた。
「**……危なかった、ニャ**」
ファーファが言った。
ジャーキーを、くわえたままだった。
少女は、目を見開いて、ファーファを見上げていた。
返事は、なかった。
※
リンは、フードの男に矢を構えた。
「動くな」
短く言った。
矢の先端で、青い火花が、じりじり鳴っていた。
フードの男は、ナイフを構えたまま、リンと、ファーファと、少女を交互に見た。
判断している顔だった。
「**……対象、フードの男、武装、解析中**」
ニャルニルが言った。
「**……投げナイフ、複数、所持。距離、十二歩、達成、不可**」
「逃げる気か」
リンが言った。
「逃がさねえ」
矢を放った。
矢が空気を切った。火花が、尾を引いた。
フードの男は、横に転がった。矢は、男の頭があった場所、岩肌に刺さった。火花が岩を叩いて、消えた。
威嚇だった。当てる気は、なかった。
「動くな、と言ったぞ」
リンが、もう一本、矢をつがえた。
フードの男は、立ち上がろうとした。だが、足が震えていた。
「**……主、暴徒、三体**」
ユミルが言った。
「**……リン様、フードの男、お任せ、します**」
「ああ」
「**……暴徒、武装、棒切れ、ナイフ**」
ニャルニルが、低く言った。
「**……武装、解除、推奨**」
リンは、フードの男から目を離さないまま、左手で矢筒から二本、抜いた。
弓に、二本同時につがえた。
引き絞った。
二本の矢羽根が、頬の横で、揃って震えた。
距離、二十歩。
棒切れを振り回している暴徒、二人。
ナイフを握っている暴徒、一人。
指が、止まった。
息が、細くなった。
指が、離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
二本の矢が、二つの放物線で、別々の標的に向かった。
一本目は、棒切れを握る暴徒の、右の手首をかすめた。
棒切れが、地面に落ちた。
暴徒が、自分の手を見て、唸った。
血は、出ていなかった。掠っただけだった。だが、棒は、もう握れなかった。
二本目は、ナイフを握る暴徒の、ナイフの柄を弾いた。
ナイフが、宙を回って、岩の上に落ちた。
「**……主、リン様、二本同時、初見、です**」
ユミルが、ぽつり、と言った。
「練習、してた」
「**……いつ、ですか**」
「お前が寝てる間」
「**……はい**」
ユミルが、頷いた。納得したのか、しなかったのか、分からなかった。
リンは、もう二本、矢筒から抜いた。
最後の暴徒は、まだ棒切れを握っていた。
つがえた。
引き絞った。
その暴徒も、棒を落とした。リンが射る前に、手首を押さえて、後ずさった。
学習する程度の知能は、残っているらしかった。
「**……三人、武装、解除、確認**」
ニャルニルが言った。
「ユミル」
「**……はい**」
「あとは、頼む」
「**……はい**」
「**……ファイアウォール、応用、です**」
ユミルが片手を上げた。
光が、商人の周りに、淡い壁を作った。光のカーテンだった。商人と少女、ファーファと、リンの周りを、ぐるりと囲んだ。
暴徒の猫獣人たちが、素手で突っ込んできた。
カーテンに当たって、弾かれた。
「**……隔離、完了**」
ユミルが言った。
「**……リン様、暴徒、生かして、捕らえますか**」
「捕らえる」
「**……はい**」
ユミルは、もう片方の手を、暴徒の方へ向けた。
「**……exec.subdue、出力、低**」
低い光が、暴徒たちの足元から立ち上がった。
光が、暴徒の身体に絡みついた。光の鎖だった。鎖は、三人の手足を縛り、地面に引き倒した。
暴徒たちは、唸りながら、地面で身を捩った。
それきりだった。
リンは、フードの男に向き直った。
「お前」
矢を構えたまま、近づいた。
「お前、誰だ」
フードの男は、答えなかった。
ナイフを、地面に置いた。両手を上げた。降参の姿勢。
「お前、こいつらと、組んでたな」
リンが、暴徒の方を顎で示した。
「お前は、人間だな。こいつらは、猫獣人だ。獣人を、暴れさせて、その隙に、少女を、狙ってたな」
フードの男は、顔を上げない。
「**……解析、します**」
ユミルが、男の前に出た。
「**……対象、瞳孔、観測。発汗、観測。心拍、観測**」
ユミルは、男の顔の前で、しばらく動かなかった。
「**……リン様**」
「ああ」
「**……男、組織所属、確定。ですが、末端、です。詳細、知らない、可能性、高い**」
「末端か」
「**……拘束、推奨。情報、商人様、引き継ぎ**」
「分かった」
リンは、フードの男の腕を捻り上げた。男は抵抗しなかった。ユミルが光の鎖を巻きつけて、男の両手両足を縛った。
四人の捕虜が、地面に転がった。
商人が、震える声で言った。
「**……あなた様方、命の、恩人です**」
商人は、五十代の、大柄な男だった。猫獣人だった。大きな身体に似合わず、声が震えていた。
「いえ」
リンが応じた。
「お怪我は」
「**……ありません。娘も、無事です**」
商人は、少女の方を見た。
少女は、まだファーファの近くに立っていた。
ファーファは、少女から離れていた。商人の方に頭を下げて、戻ろうとしていた。
ジャーキーを、口から外した。
少女の前に、屈んだ。
ジャーキーを一本、腰の袋から出した。
少女に握らせた。
「**……怖かったな、ニャ**」
短く言った。
少女の手の中に、ジャーキーが残った。
ファーファは、立ち上がって、リンの方に戻ってきた。
少女は、ジャーキーを握ったまま、ファーファの背中を見ていた。
息を、止めていた。
【了】




