130 街道を東へ
夜明け前、宿の前に馬車が二台、停まっていた。
一台は、リンたち五人——リン、エルナ、ユミル、ファーファ、それからニャルニル——の馬車だった。もう一台は、海洋国家の兵が四人乗る、護衛の馬車だった。
兵の隊長らしき男がリンの前に立っていた。背の低い、肩幅の広い男だった。剣を二本、腰に差していた。長剣と短剣だった。腕に古い傷の跡が、いくつか走っていた。
「リン殿。隊長のゴリクと申します」
「ああ。よろしく頼む」
「私はサイラス様から内陸での護衛を仰せつかりました。三十年、連合の兵をやっております」
「三十年か」
「はい。沿岸の遺跡、いくつか、巡ってきました。慣れています」
ゴリクが頷いた。
「他の兵は」
「もう一台の馬車に、三人。それから街道沿いの村に、二人ずつ配置済みです」
「ご苦労」
リンが頷いた。
エルナとユミルが宿から出てきた。ファーファがリンの足元についていた。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……出発、確認**」
「ああ」
「**……隊長、信頼度、評価中**」
「お前ゴリクのこと、見てるのか」
「**……はい**」
「結果は」
「**……判定中**」
ニャルニルがそう言ってしばらく黙った。
ゴリクがニャルニルの方をちらりと見た。表情を変えなかった。海洋国家の兵にとって戦槌が喋るのも、特に驚きの対象では無いのかもしれなかった。
トーマスが店の方から出てきた。手に布で包んだ何かを持っていた。
「リン」
「ん」
「これ持ってけ」
トーマスが包みをリンに渡した。
「何だ」
「干物だ。三日分。馬車の中で食えるように塩を強めにしてある」
「礼を言う」
「あと、これ」
トーマスがもう一つ、小さな革袋を渡した。
「中身は」
「酒だ」
「酒か」
「夜、冷えるからな」
トーマスがぽつりと言った。
リンが頷いた。
エルナがトーマスの隣に立った。
「お前宿、頼む」
「分かった」
「ルークと、二人で、回せるな」
「回せる」
エルナが頷いた。
「リン」
「ん」
「戻ってこい」
「戻ってくる」
エルナがそう言ってそれ以上は何も言わなかった。リンも頷いた。
ユミルが馬車の脇に立っていた。
「**……リン様、出発、です**」
「ああ」
「**……荷物、確認、終わりました**」
「分かった」
ユミルが先に馬車に乗り込んだ。ファーファが続いた。リンも乗った。エルナが最後に乗った。
ゴリクがもう一台の馬車に乗り込んだ。
馬車が動き始めた。
港町の朝がまだ来ていなかった。建物の影が薄い灰色に沈んでいた。馬車の車輪が、土の道を踏んだ。馬の蹄の音が、規則的に響いた。
リンは馬車の窓から外を見ていた。港町が、後ろに小さくなっていった。やがて、町を囲む低い塀の門を抜けた。街道に出た。
街道は東に伸びていた。真っ直ぐではなかった。ゆるやかに、丘の縁を巻いて進んでいた。両側に畑があった。畑の先に低い林があった。
ファーファがリンの膝の上で丸くなっていた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……隊長、ゴリク、信頼度、高い**」
「決まったか」
「**……はい**」
「根拠は」
「**……傷の数、それから配置の的確さ。経験豊富、判定**」
「分かった」
リンがそう言ってニャルニルの背を軽く撫でた。
ユミルが馬車の窓から外を見ていた。
「**……リン様**」
「ん」
「**……第三遺跡、近づくと、空気が変わります**」
「変わる?」
「**……魔力の漏出、感じます。たぶん、街道の終端の、半日くらい手前からです**」
「半日手前」
「**……はい**」
ユミルが頷いた。
「規模は」
「**……第二遺跡と、同じくらい、です**」
「分かった」
リンが頷いた。
馬車がしばらく走った。
午前の半ばに、最初の村に着いた。
馬車が村の入り口で止まった。海洋国家の兵が二人、村の入り口に立っていた。リンたちの馬車を見て、敬礼した。ゴリクが馬車から降りて、二人の兵と短く話した。それからリンの馬車の窓に来た。
「リン殿」
「ん」
「夜のうちに、馬車が一台、ここを通過しました」
「黒い馬車か」
「はい。窓の無い、黒い馬車です」
「方角は」
「東です。街道を、続けて東へ」
「分かった」
リンが頷いた。
「予定通り、敵は第三遺跡に向かっています」
「ああ」
「我々も、続けて東へ向かいます」
「頼む」
ゴリクが頷いた。馬車に戻った。
馬車が再び動き出した。
エルナがリンの隣で、ぽつりと言った。
「お前急がねえな」
「急がねえ」
「向こうが先に着くぞ」
「先に着いてもいい」
「いいのか」
「敵は遺跡に張り付いてる。逃げるわけじゃねえ」
「だな」
「こっちが急いで疲弊するより、慎重に進む方が、最後にいい結果になる」
リンがぽつりと答えた。
エルナが頷いた。
ファーファがリンの膝の上で目を開けた。
「**主**」
「ん」
「**……お腹、空いた、ニャ**」
「もうか」
「**……ニャ**」
ファーファがぽつりと言った。
リンがトーマスから受け取った干物の包みを開けた。中に塩の濃い、固い干物が入っていた。一切れ、ファーファに渡した。ファーファが口に運んだ。
「**……硬い、ニャ**」
「保存食だからな」
「**……でも、味、濃い、ニャ**」
「だな」
ファーファがしばらく干物をかじっていた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……ファーファ様、満足、確認**」
「だな」
リンも干物を一切れ取って口に運んだ。塩が強かった。だが馬車の揺れの中で食うには、ちょうど良い味だった。
エルナがぽつりと言った。
「リン」
「ん」
「お前本当に戻ってくるんだな」
「戻ってくる」
「もし、戻ってこなかったら、私、どうしようかと思った」
「……」
「冗談だ」
エルナがぽつりと笑った。
リンもふっと笑った。
「冗談、じゃねえだろ」
「冗談だ」
エルナがそれだけ言って窓の外を見た。
馬車が街道を進んだ。畑が、林に変わった。林の中の道だった。木の葉の影が馬車の窓に落ちていた。風が馬車の幌を、軽く揺らしていた。
午後の半ばに、二つ目の村に着いた。
ここでも兵が二人、待機していた。ゴリクが状況を確認した。同じだった。夜中の馬車が通過した。一日、半日前のことだった。
「順調に追えています」
ゴリクが報告した。
「ああ」
「今夜は二つ目の村で、宿を取ります。明朝出発、三つ目の村で、昼食。午後に、遺跡周辺に到達します」
「分かった」
リンが頷いた。
馬車が二つ目の村の宿の前で止まった。リンたちが降りた。村の宿は小さかった。だが清潔だった。ゴリクが部屋を二つ確保した。一つがリンたち、もう一つが兵たちの部屋だった。
夕食を取った。村の宿の女主人が、温かいスープと、パンと、煮魚を出した。質素だった。だが馬車の中の干物より、ずっと旨かった。
ファーファが煮魚を自分の皿で、ほくほくと食っていた。背のニャルニルがぽつりと言った。
「**……地方、料理、観察、です**」
「お前料理に詳しくなるな」
「**……ファーファ様の、嗜好、分析中、です**」
ニャルニルがそれだけ言った。
ユミルがぽつりと笑った。
「**……ニャル、ファーファのこと、よく見ていますね**」
「**……はい**」
「**……主、ニャル、ファーファのこと、本当に見ています**」
「だな」
リンも頷いた。
夕食の後、リンたちは部屋に戻った。
ファーファが先に、毛布の上で丸くなった。ユミルが隅で何かの覚え書きを開いた。第三遺跡の構造についての、自分の予測を整理している、らしかった。エルナは卓に着いて地図を広げていた。
リンは窓辺の椅子に座ってトーマスからもらった革袋の酒を少しだけ、口に含んだ。
冷えた酒だった。塩気のある干物の、後味を、すっきり、流していた。
リンの内側で、独り言が走った。
——明日第三遺跡だ。
短く、それだけ思った。
外の村は、もうほとんど、闇に沈んでいた。村の家々の灯りが、点々と、低く、見えていた。星が出ていた。
リンは酒をもう一口、含んだ。
それから横になった。
【了】




