129 夜の灯り
サイラスがヴェルナリス連合の本国から戻ってきたのは、翌朝だった。
宿の食堂にサイラスが入ってきた。リンとエルナとユミルが卓の向こうに座った。トーマスも店の方から来て、リンの隣に座った。
「皆さん、お待たせしました」
サイラスがぽつりと言った。
「サイラス、こっちも、進展、あった」
リンがぽつりと言った。
「人攫い、っていう話、ですか」
「ああ。組織的だ。街道沿いに、ルート、特定した。終点が、第三遺跡の方角だ」
「第三遺跡」
サイラスが頷いた。
「私の本国の、方も、進展が、あります」
「と言うと」
「第二遺跡の操作した、人物の、特徴を本国に報告しました。それでヴェルナリスの過去の記録と照合しました」
「照合?」
「はい。似た、特徴の、魔力の痕跡が過去に何件か報告されています」
サイラスがぽつりと言った。
「過去?」
「五年から七年前。沿岸のいくつかの遺跡で似たような、痕跡が報告されています」
「同じ犯人」
「可能性、高いです。連合としては、これを重要案件と位置付けます」
「分かった」
リンが頷いた。
サイラスが卓の上で両手を組んだ。
「リン様」
「ん」
「第三遺跡、向かわれますか」
「向かう」
「人攫いの捜査と第三遺跡の調査、両方、ですか」
「両方だ。場所が、近い、なら同時に片付ける」
「分かりました。連合として、支援します」
「頼む」
「具体的には、護衛を付けます。武装した、連合の兵を十名ほど」
「ああ」
「現地に向かわれる、出発は」
「明日、出る」
「分かりました。それで調整します」
サイラスが頷いた。
そこからしばらく具体的な段取りの話が続いた。馬車の手配。宿泊場所。武装の調達。情報伝達の方法。サイラスは海洋国家の役人としての能力を十分に発揮していた。短時間で大半の段取りが決まった。
「リン様」
「ん」
「兵の隊長は、私が知る限り最も信頼できる男です。名はゴリクと申します。明日、宿に伺わせます」
「分かった」
「武装は長剣、短剣、それから弓。攻め込むよりも、護衛と撤退路の確保を想定しています」
「了解だ」
「街道沿いの三つの村、そこに兵を、二人ずつ配置します。情報の中継地点、それから帰路の安全の確保のためです」
「ああ」
「現地に踏み込むのはリン様、エルナ様、ユミル様、ファーファ様、それからニャルニル様の五名と、ゴリクを含めた連合の兵が四名。合計九名で動きます」
「九名か」
「過剰でも、不足でもない、と判断しました」
「だな」
リンが頷いた。
サイラスが地図を卓の上に広げた。街道沿いの、三つの村の位置と、第三遺跡の推定位置が印で示されていた。第三遺跡は街道の終端の、少し北に外れた位置にあった。山の縁の谷だった。
「現地までは、馬車で丸一日です」
「分かった」
「明日、出発、夜明け前と聞いておりますが」
「夜明け前でいい」
サイラスが頷いた。
夕方、サイラスが引き上げた。
リンとエルナとユミルとトーマスが卓に残った。
「明日、出る、か」
エルナがぽつりと言った。
「出る」
「準備、する事、まだ、あるな」
「ある」
「分かった。私、宿の方、整える」
エルナが立ち上がった。
「トーマス。お前、店の方、頼む」
「分かった」
トーマスが頷いた。
「ユミル、お前、休んどけ。明日、消耗する」
「**……はい**」
ユミルが頷いた。
エルナが台所の方へ、行った。ユミルが二階へ、上がった。トーマスが店の方へ、戻った。
リンとファーファが卓に残った。
ファーファがリンの足元で丸くなっていた。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……主、明日、戦闘、可能性**」
「ある」
「**……自分も、戦います**」
「頼む」
「**……ファーファ様、戦います**」
「だな」
「**……主、無理、しないでください**」
ニャルニルがぽつりと言った。
「無理は、しねえ」
リンがぽつりと答えた。
夜が、来た。
リンが二階の自分の部屋に戻ろうとした、時だった。階段を上がる、途中で、エルナの声が降ってきた。
「リン」
「ん」
「ちょっと上、来い」
リンが頷いた。階段を上がった。エルナが廊下の、突き当たりに立っていた。
「お前、ちょっとついて、来い」
「ああ」
エルナが宿の二階の奥の、扉を開けた。屋根のテラスに出る、扉だった。リンも続いた。
宿の屋根のテラスだった。低い、柵が、囲っていた。卓と椅子が二つ、置かれていた。月の光が降っていた。空が晴れていた。星が出ていた。
「ここ、知らねえ、だろ」
エルナがぽつりと言った。
「初めて、来た」
「だな。普段、客には、開放してねえ」
「お前、よく、来るのか」
「たまに」
エルナが椅子に腰を下ろした。手に瓶と二つの杯を持っていた。卓の上に置く。リンも向かいの、椅子に座った。
「飲もう」
「ああ」
エルナが瓶を傾けて、二つの杯に酒を注いだ。
二人でゆっくり飲んだ。
しばらく何も、話さなかった。
「リン」
「ん」
「明日、お前、また出る」
「出る」
「お前、戻ってこい」
「戻ってくる」
「ああ」
エルナがぽつりと頷いた。
「お前、自分のこと後回しにする、傾向、あるからな」
「自分のこと?」
「自分の、命だ」
「ああ」
リンがぽつりと答えた。
「俺の命より、優先、すべきことある」
「あるか」
「ある。仲間の命だ」
「だな」
「だが、俺、自分の、命を捨てる、つもりは、ねえ」
「そうか」
「ああ」
エルナが頷いた。
しばらくまた二人とも黙った。
エルナの空いた手が卓の上でわずかに動いた。指の置きどころを探していた。リンの空いた手も卓の上で動いた。同じように置きどころを探していた。
「リン」
「ん」
「お前」
「ん」
「うちの、宿、当面、お前の家、と思って、いい」
「家、か」
「ああ。当面、でいい」
「分かった」
リンがぽつりと答えた。
「ありがとう」
「礼を言われる、覚えはねえ」
「ある」
「ねえ」
「ある」
エルナがぽつりと繰り返した。
リンは頷かなかった。だが首を横にも振らなかった。
エルナが卓の上の、リンの手のすぐ脇に自分の手を置いた。触れる、距離では、無かった。だが近かった。
「リン」
「ん」
エルナがもう少し、リンの方に身を寄せた。
階下から遠く、酒場の、客の、声が聞こえてきた。風が吹いた。屋根のテラスの、月の光がわずかに揺れた。
二人とも何も、話さなかった。
エルナが目を伏せた。リンも目を伏せた。
しばらく二人とも動かなかった。
それから、エルナがわずかに、リンの方に傾いた。リンもエルナの方に傾いた。
二人の影が月の光の中で重なった。
——
ほんの、短い、時間だった。
数秒、なのかそれより、長いのか、リンには、分からなかった。
エルナがわずかに離れた。リンもわずかに離れた。
二人とも何も、話さなかった。
エルナが酒の瓶を取った。リンの杯に注ぎ足した。自分の、杯にも注ぎ足した。手がわずかに震えていた。
「飲もう」
エルナがぽつりと言った。
「ああ」
リンがぽつりと答えた。
二人でまた、ゆっくり飲んだ。
「リン」
「ん」
「明日、お前、戻ってこい」
「戻ってくる」
エルナが頷いた。
——
しばらくして、エルナがぽつりと言った。
「下、降りる」
「ああ」
エルナが立ち上がった。階段の方へ、歩いた。リンが後ろから続いた。
階段を降りる、前に、エルナがちらりと振り返った。
「リン」
「ん」
「無理、すんなよ」
「分かってる」
エルナが頷いた。階段を降りていった。
リンも続いて、階段を降りた。
自分の、部屋に戻った。ファーファが足元で丸くなった。背のニャルニルからぼそっと声がした。
「**……主、戻った**」
「ああ」
「**……記録、しません、でした**」
「分かってる」
「**……約束です**」
ニャルニルがそれだけ言った。
リンがふっと笑った。
「ニャル」
「**……はい**」
「お前、いい、戦槌だな」
「**……了解**」
ニャルニルがそれだけ答えた。
リンが横になった。ファーファが足元で軽く欠伸をした。
リンの内側で独り言が走った。
——明日、第三遺跡だ。
短く、それだけ思った。
エルナの屋根のテラスの、月の光がまだ目の奥に残っていた。
リンはそれを消さずに目を閉じた。
【了】




