132 必殺技
「ゴリク」
リンが短く言った。
「はい」
「あんたの兵、谷の壁の岩の影に退避させろ。あれの触手の届かない位置まで」
「分かりました」
ゴリクが兵に合図した。連合の兵が谷の壁の岩の影に走った。
「ゴリク、あんたも退避だ」
「いえ、私はリン殿の近くにいます」
「無理すんな」
「無理はしません。剣を振るには近すぎる、あれは。だが状況の把握は、私の仕事です」
ゴリクがぽつりと言った。
リンが頷いた。
「分かった。だが退避が必要になったらすぐに退避しろ」
「了解です」
「ファーファ」
「**ニャ**」
「あれ火、効くか」
「**……分からない、ニャ**」
「試してくれ」
「**……はい、ニャ**」
ファーファが谷の中央へ跳んだ。背の戦槌——ニャルニル——を、両手で握り直す。
クラーケンが近づいていた。距離はもう五十メートルほどだった。長い触手が地面を撫でながらこちらに伸びていた。
ファーファが谷の岩の上に着地した。鎚頭にぽっと火が灯った。
「**……ヤキヤキ君アタック、食らう、ニャ!**」
「なんだその技名!」
ファーファが跳んだ。
戦槌を振りながら、回転して、触手にぶつかった。鎚頭の火が、触手の先端を、薙いだ。
ジュッと湿った音がした。
火が、わずかに飛び散った。
触手がわずかに震えた。
だが、燃えなかった。
「**……火、効きが、悪い、ニャ**」
ファーファが跳んで戻ってきた。
「**……皮膚、湿ってる、ニャ**」
「分かった」
リンが頷いた。
クラーケンが触手をもう一本、振った。今度は、リンたちのいる方角に振り下ろされた。
「ユミルカーテン」
「**……はい**」
ユミルが両手を軽く前に出した。光のカーテンが、谷の壁に向かって薄く展開した。クラーケンの触手の軌道を予測した配置だった。
最初の触手が光のカーテンに弾かれた。岩がわずかに砕けた。
二本目の触手が別の角度から振り下ろされた。
「**……一本、抜けます**」
ユミルがぽつりと言った。
「分かった」
リンが舷側から跳んだ。地面に転がるように避けた。エルナも、別の方向に、跳んだ。
二本目の触手が地面を、深く抉った。土が、ばらばらと、散った。
「リン、雷、試せ」
エルナがぽつりと言った。
「ああ」
リンが弓を構えた。矢をつがえた。
「雷、来い」
リンの自力詠唱だった。矢の鏃に青白い火花が走った。リンの自力で矢に纏える、雷。素朴な、小規模の、エンチャント。
リンが矢を放った。
矢がクラーケンの胴体に飛んだ。
鏃が当たった瞬間。
雷が皮膚の表面で、止まった。
火花が散ったが、皮膚を貫かなかった。鏃が皮膚に刺さるどころか、弾かれて、地面に落ちた。
「効かねえな」
リンがぽつりと言った。
「**……ユミル、観察、結果**」
ユミルが両手を軽く前に出した。光の球が掌の間に、生まれた。
「**……表皮、解析します**」
光の球が薄く広がってクラーケンの胴体に当たった。一瞬で戻ってきた。
ユミルの表情が、わずかに変わった。
「**……これ、液晶です**」
「液晶?」
「**……表皮、刺激、応じて、組成、変動。雷、当たった部分、雷耐性に組み替わっています。火、当たった部分、火耐性に組み替わっています**」
「組み替わる?」
「**……はい。一つの刺激、当てれば、その刺激への耐性、即時、組み替え**」
「だから効かねえのか」
「**……はい**」
ユミルがぽつりと言った。
クラーケンがまた触手を振ってきた。三本、同時に振り下ろされた。
ユミルの光のカーテンが、二本を、受け流した。だが三本目がファーファの方に、振られた。
「**……ニャ!**」
ファーファが跳んだ。だが間に合わなかった。触手の先端が、ファーファに、当たった。
ファーファがコロコロと、転がった。谷の壁まで、転がっていってぶつかった。
リンが息を止めた。
「ファーファ」
「**……痛く、ない、ニャ**」
ファーファがぽつりと立ち上がった。背のニャルニルから声がした。
「**……ファーファ様、損傷、軽微**」
「**……ニャル、頑丈、ニャ**」
「**……戦槌、です**」
ファーファが両手で戦槌を握り直した。
リンの内側で独り言が走った。
——液晶。一つの刺激応じて、組み替わる。
——同時に別々の刺激当てたら組み替えのリソース分散する。
——表面埋めれば、いい。
夜光虫が、頭の中で、一斉に、光った。
リンが矢をつがえた。
「hoge矢」
リンの自力詠唱だった。コマンドラインを、口にした。バグ技だった。
矢の鏃に薄い波紋が走った。
エルナが横から、ぽつりと言った。
「お前の、命名、駄目だな」
「だな」
リンが弓を構えた。
クラーケンがまた触手を振ってきた。リンがその隙を、見て、撃った。
矢が空気を、切って飛んだ。
鏃がクラーケンの胴体に刺さった瞬間、皮膚が、一瞬で虹色に、明滅した。表面の、液晶が、組み替えのリソースを、全身に、分散させていた。
「ユミル」
「**……はい**」
「ハーネス、解除」
「**……exec.harness、解除、Lv3**」
ユミルがコマンドラインを口にした。
ファーファの背の戦槌の周辺に、薄い、青白い光が走った。光がファーファとニャルニルの、両方を、包んだ。
「**……うぉぉー! 力が、みなぎる、ニャ!**」
ファーファが声を上げた。
「ファーファ、いけ!」
ファーファが即、跳び上がった。
「**……スーパーヤキヤキ君アタック、食らう、ニャ!**」
ファーファが空中で身を捻った。戦槌を両手で振り回した。鎚頭の火が回転しながら広がっていく。ファーファの全身が業火に包まれた。さっきの、何倍もの、火だった。
火の球が回転コマの、ように空中で加速した。
火の球がクラーケンの眉間に突進した。
鎚頭が眉間に当たった。
爆発した。
火が四方に飛び散った。クラーケンの胴体が貫かれた。鎚頭が眉間を、突き抜けて、反対側まで突き出た。
クラーケンが低い唸り声を上げた。
胴体が痙攣した。
それから止まった。
倒れた。
谷に静寂が、戻った。
イカの、焼ける、匂いが谷に満ちた。
ファーファがクラーケンの上から跳んで、降りた。両手で戦槌を握ったまま、リンの方へ、戻ってきた。
ファーファの頭頂部の毛が、爆発の熱で、ふわっと、立ち上がっていた。アフロのような、まん丸の形に、なっていた。それ以外は、無事だった。本人は、平気な顔だった。
「**……主**」
「ん」
「**……やり過ぎた、ニャ**」
「やり過ぎ、だな」
「**……でも、効いた、ニャ**」
「効いた」
リンがぽつりと答えた。
「**……遠赤外線の、力、ニャ**」
ファーファがぽつりと付け加えた。
リンが止まった。
「違うと思うぞ」
「**……遠赤外線、ニャ**」
「お前、それ、聞きかじりだろ」
「**……ニャ**」
ファーファが頷いた。だが反省はしていない、顔だった。
ファーファが自分の背のニャルニルを、ちらりと見た。
「**……ニャル、すごい、ニャ**」
「**……了解**」
「**……いい家電に、なれる、ニャ**」
「**……家電?**」
ニャルニルからわずかに戸惑いの混じった声がした。
「**……ジャーキー、温める、最強、ニャ。ニャル、最高の、家電、ニャ**」
「**……家電、評価、不本意、です**」
「**……でも、温まる、ニャ**」
「**……戦槌、です。家電、では、ない**」
「**……ニャル、家電、ニャ**」
「**……了解、しません**」
ニャルニルがそれだけ、答えた。
エルナが横からぽつりと笑った。
「お前ら戦闘中だったの、忘れてねえか」
「**……忘れてない、ニャ**」
「忘れてた、だろ」
「**……忘れてない、ニャ**」
ファーファがぽつりと繰り返した。
リンがふっと笑った。
クラーケンの巨大な死体が、谷の地面に横たわっていた。眉間が、貫通していた。煙が、まだ立ち上っていた。良い匂いだった。
「**……主**」
ユミルがぽつりと言った。
「ん」
「**……これ、寝言、です**」
「寝言?」
「**……主、寝言で、焼きイカ、言って、いました**」
「言ってた」
「**……これ、焼きイカ、です**」
ユミルがぽつりと言った。
エルナが横から笑った。
「お前寝言、当たったな」
「だな」
「お前商売、上手だな」
「商売じゃ、ねえ」
「商売だ」
エルナがぽつりと繰り返した。
リンも、ふっと笑った。
谷の奥から別の声が聞こえてきた。
人の声、では無かった。低い口笛のような、音だった。
クラーケンの死体は、もう動かなかった。だが奥の何かが、撤退の合図を、出していた。
「術士が、いる」
リンがぽつりと言った。
リンが谷の奥の方角を見た。
距離が、ありすぎた。だが台座の向こうの、岩陰に、何か、人の、影が見えた、気がした。
「ファーファ」
「**ニャ**」
「奥の岩陰、見えるか」
「**……人、いる、ニャ**」
「術士か」
「**……たぶん、ニャ**」
「分かった」
リンが頷いた。
岩陰の、人影が撤退の動きを、見せた。台座の向こうへ、引いていく。リンが追うか、迷った。
——逃がすか。
リンの内側で独り言が走った。
撤退する、敵を、追撃するのは別の判断だった。今、谷の奥に、踏み込めば、術士の待ち伏せに、引っかかる。一旦、引かせる方がこちらの、安全だった。
「逃がす」
リンがぽつりと言った。
エルナが頷いた。
「あの術士、確保したいなら、別の機会だ」
「だな」
リンが頷いた。
谷が静かに、なった。
ユミルが光のカーテンを、解いた。両手を軽く降ろした。
「**……リン様**」
「ん」
「**……消耗、しました**」
「分かる」
「**……少し、休みます**」
「ああ」
ユミルが谷の岩の上に、ぺたんと、座り込んだ。エルナが駆け寄ってユミルの肩を、支えた。
「ユミル無理すんな」
「**……していません**」
「してる」
「**……していない、と、思っています**」
ユミルがぽつりと答えた。
エルナがふっと笑った。
「お前リンと、似てきたな」
「**……リン様、影響、です**」
ユミルが答えた。
リンがふっと笑った。
ファーファがリンの足元に、来た。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……戦闘、終了**」
「だな」
「**……ファーファ様、消耗、軽微。だが、頭頂部、アフロ、です**」
「**……毛、すぐ、戻る、ニャ**」
「**……了解**」
ニャルニルがそれで黙った。
ゴリクがリンの隣に、戻ってきた。
「リン殿。被害、ありません」
「兵は、無事か」
「全員、無事です」
「ご苦労」
「リン殿、ご慧眼でした」
「慧眼?」
「あの皮膚の組み替え。気付いて、対処された」
「ユミルが解析した。ファーファが最後を、決めた」
「皆様の、連携、です」
ゴリクが頷いた。
「クラーケン、討伐、完了。漁師たちは、まだ台座の地下に、いるはずです」
「だな」
「次は地下、です」
「行く」
リンがぽつりと答えた。
谷の空気がまだ湿っていた。クラーケンの皮膚から漂った、水分が、谷に残っていた。地面に触手の跡が、いくつか、残っていた。深く、抉られた、跡だった。
それから焼けた、肉の、匂い。
リンが谷の奥を、見た。
台座が、まだそこに、あった。クラーケンの死体が、その手前に、横たわっていた。
——次は地下、だ。
リンの内側の、独り言が短く、走った。
【了】




