133 クラケンさん
ユミルの回復を、四半時、待った。
その間に、ゴリクが兵を配置し直した。二人を、谷の入り口、もう二人を、台座の手前の、岩陰に。退路と、前哨を、確保する、配置だった。
ユミルが立ち上がった。
「**……動けます**」
「無理、するなよ」
「**……していません**」
ユミルがぽつりと答えた。
エルナがふっと笑った。
「ユミルお前リンの口癖、移ってるぞ」
「**……リン様、影響、です**」
「だろうな」
エルナが頷いた。
リンが谷の奥を、見た。
「行くぞ」
ファーファがリンの足元についた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……前進、確認**」
谷の中央を、進んだ。
クラーケンの触手の跡が、地面に深く、残っていた。所々、皮膚の、欠片が、落ちていた。青黒い滑らかな、皮膚の、断片だった。湿気を、纏っていた。
ファーファが皮膚の、欠片を、ちらりと嗅いだ。
「**……魚臭い、ニャ**」
「だろうな」
「**……海の匂い、ニャ**」
「内陸の、谷で海の匂い、か」
リンがぽつりと言った。
ユミルが頷いた。
「**……敵、海洋系の、術式、扱います**」
「だな」
「**……第二遺跡で、操作した、痕跡、思い出してください。あれも、海の生き物の、術式、似ていました**」
「同じ術士、可能性、あるか」
「**……可能性、高いです**」
ユミルがぽつりと答えた。
台座が、近づいていた。
その、手前で、何か巨大な影が地面に横たわっていた。
クラーケンだった。
倒れていた。
「**……動かない、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「死んだ、のか」
「**……術式、切れて、います**」
「術式?」
「**……術士が回復を、試みていません。むしろ、見放した、ように、見えます**」
ユミルがぽつりと言った。
リンが頷いた。
クラーケンの巨大な胴体が谷の地面に横たわっていた。目を潰された側の、目から青黒い液体が流れ出ていた。触手は地面に伸びたまま動いていなかった。
「ファーファ」
「**ニャ**」
「触手、火、効くか、もう一度確認」
「**……死んでる、なら、効く、ニャ**」
「やってくれ」
「**……はい、ニャ**」
ファーファが跳んで、触手の先端に近づいた。背のニャルニルの斧頭が軽く火を、灯した。触手の先端を、軽く掠めた。
触手の先端が、燃えた。
「**……効く、ニャ**」
「分かった」
リンが頷いた。
「死体、ここに、置いていくのか」
エルナがぽつりと言った。
「いや」
「いや?」
「これ市場で、売れるって言ってたな」
「言った。だがこれ運べねえだろ」
「運ぶ。後で。一旦、解体だけ、しておこう」
「お前こんな、時に商売、考えてるのか」
エルナがぽつりと笑った。
「商売、じゃねえ。漁師たちに、渡す」
「漁師たち」
「ボブの、組合だ。これ解体して、運べば、しばらく漁が、不調でも食っていける」
「ああ」
エルナが頷いた。
「お前優しい、奴だな」
「優しくは、ねえ。実利だ」
「実利、か」
「ああ」
リンがぽつりと答えた。
ファーファがリンの隣に戻ってきた。
「**主**」
「ん」
「**……これ、寝言、ニャ?**」
「寝言?」
「**……主、寝言で、焼きイカ、サハギンたたき、イカそうめん、言ってた、ニャ**」
「言ってたのか」
「**……はい、ニャ**」
「俺、覚えてねえ」
「**……でも、言ってた、ニャ**」
ファーファがぽつりと頷いた。
エルナがふっと笑った。
「お前寝言で、料理、予言してたのか」
「予言じゃねえ」
「予言だ」
「予言じゃねえ」
「これまさに、それだぞ」
エルナがクラーケンの死体を指差した。
「焼きイカ、できる」
「ああ」
「サハギンたたき、っていうのは、何かは、知らねえが」
「知らねえ、のか」
「知らねえ。だがたぶんこれも、できる」
「だな」
リンが頷いた。
「イカそうめんは、刺身だな」
「刺身、できるな」
「ああ」
エルナがぽつりと笑った。
「お前寝言、当たってるじゃねえか」
「だな」
リンもふっと笑った。
ファーファが得意げに、自分の、足をぺろぺろ、舐めていた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……ファーファ様、満足、確認**」
「だな」
ニャルニルがそれで黙った。
ユミルがクラーケンの死体の、脇にしゃがんだ。
「**……解体、私、できます**」
「お前できるのか」
「**……はい。仮想世界の知識、です**」
ユミルがぽつりと答えた。
「分かった。だが今はいい。台座、先だ」
「**……はい**」
ユミルが頷いた。
その時だった。
ファーファがぴくりと耳を、動かした。
「**主**」
「ん」
「**……何か、いる、ニャ**」
「敵、か」
「**……分からない、ニャ**」
「方角は」
「**……これの、影、ニャ**」
ファーファがクラーケンの巨大な胴体の向こうを、指差した。
リンが近づいた。
ニャルニルの斧頭の、火を、灯したままファーファがリンの隣について来た。
クラーケンの胴体の影に、回り込んだ。
そこに、何か小さな影がうずくまっていた。
最初は岩、かと思った。
だが岩、では無かった。
体長、五十センチくらいの、丸い、青黒い体。短い、八本の、触手。胴体の上に二つの小さな目。
それが、クラーケンの胴体に、寄り添うように震えていた。
「**……ぴゅ**」
それが、小さな声を出した。
ファーファが立ち止まった。
「**主**」
「ん」
「**……ちっちゃい、ニャ**」
「だな」
「**……これの、子供、ニャ?**」
「たぶん、そうだ」
リンがぽつりと答えた。
子クラーケンが二つの目でリンを、見上げた。
——怯えている、な。
リンの内側で、独り言が、走った。
子クラーケンが震えていた。八本の、触手が地面の上で、わずかに動いていた。だが攻撃しよう、という、動きでは無かった。むしろ、自分を、守るように触手を体の、内側に巻き込んでいた。
「敵、では無い、な」
リンがぽつりと言った。
「**……ない、ニャ**」
ファーファが頷いた。
リンがしゃがんで、子クラーケンと、目を合わせた。
子クラーケンが二つの目でリンを、見ていた。
「お前独りか」
リンがぽつりと聞いた。
「**……ぴゅ**」
子クラーケンがわずかに触手を動かした。
「親、これだな」
リンが巨大な胴体を指差した。
「**……ぴゅ**」
子クラーケンが触手をもう一度動かした。それから目を伏せた。
「分かってるんだな」
リンがぽつりと言った。
ファーファがリンの隣にしゃがんだ。
「**主**」
「ん」
「**……連れてく、ニャ?**」
「お前世話、できるか」
「**……できる、ニャ**」
「ニャル、お前どう思う」
「**……ファーファ様の、判断に、従います**」
ニャルニルがぽつりと答えた。
「分かった」
リンが頷いた。
ファーファがゆっくり子クラーケンに近づいた。子クラーケンがわずかに震えた。八本の触手が、体の内側に巻き込まれた。
ファーファが子クラーケンの頭をぺろりと舐めた。
子クラーケンが目を見開いた。
ファーファがもう一度舐めた。
「**……しょっぱい、ニャ**」
子クラーケンの触手がゆっくりほどけた。
「**……ぴゅ**」
子クラーケンがぽつりと声を出した。怯えていた声から、わずかに変わっていた。
ファーファが背を向けた。背にはニャルニルが背負われていた。
「**……乗る、ニャ**」
子クラーケンがゆっくり八本の触手を伸ばした。一本、二本、とニャルニルの柄に絡みつかせた。それから自分の体を戦槌の上に引き上げた。八本の触手が、戦槌の頭の周りをゆっくり巻きついた。
戦槌の上に、子クラーケンがちょこんと乗っていた。
「**……重い、ニャ**」
「重いか」
リンがぽつりと聞いた。
「**……でも、いい、ニャ**」
ファーファがぽつりと頷いた。
ニャルニルが背の方からぽつりと言った。
「**……新規、観測、対象、追加**」
「だな」
リンが頷いた。
子クラーケンが戦槌の上で、ぎこちなく丸まろうとしていた。八本の触手が一本、出してみては引っ込め、もう一本、出してみては引っ込めていた。動きがぎこちなかった。
「**……ぴゅ**」
子クラーケンがぽつりと声を出した。
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上の子クラーケンを見上げた。
「**……不器用、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……不器用、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「**……こいつ不器用、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
エルナが後ろから、近づいてきた。戦槌の上の子クラーケンを見て、ぽつりと言った。
「お前それ何だ」
「子クラーケンだ。仲間に、する」
「仲間」
「ああ」
「ファーファ、もう一人、世話、できるのか」
「**……できる、ニャ。不器用、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
エルナがふっと、笑った。
「ファーファ、お前それ何回、言うんだ」
「**……不器用だから、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
「だな」
エルナがぽつりと、頷いた。
「で、こいつ、名前、何だ」
リンがしばらく考えた。
「……無い」
「お前命名、やっぱ、駄目だな」
「だな」
エルナがファーファの戦槌の上の子クラーケンを、ちらりと見た。
「お前ファーファに、ずっと、不器用、不器用、言われてるな」
「**……ぴゅ**」
「もう、これクラケンで、いいんじゃねえか」
「クラケン?」
リンが聞き返した。
「ファーファが不器用ニャ、不器用ニャ、って、繰り返してると。この子の名前はクラケンだわ(確信)」
「クラ、ケン」
「ク、ラ、ケ、ン。子クラーケンの略でも、ある」
「だな」
「クラケンで、いい」
「**……ぴゅ**」
子クラーケンがぽつりと、答えた。
否定では、無さそうだった。
「決まり、だな」
エルナがぽつりと、頷いた。
ファーファが首を後ろに向けて、戦槌の上のクラケンを見上げた。
「**……クラケン、ニャ。よろしく、ニャ**」
「**……ぴゅ**」
クラケンがぽつりと、答えた。
リンの内側で、独り言が、走った。
——仲間、増えた。
短く、それだけ思った。
【了】




