137 クラケンさん宿に来る
港町に、戻ったのは、翌日の、午後だった。
馬車が宿の前で、止まった。
トーマスが店から出てきた。ルークが続いた。エルナが馬車から降りた。
「兄貴戻った」
「ご苦労」
「漁師全員無事戻ってきた」
「ボブに、知らせるか」
「もう知らせた。海洋国家の兵が先に、走った」
「分かった」
トーマスが頷いた。
リンが馬車から降りた。ファーファが続いた。クラケンを戦槌に乗せていた。ユミルも降りた。
トーマスがリンを見て、ぽつりと言った。
「リン」
「ん」
「無事戻ったか」
「戻った」
「ご苦労」
トーマスがそれだけ言った。それ以上は何も、聞かなかった。
ファーファがトーマスの前に立った。クラケンをトーマスに、見せた。
「**……主、新しい、仲間、ニャ**」
「これ何だ」
トーマスがちらりとクラケンを見た。
「子クラーケンだ」
リンがぽつりと答えた。
「子クラーケン」
「親、第三遺跡で、敵の防衛兵器に、なってた。倒した。子供、独りで、残ってた」
「だな」
「連れて、きた」
「分かった」
トーマスが頷いた。
クラケンがトーマスに、ぽつりと言った。
「**……ぴゅ**」
トーマスがふっと笑った。
「何て、言ってるんだ」
ファーファがクラケンの方に耳を寄せた。
「**……主、クラケン、挨拶、ニャ**」
「挨拶か。お前丁寧、だな」
「**……ぴゅ**」
「**……不器用、ニャ**」
「不器用?」
「**……不器用、ニャ**」
ファーファが頷いた。
トーマスがファーファの隣にしゃがんだ。クラケンを軽く見た。
「お前水、強いのか」
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、水、扱える、ニャ**」
「俺は雷だ。お前と、相性、悪いな」
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、雷、苦手、ニャ**」
「分かった。雷、お前には、向けねえ」
「**……ぴゅ**」
クラケンが頷いた。
トーマスがふっと笑った。
「お前可愛いな」
「**……ぴゅ**」
「**……不器用、ニャ**」
「不器用っていうの、口癖、か」
「**……ニャ**」
ファーファが頷いた。
トーマスがそれで立ち上がった。
エルナがぽつりと言った。
「兄貴宿、クラケン住むぞ」
「住むのか」
「ああ」
「ファーファと、同じ部屋か」
「だな」
「分かった」
トーマスが頷いた。
「水、入る、桶、用意するか」
トーマスがクラケンを、見ながら、ぽつりと言った。
「**……ぴゅ**」
クラケンがぽつりと言った。
ファーファが応えた。
「**……主、クラケン、嬉しい、ニャ**」
「だろうな。水の生き物、だろ。乾かねえように、しねえとな」
「**……ぴゅ**」
「**……不器用、ニャ**」
「不器用っていうのは、こいつの、口癖、か」
「**……ニャ**」
ファーファが頷いた。
「桶、すぐ、用意する」
トーマスがそれだけ言って、店の奥に向かった。
ルークがリンに近づいた。
「兄貴」
「ん」
「ボブさんから伝言、預かってます」
「ああ」
「明日の朝、組合の皆で、礼に、来たいと」
「分かった」
「私、宿、頼まれた、子供、ですから」
ルークがぺこりと、頭を下げた。
「ありがとう、だ」
リンがぽつりと答えた。
ルークが頷いた。
宿の食堂に入った。
エルナが台所に、向かった。トーマスが桶を、持って戻ってきた。大きな木の、桶、だった。水を、半分張った。クラケンを桶にゆっくり降ろした。
クラケンが桶の水の中で丸まった。八本の、触手が桶の縁に、軽く絡まった。
「**……ぴゅ**」
クラケンがぽつりと言った。
トーマスがクラケンを見て、ふっと笑った。
「気に、入った、らしいな」
ファーファが桶の隣に走り寄った。
「**……主、クラケン、桶、嬉しい、って、ニャ**」
「だろうな」
トーマスがぽつりと頷いた。
クラケンが桶の水の中で目を閉じた。
ファーファが桶の隣に座った。
「**……クラケン、寝る、ニャ?**」
「**……ぴゅ**」
「**……ファーファ、見てる、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
クラケンがそれだけ答えた。
エルナが台所から出てきた。皿に、煮魚と、パンを、載せていた。
「お前ら食え」
「ああ」
リンが頷いた。
ユミルも食卓に着いた。ファーファは桶の脇から離れずに、皿を、自分の所に、運んだ。クラケンの隣で、食べる、という、選択だった。
「ファーファお前クラケン心配なのか」
エルナがぽつりと聞いた。
「**……心配、ニャ**」
「あの子、不器用だしな」
「**……はい、ニャ**」
ファーファがぽつりと頷いた。
リンが煮魚を口に、運んだ。
馬車の、保存食と、街道の、宿の料理の、後で、エルナの煮魚は、別格に、旨かった。
「うまい」
リンがぽつりと言った。
「だろ」
エルナが頷いた。
「お前いつも、そう、言うな」
「いつも、うまい、からだ」
「お前お世辞、上手、だ」
「お世辞じゃねえ」
リンがぽつりと答えた。
エルナがふっと笑った。
夕食の、後、リンが宿の店の方へ出た。
トーマスが店の裏で何か修理を、していた。漁網の、ようなものだった。古い、漁網を編み直していた。
「兄貴」
「リン」
「漁網、編んでるのか」
「ああ」
「お前漁網、編めるのか」
「親父の、仕事、見てた。子供の頃、覚えた」
「だな」
「ボブの組合、最近漁網が、足りねえ、らしい。空いた時間に編んで、卸してる」
「商売熱心だな」
「商売、熱心じゃねえ。暇だ」
トーマスがぽつりと答えた。
リンが頷いた。
「兄貴」
「ん」
「お前雷、撃ったか、第三遺跡で」
「いや」
「撃たなかった、のか」
「撃てる状況だったが、撃たなかった」
「ああ」
「敵、撤退した。雷、必要、なかった」
「分かった」
トーマスが頷いた。
しばらくトーマスが漁網を編んでいた。リンはその、隣で、酒を舐めていた。
「リン」
「ん」
「俺は雷、撃てる状況、整ってねえ」
「整ってない?」
「自分、雷、扱う、技術、まだ当時のままだ」
「ああ」
「お前撃ってる姿、見ても、俺、追いつけない」
「だな」
「練習必要だ」
「分かった」
リンが頷いた。
「兄貴練習付き合うか」
「お前付き合う、のか」
「ああ」
「お前忙しいだろ」
「忙しいが、付き合う」
「分かった」
トーマスがぽつりと答えた。
「明日いいか」
「明日ボブの礼が、来る、らしい。それからサイラスたぶん来る。練習明後日、くらいか」
「明後日で、いい」
「分かった」
トーマスが頷いた。
リンが酒をもう一口含んだ。
しばらく静かだった。漁網を編む、トーマスの指の、動き。それから店の外の、夜の風の音。
「兄貴」
「ん」
「お前姉さん頼む」
「分かってる」
「俺は戻れねえ、可能性、ある」
「だが、戻ってくる、つもり、だろ」
「つもりだ」
「だな」
トーマスが頷いた。
「お前戻ってくる、まで、姉さん俺、見てる」
「ああ」
「だが、戻ってこい」
「戻ってくる」
リンがぽつりと答えた。
トーマスがそれで頷いた。それ以上は何も、聞かなかった。
リンが酒をもう一口含んだ。
夜が更けていった。
リンが二階の、自分の部屋に戻った。
ファーファが桶の脇で丸くなって眠っていた。クラケンが桶の中で丸くなっていた。背のニャルニルが目を開けて、二人を、見ていた。
リンが横になった。
ニャルニルがぽつりと言った。
「**……主**」
「ん」
「**……新しい、仲間、観察、終わりました**」
「結果は」
「**……クラケン、信頼、可能、判定**」
「だな」
「**……ファーファ様、世話、増えました。だがファーファ様、楽しそう、です**」
「楽しい、っていうのは、お前分かるのか」
「**……尾の、振り、頻度、上昇、観測**」
「物理的だな」
「**……はい**」
ニャルニルがそれで黙った。
リンがふっと笑った。
クラケンが桶の中でぽつりと寝言を、言った。
「**……ぴゅ**」
リンがまたふっと笑った。
それから目を閉じた。
【了】




