135 焼きイカ
夜の谷に火がいくつか、灯っていた。
野営の、火だった。岩で、囲んだ、火床が三つ。一つに、海洋国家の兵が四人、もう一つに、ゴリク、最後の一つに、リンたちが、それぞれ固まっていた。火が揺れていた。空が暗かった。星が出ていた。
漁師六人は、谷の入り口の、岩の、影に、横たえていた。海洋国家の兵が二人見張りに、ついていた。漁師たちはまだ眠っていた。だが規則的な、呼吸を、繰り返していた。命に、別状、無いことが、確認された。
リンたちの、火床の、脇にクラーケンの死体が半分解体されていた。
ユミルが解体の、半分を、こなしていた。
「**……仮想世界、生体構造、知識、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「お前こういうの、できるんだな」
「**……はい**」
「だが、料理は、お前でき、るのか」
「**……できません**」
「料理は、ファーファできる、ニャ」
ファーファがぽつりと言った。
クラケンを戦槌に乗せたままだった。クラケンは戦槌の上で目を開けて、解体の、様子を、ちらりと見ていた。
クラケンがぽつりと言った。
「**……ぴゅ**」
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。
「**……主、クラケン、親、見てる、ニャ**」
リンがしばらく止まった。
それからぽつりと答えた。
「ああ」
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、寂しい、ニャ**」
ファーファがぽつりと続けた。
「**……ぴゅ**」
ファーファがリンに、首を、振って見せた。
「**……主、寂しくない、ニャ**」
「いや、寂しいだろ」
リンがぽつりと答えた。
「**……ぴゅ**」
「**……主、クラケン、食べない、ニャ**」
「お前は食べねえ」
「**……ぴゅ**」
クラケンが頷いた。
「他の、奴らは、食う」
「**……ぴゅ**」
ファーファがクラケンに耳を寄せた。
「**……主、気にしない、ニャ**」
「気に、するか」
クラケンがしばらく考えた。
「**……ぴゅ**」
「**……不器用、ニャ**」
「不器用っていうのは」
「**……ぴゅ**」
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。
「**……主、クラケン、不器用、ニャ**」
「分かった」
リンが頷いた。
クラケンがそれで黙った。
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……感情、複雑、評価、難しい**」
「だな」
「**……ファーファ様、慎重に扱ってください**」
「**……ニャ**」
ファーファが頷いた。
エルナが火床の、脇でぽつりと言った。
「リンお前寝言、当たったな」
「ああ」
「焼きイカ、できるな」
「だな」
「ファーファお前焼くか」
「**……焼く、ニャ**」
ファーファが立ち上がった。背を、軽く、振った。戦槌の上のクラケンが、八本の触手で戦槌から、ほどけた。ファーファが軽く屈むと、クラケンが地面に、するりと、降りた。それからエルナの隣まで、這って、移動した。クラケンがエルナの横でじっと、丸まった。
ファーファが解体された、触手の一本を、火床の、上にかざした。背のニャルニルの斧頭の、火を、軽く燃やした。
「**……火、これ、で、いい、ニャ?**」
「**……出力、調整、可能、です**」
「**……弱め、ニャ**」
「**……了解**」
ニャルニルの火がわずかに弱まった。
ファーファが触手を火に、当てた。皮が、ジュッと、音を、立てた。香ばしい、匂いが立ち上った。
クラケンがエルナの隣で、ちらりと匂いを、嗅いだ。表情は、変わらなかった。だが目がわずかに動いた。
「**……ぴゅ**」
クラケンがぽつりと言った。
エルナがクラケンの様子を横目で見た。
「お前気になるのか」
「**……ぴゅ**」
エルナにはクラケンの言葉は分からなかった。だが触手が桶の縁を、軽く叩いていた。
「ファーファ、こいつ、何だってよ」
エルナが焼きイカを見ているファーファに、声を掛けた。
ファーファが振り返った。
「**……主、クラケン、匂い、興味、ニャ**」
「だが、食わねえ、んだろ」
「**……食わない、ニャ**」
「分かった」
エルナがふっと笑った。
「お前可愛いな」
「**……ぴゅ**」
「不器用な、奴は、可愛い」
「**……ぴゅ**」
クラケンがそれだけ答えた。
ファーファが焼きイカを、火から降ろした。塩を、軽く振った。トーマスからもらった、保存用の、塩だった。
「**主、できた、ニャ**」
「ご苦労」
リンが焼きイカを、一切れ、口に、運んだ。
噛んだ。
歯ごたえがあった。海の深みの、ある味だった。塩が、軽く効いていた。クラーケンの肉は、普通の、イカより、ずっと、繊維が、太かった。だが噛むほど、味が、出た。
「うまい」
リンがぽつりと言った。
「だろ」
エルナがぽつりと答えた。エルナも一切れ、口に、運んだ。
「お前寝言、本当に当たるな」
「だな」
「これ寝言の、効果、認める」
「効果?」
「お前寝言で、料理、予言してる」
「予言じゃねえ」
「予言だ」
エルナがぽつりと繰り返した。
リンがふっと笑った。
ゴリクが火床の、向こうから近づいてきた。
「リン殿それは」
「焼きイカだ。食うか」
「いただきます」
ゴリクが一切れ、受け取った。口に、運んだ。
「うまい、ですな」
「だな」
「兵にも、配ってよろしいですか」
「ああ。配ってくれ」
ゴリクが頷いた。ファーファがもう何切れか、焼いた。ゴリクがそれを皿に、載せて、兵の火床に、運んだ。兵がそれを受け取って食った。「うまい」「これ何ですか」「クラーケンの肉ですよ」「ほう」「親父が、よく、漁師市場で、買ってきました」短い、会話が、聞こえてきた。
ユミルが解体を終えた。
「**……リン、解体、終わりました**」
「ご苦労」
「**……明日、村まで、運びます**」
「ああ」
「**……量、結構、あります。荷馬車、必要です**」
「分かった。村で、調達する」
リンが頷いた。
ユミルが火床に、戻ってきた。両手が汚れていた。エルナが布を、渡した。ユミルが両手を拭いた。
「**……リン様、私、サハギンたたき、できます**」
「お前できるのか」
「**……仮想世界、料理、知識、少しあります**」
「分かった。明日で、いいか」
「**……はい**」
「ファーファイカそうめんは」
「**……できる、ニャ**」
「明日ユミルと、一緒に、頼む」
「**……はい、ニャ**」
ファーファが頷いた。
エルナがぽつりと言った。
「お前寝言、三つ、全部回収、する気か」
「ああ」
「お前商売、上手だな」
「商売、じゃねえ」
「商売だ」
エルナがぽつりと笑った。
リンもふっと笑った。
夜が更けていった。
クラケンがエルナの隣で、丸まったまま寝息を、立て始めた。ファーファがクラケンの隣に寄り添った。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……記録、しません**」
「ん?」
「**……可愛い、場面、記録、約束、です**」
「お前約束、してたのか」
「**……はい**」
「分かった」
リンが頷いた。
ファーファもクラケンの隣で、目を閉じた。背のニャルニルだけが、目を開けたままだった。
「**……夜の見張り、自分、します**」
ニャルニルがぽつりと言った。
「お前見張れるのか」
「**……はい**」
「ご苦労」
リンが頷いた。
エルナがぽつりと言った。
「リン」
「ん」
「お前寝ろ」
「分かった」
「お前明日また動くだろ」
「動く」
「だから寝ろ」
「分かった」
リンが毛布を、引き寄せて、横になった。
エルナが火床の、脇でもう少し起きていた。ユミルもしばらく起きていて装置の断片を、観察していた。
谷の夜は静かだった。
火が揺れていた。
リンの内側で独り言が、走った。
——クラケン第四遺跡サハギンたたき、イカそうめん。
短く、それだけ思ってリンは目を閉じた。
【了】




