136 帰路
朝谷に薄い霧が降りていた。
クラーケンの解体を終わらせた。ユミルと、ファーファが中心に、なって進めた。海洋国家の兵が二人手伝った。クラーケンの肉は、塊で、二十ほど、できた。一つ、五十キロ、近かった。すべて運ぶには、荷馬車が必要だった。
ゴリクが村に兵を二人走らせた。荷馬車を、調達するためだった。半時で、戻ると言っていた。
その間に、リンたちはイカそうめんを、作った。
ファーファがイカそうめんを、作っていた。クラーケンの触手の薄い部分を、極めて、薄く刻んでいた。ファーファの爪が、包丁の、代わりだった。爪が、薄く規則的に肉を刻んでいた。
「**主、できた、ニャ**」
「ご苦労」
リンが一切れ、口に、運んだ。
冷たかった。歯ごたえがしっかりしていた。海の味が、口の、中に広がった。
「うまい」
「**……はい、ニャ**」
ファーファが頷いた。
エルナが両手を組んだ。
「お前寝言、当たったな」
「だな」
「焼きイカ、イカそうめん、出来た」
「ああ」
「お前寝言、商売、できるな」
「商売じゃねえ」
「商売だ」
エルナがぽつりと笑った。
リンの内側で独り言が走った。
——クラケンには、悪いな。
短く、それだけ思った。だが食材を捨てるのは、もっと悪い。漁師たちに、肉を届けるための、解体だった。残った内臓と、触手の薄い部分を、無駄にする訳には、いかなかった。
クラケンが戦槌の上で目を開けて、料理を、ちらりと見ていた。
「**……ぴゅ**」
ファーファがクラケンの方に耳を寄せた。
「**……主、クラケン、心配、ニャ**」
「分かってる」
リンがぽつりと答えた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、ファーファ、食べる、っていう、ニャ**」
「食う」
「**……ぴゅ**」
クラケンがそれだけ答えた。
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。
「**……クラケン、平気、ニャ?**」
「**……ぴゅ**」
「**……でも、平気、ニャ?**」
「**……ぴゅ**」
クラケンが答えた。
ファーファがぽつりと頷いた。
半時後、荷馬車が村から到着した。海洋国家の兵が操っていた。荷馬車に、クラーケンの肉の、塊を、積んだ。漁師六人を、別の馬車に、乗せた。漁師たちはまだ薬で、眠っていた。
「出発、します」
ゴリクがリンに報告した。
「ああ」
リンたちの、馬車にも、乗り込んだ。馬車の中では、ファーファが背のニャルニルを降ろして、座席の脇に立て掛けた。クラケンがニャルニルの上から、ファーファの隣に、するりと降りた。そのままファーファの脇で、丸くなった。
馬車が動き始めた。
谷が後ろになった。台座が、後ろになった。クラーケンの骨組みだけが、谷の中に残された。
林の、道を、進んだ。
午前の、半ばに、最初の村に着いた。海洋国家の兵が二人村に配置されていた。状況の、報告を、受けた。
「異常、ありません」
兵が報告した。
「ご苦労」
ゴリクが頷いた。
馬車が続いて街道を、進んだ。
午後の、半ばに、二つ目の村に着いた。ここで、漁師たち、六人が、目を覚まし、始めた。
最初に目を覚ました漁師が馬車の、中でぽつりと言った。
「ここは」
「街道だ」
リンがぽつりと答えた。
「あんた、誰だ」
「リンという」
「リン」
漁師がしばらく考えた。
「ボブの組合の依頼を、受けた、人だ」
リンがぽつりと付け加えた。
「ああ」
漁師が頷いた。
「俺は攫われたのか」
「攫われた」
「他の、奴らは」
「全員無事だ。一緒に、運ばれてる」
「分かった」
漁師がそれで頷いた。
リンが漁師に、簡単に状況を説明した。攫われていた、こと。第三遺跡の地下に監禁されていた、こと。敵の術士が撤退したこと。今は港町に、向かっている、こと。
漁師が何度か、頷いた。
「リン礼を言う」
「ああ」
「組合に、戻ったら改めて、礼に、行く」
「いらねえ」
「いや、行く」
漁師がぽつりと答えた。
リンが頷いた。それ以上は断らなかった。
馬車が二つ目の村で、夜を、迎えた。村の宿に泊まった。漁師たちは別の宿にゴリクが手配した。海洋国家の兵が見張りに、ついた。
夕食を、取った。
クラケンがファーファの脇で丸まったまま、ぽつりと言った。
「**……ファーファ**」
「**……ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……何か、っていうのは**」
「**……ぴゅ**」
クラケンがぽつりと答えた。
ファーファがしばらく考えた。
「**……主、クラケン、何か、できる、ニャ?**」
「ん?」
「**……クラケン、仲間として、何か、したい、っていう、ニャ**」
リンがしばらく考えた。
「お前水、扱えるか」
「**……ぴゅ**」
ユミルが横からぽつりと言った。
「**……リン様**」
「ん」
「**……自分も、クラケンの言葉、理解、可能、です**」
「お前もか」
「**……はい。仮想世界、生体プロトコル、解析、可能、です**」
「ファーファと、両方か」
「**……はい。ファーファ様は、感応的に。自分は、機械的に**」
「分かった」
リンがぽつりと頷いた。
「で、こいつ、何だってよ」
「**……クラケン、水、扱える、と言っています**」
「水魔法、ってことか」
「**……はい**」
「分かった」
リンが頷いた。
「だが、今はまだいい。お前慣れてから教えてくれ」
「**……ぴゅ**」
ユミルがぽつりと続けた。
「**……クラケン、了解、と言っています**」
「分かった」
「**……ぴゅ**」
クラケンがそれだけ答えた。
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。
夜が来た。
リンが宿の窓辺で、酒を飲んでいた。トーマスからもらった、革袋の酒だった。残りが、半分くらいだった。
エルナが隣の、椅子に、座った。
「リン」
「ん」
「お前明日港町、戻る」
「ああ」
「ボブに、報告、っていう、流れだ」
「ああ」
「漁師家族、安心するな」
「だな」
エルナがぽつりと頷いた。
「お前それからどうする」
「サイラスと、相談だ」
「次の、遺跡行くのか」
「行く」
「分かってた」
エルナがふっと笑った。
「お前戻ってきたらまた出て、行くんだな」
「だな」
「私、お前ここに、置いとけねえな」
「置いとけねえ」
「だが、宿、当面お前の、家、だ」
「ああ」
「いつでも戻ってこい」
「分かった」
リンがぽつりと答えた。
エルナが頷いた。
「お前戻ってきたらまた屋根、行くか」
「屋根?」
「テラス、だ」
エルナがぽつりと言った。
「ああ」
「行くか」
「行く」
エルナが頷いた。
リンも頷いた。
しばらく二人で、何も、話さなかった。
「リン」
「ん」
「私、お前好きだ」
「……」
「言っとく」
エルナがぽつりと言った。
リンがしばらく止まった。
それからぽつりと答えた。
「分かった」
「分かった、っていうのは」
「分かった」
「お前それでいいのか」
「いい」
エルナがふっと笑った。
「お前相変わらず、不器用だな」
「不器用だ」
「お前と、クラケン似てるな」
「似てるか」
「似てる」
エルナがぽつりと頷いた。
リンがふっと笑った。
「ぴゅ」
リンがクラケンの口調で、ぽつりと言った。
エルナが声を上げて、笑った。
「お前それ似てる」
「似てるか」
「似てる」
「だな」
リンもふっと笑った。
夜が更けていった。
リンと、エルナがしばらく酒を飲んだ。それ以上の、話は、しなかった。だが二人とも、隣に座っていた。それで十分、だった。
【了】




