131 谷の入口
朝馬車が三つ目の村に着いた。
ここでも兵が二人待っていた。ゴリクが状況を確認した。夜中の馬車が半日前に通過していた。同じく、東の方角へ。街道は、この村で、ほぼ終わりだった。村の先は舗装も曖昧な、細い道になり、山の縁の谷へ続いていた。
「ここで、馬車を、降ります」
ゴリクがリンの馬車の窓に、来た。
「徒歩か」
「はい。馬車では谷の中に入れません」
「分かった」
リンが頷いた。
リンたちが馬車を降りた。荷物を各々が背負った。ファーファはリンの足元についた。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……地形、変化、確認**」
「だな」
「**……谷、湿度、高い予想**」
「分かるか」
「**……空気の含水率、上昇傾向、です**」
「物理的だな」
「**……はい**」
ニャルニルがそれで黙った。
村の脇から細い道が始まっていた。下り坂だった。両側に、低い灌木が茂っていた。道の先に、谷の入り口が、ぼんやりと、見えていた。岩の壁が左右から迫っていた。その間に、薄暗い、影が奥に伸びていた。
ゴリクが先頭を歩いた。リンたちが続いた。海洋国家の兵が後ろを固めた。
谷の入り口に近づいた。
ユミルがぽつりと言った。
「**……リン様**」
「ん」
「**……魔力の漏出、強くなっています**」
「分かるか」
「**……はい。谷の中、漏出の、源があります**」
「第三遺跡だな」
「**……はい。谷の中央、深い位置、です**」
ユミルが頷いた。
谷の入り口に、立った。
岩の壁が左右に十メートルくらいの高さで、伸びていた。谷の底は、平らで、所々に、苔の生えた岩が転がっていた。空気が少し湿っていた。
ファーファが谷の中の方をちらりと嗅いだ。
「**主**」
「ん」
「**……人、複数、いる、ニャ**」
「敵か」
「**……たぶん、ニャ**」
「数は」
「**……五、十、くらい、ニャ**」
「分かった」
リンが頷いた。
ゴリクがリンの方を見た。
「リン殿。ここから先は慎重に行きましょう」
「ああ」
「私が、先導します。兵を二人後ろに配置します。リン殿たちは中央です」
「分かった」
ゴリクが兵に目で合図した。配置が、変わった。前後を、海洋国家の兵が固める形になった。
谷を、進み始めた。
最初は誰も、何も、話さなかった。足音だけが、谷の壁にわずかに反響していた。
しばらく進んだ。
谷が少し広がった。
谷の中央に低い岩の塊が、あった。岩の塊の上に何か白っぽい、長方形の、構造物が、見えた。建物では無い。もう少し低い。台座のような形だった。
「**……第三遺跡の入り口、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「あれが」
「**……はい。台座の下に、地下構造があります。第三遺跡、本体は、地下、です**」
「分かった」
リンが頷いた。
谷の壁の所々に、小さな影が動いていた。人の影だった。
ファーファがぽつりと言った。
「**……見張り、複数、ニャ**」
「だな」
「**……気付いてる、ニャ**」
「気付いてるっていうのは」
「**……こっちを、見てる、ニャ**」
ファーファがそう言って谷の壁の上の方をちらりと嗅いだ。
「**……それから何か、別の匂い、ニャ**」
「別の」
「**……人じゃ、ない、ニャ**」
「人じゃない?」
「**……動物、でも、ない、ニャ**」
ファーファがそれだけ言った。
リンの内側で独り言が走った。
——人でも動物でもない何か。
仮想世界、由来の、何か。敵は第二遺跡を操作した痕跡を残していた。第三遺跡にも、何らかの、術式を、残しているだろう。それが、生き物の、形で、配置されている可能性が、あった。
「ユミル」
「**はい**」
「術式の痕跡、感じるか」
「**……はい。複数、あります**」
「動いてる奴か」
「**……分かりません。だが谷の奥に、強い反応、あります**」
「強い、っていうのは」
「**……生命体の、形を、した、術式、です**」
ユミルがぽつりと言った。
「召喚体、か」
「**……はい。たぶん**」
「分かった」
リンが頷いた。
ゴリクがぽつりと言った。
「リン殿」
「ん」
「敵の見張り、合計、八人、確認しました」
「八人」
「はい。それから谷の奥、何か大きな影が動いています」
「分かる、のか」
「岩の、上から見ると、見えます」
ゴリクが谷の壁の岩の隙間を、指差した。リンがそこに、目を凝らした。
谷の奥の台座の向こうに確かに大きな影が動いていた。距離は、まだ二百メートルくらい、ありそうだった。だが影の、輪郭が人間の、ものでは無かった。長い何かが、地面をゆっくり動いていた。
「触手、か」
リンがぽつりと言った。
「触手、ですか」
「ああ。海の生き物の、ような形だ」
「内陸で、海の生き物」
「だな」
ゴリクがぽつりと頷いた。
「これは自然の、生き物、では無いですね」
「無いだろうな」
「対策は」
「ある」
リンがぽつりと答えた。
「ユミル」
「**はい**」
「光のカーテン、出せるか」
「**……出せます**」
「敵の見張りに、気付かれる、前に谷の壁を、進む。ファーファニャルニル、まずは、見張りを、潰す。それから谷の中央へ、出る」
「**……了解**」
ユミルがぽつりと頷いた。
ファーファがリンの足元から起き上がった。背のニャルニルが低い声でぼそっと言った。
「**……戦闘、態勢**」
ニャルニルの斧頭がぽっと火を、灯した。
ゴリクが兵に合図した。兵が剣を、構えた。
エルナが短剣を、抜いた。
リンも両手の指を、軽く伸ばした。雷を呼ぶ、構えだった。
「行くぞ」
リンがぽつりと言った。
ファーファが谷の壁の岩の影に、跳んだ。一瞬で、姿が、消えた。リンの目では追えなかった。だがしばらくして、谷の壁の上の方で、火が上がった。一瞬の、明るい、火の柱が、立った。
ファーファが最初の見張りに、到達したのだ。
それから火がもう一つ、別の場所で、上がった。
二人目の見張り。
リンの内側で独り言が走った。
——速い、な。
ファーファの戦闘の、速度が、漁村の頃より、明らかに上がっていた。背のニャルニルとの、連携が、密に、なっていた。火を、出すタイミングと、ファーファの跳躍の、軌道が、ぴったり、合っていた。
谷の壁の上の、見張りが、四人、潰された。残り、四人は、谷の奥の台座の周囲に、いる、はずだった。
ファーファが谷の中ほどまで、戻ってきた。
「**主、上、半分片付いた、ニャ**」
「ご苦労」
「**……次、台座、行く、ニャ?**」
「行く。だが谷の奥の影、こっちに、気付いてる可能性が、ある」
「**……気付いてる、ニャ**」
「分かるのか」
「**……動きが変わった、ニャ**」
ファーファが谷の奥の方をちらりと嗅いだ。
「**……こっちに、向かって、来てる、ニャ**」
リンが谷の奥を、見た。
大きな影が確かにこちらに、向かって移動を、始めていた。長い触手のようなものが、地面を撫でながら、進んでいた。
近づくにつれて、輪郭がはっきり、してきた。
——クラーケン、だ。
リンの内側で独り言が、走った。
伝説の、海の怪物。本来は、海中に棲む、生き物。だが敵が、何らかの、術式で、内陸の、谷に配置していた。守り神として。
「ユミル」
「**はい**」
「あれ対処できるか」
「**……難しいです。本来は、水中の、生き物。陸上で、動いている、ということは、敵が、水分を、与え続けている、術式、可能性、あります**」
「ああ」
「**……術式を、断つこと、できれば、活動を、止められます**」
「分かった」
リンが頷いた。
「だが、簡単に術式を、断てるとは、思えない」
「**……はい**」
「正面から戦う、ことになる」
「**……はい**」
ユミルがぽつりと頷いた。
エルナがぽつりと言った。
「リン」
「ん」
「あれ海の生き物だな」
「ああ」
「私、見たことある」
「見た?」
「漁村の市場で、小さいの、出回ってた。海の奥の深い所に、棲んでる、らしい」
「だな」
「だが、こんなに、大きいのは、初めて、見る」
エルナがぽつりと言った。
クラーケンの輪郭がもうはっきり、見えていた。
体長は、十五メートルを、超えていた。胴体が丸く、その下に長い触手が八本。地面を撫でるように動いていた。皮膚は、青黒く、滑らかだった。
クラーケンがこちらに、気付いていた。
胴体の上の、大きな目が開いていた。
それが、まっすぐに、リンたちの方を見ていた。
【了】




